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おのでらとふしみ


「伏見、悪いな。交代する」
「はい。ここ、お願いします」
「待機場所、今回体育館な。混んでるから、一応小野寺つれてきた」
「案内は任せろ、だそうだぞ」
「じゃんけん負けただけっすよ!あ、伏見、俺飲み物買い出しなんだけど」
「俺も行くよ、一人じゃ重いし。その代わり案内してね」
「うん」
振り向かずに歩き出せば、紅茶とコーラとカルピスと、と指を折りながら小野寺がついてくる。さっきコンビニに行かなかった奴らの分の飲み物らしい、ついでに俺も買って行こうかな。ざわつく玄関口にある自動販売機に小銭を突っ込んでいた小野寺が、ぼそりと呟いた。
「なんかあった?」
「ん?」
「なんか、怒ってるっていうか、伏見が」
「そんなことないけど……」
そう告げて困った顔を浮かべながら、内心で冷や汗が止まらなかった。え、いや、なんでこいつ、こんなこと。我ながら顔色作るのは得意な方なんだ、小野寺に分かるほどあからさまになっていたわけがない。確かにいい気分ではなかったけど、確実にちゃんと笑えてた。一応俺の体裁を気遣っているのか小声のまま、気のせいならいいんだけどね、と横目で伺われて、しゃがんで缶を取り出しざまに早口で問いかける。
「なんでそう思ったか教えろ」
「えっ、え?勘だけど」
「……こわ」
「ん?」
「なんでもない」
動物的というか、野生の勘というか、鼻が利くというか。こいつといると、ふとした瞬間に何と無くで気取られることが多い。素を知ってる人間だから分かりやすいのかとも思ったけれど、あからさまに苛ついてる時に限って更に神経を逆撫でしてくるようなことをしでかしやがるので、恐らく本当に勘だ。なにも分かっていない、から逆に恐ろしいんだけど。
缶を抱えた小野寺と二人で待機場所まで戻ると、全員袴に着替えているところだった。小野寺が制服のままなのは、飲み物買い出しのじゃんけんで負けたからだろう。もそもそと学ランを脱いで鞄を開けていると、崎原が静かに隣に寄ってきて、言った。
「……伏見、巻藁行くよね?」
「うん」
「一緒に行って、見てくれないかな。なんか、あの」
「いいよ。なんなら小野寺も連れてこう、試合立ちだし」
「ん、そう、だね」
まあ、こうなることは、予想できてたけど。無神経な小野寺のおかげである程度みんなの緊張も解けたと思っていたが、崎原のような反応が普通だ。奥で弓張ってる西前だって、いつもだったらこんな暇な待ち時間、欠伸連発か隅っこの方で寝てたっておかしくないのに、デフォの眠たげな顔よりちょっと不機嫌そうなしかめっ面で。それが伝染しているのか、さっきまでと雰囲気が何と無く違う。あの馬鹿はどうやら全く分かっていないようで、にこにこしながら六島にチーズたかってるけど。
「お前は気楽でいいよな」
「んー?」
「小野寺が緊張なんかし出したらもう終わりだろ」
「それもそうか」
溜息交じりの六島とそっちを向きもしないで巻藁の支度をしている桐沢に、二人掛かりで軽く馬鹿にされてむっとしたのか、眉根を寄せた小野寺が口を開いた。らしくもない小声で、それでもこいつらしく。
「……だって、たくさん練習したじゃん。失敗なんかしねえもん」
ほっぺたにお菓子ついてるから、なんにも決まんない。なんだそれ、なんて六島には笑われていたけれど、その後ろで崎原の背中がぴたりと動きを止めた。崎原が今なんて思ってるのかは何となく分かる、こういう時に訳もなく能天気なこと言われると理由もなく勇気付けられたような気になるんだ。
