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ありまとおべんと


彼と彼女の幸せを、ぶち壊す夢を見る。それは俺が望む現実ではない、それは確かなはずなのだけれど、目が覚めた時に必ず心のどこかで落胆することも事実だ。
偶然を装って階段を下りる彼女の背中を押す夢、彼の大事にしているペアリングを盗んでトイレに流す夢、駅のホームで彼女にわざとぶつかって突き落す夢、彼を意図的に怒らせて彼女と喧嘩させる夢。その他にもたくさん、彼と彼女の未来を奪う方法を夢で見てきた。
幸せになってほしいし、俺は見てるだけでも満足できるし、結ばれようなんて身に余る事は元から考えてない。そのはずなのに、もうそれでいいと決めたはずなのに、日を追うごとに辛くて苦しくて、元々嫌いだった自分のことをもっと嫌いになった。外では普段通りの笑顔を浮かべて、寝ている時だけ薄暗い空想に逃げる自分は、ここにいる価値なんて無いと思えた。
あの時みたいに、吐き気を催すことや食事がとれなくなることは無くなった。必要としてもらえていることも、いなくなったら探してもらえることも、彼の隣に居場所があることも、もう分かっているし忘れたりしないから。けれど、ただ好きでいるだけで本当に満足なのか、他人の話で幸せそうに笑う彼を見ていて何も感じないのか、と問い掛ける誰かが俺の心の奥底で眠っていることも確かだ。彼女のことが憎くて仕方がない、彼女がいなかったら彼の隣は俺の物だった、ずっとあのまま二人でいられた、ふとした瞬間にそう考えてしまう。
彼には幸せになってほしいと心の底から思う。けれど現状は認めたくないし、出来ることなら壊れてしまえば良いとも思う。どうしようもない矛盾なのは分かっているし、後者を認めてしまえば最後だということも知っている。だから、もう選択肢なんてない。
俺は結局、この気持ちを諦められないまま、彼の幸せを妬みながら生きていく。祝福の言葉を吐いた裏で、不幸になれと祈り続ける。彼の幸せが本当に壊れてしまったとき、俺は悲しむふりをして内心で狂喜乱舞するだろう。そんな自分が容易に予想できる。こんな未来なら、来なくても良かったのに。
桜が咲いて、厚手のコートも必要なくなって、学年が一つ上がった頃。一滴の涙も出なくなった自分を囲うように、呼吸と一緒に嘘を吐いて過ごした。それは酷く脆い檻だったけれど、それでも十分だった。温かい場所に俺を引っ張り上げた手は、まだ嘘に騙されたままだから。

「……知らない人、なんだけど」
「これから知り合いになるんだって」
「俺そういうの上手に出来ないし」
「あっちが会いたいって言ってんだし、そんな重く考えなくていいよ」
ちょっと顔合わせって程度でも良いらしいし、と有馬は簡単に言ってのけるけれど、程度がどうとかそういう問題じゃない。初対面の女の子と二人で過ごせって、どんな難題だ。
井生さんの友達が俺に会いたいと言っているらしい、なんて切り出されたのはかれこれ一週間ほど前の話だった。少しでいいから二人きりで過ごしてみろと最初から無謀なことを言い出す有馬に、そんなん無理、と俺が突っぱね続けている内に、どうも井生さんの友達も嫌がってるところを無理強いするつもりはないからと引きかけているようで。芽衣子は弁当くんの事好きなんだよ、と井生さんが有馬にうっかり零したのも原因の一つだと俺は思う。しかも有馬はそれをそのまま俺に伝えやがったし、もう会いづらい事この上ない。
広い校内だから行動を共にしていなければ人一人避けて動くことは簡単だし、授業が一緒だったとしても俺は相手の顔すら知らない。校内でばったり、とかなら普通にお友達になれるとは思うんだけど、いきなり二人で過ごしたところで多分俺はほとんど喋らない。話を聞いてる限りじゃ相手も初っ端から二人きりじゃ恐らく緊張するというか、俺相手に緊張なんてしなくても全然良いと思うけれどそれはこっちの問題だし、仕方ないだろう。
だから二人じゃ会えないって、何回も言ってるのに、こいつは。
「夏目さん、お前に会えるからって嫌いな俺と席を共にする程の覚悟なんだよ……」
「嫌われてんの?」
「ばりばり」
ストローを齧る有馬が時計を頻りに気にしていて、何となく引っかかる。食堂行こう、と珍しく持ちかけてきたのは有馬だし、妙に席を立とうとしないし、まあ特に急いでもいないから良いんだけど。なんか企んでんな、と思いながら窓の外に目を向ける。
