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おのでらとふしみ



いつしか、冬休みになった。今日は終業式で、年末年始は流石に道場も開けてもらえない。年初めには射会があって、伏見はそれに出るらしかった。調子は万全、このままじゃあ本当に俺より先に伏見が十二射皆中の快挙を成し遂げそうな勢いだ。対して俺は、八射皆中が精々。どうしよう。そうやって思う度に、中りは悪くなっていく。中り数の書いてあるホワイトボードの前で、立ち尽くす。だめじゃん、あんなこと言って。守れない約束じゃあ、意味がない。冬休みの間は弓には触れないし、伏見にだって会えない。安土を整備してきてくれた伏見が、行こう、と矢筒と弓を背負った。
「……どこ行くの?」
「ここ閉めたらもう練習できないだろ。弓道場、遅くまで開けてくれるとこ知ってるから、そこで冬休みはやろうと思って」
「……持ってっていいの?」
「道具も持ってかないでどうやって練習すんだよ、馬鹿犬」
袴のまま、制服は持って出る。先生にも話は通してくれたらしく、弓矢を背負って鍵を返しにきた俺たちに、迷惑かけるなよ、としか言わなかった。いつも使わない道、普段は乗らないバス。冬だから日が暮れるのが早くて、学校を出た頃はまだ薄明るかったのに、弓道場についた頃にはもう暗くなりかけていた。よっとこしょお、と荷物を降ろした伏見が、受付のところにいたおじさんに番号札をもらって、なにか書いている。道場を出て行く女の人に、久しぶりだねえ、と声をかけられて頷き笑う伏見に、小声で聞く。
「ここ、どこ?」
「地域でやってる弓道場。中学生の時から使わしてもらってる」
「……誰でも使えるの?」
「道具さえ持ってりゃな。おじさん、何時まで?」
「俺が帰るまでかな」
「だからあ、それ何時」
「9時には帰れよ、学生さん」
「はあい」
「9時!?」
「なんだ、弓引きにきたんだろ?大晦日と三が日以外俺はいるから、いつでも来いよ」
「ということです」
「あ、はい……」
「俺、学校が閉まってる時はここに来ることにしてるの。おじさん、頼めばぎりぎりまで待ってくれるし」
俺たちの他に、人はいなかった。いつもと違うところもいいでしょう、と弓を張った伏見が、時計を見上げる。9時までじゃ、大分ある。ぐう、と鳴った俺の腹の音が聞こえたのか時間帯の問題なのか、差し入れだとおじさんがおにぎりをくれた。
「ここら辺で一番の地主さんらしいよ、おじさん。お金持ちなんだって」
「へえ……」
「自分で言ってたから俺は信じてない」
もぐもぐとおにぎりを頬張った伏見が、手を綺麗にして弓を持つ。いつの間にやら外は真っ暗で、ライトだけが矢道を照らしている。他の音もしない中、伏見が的を射抜いた音が響き渡った。俺も引きたい。練習しないと。
回る時計の針に合わせて、伏見がぽつぽつと話し出す。中学生の時にここに初めて来た時は、射形なんか酷いもんで、この道場を使ういろんな人に教えてもらったんだとか。見取り稽古ったって同い年のだけじゃそう大差ないから、年齢層と経験の幅広いここはうってつけだったんだとか。顔見知りはいても知り合いはいないこの場所は、羽根が伸ばせて楽なんだとか。ここのことは誰にも教えてない秘密だったのに、小野寺には教えちゃった、と笑われて、胸がぎゅうってなった。俺は伏見の秘密をいくつ知れてるんだろう。いつになったら、特別になれるんだろう。
9時まで、あと1時間。走って矢を取りに向かって、走って戻って、もう一本。何本引いたか分からないけど、この時間が終わらないで欲しかった。ずっとずっと、二人だけで、こうしていたかった。他のことはもうみんなどうだっていい。目の前の的を射抜く度、もう一本、もう一本、って伏見が応えてくれるのが嬉しくて。いつの間にか弓を置いた伏見が、大前の前の畳に座って、こっちを見ながら他愛もない話をする。高校総体予選の話。晴臣さんの話。新人戦の話。少しずつ遡っていく伏見の思い出話は、出会った一番はじめ、4月まで辿り着いた。下手くそだったよなあ、お前、と言われて、返す言葉もない。