小野寺はこういう奴だ、一番最初からずっと変わらない。自分を信じて周りも信じて、疑うことをしないから成功する。今の言葉だって底抜けに本気だ、馬鹿だから。たくさん練習したから絶対上手く行く、なんてこいつの中での当たり前であって現実がそうだとは限らないのに。練習したところで失敗する奴は失敗するし、一度つまづいてしまえばその経験は頭の中に刻み込まれる。失敗するかもしれないという意識は足を引っ張るし、それを一切感じない人間なんてこの広い体育館の中でも片手で数えられるくらい少ないはずだ。プレッシャーをほとんど感じない、それでいて自分のやってきたことを疑いもせず信じ抜ける、そんな馬鹿はここにいる一人でお腹いっぱいだ。
小野寺は、この新人戦の中で一回戦を突破出来る奴が何人いると思っているんだろう。二回戦に進むには、三人合わせて四本以上の中りが必要だ。ぶっちゃけた話、三人の内一人が皆中したっていい。ただそれでは、二回戦できっと振り落とされる。この試合に限った話ではないけれど、特に新人戦は個人部門がない。立ち関係無しの個人戦なら一人でいくらでもやってやるけれど、運が良いのか悪いのか、この大会は団体戦なのだ。三人全員がある程度の中り数を有していることが重要なわけで、そう考えると一年の一番最初の試合で俺だけが中り数を稼ぐのは得策とは言えないわけで。
袴の帯を締めながら、さっきよりはいくらか緊張が解れたらしい崎原から巻藁矢を受け取る。何処ぞの馬鹿のおかげで、全員がっちがちの状態で的前に立つ羽目にはならなくて済みそうだ。当の小野寺が阿呆面浮かべてるのは勿論、崎原ももうあまり心配はいらないだろう。桐沢が堅苦しいのはいつものことだし、西前にはある程度緊張してもらった方がいい。六島はその時のテンションで中り数が激減したりする、運任せのギャンブルみたいな奴だから、まあそれも仕方ないということで。
冷静に考えろ、と頭の中で自分の声がする気がした。今だけを見るんじゃなくて、ここを始点とした三年間を通した最善手を選ばないといけない。自分だけならどうとでもなる、自分以外のことを考えろ、と。

「四本目」
「ん?」
「……さっきの、四本目」
わざと外したように見えたんだ、なんて小野寺が零した。そんなわけないって顔で、信じたくないって目で、馬鹿言うなって俺の言葉を期待して。ブランコ漕ぎながらアイス咥えて、特に何も言わずに小野寺の方を見れば、きちんと勘付いたようで顔を歪めた。泣きそうなような、怒ってるような、どっち付かずの顔。なんでなの、なんて聞かれて、お前にはちゃんと言っとこうと思ってたよ、と返す。
新人戦が終わったのは夕方頃で、今はもうすっかり日が暮れてしまっている。朝待ち合わせをした駅までみんなで戻ってきて、じゃあまた学校で、なんて別れてからすぐ、帰ったふりして後ろから追いかけてきてた小野寺に捕まった。ちょっと話があるんだけど、と嫌に真面目な顔で告げられて、連れられるがままに学校から少し離れた適当な駅で電車を降りる。どこかに入るのかと思えば、ふらふらとコンビニに入ってお菓子とアイスを買い与えられ、お疲れさまでした、とか言われて。これがやりたかったんだろうかと不思議に思いながら後をついて歩けば、人のいない寂れた公園に小野寺が入って行った。何と無く、久しぶりにブランコに座って漕いでみれば、ぎいぎいと耳障りな音を立てる。うるさいな、と顔を顰めてアイスを頬張ったところで、ぼそぼそと小野寺が口を開いたというわけだ。
「思ってたってなに、なんであんなことすんの」
「……小野寺、他の奴らの中り数覚えてる?」
「えっ、うん、一応」
大前の小野寺が羽分、中の崎原が残念、落ちの俺が一中。トータル三中、一回戦敗退だ。始めての試合にしちゃ小野寺はよくやったし、だからこそ俺が許せないんだろう。四本目どころか、周りの様子を見ながらわざと外した、俺のことが。
