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ありまとおべんと



目を開けたら、窓から見える外はすっかり明るくなっていた。今何時だ、寝坊した、授業今日何限から、ていうか昨日俺ほんとにすっかり寝ちゃったんだ、信じらんない。がばっと体を起こして眼鏡を探すと、少し遠くからぺたぺたと近寄ってくる足音と、声。
「ん。おはよ」
「……は、よ」
「まだ朝の八時。風呂と服勝手に借りたわ、ごめんな」
「別にいい、けど……」
「布団も勝手に敷いた。ていうかお前また痩せたな」
「……え、そう?」
「うん。俺が普通に抱っこできるくらいには軽くなってる」
「は!?」
「どうせ飯食ってないんだろ、着込んで誤魔化しても体重は増えねえんだぞ」
手渡された眼鏡をかけながら見上げると、確かに俺の服を当たり前のように着ている有馬が立ってて、俺は普段通りに布団にいて、本当に目が覚めるまでいてくれたんだ。確かに最近食うもん食えてなかったし、あんまり体調は良くなかった上に疲れも溜まってたけど、それにしたってあんな話をした後でぐーすか寝こけられる俺の神経はどうかしてると思う。そうぼんやり考えていると、お前は調子が悪くても無理をする癖がついてるんだよ、飯食わないと人は死ぬんだよ、眠れなくて食えなくてそれでも元気とかあり得ねえから、それは想像上のお前が元気なだけで現実のお前は元気の欠片もないからね、なんて淡々と諭された。今回は本当に心の底から全然大丈夫なつもりだったから、ちょっと申し訳ないような気持ちでいっぱいになって、居心地が悪い。きっと、精神的な面でのいろんな糸がぶっつり切れると同時に、ブレーカーが落ちたみたいな感覚で意識をばつんと失った俺を、有馬は大層心配してくれたんだろう。まさかと思い服を着替えた理由をぼそぼそと聞けば、あまりに俺が軽かったもんだからびっくりしてなにか食い物を用意しようと台所に立ったところ盛大に汚した、そうで。結局なにも用意できてない、と胸を張られたので頭は下げておいた。なんだかもういろいろと、すいませんでした。
「いいけどね」
「……怒ってる……」
「怒ってないけどね」
「……………」
「弁当が飯を食わなくなるのは俺のせいだってことも分かったからね」
「そんなこと」
「自分になら怒ってるけど弁当には怒ってない。なんなら俺のことぶっていいよ」
「……ぶっていいって言う癖にほんとに殴ったらうるさかったじゃん」
「それはお前がまさかグーで来るとは思わなかったからだろ」
「分かった」
「構えんなよ!何でお前ぶってもいいよって言うとすぐ本気で殴りに来るんだよ!」
「殴って欲しいのかそうじゃないのかはっきりして」
「痛いのは嫌だ!」
「……痛くなく殴る方法は、知らないんだけど」
「知ってたら怖えよ……」
体操座りで布団の横に丸くなった有馬がこっちを見るので、きょろきょろと後ろや横を一応見てみたものの、なにもなかった。俺のこと見てるんだとしたら趣味があまり良くない。だって昨日風呂入ってないし、寝癖とかも酷いし。なんだろう、なにか変なところがあるんだろうか、と自分の服の裾をもそもそ弄くっていると、有馬がぼそっと呟いた。それは俺に聞こえていいものだったのか、そうでないのかいまいち判別できなかったけれど。
「……超普通だし……」
「え」
「ううん……」
普通に返事をしてしまった。小声だったから独り言だったのかも、と思い至ったのは少し遅かったようで、丸まった有馬がこっちをじっと見ているのに耐えきれず、部屋の隅に放り出されていた鞄を取りに行く。お守りと指輪、返さないと。やっぱりこれは俺が持ってちゃいけないものだから。差し出して手渡せば、少し躊躇うように有馬の手が迷う。
「あの、はい。これ」
「……………」
「有馬?」
「……うん。貰う」
「どうぞ」
「俺、ちょっとほっとしてる」
「ん?」
「付き合ってくださいっつったのは俺だし断らせるつもりもなかったけど、それでなんか変な感じになったらやだなって思ってたから。なんか今、ほっとしてる」
「……今まで隠してたのに、いきなり大っぴらにしろって方が無理」
「そっか。だよな」
お守りの紐に指輪を通して、鈴と一緒にちりちり鳴らした有馬がそれをポケットに突っ込んだ。朝飯どうするよ、なんて声にようやく立ち上がる。
有馬が気づくまでの間でいい。隣に作られた新しい居場所は、俺には過ぎた立ち位置だ。やっぱり真っ当な幸せに向かってほしいから、そしたら有馬は尚のこと俺と居ちゃいけないと思う。いつか女の子のことを改めて好きになって、俺に向けてるつもりだった感情が夢現だって知った時、有馬は多少驚くなりショックを受けるなりするかもしれないけど、せめて俺は笑って送り出せるようにしよう。一生懸命考えた有馬のことを疑うわけじゃないけど、俺のぐちゃぐちゃどろどろが混じった好きと、有馬の抱くはずの好きは、きっとどうしたって相容れないものだ。それなら、彼が他に目を向けるまで、隣にいることを許してもらえる間だけでいい、から。
俺だって、少しくらいは甘ったるい幸せが欲しい。
「付き合ったらなにすんの?」
「……知らない」
「お泊まりとか?」
「今までだってしてたじゃん」
「じゃあどっか行くとか。俺あれ見たいんだ、エイリアンと戦うやつ。第三弾」
「有馬の課題が終わったら行くよ」
「映画見終わったらちゅーしよっか」
「……それって前々から言っとくもんなの」
「いきなし迫っても弁当蹴ってきそうだから」
「それは、するね」
「だろ?心の準備しといて」
「……そういう恥ずかしいことしたくないな……」
「なに言ってんの?俺この先、下心めっちゃ含んでお前のこと見るからね」
「やめて」
「舐めるように見るよ。そりゃ見るよ、付き合ってんだもん」
「やめろ」
「あっぶね!なにしやがる!」
「怖い」
「怖いのはこっちだよ!引っ掻かれると地味に辛いから!」
「次は目を狙うからな」
「あ、今弁当腹鳴ったよ」
「……うるさいな」
「コンビニ寄って早めに大学行こ、二限全体授業だから席埋まっちゃうし」
「ん。俺風呂入ってくる」
「じゃあ待ってよっと」
「家帰らないの?」
「帰ったってなんもすることないし」
「……ああ……」
「んだよその顔。今すぐに強く抱き締めてやろうか」
「殴るよ」
目の前の全てが突然解けて溶けて消えて流れても、いい夢が見られたと安心して息を止められそうな空気の中で、少しだけ、なんとなく、会話がくすぐったかった。屈託無く笑う有馬のことが、眩しくて。俺もいつかこんな風に笑えたらいいのに、と思う。


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