別に、井生さんの友達と会おうが会うまいが、正直俺はどうだっていいのだ。この話を続けている間は有馬が俺の傍にいてくれるから、そんな欲塗れの理由で話を長引かせているだけ。例えばこれが原因で井生さんの友達と頻繁に会うことになったとしても、もしかしたらその先に進んだとしても、申し訳ないけれどずっと騙し続けることしかできない。
好きだと言ってもらえる事が嬉しいと前に有馬は言っていたけれど、俺の中にはもう既に言えない分の好きが大量に溜まってしまっている。これ以上は許容範囲を超えてしまうから、受け取ったふりだけして右から左に流すしかない。好きだって気持ちは自分の物だけで精一杯だ。
「……気づいてる?」
「なにが」
「だって弁当、帰ろうって言わないし」
「用事があるみたいだから」
「よう、じっていうか」
外を歩いている人を指差す有馬につられて窓から道を見下ろすと、井生さんと女の人が並んで歩いていた。こんなことだろうとは思ってたけど、腑に落ちないというか、終わりが来てしまったという気持ちの方が強かった。笑顔で何やら話している彼女が恐らく夏目さんなのだろう。ずるずると椅子に元通りに腰掛けた有馬が、外に目を向けたまま口を開く。
「夏目さんはここにお前がいることを知りません」
「それ、俺には言っていいんだ」
「なんか気づいてるっぽかったし、いいだろ」
「俺は良いけど、あっちに悪くないの。騙して連れてきて」
「いいんだよ、千晶が言い出したんだし」
「……でも」
「夏目さん、口悪いけど良い人だよ」
だからお前と仲良くなってほしいんだよ、と続けられて口を閉じた。無理にでも帰ってしまえば、この先も有馬は夏目さんの話をしに俺の方へ来てくれる。けれど今ここで会って話をすることで彼女と俺が仲良くなったら、有馬はきっと喜んでくれる。どちらが良いのか深く考えている時間はもう無いし、会ってしまうのが得策なのだろう。
ここで今から夏目さんと話をして、彼女が俺に幻滅して心変わりしたとかじゃなければ、いずれ俺と彼女も有馬と井生さんみたいな関係になるんだろう。そうしたくて会わせたがってるってことくらいは俺にだって分かる。俺は夏目さんの言葉を断らないだろうし、もし断って理由を深く聞かれたとしてそれにはっきりと答えられないのは不誠実だ。俺が全部飲み下して内心を黙っていることで誰も傷つかないのならそれが一番いい。幸せを壊したいわけじゃないんだ、と自分に何度も言い聞かせて、奥歯を噛み締めた。
「あ、来た」
「……帰ろうとしてるけど……」
「恥ずかしがりやなタイプなんだって」
お前と一緒だ、と笑う有馬に、そうかもしれないと返す。もう全部なんでもいい、こいつが笑ってくれればもう、自分のことですら、どうだっていい。
案の定というか、予想通りというか、夏目さんと俺はやっぱりお付き合いすることになったようで、大学生活はどんどん過ぎ去っていった。年を取ると時間が進むのが早くなるとかよく言うけれど、正にそんな感じだ。彼女は有馬が言った通り良い人で、俺とは真逆に自分の考えをはっきり言える人で、正論を叩きつけてくるタイプのちょっと気の強い女の子だった。
付き合いだして少し経った頃、二人でご飯を食べている時に夏目さんがぽつりと、当也くんは私の事好きでも何でもないね、と零したことがあった。そんなことはないとか、どうしてそんなこと言うのとか、そういった類のことを言えたら良かったんだろうけれど、俺は黙って頷いてしまった。怒られるか泣かれるか、と俺が思ったのはほんの一瞬で、やった、当たりだ、と茶化すように笑った彼女は普段と同じ強い瞳でこっちを見て、目を細めた。
「私、それでも当也くんの彼女で居続けるよ」
「いいよ」
「他に好きな人いるんでしょ」
「そう見える?」
「私以外に付き合ってる人、はいないか。そんな器用じゃないしね」
「なにそれ。俺だって意外とうまくやるかもしれないよ」
「……当也くんのずるいところは、嘘吐かないとこだ」
私に向かって直接好きだと言ってくれたことも無い、千晶たちには体面上嘘を吐くけれど私にはそんな上辺の言葉を掛けない、他に相手がいるのかどうかも私の判断に任せてどっちつかず、と指折り数えられて、思わず苦笑する。本当に、強くてまっすぐで、自分の基準にいつも正しくあろうとする、彼女の方を向こうともしない俺にはもったいない良い子なのだと思う。
それでも俺のことが好きだから意地でも隣は譲らないと宣言されて、嬉しいような恥ずかしいような、どこかくすぐったい気分にはなった。けれど俺は彼女にも周りにも隠し事をし続けているし、これからもそれは変わらないし、彼女は俺からなんの見返りも受けないままに一方的に思い続ける。なんて不毛なんだろう、温かくも何ともない。申し訳ないとは思うけれど、彼女を手放すつもりは毛頭ないのが本心だ。夏目さんを隣に置いておけば有馬は笑ってくれる、四人で出かける事だって出来る、彼女がいるといないとじゃ大違いなのが現実で。