弁解のようで、というか言い訳でしかないんだけど、一回戦なんて突破しようとすれば出来た。俺が最低でも羽分まで持ち込んでたらその時点で中り数は四本、二回戦進出だ。ただ、それだとどうしても駄目な理由は、中で引いてる崎原だった。崎原の射形はすごく丁寧だし綺麗だし、緊張に弱いところさえ克服すれば、部の中でもトップクラスに中りは安定するだろう。だから、ここでつまづかれては困る。一年の一番最初の試合、自分以外の力だけで二回戦進出なんてしたとして、それはきっと酷くプレッシャーになる。しかも二回戦は、俺が二本以上当てたとしても小野寺と崎原はどうなるか分からない、完全に運任せになる。それでもしも二回戦敗退したとして、崎原は次の試合できっとそれを思い出す。引けなくなる、緊張するなんて柔なもの通り越して、トラウマになる。それに、初心者の小野寺が俺より一本多く当てていることも、無意識にせよ意識的にせよ、安心に繋がるだろう。経験者でも緊張はするんだと、上手く行かないことくらい誰にだってあるんだと。わざわざそんなこと頭で考えなくたって、心が勝手に学んでくれる。
小野寺みたいなタイプの人間にはきっと分かりっこない、理解しているとしたらそれは気のせいだ。俺のこんな考えだってただの杞憂かもしれないし、崎原はそんなに弱気な奴じゃないかもしれない。それならそれでいい、試合なんてこの先いくらでもある。今回の試合はわざと捨てた、と言ってしまってもいいかもしれない。経験は力になる、次の大会では今回の思い出を踏み台にできる。悔しかったとか緊張したとか、そんな気持ちの上に立って弓を引くことができる。
「だから、わざと捨てた」
「……元々そのつもりだったの」
「んなわけないだろ、負けに行ってなにが楽しいんだよ」
「だって」
つらつらと話をしたものの小野寺は納得が行かないようで、溶けかけのアイスを持った俺の手を掴んで複雑そうな顔をするので、勢いで振り払った。ぱたぱたと雫を散らしたアイスにふと気づいて、溶けて落ちる前に食べてしまえと頭が痛くなるのを我慢しながらアイス貪って、口の中いっぱいにしながら何とか告げる。
「あのなあ、俺は中学の時の先輩に会ったんだ、道場で」
「え、ああ、うん」
「一本しか当ててないとこを見られたんだ、吉川先輩に!晴臣先輩にも!」
「両方とも中学の先輩?」
「そうだよ!晴臣先輩からはメールまで来たんだ!久しぶりに伏見の引いてるとこ見たって!なのになんだよ、ふざけんな!かっこ悪いったらありゃしねえよ!」
「えっ」
「次からは一回戦敗退なんてクソみたいな真似ごめんだ、今回は例外」
「クソみたいなって……」
「お前も、初試合で二本も当てやがったんだ。次の試合でそれ以上の結果出せなかったりしてみろ、殺すからな」
「ひっ」
アイスの棒を突き出せば、裏返った声を上げた小野寺が驚いて目を閉じた。ぎいぎいとブランコ漕ぎながら話してたら、なんだか苛々して来た。なんだって俺が、いくら周りのためとは言え、せっかくの大会で四本しか引けないなんて苦渋を味わわされなきゃならないんだ。崎原は潰すには惜し過ぎたにしても、せめて個人部門があれば良かったのに、ばか。
がじがじと棒齧りながら唸れば、びくびくしてた小野寺が恐る恐るといった様子で口を開いた。今更気づいたけど、こいつ、俺がめんどくさくなって試合捨てたと思ってやがったな。ふざけんじゃねえぞこの野郎、ぶっ殺す。
「じゃあ、伏見も勝ちたかったの?なのにわざと外したの?」
「何回言わすんだよ、次言ったらぶつぞ」
「俺が、例えば俺も崎原も全部外してたとしたら」
「はあ?そんなの、俺が四本とも当てりゃいいんだろ」
足し算も出来ないのか、この馬鹿犬は。腹立ち紛れに歯型がついた棒を投げつければ、なにが嬉しいのかへらへらと笑っていた。怒ったり悲しんだり笑ったり忙しい奴だ。さっき買ってもらったコンビニの袋をがさがさしながらお菓子の箱を引っ張り出すと、俺にもちょうだいよ、なんて声がしたので無視する。ブランコから降りて、さっき落っことしたアイスの棒でがりがりと地面に線を引きながら小野寺を見上げた。
「おい、しゃがめ」
