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ありまとおべんと


(有馬視点)





弁当が、学校に来なくなった。
メールの返信も三日前から返ってこないし、電話も出ない。着信拒否ではないみたいだけど、いくら鳴らしても繋がらない。何かあったとか、病気してるとか、そういったことが分かれば、いつもあいつがしてくれるほど上手くは行かなくても俺も何か出来るのに、連絡が全くつかないからもうどうしたらいいのか分からない。
一個だけ助かった点があるとすれば、俺はきちんと一限から授業に出るようになったし、講義中寝ることも無くノートを取るようになったことくらいだ。それを弁当に言ったら多分、そんなの当たり前だって呆れた後にちょっと笑ってくれるんだろうけど。眠気と戦った痕跡のある俺のノートと、『時間があったら』なんて短くてあいつらしい、三日前のメールを見比べて、溜息を吐く。今朝は千晶にも心配されたし、でも連絡とか一切取れないし、ていうかほんとに何かに巻き込まれてたりしたらどうしよう、あいつ一人暮らしじゃん。嫌な想像ばかり駆け巡って、やっぱりあと一回だけメールしてみようと返信画面を開くと、恐らく弁当の物であろう返却プリントの束を片手に持った小野寺が教室に入ってきて、俺の隣に目をやるのが見えた。うわ、と声に出さずに口を開いて近づいてくる小野寺に片手を上げる。
「有馬―、今日も弁当いねえの?」
「んー……」
「珍しいよなあ、風邪かなあ」
 最近急に寒くなったし、と腕を組む小野寺に適当な相槌を返すと、斜め前の席で必死に次の講義の問題を解いていた伏見がぱっと振り返った。
「俺、昨日弁当見たけど」
「えっ」
「代返も三日くらい前から頼まれてるし、あれ?有馬何で知らないの?」
「……だって俺、連絡つかないし……」
「なんで?」
「じゃあなに?弁当の自主休講なの?」
「わかんね……」
顔を見合わせる伏見と小野寺は釈然としない、よく分からないとでも言いたげな表情を浮かべていて、俺だってどういうことなんだか知りたい。普通に考えて、俺だけ避けられてるってことなんだろうけど、理由も原因も全く分からない。自分の都合だけでそんなことをするような奴じゃないことはここにいる三人とも十分すぎるくらい分かってて、それも手伝って沈黙が続いた。あのさ、と挙手した伏見が、携帯の画面を見せながら俺の方を向く。
「これ、弁当からのメール。なんかあったの?って返信したけど、体調悪いだけだって」
「でも昨日弁当見たって、体調良くなったなら来るだろ?あの性格だし」
「俺、家近いじゃん。弁当もこの辺に住んでるんでしょ?昨日の帰りに対向車線歩いてたの」
「ああ、一人暮らしだっけ。買い出しとか、体調悪くても行かなきゃいけねえのかなあ」
「……で、有馬はいつまで携帯見つめてんのかな」
弁当は画面から湧いて出たりしないよ、と伏見に携帯を取られて初めて、自分がずっと黙ってメールを見ていたことに気づいた。しばらく休むから代返とかノートとか頼む、出さなきゃまずそうな提出物もあったら教えて、なんて内容のメールの受信時間は三日前になっていた。
こんなの普段だったら俺のところに来ていたっておかしくないはずで、けれどそれは自分には届いていなくて、むしろ避けられる始末で、何が何だかさっぱりだった。俺の頭が悪いから意味が分からないのかとも思ったけれど、俺の前にいる二人も阿呆面を浮かべていたので、どうも俺だけのせいではなさそうだ。
なんで有馬ばっかり避けられてんだろうなあ、と小野寺が零した疑問は解決できないまま、俺は千晶からの連絡で教室を出た。着信もメールも、返信ですら来ないなんて初めてで、何となく携帯を触っている時間が増えたように思う。本当に、どうしたんだろう。
「はるかちゃん、こっちー」
「あ、ごめん。待った?」
「ううん、全然。……どうしたの?」
「んー……」
どうしたっていうか、と説明しようとして、この話しなくてもいいんじゃないか、とふと思う。弁当が来なくなったのと、千晶と俺が付き合いだしたのがほとんど同じタイミングだったせいで、俺はここ最近この話ばっかりしているはずだ。わざわざそんな話をする必要なんて、と今更思い当って言いよどんだ俺を見て、千晶はほんの少し笑って口を開く。
「……今日も、来なかったの?」
「あ、うん……」
「あたし、見たことはあるんだよ。弁当くんのこと」
