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ありまとおべんと



有馬が、弁当の気持ちに気付いた。なにがきっかけでとか、それを受けてあいつがどうするかとか、そんなこと俺は知らない。重要なのは、弁当が気づいていない間に、有馬本人が弁当に恋愛感情を向けられていることを知ってしまった、この一点に尽きる。ここ最近挙動不審なのも、もちろんそのせいだ。弁当はその根っこに気づいてないから、もといそんなこと天地が引っ繰り返ろうともあり得ないと思っているから、なんかこいつ最近おかしいなくらいにしか思っていないんだろう。おかしくさせてるのは自分なんだって、そんなこと思いもよらないのは当たり前だ。だって今まで、あんなに密かに静かに、好きでいたのに。
俺は別に、弁当が有馬と結ばれようが結局他の誰かとくっつこうがお前を殺して俺も死ぬ的なドロドロに縺れこもうが、どうだっていいと思う。そういうの口出しされてもきっと弁当も困るだろうし、なにより俺もそんなことしたくないし。でも、弁当自身がこれで良かったなって思えるようには、なって欲しい。幸せになれよって言ったら大仰かもしれないけど、そのために俺に出来る事はそりゃしてあげたいと思う。でも有馬と弁当の間に俺が口を突っ込むのは間違いだとも思うから、ただ隣にいてほんの少し味方をしてあげることが今の俺の精一杯で。
「どしたの」
「……別に」
「顔色悪いよ」
「大丈夫」
「大丈夫な奴は大丈夫だって即答しない」
「……………」
「今朝なに食った?」
「……パン」
嘘つけ、顔青いじゃん。食ったとしても吐いてるか、食ってないかのどっちかだ。一年は経ってないけど、去年の冬を何と無く思い出した。急にぱったり弁当が学校に来なくなった、有馬が千晶ちゃんと付き合い出してからの数日間。
有馬が弁当に対して少し距離を置き始めてから、二週間くらいは経っただろうか。それまではべたべたしてみたりあからさまに逃げてみたりと、自覚した感情との距離を測りかねているようだったけれど、少しずつ遠ざかり始めてから、大体二週間。弁当はこと有馬相手になると全方位にアンテナ張りまくってるから、なにがあったのかは分からなくてもなにかあったことを察するのは早い。なんだかおかしい、が恐怖に変わるのはそう遅くもなかったはずだ。それから一人で抱えて、考え込んで、頭いっぱいになって、いよいよ限界ってとこなのかな。昼飯に買ったんだろうおにぎりの包みを指先で弄くってかさかさ鳴らして、決して開けようとはしない彼の伏せた目は、どこか暗くて。少しずつ寒くなっていく季節も合間って、このままじゃただでさえ細っこい弁当が枯葉みたいにどっか遠くまで飛ばされちゃうんじゃないかって不安になる。
きっと、背中を押してあげることは簡単なんだろう。けれど俺がそれをするべきじゃないことは、自分が一番よく分かってる。小野寺に待てを言いつけておいたのは、紛れもなく俺だ。
「……明日の三限、一緒にやろ」
「ええ……伏見とやると色んな人が見に来るんだもん……」
「しょうがないじゃん、俺人気者なんだから」
俺にできるのはせめて、明日の約束をするくらいだ。学校に来てもらえるように。一人で思い詰めないように。毎日顔が見られるように。なにかの、きっかけになるように。

それからまた数日が経った。前日から弱い雨が降り続いて、朝から冷え込みが酷い一日だった。有馬がいなくても四人分席を取る弁当の隣で、雨のせいで頭が痛いとか靴が濡れたとか、小野寺も含めていつも通りに話していた、途中。一つ前の席に座っていた三野瀬がぱっと振り返って、言った。
「なあ、有馬って最近学校来てる?」