「四月の最初は、俺の名前も覚えてなかったくせに」
「……人の名前を覚えるの、苦手で」
「知ってる。勉強ができなくて運動はできることも、諦めが悪いことも知ってる」
「う」
「一年半、ほぼ毎日顔突き合わせてれば、大概のことは分かるでしょ。ましてやお前、分かりやすいしさ」
「伏見は分かりにくいよ」
「小野寺如きに分かられた気になっちゃ困る」
「どうしてこの場所のこと教えてくれたの?練習したかっただけ?」
「いや、ううん。だって、お前も俺にやったじゃん。気分転換」
的を射抜いた俺の矢に、十一本目だよ、としゃがんだ伏見が嬉しそうに笑った。もう一本、と唇が動く。もう一本中てたら。中てたら、俺は、どうなるんだろう。矢を番えて、一瞬身体が強張る。余計なことは考えない、集中しなくちゃ、中てなくちゃ。けど中てなくちゃって思っちゃいけない、普段通りに、普通に、いつもと同じように。
それって、どうやってやるんだっけ。
かちり、静かな時計の音に、心臓がばくばく鳴ってるのが分かった。どうしよう。やり方、全部、分かんなくなっちゃった。どうやって今まで弓を引いてたんだろう。どうやって、中ててたんだろう。頭の奥がぐるぐるする。せっかくのチャンスだ、中てなくちゃ。十二射皆中、しなくっちゃ。唾を呑み下す音すら耳障りで、動けない俺に、伏見が触った。
「背中は伸ばす」
「……、ふ」
「喋らない。口割りがずれる」
「……………」
「肩の力が入ってる。肘が上がったら狙いがぶれる」
どうして助けてくれるの、とは聞けなかった。背中にぺたりと張り付いた、伏見の手のひらの温かさが、凍りついた身体を溶かしていく。これが終わったら、二人で帰ろう。ご飯食べて、たまには、はじめてだけど、うちにゆっくり泊まってもらおう。俺の服は大きすぎるかも知れない。伏見はそしたら、怒るかな。
十二本目の矢が的を射た音と、俺が鼻水を啜る音が、ほぼ同時だった。きたない顔、って伏見は笑って、ちょっと考えてから、おめでとう、と柔らかく目尻を下げた。ふにゃって、優しく笑った。その顔が見たかった。その顔を、ずっと、独り占めにしたかった。真っ暗な外、音の無い静かな道場。まともな弓倒しもできないで泣きそうな俺を、何も言わずに待つ伏見のことが、俺は。
「……好きです」
「うん。知ってた」
「……言うと思ったあ……」
「聞く約束だからな」
「違うよ!答える約束だよ!」
「えー?」
にんまり、悪い顔で笑った伏見のせいで、がしがし目をこすって、涙はどこかに飛んでった。どうせなら泣けよ、つまんねえな、と溜息をつかれて、伏見が弓を持つ。え、いや、待って、答えてよ。有耶無耶にしないでよ。好きって言ったよ、と後を追えば、一本だけ矢を持った伏見が、こっちも見ずに言った。
「外したらお断りで」
「ええ!?」
「中てたら、お付き合いで」
「そんなん伏見の匙加減じゃん!」
「は?俺が外すとでも思ってんの。なんなら十二本中ててやるよ」
凛と伸びた背中。呼吸すら聞こえない、張り詰めた無音。まるで、作り物みたいだった。綺麗で、儚くて、風でも吹いたら崩れ去っていなくなってしまいそうなのに、強くて真っ直ぐで。伏見が外すわけ、ないじゃないか。心の底からそう思って、それと同時に、この人には勝てるわけがないと、頭より先に心が理解した。だって、こんなにも。

「人んちの風呂……」
「あ、俺、後でいい。お先にどうぞ」
「覗くなよ」
「のぞっ、覗かないよ!」
「分かんないなー、初夜だしな」
「しょっ……」
しらっと俺のジャージを持って風呂に向かってしまった伏見の捨て台詞に、かっと顔が赤くなったのが分かる。付き合って、くれる、ってことでいいんだよね?伏見、中てたしね?俺も十二射皆中して、好きだって言ったよね?伏見の最後の一本の後、時間が押し迫ってたからすぐ片付けして道場を出てしまったので、確認はできてない。おじさんは奥にいたので、道場であったあれこれは聞こえてないはずだ。ふざけてからかわれてるわけじゃないよね、ほんとに付き合ってくれるんだよね、好きだって伝わってるよね。誰からも答えの帰ってこない確認を空中に投げかけていると、伏見が帰ってきた。