はるかちゃんと一緒にいるから、と続けた千晶に、はるかちゃんって呼ぶのやめて、と言うのはもう付き合いだしてすぐに諦めた。何回訂正しても残念そうな顔に絆されてしまう。
話したことはないから一方的に知ってるだけだと頬を掻きながら恥ずかしげに千晶が笑う。それを見て、何となく思い付いて自分の携帯のアドレス帳を開いた。
「千晶、これ。ここに電話してほしいんだけど」
「え、いいけど……」
「出たら、代わって」
俺が見せた電話番号は弁当のもので、名前はわざと見せなかった。けれど千晶はそれを何となく察したようで、ちらりと俺に目を向ける以外に何も言わず電話をかけてくれた。千晶にも弁当にも悪いことをしているのは分かっているけれど、あいつにどう接したらいいのか俺にはもう分からなくて、ただこのままじゃ弁当はもう戻ってこないんじゃないかなんてことだけは何となく理解できて、思い付いた方法に縋るしかなくて、自分の頭に腹が立つ。
携帯を耳に当てた千晶は、コールの回数が増えるごとに不安そうな顔を浮かべていて、やっぱりいいよ、と謝ろうとした瞬間、肩を揺らして声を上げた。
「あっ、えっと、あたし、その」
「えっ、出たの?」
「あの、代わりますっ、切らないでくださいっ」
間違い電話じゃないです、と携帯に向かって焦る千晶の髪を撫でて、携帯を受け取る。少し温かいそれを耳に当てれば、聞きなれた怠そうな声が聞こえて、何故か泣きそうになった。たった三日、されど三日で、俺は寂しかったのかな、なんて思ったり。
「もしもし?」
「お電話代わりましたー」
「……あ、りま?」
「お前なんで俺の電話出ないの?伏見とは何で連絡取んの?」
「……なんで、有馬が出るの」
「千晶の携帯だからだよ!答えろって、電話が嫌なら会うから、今お前どこに」
ぶつり、と音がして話の途中で切られた通話に思わず舌打ちをする。千晶に断ってもう一度掛け直すと、鳴らすことすら許されずに留守電に回された。意味の分からない苛立ちに髪を掻き回しながら携帯を返せば、千晶も何も言わずに受け取って、思わず謝った。
もういっそ、家にでも押し掛けてやろうか。何も言われずに一方的に避けられて、ようやく繋がった電話も切られたんじゃ、こっちもあんまり気分が良くない。せめて理由を教えてくれたら俺だって何かしら改善できるかもしれないのに、何考えてんだ弁当のやつ。体調がものすごく悪くてどうしてもタイミングとかが合わなくて、だから俺からの電話とかメールとかを返せなかった、っていうならまだしも、伏見が外であいつのことを目撃している上にさっきの態度じゃ、言い逃れなんて出来ないくらい避けてんの明白じゃないか、弁当らしくもない。ああもう、すげえ腹立つ、苛々する。避けられていることよりも、何も言ってくれないことの方がムカつくし、俺なんてそんなもんだったのかって気分にさせられてしょうがない。
俺が黙り込んでいるのを千晶が見ていることに気づいて、何とか笑おうとしたけれど、どうにも難しくて、結局気まずい雰囲気だけが残る。二人して無言のまま歩いていると、急に彼女だけが立ち止まって、踵を返した。
「えっ、え?千晶、なに、どうしたの」
「……あたしだったら、あくまでも自分だったらの話なんだけどね」
「う、ん……?」
「友達と喧嘩して、でも謝りたくないなって思っても、会いたくはなっちゃうんだよね」
「……うん」
「でもあたし意地っ張りだし、会いに行くのは嫌で、芽衣子と大喧嘩した時もそうだったの。会いに来てくれないかなあって、いっつも思っちゃうの」
「…………」
「あっちはあたしが何で怒ってるかなんて分かんない時も、そう思っちゃうんだよね」
ねえ?と同意を求めるように振り返られて、追いかけていた足を止める。いくら鈍い俺だって、千晶が言ってることの意味くらい分かるし、背中を押してもらっていることにだって気付ける。けれど、今ここで彼女を置いて行くのは違う気がして、言葉を吐きかけた口を噤んだ。
すると、困ったように笑った千晶は迷っている俺を見て、はるかちゃんは馬鹿だなあ、と身も蓋もなくストレートな感想を述べて、物理的に背中を押してきた。
「ちょっ、おい、なに!?」
「そんな顔で隣歩かれても、あたしがどうしたらいいか分かんないよ、もう」
「千晶、でも、俺」
「はるかちゃんは、あたしと居たいから他はいらないなんて言う人じゃないよね?」
「いらないなんて言ってないだろ!」
「言い出しそうな顔だったもん」
「……まだ言ってない」
「ふふ、正直。はるかちゃんの嘘吐けないとこ、好きだよ」
「あ、りがとう……?」