「多分来てる、けど。なんで?」
「や、こないだ俺あいつに相談されて。なんか変だったから、気になってたんだけど」
「……変、って」
「学校には来てると思うけど、見てないよな」
「なに相談されたの?」
「好きな子が出来た、とか?言ってた気がするけど、あんまり詳しい話じゃなくてさ」
「……、」
「なんつーか、からかう雰囲気じゃなかったんだよなあ」
ていうかそもそも学校来てたらお前らといるか、それじゃやっぱり来てねえのかな、と不思議そうに首を捻った三野瀬が、変なこと聞いてごめんなってまた前を向いた。三野瀬の言葉に、弁当が息をついたのがはっきりと聞こえて、横目で窺う。瞬き一つしない真っ黒の目は、何処か違うところを見ているようで。膝の上に乗せていた鞄の中で、ずっと有馬から預かっているらしいお守りと指輪を、指先が真っ白くなるまで握り締めているのが見えた。
明日の約束、今日はまだ一つもしていないのに。



玄関の扉を閉めて、一呼吸。靴を脱いで、朝少しだけ寝過ごしたせいで散らかった部屋の中へ。壁に背を付けてすとんと座りこめば、重さが無くなったようでなんとなくほっとした。
大丈夫。いなくなったらいけないことは、逃げ出したあの日によく分かったから。彼の中に俺の居場所があるだけで充分じゃないか。それ以上は望むのは、きっと我儘だ。頼ってもらえる、探してもらえる、捕まえてもらえる。それを不足だなんて思う方が間違ってる。笑ったり怒ったり困ったり、そんな思い出だけは大事にしようって、もうなにも失くさないようにしようって、そう決めたのは自分だ。言えない言葉があってもいい、殺さなきゃいけない気持ちがあってもいい、ただ一緒にいられる関係がいつまでも壊れずに続きますように、なんて拙く願ったのも自分だ。一緒にいられるなら、俺の立つ場所が彼の隣でなくたって構わない。そう思ったはずじゃないか。そうやって少しずつ気持ちと折り合いをつけて、これからも抱えて行こうって前を向いたじゃないか。
そんな言葉を自分にいくら言い聞かせても、涙が止まらなかった。悔しいとか悲しいとか寂しいとか、そういうんじゃなくて。ただ、なんだかよく分からないけど泣き出したらどうしようもなくなって、惰性に任せて頬を雫が伝っているだけだ。泣きながらじゃ何をする気にもなれないから膝を抱えて蹲ってはいるけれど、いざ動こうとすれば飯くらいなら作れそうな心持ちというか。こんな見た目じゃ、信じてもらえないかもしれないけど。
誰かのことを、有馬から好きになったんだ。告白されて付き合って、って話しか聞いたことがなかったから、少し驚いた。井生さんのことも大切にしてたけど、あれだって彼女からの告白がなければ、有馬は彼女のことを知らなかったわけで。そう思うと、様子がおかしかったのにも頷ける。そわそわしてたんだ、あれ。有馬なりに、周りを気にして好きな子にちょっとでも良く見られたくて、でも自分から好きになった時どうしていいかはあまり分からなくて、あのおかしな日々と今の現状があるわけだ。そう思うと、ちょっと可笑しい。そりゃ、指輪もお守りも取りに来られないはずだ。井生さんとの思い出は、俺に預けっぱなしにしておきたいのかもしれない。それならそれで、きちんと預かろう。預かっている間、有馬が俺のことを避け続けるのかもしれなくても、大事に守り切ってみせるから。安心して、任せてくれていい。そのために俺が必要なら、嬉しいことじゃないか。
嘘はついてないし、強がってなんかない。自分に言い聞かせてるわけでもない、みんなまるっきり本心だ。幸せになって欲しいから、有馬が笑っていられるなら、嬉しい。その幸せの中に俺がいなくたって構わない。そりゃあちょっとは混ぜてほしかったりもするけど、我儘は言わないから。この涙が止まったら、みんなまとめて飲み込むから。諦められはしないけど、もう追いかけないことにしよう。好きでいさせてくれれば、それで大丈夫。
