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ありまとおべんと




「おはよ」
「……はよ」
「なんだよ、その声。弁当怒ってる」
「怒ってない」
「嘘つけ。眉間の皺すげーもん」
「いつもこう」
「……ごめん、分かった、言い訳させて」
「うん」
「だって、月曜の朝じゃん?」
「うん」
「眠いし寒いし、起きられないのも仕方ないよ。なあ?」
「ううん」
「そこも頷け、ばかやろ」
口を尖らせて悪態をつきながら、それでも最後にはちっちゃい声で、代返とノートありがと、なんて俺に礼を言ってしまう、俗に言う「良い人」。定期的に流行りの色に染められる髪、人当り良さそうな笑顔、口癖になりつつある、『彼女ほしい』。
それに付け加えることがあるとしたら、俺の片思い相手、とか。
有馬はそういう奴で、俺なんかとは全然比べ物にならなくて、むしろ言ってしまえば正反対のタイプで。ぶっちゃけ初対面の時に、ああこいつは仲良くなれない絶対無理、って勝手に思い込んだりした。けれど、実際話してみれば楽しい奴で、とってる授業が結構被ってることもあって一緒にいる時間がどんどん増えて、まあ、今に至る。どうして有馬に彼女が出来ないのかは知らないし、俺だって女の子と付き合ったこともないから分からない。けど、今現在俺がこいつに好意を抱いているのは事実で、だからこそ俺は今の現状にどうしようもなく安心してるし、そんな自分は死んでしまえと思う。
なんて、意識をどっかに飛ばしながら歩いていると、いきなり背中を殴ってきた有馬が、仏頂面でコートのフードを引っ張ってきた。先週くらいからの急な冷え込みのせいで着ていた厚いコートのおかげで痛くはないから、良いんだけど。もうちょっとマシな呼び止め方はなかったんだろうか。
「おいこら」
「うわ、なに」
「俺の話、聞いてた?」
「遅刻の言い訳までは聞いてた」
「じゃあ昼飯奢るの無しな、学食行くぞー」
「え、ちょっ、いつ言った、ねえ!」
「いまさっきー」
寒い寒いと言いながら肩を震わせて前を歩く有馬を追う。女の子にモテたいんだか何だか知らないけど、いくらなんでも薄着過ぎやしないかな、それ。そもそもに年がら年中ジャージじゃあ、モテるも何もあったもんじゃないような気もする。窓に映っている、薄手の上着すら着てない有馬と、マフラーにコートに手袋までした自分を見比べながら、思った。すると、振り返った有馬が口を開く。
「弁当、手のそれ貸して」
「は?なんで」
「あったかいだろ?貸して」
「やだよ……俺、寒いの駄目だもん」
「酷い奴だな、友達が凍えてんのに」
「見る限り元気そうだけど」
「あー、俺の手よりちっちゃい手袋貸してくれる彼女欲しい」
……ああ、手袋くらい、貸せば良かった。

事の発端は、ほんとに些細なことだった。
「そういえば、こないだお前が見たがってた映画。ゾンビみたいなのと戦うやつ、あれ、レンタル始まってた」
「あー……帰りに、借りてこうかな。明日休みだし」
「弁当明日休みなの?」
「うん」
「それ、俺も見たい」
「は?」
「弁当んち行っていい?」
ここで頷かなかったら、今まで通り俺は死にたくなるくらいの安心感を抱えていられたのだろうけど、今更そんなこと言ったって何が変わる訳でも無く。どちらかというと、有馬が家を訪れる事実に舞い上がってしまっていた。
俺の方が一限分早く終わるから、先に帰ってDVDを借りて部屋を片付けて、それから有馬を迎えに行く約束をした。待ち合わせ場所は、学校の最寄駅。先に駅に着いていたのは有馬だった。寒いからなんか貸して、とメールでうるさく言ってくるので家からマフラーを持って行ってやると、嬉しそうに笑うもんだから、悪い気はしないし嬉しいしにやけるし、でもそんな顔を見られるわけにはいかないし、家に帰るまでがある意味では地獄だった。
一人暮らしの男の家に余り物や余分の買い置きなんてあるわけもないので、帰り際にスーパーでいろいろ買い物もしていく。変なものばっかり買おうとする有馬のことは、途中で一度叱った。いい年して、おもちゃ付きのお菓子をこっそりカゴに入れるやつがあるか。