「どうしたら良いかなんて先の事まだ分かんないし、後で後悔話ならたくさん聞いてあげるからさ。会って話して、言いたいこと言った方があたしは良いと思うな」
行ってらっしゃい、と言葉を付け加えて、背中から手は離れた。振り返って見えた千晶はやっぱり笑ったままで、何となくだけど、この子が俺のこと好きになってくれて良かったって、そう思って。一度だけ手を握って、頭を下げて、走った。
言いたいことと聞きたいことは、ほんとにたくさんある。思い返してみれば、こんなに長い間会わなかったり連絡取らなかったり、避けられるなんて以ての外、有り得ないことだった。俺が弁当を怒らせたり困らせたり、馬鹿みたいな理由で口喧嘩することはあっても、その日の内にはいつも通りに話してた。あいつが何考えてたとか我慢してたとか、そういったことを俺は一切知らなくて、でもきっと弁当は嘘やら隠し事やらが下手な俺が考えてたことなんて全部分かってたはずで。気を遣ったり自分が諦めたり、馬鹿な俺が気にも留めないように考えながら、色んなことをしてて。
そんなことは知ってた、あいつが時々泣いてんのも知ってた。でも俺はわざと何も言わなかった。弁当が何考えてそんなことしてるんだかもよく分からなかったし、そもそも知ろうともしなかったし、わざわざ触れることでもないかなって思ったし、付き合いが長くなるにつれて、こいつ多分俺に不満があったら速攻言ってくるなってことも分かりはじめて来たし。でも、そうじゃなくて、あいつが言い出すのを待つんじゃなくて、なんか言いたいことあんのかって聞かなきゃいけなかったのかもしれない。
きっと俺が思ってたよりもあいつは腹の中で色んなこと考えてて、俺の何かが原因で口には出せないような色々がパンクして、こうなったんだ。だから俺には何も言いたくないんだ、弁当はすぐ自分が悪いと思い込むから。
俺もお前もちゃんとした言葉が足りなかったんだよ、なんて今更思う。だってお前と話して馬鹿やんの楽しくて、真面目な話とかしたくなかったんだよ。それに聞いたってお前はどうせ話してくれないし、そしたら俺だってもういいやってなっちゃうし、仕方ないじゃん。仕方ない、けれど。それで片付けてたからこうなったんだなってことは、もう分かった。
「は、げほっ、はあ、っつい、た」
少し前に訪れたばかりの弁当の家まで、うろ覚えの記憶を頼りに走って、もういい加減喉が焼き切れそうになった頃にようやく着いた。迷っていても碌なことにはならないので、走ってきた勢いとテンションのままに玄関扉を力任せに叩く。もう形振りなんて構ってられない。
「おいこら、っいるんだろ!?話があんだよ、開けろ、って……え?」
「こないだの、あー名前何だっけ、忘れちゃった。うるせえ奴だよね?」
「うる……」
がんがんと音を立てながら扉を叩いていると、肩を緩く掴まれて振り返る。俺に話しかけていたのはスーパーの袋を手から下げた女の人で、正直見たことも無い。でもどうやら相手はこっちを知っているようで、誰だこの人と思いつつも必死で記憶を掘り起す。
息切れと疲れで咄嗟にどう反応していいか分からず俺が固まっていると、女の人は弁当の家の隣の扉を指差して、口を開いた。
「眼鏡、じゃねえや。弁財天さん家のお隣さんです、こんちわー」
「は、え、あ、はい……」
「何の用だか知んないけど、眼鏡くんなら今家にいないよ」
「へっ!?」
「私、今さっきすぐそこですれ違ったし。ていうかあの子大丈夫なの?なんかおかしいよ」
「すぐそこって、どこ」
「そこ曲がったとこ。買い物じゃない?今日肉安いし。じゃなくて、様子がおかしかったって」
「あ、ありがとうございますっ」
「え?あっ、ちょっと?」
お礼もそこそこに再び走り出すと、お隣さんが俺を呼び止める声が後ろから聞こえた。親切にしてもらったところ申し訳ないけれど、早く追いかけないと追いつけないかもしれない、なんてことで頭がいっぱいだった。足は縺れそうだし頭は回らないし、暑いとか通り越して耳元で心臓の音聞こえるし、これで会えなかったなんて冗談じゃない。
ほんの少し前のことのはずなのに、妙に懐かしくて。二人でふざけながら買い物して、袋の分担で揉めて、お前の家に向かって、この道を今と逆方向に歩いたっけ。なんにも気づけなくって、なんにも言えなくって、分かろうともしなくって、本当に俺は。
道を曲がった先、まっすぐ正面に見えた背中に、何も考えずに呼びかけた。



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