「なに?」
「今日の大会で、中学の時の知ってる奴がどこに行ったかとか大体分かった」
「へえ。やっぱり、どこが強いとかあるの?」
「それを今からお前に教えてやる。一度しかやらないから今覚えろ」
「えっ……なに、無理……」
「小野寺の射形に似てる癖がある選手もいるから、次の試合で見とけ」
「それも今覚えろって?」
「そうだけど。ていうか、教えてもらえるだけ有難がれよ」
「そう、だけどさあ……」
でももう暗いし地面に書かれても見えないし覚えてらんないし、とぐずっていた小野寺が、ぱっと何かに気づいたように顔を上げた。俺の手の中にあった箱から一本お菓子抜いて、得意気に振りながら。
「うち来い、そんで教えて」
「やだよ、だるいもん」
「いいから来いって、どこでやったって俺は覚えないぞ」
「覚えないんなら教えねえよ」
「あっやだ、頑張る!一生懸命覚えるから!」





二年になった。そしたら、後輩が出来た。以上。
まあ詳しくはいろいろあるけど、とにかくそれは今はどうだって良くて。伏見とはクラスが離れた。正直ものすごくしょんぼりした、夢なら覚めてくれってクラス表片手に愕然とした。でも結局すぐ隣だし、休み時間は今まで通り一緒にご飯食べれるし、始まってしまえば特に問題はなかった。まあ、授業中うとうとしそうな時とかに見えるちっちゃい背中とか、俺の視線に気づいて困ったような笑顔で振り返りながら、赤点取ったら部活出れねえの分かってんのかぶん殴るぞ、って俺にしか見えない文字背負ってるとことか、見れなくなっちゃったのは悲しいけど。
「次の大会は個人もあるって言ってたっけ」
「うん。今回の立ちの編成は二年で考えてみろって、水無瀬先輩が」
「あれ、ここ最近の記録表ってどこだ?それ見て考えた方がいいだろ」
「あっ、さっき先生が持ってった。俺もらってくるよ」
「おう、ありがとな、崎原」
一旦道場を出て行った崎原を見送って、桐沢を相手ににこにこしながら話している伏見をぼーっと見ながら弓を張っていると、小野寺邪魔あ、と西前に怒られてしまった。追い出されるようにそこから退きながら、こっちに気づかない伏見が桐沢と真面目な話をしているのを見る。俺の前じゃあんな顔しないよな、真面目な話してたとしてもいつも仏頂面だ。別にいいんだけどさ、逆に言えばにこにこしてないのは俺の前だけなわけだし。
最近気がついたことなんだけど、どうやら俺は伏見が好きらしい。それはアイラブユーの方で、恋愛的な意味で、ちょっと自分でもなに言ってんだか分からないけど、だって男同士だし。いくら顔が可愛いって言ったって男だ、俺は合宿の時ちゃんと見たんだから、伏見もきちんと男の子でしたって。でもなんというか、好きになっちまったもんはしょうがないと言うか、しょうがないと言うよりどうしようもないと言うべきか。目で追う回数は増えた、二人で話してるとふとした拍子にどきどきが止まんなくなった、寝る前に今日話したこととかぼんやり思い浮かべてはにやにやするようになった、疚しい妄想もうっかりしちゃったりして居た堪れなくもなった。ちょっとした触れ合いで顔は真っ赤になるし、距離が近いと挙動不審にもなる。それを訝しまれて、目の前ぐるぐるになったりもした。だってこれはきっと、隠してなきゃいけない感情だ。俺はあんまりそういう、例えば愛とか恋とか好きとか嫌いとかいう感情を、一人の人間に対して持ったことない。だけど、それでもなんとなく分かる。今までは漫画とか読んでて、好きなら早く告っちまえよって思ったりもした。でも、男同士だってのも勿論そうだけど、好きだからってすぐそれを口に出来る訳ではないらしいのだ。好きであればあるほど、それは酷く勇気がいることらしいのであった。
「もらってきたー!これこれ、一ヶ月分だけど」
「うーん……六島は相変わらず安定しないなあ……」
「一年に見せる試合だし、平均して中てられる立ちにしないと」