「おおー……」
「……きょろきょろすんな、なんかやだ」
有馬がいるってだけなのに、見慣れた家の中の風景が新鮮なものに見える気がして、何故か部屋の中が直視できなかった。誤魔化しがてらに買ってきた食料やら酒やらが入ったビニール袋を炬燵の上に置くと、思ったより大きな音が出て、思わず肩を揺らす。反射的に有馬の方を見ると、ちょっと驚いたような顔の後に、困ったように笑って。
「あー、ごめん、やっぱ迷惑だった?」
「えっ、いや、ぜんっぜん、むしろっ、」
「んー?」
むしろ、嬉しい、と。そう言いそうになって、口を閉じる。DVDプレイヤーを弄っていた有馬は、こっちには気づいていないようで、背中を向けたままだった。いつの間にか止めていた呼吸を無理やり再開して、一緒くたに言葉を吐き出す。
「あ、りま、先になにか食べる?せっかく買ってきたし、作るよ」
「ならつまめるもんにしようぜ。俺もやるし」
立ち上がった有馬が、さっき俺が放り出したビニール袋を漁る。半ば投げるような手付きで渡される食材を片手に、料理出来るの?と聞いてみれば、高校の文化祭で焼きそばを作ったことならある、と胸を張って答えられてしまった。俺もやる、なんてよく言えたもんだ。
おもむろに、ふらふらと台所の方へ寄って行った有馬が、よし、とか言いながら包丁を手に取る。けど、後ろから見ている限りでは、右手に持った包丁が必要以上にあっちこっちへ揺れるので、炬燵の方へ強制送還させてもらった。DVDをセットしておくように頼むと、若干腑に落ちない顔をしながらこっちを恨みがましく見ていた。
「なんでだよ、まだ俺ちょっとしか切ってないよ」
「危なっかしくて見てらんない」
「そう?うまくない?」
「よく怪我もせずに今まで料理できたなって思うレベルだったけど」
「炒めは最強なんだけど、包丁は触らせてもらえなかったからなあ」
先に言え、そういうことは。そう言いたいのを堪えて、まな板へ向き直る。無残に叩き切られているのは玉ねぎだった。何をしたかったのかいまいち分からず、散らばった食材とまな板を交互に見比べる。すると、DVDプレイヤーと戦っていた有馬が振り返って言った。
「それ、グラタン」
「……つまみに、グラタン?」
「合うんだって、意外と!美味しいし!」
「でもその美味しいグラタンを有馬が作れるわけじゃなくない?」
「弁当ならできるだろ?」
作り方は覚えてんだよ、父親がたまに作るんだけどすげーうめーの、普段っから面倒がりだからいっつも何となくで作ってるらしいけど、でもうんたらかんたら、と長々話し出す有馬の顔があんまりに嬉しそうだったから。あと、『昔付き合ってた彼女が作ってくれたんだけど』系の話じゃないことに、安心したから、っていうのも少しあって。汚いなあ、と思いながら、仕方ないからやってやると言わんばかりの顔を取り繕って口を開いた。
「……作り方は?」
「マジで!」
「材料もあるか分かんないけど?いいの?」
「いい!材料なんてあってないようなもんだから!」
作り方と大まかな材料を聞けば、豪華なグラタンにはならないだろうけれど、家にあった缶詰とさっき買ってきたものをどうにか使えば何とかなりそうだった。ちょっとでも良いところを見せたくて、普段よりも丁寧に手を動かしていく。後ろで上機嫌そうに鼻歌を歌う有馬に時々話しかけて、これで合ってる?なんて聞いたりして。またにやけそうになるのを無理やり抑え付けていると、仏頂面じゃ不味くなる、とか言いながら俺の背後に回った有馬が頬を抓りあげてきて、それに怒ってみたりして。
そんなことだから、気が付かなかったのかもしれない。
「で、最後にチーズ乗せて焼いたら出来上がり」
「ちーず?」
「そう、チーズ。食えない?」
「ないけど」
「えっ」
「チーズなんて、ないんだけど」
最後に焼くのはパン焼くやつでいいや、なんてぼんやり思ってはいたけれど、まさかそれ以前の問題だとは思わなかった。結構気合い入れて作ったんだけど、これを焼いたところでグラタンにはならないだろう。どうしたもんかと固まっていると、後ろから皿の上を覗き見ていた有馬が、何も言わずに冷蔵庫の方へ行ってしまった。無責任なやつめ、この後どうすべきか教えろよ。そう思うと同時に、もしかして有馬は怒ったんじゃないかという考えが頭を過ぎる。そんなわけない、いやでも、だったら謝らないと、と忙しなく動く頭に、白っぽい何かが飛び込んできた。
