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ありまとおべんと



「おはよ」
「おは……あ!?」
「あっ、弁当だ。調子よくなったの?」
「うん。色々ありがとう」
見慣れた景色、四日振りだけど。普段通りの席に荷物を置いて座ると、前の机で伏見と小野寺が何やら喋っていたので声を掛ける。今朝の時点でメールでの連絡は取れていたはずなんだけど、何故小野寺は俺を見て驚いているんだろう。有馬はいないようなので、まあ遅刻か、そうじゃなくてもギリギリだろう。俺がいなかった間、授業には間に合っていたみたいだけど、話を聞いた限りじゃ余裕があったわけではなさそうだったから。
心配かけてごめんと謝れば、無理はしてないだろうなと二人声を揃えられて、首を振った。小野寺は、一人暮らしの風邪は怖いなあ、なんて言ってくれたので一安心できたけど、黙って笑顔を向けてくる伏見には確実に何かあったと気づかれているので全く安心できない。
「あの、伏見」
「いいよー、でも次から犬にはちゃんと首輪とリードつけといてね」
「う、え?」
「それはさっき話してた犬の散歩ん時の話。弁当いなかったろ」
「そうだっけ?」
「そうだよ、伏見ってばー」
そうかもね、と小野寺に頷いて見せる伏見の前では、何があっても絶対にボロを出さないようにしよう、と心に決めた。前々から思ってたけど、こいつは怖い。
しばらく何ともない話をして、講義開始まで秒読みレベルになってから、ようやく教室の後ろの扉が開いた。多分教授、いや有馬がまだだから、あいつはもう間に合わないから諦めろ、とか言い合いながら振り返れば、奥にいたのは案の定階段を駆け上がってきたらしい有馬で、その後ろには困った顔をした女の子が立っていた。そういえば、今日は合同授業だったっけ。
「ここ空いてるよな?やったー」
「空いてねえよ」
「カップルは一番前行けば」
「女の子走らせんなよ……」
「違う!今ちょうどここで会ったの!」
口論の間ずっと立ったままの女の子に、荷物を退かして席を勧めると、少し迷った挙句に腰掛けてくれた。有馬の席は無くなったが、伏見と小野寺の間が空いてるし、見た目はむさ苦しい上に荷物は置けないけど、何とか詰めれば座れるだろう。もともと合同の時はそんなに席の空きが無いから、こうなることは仕方がない。
良いからどっか行け、と二人に小突き回されている有馬を横目に、座らせたはいいけどどうした物かと考えていると、女の子がおずおずと口を開いた。
「あの、ええと、弁当くん」
「えっ、ああ、はい?」
「井生千晶です。一回お話したくて、でも会えなくて」
「ああ、俺休んでたし……弁財天、当也です」
「俺は、有馬なんかより弁当のが安心できる」
「なにしてんだよ、突っ立ってないで座れば」
言いたい放題な伏見と小野寺に体力を根こそぎ持って行かれたのか、無理やり座らされてぐったりと机に突っ伏している有馬を見て、彼女さん、もとい井生さんは怒ったりしないんだろうかと思う。気になって隣を見れば、彼女はにこにこと笑いながら、はるかちゃんが気持ち悪いのは知ってるから、などとのたまっている所で。よく言うな、彼女。
ていうか、はるかちゃんって。
「…………」
「おいこら弁当」
「……なに?」
「笑うなら笑うであいつらみたいに一思いに笑ってくんない?」
「いや……あの、別に、おかしくなんてないんで……」
「こっち向け、顔見せてもう一回言ってみろ」
「やめてください……」
その敬語もやめろと有馬に怒鳴られながら、必死で顔を背ける。家族からそう呼ばれていると本人から聞いたことはあるけど、確か相当嫌がってたはずなのに、よく許したというか、絆されているというか。それよりも、泣くほど笑ってる伏見と机から顔を上げない小野寺を見ても飄々としている井生さんが凄い。今時の女の子ってみんなこんなもんなんだろうか。
それにしても有馬の疲れように対して井生さんが息一つ乱れていないので、一緒に来たわけではないのかと遠回しに聞いてみる。すると、どうも友達を時間ぎりぎりまで待ったものの、どうにも遅刻確定だから先に行ってほしいと言われ、エレベーターで上がってきたところ走ってきた有馬と鉢合わせした、ということらしく。
「はるかちゃんと待ち合わせなんかしたら、絶対遅刻するの分かりきってるし」
「どっか行く時ならまだしも、授業前はやめた方がいいよ」
「だよねえ」
「……そこ、俺抜いて楽しくなんのやめてくんない?」
前の机から半目でこっちを見てくる有馬に残念な物を見る目を向ける。別にただ話してただけだし、どっちかというと彼女持ちの有馬よりも、有馬と付き合ってる井生さんが羨ましい。しかも話してる内容お前のことだし、目の前に座ってんだから口挟んでくればいいのに。
いくら待っても来ない先生と始まらない授業に焦れて、腹減ってきたと小野寺が文句を言い出す。確かに遅すぎるけど、前もって掲示される休講の知らせは出ていなかったから、待つより他が無い。柿の種ならあるよ、と伏見が取り出した袋にみんなで手を伸ばし、つまんで何とか空腹を凌いでいると、ようやく扉が開いて人が入ってきた。
「……誰あれ、見たことないんだけど」
「りん、じ、休講かよお……」
「先生ノロだって。可哀想だね」
「伏見の中でその顔は可哀想な顔なの?」
「飯食いに行こうぜ、飯!俺ハンバーグとカレー!」
「えっ、あたしご飯食べたい……」
「小野寺声でかい。井生さんがファミレスで良ければそうするけど」
「有馬は来なくていいよ。千晶ちゃんはおいで」
「殴られてえのか伏見」
「あたし弁当くんと話したいから、はるかちゃん来なくてもいいよ」
「なんで!?」
井生さんはどうも初めて見た俺に興味があるらしく、積極的に話しかけてもらって嬉しいような、彼氏の手前何となく気まずいような、正直複雑だ。というか、男ばかりの彼氏の友達に囲まれて飯食うって、井生さんも有馬もほんとに良いのかよく考えてほしい。まあ伏見は思いっきり演技で冷やかしてるのが丸分かりだし、小野寺にはまず人の彼女を好きになるという概念が無さそうだし、俺は誰も知らないだけで一番可能性薄いし、別に良いんだけど。
がたがたと席を立って各自荷物を持って、伏見が持ってる唯一の食料に井生さんと小野寺が引き寄せられている間に、小声で有馬を呼んだ。
「ん?」
「……ありがと」
「……千晶はやらねえぞ……」
「取るつもりないんだけど」
「お似合いっぽい感じも出すなよ!」
「でも、もし万が一井生さんが有馬から俺に乗り換えたら、俺は悪くない」
「こっわ!お前、もっかい性質の悪い風邪引け、寝込め!」
「嫌だよ、辛いし」
じゃあ駄目だ、とあっさり意見を引っ込める有馬を笑って、今はまだ隣を歩く。ポケットに入りっぱなしだった忘れ物を渡すと、俺はもういらないからお前にあげる、なんて言われて、傷の塞がった手のひらに小さなお守りは返ってきた。それを今度は鞄にしまって、一歩先を歩く有馬に目を向けた。急に足を止めた俺に気づいて、振り返って。
「弁当?」
「……有馬」
好きだよ。
言葉にならずに空気に溶けた声は、伝わらないままでも十分報われていた。


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