「小野寺、落ち出来る?」
「はあ、えっ、なに?」
ぱっとこっちを向いた伏見と目が合って、変な声出た。ぼーっと見てたの多分ばれたな、と思いつつ上から記録表を覗き込めば、小野寺はいつもすごくがんばってるから次の試合で落ちを任せたいの、と伏見の指が名前をなぞっていて、特に深く考えずにはいやりますと答えてしまった。それに続いた、じゃあ伏見はもう一つの立ちに入れるとして、なんて桐沢の言葉につい口を挟む。
「えっ、なんで、なんで伏見と違うの」
「お前と伏見くっつけたら偏るだろうが」
「やだ、俺伏見と一緒がいい。ねえ桐沢、そしたら絶対優勝するから」
「どんな交換条件だよ」
「んー……六島と俺と小野寺で一立ちにしようと思ってたんだけど、だめかな?小野寺がいてくれると心強いんだけど」
「ううう……」
「……いいよ、小野寺大前で俺落ちでも。六島か西前、どっちかが中で」
「いいのか?俺と崎原じゃ、心許なくないか」
「大丈夫だよ。二人とも落ち着けば必ず中るタイプだし、普段通りにやればなにも心配ないって、俺は思うな」
そう言い切ってへにゃりと笑った伏見が後ろ手で俺の足を抓り捻じっている。すごい痛い、爪割れてるんじゃないか、これ。立ちの編成が上手く固まりそうな辺りで、まだ袴も着慣れていない様子の一年生が、準備出来ました、と声をかけてきて全員立ち上がる。まだ引き継ぎには早いから号令は三年のままだけど、整列させるのは二年の役割だ。
「小野寺いつまで弓持ってんだよ」
「あっ」

「おい、てめえ」
「……なんすか……」
「なんすかじゃねえ、ちょっと座れ、正座だクソ馬鹿」
道場が静かになって、シャッターが閉まって、みんなはもうとっくのとうに帰路に着いた頃。俺と伏見しか残ってない部活後、もうかれこれ一年くらい続いてる、学校にいる間でほぼ唯一の二人だけの時間だ。そうやって言うとすごく幸せなものに思えるからそういうことにしておきたいんだけど、俺と二人になると伏見はいつも怒ってる。違うな、ほんとはいつも怒ってる癖に、周りみんなに向かって暴言と毒舌で棘撒き散らしたい癖に、全部我慢してるからこの時間の反動が激しいんだ。ふわふわした笑顔も優しい言葉もみんな何処かへ置いてきて、おいこら馬鹿犬てめえぶっ殺すぞ、なんて飄々と吐き捨てながら、眉根寄せてつまんなさそうな顔。俺といる時だけこの顔なんだ、こんなに嬉しくない特別扱いがあってたまるもんか。
きっと伏見はさっきの俺の我儘について怒りたいんだ、そんなこと分かってる。言われた通りに正座しながら、だって、でも、ともごもご言い訳をしていると、頭の上から溜息が聞こえた。俯いていたせいでどんな顔してたのかは分からなくて、呆れられるのも嫌われるのも嫌だけど、愛想尽かされるのが一番嫌だな、と思うとちょっと泣きそうだ。
「……あのな、いいよ、あれはもう。別に最悪でもない」
「えっ」
「馬鹿三人でくっつかれるとどうなるか分からないから嫌だったけど」
それを回避するためには仕方ないだろう、とがしがし髪を撫でられて、顔を上げる。ただ言い方が悪い、と怖い顔をされてまたごめんなさいと目を閉じれば、けたけたと楽し気な笑い声がした。
本当だったら崎原が考えた、伏見と西前と桐沢、俺と六島と崎原、っていうのが一番バランス的には良かったんだって。でも桐沢と俺を交換する分には、六島の調子さえ最低でなければ何とかなる範囲内らしい。そういうの俺はよくわかんないんだけど、伏見は俺がそういうバランスのあれこれを分かって言ってるんだと思うことにしたらしい。やめてよ過大評価、そんでお前また俺が失敗したらめちゃくちゃに切れるんだろ、それが怖すぎる。恐ろしい割に有り得る未来を想像して怯えたまま正座しっぱなしの俺の頭を、気に入ったのかなんなのか、ぐりぐりと手の平で押し潰している伏見が、平然と言った。いつの間にか力加減が撫でるというより潰すだ、俺縮んじゃうじゃん、やめてよ。