もう、心のどこかが麻痺してしまったようだった。他人を利用して自分の欲を満たして楽しくの無いのに笑って毎日過ごして、こんなこと誰でもしているのかもしれないけれど、それはただの言い訳だ。こんな自分は何より嫌いだったはずなのに、暗闇から手を引かれるようにゆっくりと、全てどうだって良くなってくる。
「当也くん」
「なに」
「私の事いらなくなったら、すぐ言ってね」
「……大丈夫だよ」
いらなくなる、なんてきっと有り得ない。好きでも何でもない、なんて言葉に何も考えずに頷いてしまうような、どうしようもない俺の隣にいたいと言ってくれる彼女は貴重な存在だし、大切にしないといけないとは思っている。そう思うだけの余裕と心は、まだ残っている。
だから、まだ大丈夫。

「当也くん、来たー」
「なにがー」
「結婚式の招待状ー」
「誰のー」
「分かってるくせにー」
玄関口から声を張り上げる夏目さんに、同じように返す。何となく同棲し始めて、大学を卒業して、お互い至って普通に働き始めて、そろそろこの生活にも慣れ始めて。春も終わろうとしている頃、彼女から葉書を一枚手渡された。
最初は俺の家に彼女が泊まりに来る状態だったんだけど、如何せんあの部屋は二人では狭いので、同棲を決めて家賃を折半しながら引っ越したのが今の家だ。だからこの家にダイレクトメール以外の手紙が届くなんてなかなかない事で、まあ差出人は分かっているけれど。
行儀悪く椅子から仰け反って葉書を受け取ると、私もウエディングドレス着たいなあ、とにやにやしながら夏目さんが言うので、そんなお金は無いんだよと返す。すると彼女も神妙な顔でもっともだと頷くので、思わず笑ってしまった。
「有馬千晶……」
「もしくは井生はるか」
「いやいやいや」
「当也くん、井生さんって呼べなくなるね」
「そっかー……」
並ぶ名前と、日付や場所、丁寧なテンプレート通りの文章に、眩暈がしそうだった。これを破いたところで結婚式は行われるし、二人はきっと幸せになる。返信しなくちゃとペンを渡されて、手持無沙汰に葉書を振った。書きたくない、そればっかり頭に浮かんで離れない。
右手にペンを持ったまま書き出そうとしない俺を見た夏目さんは笑って、書き方分かんないんでしょ、と俺の手から葉書もペンも取り上げた。そのまま結婚式当日のお互いの予定を確認した後、出席欄に丸を付けて欠席欄に二重線を引いて、お祝いの言葉を添えて、と葉書を書き上げていく。それを見ながら、俺が出すよと嘘を吐いて千切って捨てたら郵便事故扱いにされて出席取り消しになったりしないかな、なんて出来もしないことをぼんやりと考えた。
二人には幸せになってほしいんだと自分に言い聞かせるのは、もうすっかり癖になっていた。
「私ちょっと買い物行ってくる、なんかある?」
「特にないかな、いってらっしゃい」
財布と携帯だけ持って出て行った彼女に手を振って、息を吐いた。相変わらず情けないしいつまでも吹っ切れないし、成長しない。こうなってしまえば諦めもつくかもしれないとほんの少し思っていたけれど、現実はそうは行かないようだった。
煙草でも吸ってみようかな、とか思ったこともある。自分の体の中身を体よくぐちゃぐちゃに出来て、周りの人にも程よく迷惑掛けられて、自分の他にもやってる人はたくさんいて、ある程度金を掛ければ依存も出来る。百害あって一利なし、求めているものはそれだ。他の人がどう思うかは知らないけれど、俺にはその害は利点にしか見えない。
でも結局のところそんな勇気も無くて、自分を傷つけることなんて怖がりな俺に出来る訳がなくて、きっといつまでも変わらずにこうやって生きていくんだ。そんなこと、知ってる。
どうせこのまま何も変わらないなら、今まで溜め込んだ色々を全部吐き出して、これまで騙してきた人達の頭を殴りつけるように本当を教えて、それからとっととどこかに消えたい。そうしたらもう心配もされない、必要ともされない、俺の居場所はようやくなくなる。それはきっと酷く寂しい最悪の結果なんだろうけど、そうそろそろ疲れた。
「……結婚式が、命日とか」
 印象に残りそうでいいな、なんて思ったり。出来もしない想像をするのもそろそろ飽きてしまったので、いい加減実行に移してみようか、と一人で笑った。

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