いつか、何年後かに彼の結婚式とかがあったりした時、思いっきり笑ってあげられるように今から準備をしなくちゃ。気持ちが大きくなりすぎる前に、少しずつ離れる支度をするんだ。終わらせられはしないけど、区切りをつけよう。後ろを向かずに、前だけ見ながら、立ち止まればいい。簡単な話じゃないか。
涙が枯れるほどさめざめ泣いてるわけじゃない。ぐずりと鼻を啜って、目を擦った。腫れないといいな、伏見や小野寺に心配はかけたくないから。まだ水っぽい顔のまま、今日の夜ご飯はなににするんだっけ、と冷蔵庫を開けたのは良いものの、中身があまり充実していなかった。まあ元々、この冷蔵庫が潤っていたことなんてあまりないんだけど。そういえば帰りに玉ねぎと卵を買ってくるつもりだったことをすっかり忘れていた。かと言って、今から買い物に行くのは少し面倒だ。最近結構寒いんだよな、そろそろ本格的に冬になるのかな。分厚い方の上着を数日前に出してみたけど、まだ着てない。一緒に出てきた、何年か前からずっと使っている手袋を見て、少し胸が苦しくなったのははっきり覚えているけれど。
「……は、い」
前触れなく鳴ったチャイムに、思わず咄嗟に返事をした。覗き穴から相手を確認して、凍り付く。なんで、有馬がここにいるんだ。
うっかり答えてしまった以上、居留守なんて使えない。この家は全体的に壁が薄いから、中に人がいることは物音で外に丸分かりのはずだ。神妙な顔して立ってる有馬にだけは、こんな泣きべそかいてるとこ見られたくなかったのに。どうしよう、なんて切り抜ける方法を探す間はあまり無く、返事があったのにも関わらず何故かなかなか開かない扉に違和感を覚えたらしい有馬がもう一度チャイムに手を掛けたので、鍵を開けた。
「っど、したの」
「……お前こそどうしたの」
「これは、ちょっと、……映画、見てて」
「そっか」
「うん」
「……入っていい?話したいこと、あんだけど」
「う、ん……」
いつもみたいに、いい匂いすんね今日は飯なんなの少し分けてよ、ってどかどか入ってくるんじゃなくて、静かに台所の前を通り過ぎて、ぺたんと座り込んだ。その様子に拍子抜けして、泣いてたとこ見られてかっこ悪いとかそんなのはどこかへ吹っ飛んでしまった。座ったはいいけど黙ったままの有馬に、とりあえずなに飲む、と聞けばなんでもいいと返ってきたので温かいココアを入れた。自分が飲みたいからだけど、確か有馬も嫌いじゃなかったはずだ。こんな重い空気の中で飲み物まで冷たかったら、俺はもうどうしていいか分からない。
少し時間はかかったけれど、来客もあまりないのでほぼ有馬しか使ってない青いマグカップにココアを入れて出せば、ぼそぼそとお礼を言われた。なんか調子狂う、話ってなんだろう。妙に真面目な顔してるってことは、真面目な話なんだとは思うけれど。告白したいから手伝って、とかかな。それともそれ以前に、好きな子が出来たんだけどどうしたらいいと思う、とかかな。有馬の中で俺はそもそもその話を知らない人間のはずだから、あり得ない話じゃない。普段は読まない恋愛小説をしかめっ面で読み耽るくらいには悩んでるんだ、協力できることなら手を貸してあげたいと思う。有馬が最後に笑えてることが、俺は嬉しいはずなんだから。
「あの」
「……はい」
切り出された話に、相槌を打つ。どんな内容でも、一人になるまでは動揺を見せちゃいけない。言い淀むように少し目線を彷徨わせた有馬が零した言葉に、一瞬返事が詰まった。