「なんか最近俺調子悪いし、お前いるならまあ安心だし」
「えっ、なんで」
「なんでって。人間なんだから調子くらい崩すだろ」
「……病気の方、じゃないよね?」
「んー」
そういえば、今日も昨日も、伏見にしてはおかしいなって思った。立ちの時の射形もなんかどこか突っ張ったみたいな感じで、射込みの時なんてよく思い返してみれば引いてすらいなかったかもしれない。後輩の練習に付き合ってるのは見たけど、あれだって当番制だから、今日は伏見の番じゃなかったはずだ。誰かと代わったんだろう、なんでって、きっといつもみたいに引けなかったからだ。
仕方ないんだよなあ、こういうこともあるんだよ、って当たり前みたいに呟いた伏見を見上げるといつも通りのつまんなそうな顔で、おまけにふわああなんて欠伸まで付けてくれやがった。その様子はあまりに楽天的で、自分が思っているのよりもそれはもしかしたらよくあることなのかもしれないけれど、このまま引けなくなってしまう伏見を想像したら怖くて堪らなくて、ぞっとして。ぐしゃぐしゃと人の髪の毛を撫で回して、犬みてえだな、と珍しくアホみたいな感想を述べている伏見にきゃんきゃんと吠える。これじゃほんとに犬だ、なんて思いながら口を開けば、びっくりしたみたいな顔の伏見と目が合った。
「どっ、どうしたらいいの、俺なんかできることある」
「なに?ないよ、自分でなんとかしないと」
「でももうじき試合だし、もしこのままじゃ」
「え、うん。なに、どした?なんでそんな焦ってんの」
「だって」
「は?俺がちょっと調子悪いからって負けると思ってんの?」
「いっ、いたたたた!ごめ、思ってない!思ってないけど!」
髪を撫でていた手が顔面に伸びてきてそのまま、ぎちぎちとアイアンクローを決められて悲鳴を上げる。馬鹿なんじゃないの?いっぺん潰しとく?なんて言葉と共に握力は強まって本格的に痛い、脳みそ飛び出したらどうしてくれる。弓持つから左手の握力強いんだこいつ、すっげえ痛い。
心配と裏腹なあまりにあんまりな仕打ちにひんひんと泣き言を漏らしていると、てめえでやった癖して、泣くなよだらしねえな男だろ、なんて横暴だ。なんか言ってやろうと顔を上げれば目が合って、にこにこじゃなくてにたあって感じの笑顔。最近やっと分かった、伏見がほんとに笑ってる時の顔。
「俺調子悪いっつってんのに、その俺より悪い成績出してみろ、分かるな」
「なにすんの……俺、的にでもされんの……?」
「それいいな、採用」
余計なこと言わなけりゃよかった、採用されてしまった。的になんかされたら俺死ぬじゃん、命かけてまで部活やりたくねえよ、どんな少年漫画だよ。最後にばしばしと人の頭をぶっ叩いて、部室行って着替えて帰るべ、と俺の横をすり抜けた伏見がふと気がついたように振り返った。
「そういや小野寺、俺の弦音分かるんだっけ」
「えっ、うん」
「じゃあお前大前で俺落ちな、引っ張んの任せるから」
任せ、られた。はじめてだった、ちょっと自分でも引くくらいぞくぞくした。それは好きな人からの言葉だからってのとあの伏見から任せてもらえたってのとがごっちゃになった結果で、数秒恍惚とするくらいには衝撃で、ちょっと置いてすぐにまた背中を戦慄が走り抜けた。二発目のぞくぞくは、やっぱりどうしようもないくらいに好きだって気持ちと、純粋に痛いほど真っ直ぐな相手を尊敬する気持ちと、それと他にも色々いっぱいが全部混ざった、なんだか腹に溜まりそうな感じのやつだった。俺馬鹿だから上手く言えないけど、とにかくすごくてやばくて、先に道場出てった伏見が不審がって戻ってきて、早く来いよどうしたんだよ、なんて俺に聞いた。
なんか、ものすごい、がんばれる気がする。


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