「うーい、発射ー」
「う、え」
 横から伸びてきた手に握られていたのは、マヨネーズのボトルで。皿の上はすぐにマヨネーズでいっぱいになった。間抜けな声を上げて下を向いたままの俺に、有馬が言う。
「俺んち、グラタンって言ったらこれだったんだけど」
「……うそだー」
「いやいやこうだったって。これで有馬家のグラタンは完成ですって。次回はチーズ乗せバージョンやるからお楽しみにしたらいいって」
だから弁当、すぐこれ焼くんだよ、ほんっとにすっげえうまいから、と付け足して、有馬が皿をパン焼き器に入れる。次回もあるのかとか、なんかいろいろごめんとか、美味い美味いってそんなにハードル上げて大丈夫なの?とか、言いたいことが喉の奥で詰まる。そんな俺を振り返って、炬燵に戻りかけていた有馬がばつの悪そうな顔をした。
「勝手にマヨネーズ使っちゃったけど、やだった?」
「……や、じゃない」
ありがとう、とようやく小声で絞り出すと、有馬は急にくるりと前を向いてしまった。少ししてから、炬燵に突っ伏して何やらもごもごと言っていたようだけど。これは有馬が照れている時の癖なのを俺は知っているので、わざと放っておいてやることにしよう。俺だって、恥ずかしくないわけじゃないんだから。
野菜やらツナやらクリームソースもどきやらをごちゃっと混ぜただけのものにマヨネーズをぶちまけて焼いた何かと、さっきまとめて買ってきたお菓子やらアイスやらをつまみに、酒の缶をお互い開けて飲み始める。グラタンもどきは、見た目だけで言うならあまり良いものとは言えないが、味は有馬があれだけ推すのも納得のものだった。隠し味とか言いながらいろんなものを入れてたけど、どうもあれはふざけてるわけでも何でもなかったらしい。それとほぼ同時に、借りてきた映画の再生も始めて、しばらく無言が続く。
借りてきた映画はシリーズものの三作目くらいで、他の星とかから攻めてきたっていう設定らしい化け物と、でかい銃火器抱えた人間が戦って、最後は主人公とヒロインが良い感じになって、次を仄めかす伏線が少しあって、おしまい。っていう感じのよくある普通のアクション映画だ。正直、別にこれが特別好きなわけでも、はまり込んでいる訳でもない。見始めたきっかけも、一作目を有馬が大絶賛してて興味があったからなんだけど、昼の言い方じゃあきっと覚えてないだろう。
物語も最後の大詰め、いよいよスタッフロール、という段階になってふと視線をテレビから外す。さっきからどうも有馬が静かすぎるのだ。声が聞こえないのは映画に集中してるからだとしても、缶を開ける音すら聞こえてこない。
「おーい、有馬ー」
「……んー……」
「あり、あ!?」
 首を右に向けると、そこには誰もいなくなっていた。倒れていた空き缶を退けながら上から覗き込むと、炬燵布団が膨らんでいて。布団の端からは、当然のように我が物顔して見慣れた毛先がはみ出ていた。
「ちょっと、こら!終わったんだけど!映画!見るって言っただろ!」
「……う」
「うわ、顔赤っ」
声にならない声で唸る有馬を炬燵から救出する。本人的には、良い感じに酔って眠くなって炬燵気持ちいいしこのまま寝ちゃえ、くらいの気持ちだったんだろうが、こっちの気もちょっとは考えてほしい。だって、俺が気付かなかっただけで結構な間、恐らく映画の後半辺りからずっと炬燵の中に埋もれてたらしい有馬は、若干汗かいてるし顔は赤いし、まだ完全には起きてないのかむにゃむにゃなんか言ってるし。ていうか、布団から引っ張り出した時に服とか大分ぐちゃぐちゃになっちゃったし、何と勘違いしてるのか俺にもたれかかってきて寝息立て始めるし。
自分の息をのむ音が、何よりリアルで気持ち悪い。心の中では必死で謝るけれど、無防備に眠る顔を見ると引きはがすことはできなくて。起こしたら悪いから、なんて在り来たりな理由づけをする自分には、明日から有馬に合わせる顔なんて存在しないと思った。