「自分でも変だとは思うけど、俺あんまり、人を好きになるってのが分かんなくて」
「う、ん」
「いくら考えてみても、すげえ綺麗でふわふわしてる大事なもの、くらいにしか思えないし」
「……間違ってないんじゃないの?」
「やっぱそうなのかな」
「それは俺にだって、分かんないけど」
「でもそれが好きってことなんだったら、俺のもやもやはなんなのって」
「はあ」
「一生懸命考えたけど、結局分かんなかった」
分かんなかったけど決めた、と顔を上げられて、目が合った。好きってことがどういうことかよく分かんない、なんて言われたって俺だってあまりよく分からない。好きってことが本当にきらきらしてふわふわしてるだけのものだと思ってる奴は、余程の幸せ者だ。好きっていうのは、胃の中の物全部吐き下しながら泣き喚いて、それでも相手に縋るのをやめられない地獄みたいな毎日をなんとかやり過ごして、汚い自分なんて死んじゃえばいいと思いながらそんな勇気もなく生き延びて、相手の幸せそうな顔を見るだけで息が止まりそうなくらい胸が締め付けられて苦しくなるような、そういうぐちゃぐちゃやどろどろもみんな引っくるめた全てを指すんだと、俺は思う。
何を決めたんだか知らないけど、好きってどういうことかなんて疑問にきちんとした答えなんてないはずだから、分かんなくてもいいんじゃない。そうやって言葉をかけようとして、急に距離を詰めてきた有馬に手を取られた。嫌に熱い手のひらに触れたのは久し振りで、それがまず少し嬉しくて。
「好きとかそういうのよく分かんないけど、俺と付き合ってください」
「……………」
「……………」
「……ん?」
そうやって言うつもりなんだ、とかって続けられるであろう言葉を待ったものの、一向に有馬が口を開く気配はなく。掴まれた手をぐっと引いてみたけれど、全く離してもらえそうにもなくて。体ごと一歩下がろうとすれば、それもやんわり阻止されて、目を泳がせた。なんの冗談のつもりでこんなことするの、迫ってみるシミュレーションかなんかなの、あんまり近いとこっちだって緊張するんだからやめてくれ。ただでさえ真っ正面から有馬の顔なんて見られるわけないし、今すぐに離れて欲しい。
距離を置こうとする俺と距離を詰めようとする有馬が力試ししたら確実に俺の負けだけど、お互いに何かがおかしいぞって顔で力を込めあっているので今の所は釣り合ったままだ。どうするつもりなんだろう、なんでこいつ何も言わないんだろう、と思いつつ俯きがちに有馬の顔を見ないようにしていると、戸惑い気味の声が聞こえた。
「え……もっかい言おっか?弁当?」
「い、いいよ、もっかい言わなくて」
「じゃあなんか答えてよ、なんでもいいから。ちゃんと聞くから」
「……そういうことは、ちゃんと相手に伝えた方がいいと思う……」
「だから伝えてるじゃん」
「伝わってないでしょ、それ俺に言ってなんになるの」
「は?……あっ、うーん……まあ、そっか……」
困った顔で再び考え込んだ有馬をちらちらと窺っていると、少し間を置いて納得したように頷いてまた口を開いた。その間捕まえられたままの手がなんだか擽ったかったけれど、無理に離させたら話の途中にも関わらず追い縋られてしつこそうだし、このままでいいかとほっとくことにして。
「俺は今から、弁当に向かって喋るからね。ちゃんと聞いてね」
「うん」
「相談とかじゃなくて、俺の気持ちだから。勘違いすんなよ」
「はあ」
「俺は好きになられてから好きになったことしかないから、一生懸命考えたわけ。分かる?」
「……それは、さっきも聞いた」
「弁当が今までどんな気持ちだったかを、俺は考えたの」
「は?」
「好きなんでしょ?俺のこと」
「……は、」
「別に隠さなくてもいいよ。俺鈍いってよく言われるけど、それは分かったから」