「小野寺」
「わああああ!」
「……お前の兄ちゃんが風呂入ってたぞ」
「あっ、にっ、兄ちゃん?ご、ごめんね、じゃあもうちょっと待って、兄ちゃん何考えてんだかな!」
「うん」
「伏見、あの、ええと、お茶飲む?お茶、俺持ってくるよ」
「いらない」
「あっ、はい……」
「……………」
「……………」
「……言っとくけど」
「は、はいっ」
「付き合うよ?付き合うけど、俺がお前のことを好きになるとは言ってないからね」
「……は、……あ……!?」
「今気づいた?それに、お前の好きも、俺的には勘違いだと思ってるから」
「はあ!?」
「後追いっていうか。そんな感じだと思ってるから」
「違うよ!ほんとに、本気でちゃんと、好きでっ」
「ああ、うん、みんなそう言う」
「まともに聞いてくれるって言ったじゃん!」
「まともに聞いてるよ。まともに聞いて、真面目に考えて、信用してないの。俺のこと好きだって言う奴は、大概そうでもないし、お前の場合は俺が一番近くにいたから、すっごい仲良い友達っていうラインを越えてると思い込んでるだけ」
「……そんなんじゃ……」
「でも、好きって言ってもらったのは本当。俺がお付き合いする意思があるのも本当」
「伏見俺のこと好きなの!?」
「ううん。全然」
「あー!わっかんない!」
「付き合ってやるよ。後追い依存でも、好きの勘違いでも、どっちでいいけど。付き合うからには、それ相応のこともするし」
「……でっ、デートとか?」
「どこ行くの?いつ?」
「あっ待って、考える、がんばって考える」
「がんばれー」
そう言っといた方が楽だから、告白受けてくれたのかな。にやにやしている伏見からは、何も分からない。そもそも、伏見の考えていることは、俺にはほぼほぼ全く分かるわけがない。気を抜ける止まり木が増えた、くらいにしか思われていないのかもしれない。じゃあ、俺はどうしたらいいんだ。伏見に好きになってもらえばいいのか。伏見が俺のことを好きになるとか、可能性めちゃくちゃ低くないか?だって、あの伏見だ。良い子ちゃんの皮を被った、意地悪で口と態度も悪くて弓道のことしか基本考えてないような、伏見だぞ。俺のことを好きになるとか、考えられない。
「……呆れた。まさかさっきからずっと固まってんの?」
「はっ、ふし、っ!?」
「でかいんだけど。どうにかならないの」
ぱかん、と頭を叩かれて顔を上げれば、俺のジャージを着た伏見がいた。あ、やばい、鼻血出る。今日まともに寝れる気がしない。伏見の白い目から逃げるように時計を見たら、確かにかなりの時間が経っていた。呆れられるのもごもっともだ。交代でお風呂に入って、ほぼ烏の行水状態で急いで出たら、伏見は我が物顔でベッドに寝ていた。俺が布団かよ。いいけどさ。
「……おやすみ」
「あ、ねえ」
「ひえっ、なっ、なに!」
「変なことしないでよね」
「しません!」
「あとさあ、もうすぐクリスマスだね」
「そう、だね……」
「おやすみ」
「……?」
もうすぐ、クリスマス、だけど。しばらく考えて、それがはじめてのデートに対する伏見からの要望だということに気がついた。さて、あの弓馬鹿はどこに連れ出したら喜ぶのだろう。初デートのクリスマスにまで弓道場に缶詰は、さすがに嫌だ。健全な男子高校生として、とっても嫌だ。布団からベッドは見えない。伏見がどんな顔して寝てるのか、そもそも寝てるのか、気になるけど、覗いたら怒られそうだ。
明日はまた、弓道場に行こうと約束してある。今度は伏見が十二射皆中してやる、って。俺なんかより遥かに簡単に成し遂げそうで、ちょっと怖い。晴臣さんが聞いたら、大喜びしてくれそうだけど。



高校三年生になって初めての大会で、伏見に「俺のために優勝トロフィー持って帰ってきてね、ダーリン」と真顔で言われ、がんばってしまったので、このために付き合ってくれているような気がしなくもないことに気づく、春まであと少し。

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