ずるずると俺の肩から滑り落ちた体を条件反射で受け止める。ばくばくと鳴る心臓の音がいやに響いて、止まらなかった。力の抜けた有馬の肩を支えようとした手は、気づけばぐっしょり濡れていて、結局肩に回すことを諦めた。かといってその手をどこに降ろせばいいかなんて分かるわけもなく、左手には彷徨い続けてもらうことになるのだけれど。
体勢が変わったせいで少しずつ意識がはっきりしてきたのか、俺の上でもぞもぞと動き始めた有馬にようやくこの体勢はまずいと思い至る。渾身の力を込めて肩を押すと、ふらりと危なっかしく体が揺れた。このまま押したら炬燵に頭ぶつけるかも、なんて優しさを持つ余裕なんて俺には無いはずなのに、そんな考えが浮かんでしまった時点で、俺はもう駄目だったのだ。
「ねえ、ちょっとっ、どけ、ってば……」
「うー……」
「有馬、重い、っうわ」
言葉の節目ごとに有馬の体を押し続けて、地道に少しずつはがしていると、不意に有馬はぐらりと大きく炬燵側へ傾いだ。危ない、なんて思いながらつい引き寄せると、どうもあっちも半分目が覚めているらしく、俺の方へ倒れこんできた。咄嗟に避けようとはしたものの、さっきまでべたべたにくっついていた相手から俊敏に遠ざかれるはずもなく、腕に一気に重みが圧し掛かる。見た目の割に鍛えているらしい有馬と、外に出ることすら面倒がる俺じゃあ、どちらの力が勝つかなんて目に見えていて。
床に頭を打ち付けた衝撃に思わず瞑った眼を開き、ずれた眼鏡を直そうと腕を伸ばした。
「……う、え」
そのはず、だったのだが。腕は上がらないし、体も起こせない。どういうことだと無理やり下を向くと、呑気に俺に覆いかぶさって寝こけている有馬が目に入った。ざあっと血の気が引いた音が聞こえた気がした。さっきよりも一段とまずい状況に追い込まれていることだけは確かだ。俺の腕は有馬の肩辺りにかかってはいるものの、いっそ見事なまでの完璧さで体の下敷きにされているため、ほとんど身動きが取れない。ちょっとこれは本当にまずい、何とかして有馬を起こさないと、ていうかこいつ今日勝手に泊まるつもりだったのかよふざけんな、なんて言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡る。唯一自由な足をばたつかせて大声を上げ、抵抗を試みると、無反応だった有馬が反応を返すようになってきた。
「有馬こら!ばかっ、重いんだよ!」
「……うるせ……」
「退いてくれないとこま、っ」
「ちょっと黙れ」
普段の三倍くらいの早口で呟かれたそれを、俺が聞き取るかどうかの間に、下から伸びてきた手が俺の口を塞いだ。腕一本分自由にはなったけれど、今度は心理的な意味で身動きが取れない。有馬の手のひらは俺の口全体を覆うようにきっちりと押しつけられていて、息は出来るものの声は一切出せないようになっていた。喉奥で忙しなく息が鳴る音も、いっそ弾け飛んでしまいそうな心臓の音も、全部自分で聞こえてる。パニックになった頭は真っ白で、体の何処かが壊れてしまったように体温が上がっていく。
現実を把握し始めたのと同時、視界が薄くぼやける感覚。眼鏡がずれてるからとかじゃなくて、もっと単純に、目頭が熱くなってきた。ああこれやばい、もう自分じゃどうにもならない。制御しきれずに一際大きく喉が鳴った瞬間、笑ったような吐息に小さな声が被った。
「……すげー熱い、お前」
そりゃそうだろうよ、俺お前のこと好きだもん。
そんなこと本当なら絶対に言えないけれど、口を塞がれているのをいいことに、もごもごと籠った声で呟いた。しばらくして聞こえてきた、さっきまでと同じように安定した寝息に、やっぱり我慢出来ずに涙が零れてくる。ぼろぼろ流れる涙を拭うことすら出来ないまま声を殺して、こっちの気も知らず呑気に眠り続ける有馬を腹いせにちょっとだけ蹴って、重い体の下から抜け出すことはもう諦めて、俺も意識を失うように寝た。
折り重なったまま、口も塞がれたままで、有馬が先に目覚めたらどんな顔をするだろう、と思ったら、少しだけ笑えた。


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