「わ、かった、って……」
「だから、」
もう何も聞こえなかった。ざあっと頭のてっぺんから血が引く音がして、目の前がちかちかする。ばれた、知られた、生きていけない、いなくなるしかない。こんな汚い感情を向けられて嬉しい人間がいるわけない。奥歯がかたかた鳴りそうなくらい自分が震えているのがぼんやり分かって、掴まれている手は今すぐにでも振りほどきたかった。血の気が引いた指先はきっと恐ろしい程に冷たいんだ、そんな手で触れちゃいけないのに、暖かい場所であってほしかったのに。呼吸が止まってしまいそうで、ようやくそれを悟られてはいけないって考えが巡ってきて、息を無理やりに吐く。
ぎゅっと握られた手に、世界が色付いて一瞬で元に戻ったような錯覚を受けた。最初からこの色だったはずなのに、目の前を真っ暗にして色を消したのは自分の癖に。
「弁当」
「……な、に……」
「そんな死にそうな顔する話、俺してないよ。ちゃんと聞いてっつったじゃん」
「……………」
「俺は好きってどんな感じか知らないから、お前に限った話じゃなくてみんなのこと」
「……ん」
「思い出して考えたんだ。弁当がしてくれたこと、楽しかったこと、喧嘩したこととかもいろいろ全部。それで、お前ってきっと俺のこと特別にしてくれてるし、俺もお前のこと無意識に特別にしてたんだなって。そう思った」
「……………」
「でもやっぱり好きっていうのはよく分かんなくて。俺がお前のこと好きって気持ちをちゃんと分かってないような奴でも、それでも良かったら、なんだけど」
「……っ……」
「……泣かすつもりも、なかったんだけど」
なんなのよお前、と笑われて頭を撫でられて、もう我慢しなくてもいいよって囁かれて、どうしようもなかった。嬉しいなんて思っちゃだめなのに、嬉しい。有馬はきっと大きな勘違いをしていて、俺にそんなこと言ったって有馬にとってはなんにもならないことを知らないからその場限りの勢いでこんな言葉を吐いてるんだって、分かってる。だって、一生懸命自分のために考えたらそんな答えが出るわけない。俺のことしか考えてないから、他人のために動ける馬鹿正直な人だから、そうやって言えるんだ。俺は有馬のそういうところが本当に大好きで大切で眩しいくらいだと思う、けれどそのせいでここまで辿り着いてしまったところは大嫌いだ。
声も出さずにぼたぼた涙をこぼし続ける俺が落ち着くまでゆっくり待ってくれることとか、俺なんかのために難しい顔して考えてくれたこととか、答えが出るまでの中途半端な間はきちんと距離を置いて俺が気づいて戸惑わないようにしてくれたこととか。本人が意図していたのかどうかは俺には分からないけれど、残酷なまでに優しいところも。いっそ呆れてしまうくらいに、馬鹿正直でまっすぐなところも。嘘をついたり誤魔化したりしないで、逃げずに俺を見てくれたところも。全部全部、大好きだ。弱っちくて泣き虫で、結局何一つ我慢出来ないまま知られてはいけなかった気持ちまで分かられてしまって、ごめんなさい。貴方の幸せの中に俺みたいなのがいてはいけないはずなのに、離れられないままずるずると居座って、あと少しだけ、もうちょっとだけ、隣じゃなくてもいいから一緒にいさせて、なんて我儘をいつまでも懲りずに通し続けて。温かい指先が頬に触れる度に喜んでしまう、どうしようもない俺のことを、どうか許してください。自己嫌悪と浅ましい好意とが混じって溢れた思いは、有馬の手が拭ってくれた。眼鏡の下の目尻を緩く擦られて、さっきも泣いてたから真っ赤だな、なんて呟かれて頷く。
「俺の気持ちだけ伝えたって意味ないから、お前にも聞くけど」
「……うん」
「弁当のことどう思ってるかはっきり言えない俺でも許してくれるなら、付き合ってほしい」
「……ん……」
「もし俺の思い違いで弁当は俺のこと好きでもなんでもなかったら、断ってくれてもいいし」
「……………」
「……いや、うん、その顔見たら、いくら鈍感でも分かるけどさ。もし断るんだったら、俺お前のこと好きじゃないんだってちゃんと言ってよ」
好きじゃないんならそう言えるはずだろ、と。反対に、少しでもその気があるのなら逃がす気は無い、と有馬が笑った。言えるわけないじゃないか、そんなのただの意地悪だ。今だって、それで俺にお前を縛り付けなくて済むのなら血反吐吐いてでも言ってやるって思うのに、喉が凍りついて音すら出ない。有馬に向かって嘘吐いたことなんていくらでもあるくせに、自分を無理やり騙して納得させたことだってあるくせに、今更たったそれだけが言えないんだから、酷い話だ。
なにも言えない俺を見て、もう分かったからいいよ、いじめてごめんな、なんて甘ったるい飴をくれた有馬に、ぎゅうっと抱き寄せられて身体中が固まった。近い、俺今すごい泣いてるし変な顔してるのになんでわざわざ寄るの、顔見えないのがせめてもの救いだけどとにかく近い、有馬の匂いがする、俺死ぬ。がっちがちに体を強張らせた俺を腕の中に閉じ込めながら、耐えきれないとばかりにぶるぶる震えながら笑い出した有馬が、お前ほんとに俺のこと大好きなんだな、今まで気づかなかった俺がすげえや、とひーひー息を吐きながら言うから、動かない体で無理やり腕を引き剥がした。やめろ、馬鹿にすんな、ていうかいつ気づいたんだ。知られるようなことはしてないし、有馬が井生さんとさよならしてからは尚更自分の気持ち云々は後回しにするようにしてたのに。
「いつ、って。自分で言ったんじゃん、弁当」
「は、あ?」
「ずっと前から好きだって。もしも俺がお前のこと好きだったら両想いだって」
「言ってない、なにそれ」
「言ったよ。水分過多の顔してなに言ってんだ、お前」
「う、るふぁいな、ティッシュ」
「そんなに泣くほど俺のこと好きじゃん?」
「……………」
「俺もそのくらいお前のこと好きなはずだから。今はまだよく分かんないけど」
「……そう」
「とりあえず分かるまで、お付き合い願います」
「……分かった上で違ったら、どうするつもりなの」
「ちがう?」
「有馬は俺のこと、好きじゃなかったら」
「そんなんないから大丈夫」
「なんで言い切れるの」
「自分だもん。大丈夫大丈夫、もうお前諦めた方がいいよ」
「え……なにを……」
「自由になれる日はこの先訪れないから。一生俺のだから、覚悟しといて」
それが本当だったら、なんて幸せなことなんだろう。耳から入った麻酔が全身に回っていくような気分。ぞわぞわして、ぼーっとして、ぐるぐるして、眠りに落ちる直前みたいにすとんって全てが途切れそうになる。詰め込まれすぎて受け止めきれないのかなんなのか、ぐらぐらしてきた意識に有馬の真っ直ぐな目が映った。倒れそう、目の前ちかちかしてきた、もう限界かも。体重をかけるわけにはいかないことは分かっているのにどうしても力が抜けて、へなへな有馬にもたれ掛かると、起きるまでいるからゆっくり休みなよ、もうなんにも我慢しなくていいんだから、と背中を摩られた。それに呼応して、糸が切れたみたいに瞼が重くなる。我慢しなくていいって言葉が意識を簡単に飛ばすほど安心するものだなんて知らなかった。
俺のこと好きになってくれてありがとう、って。例え空耳だったとしても、一生忘れない。また涙が落ちて、それと一緒に視界が真っ暗になった。


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