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おはなし



「おなかすいたねー」
「家でなんか食べる?」
「でももうちょっと粘れば釣れる気がする」
「……朔太郎がそれでいいならいいけど」
「はー。おなかすいた」
溜息をついた朔太郎に、だから家に帰ってご飯を食べればよいのでは、って提案してるのに、とぼんやり思う。竿はぴくりともしないままだし、粘れば釣れる気がするっていうのは恐らく気の迷いだ。見切りを付けて引っ込めるのもいいと思うんですけど。
朔太郎は、釣りが好きだと思う。航介もよく釣りするけど、自分から行こうって言い出すことはあんまりない。俺も自分で行くことはない、けど朔太郎が行こうっていうから、ついてきてる。まあ、あんまり釣れないんだけど。沖まで出れば別かもしれないが、沖に出るには船がいる。船を出すほどやり込んでない。海っぺりから浮きを投げて適当にほっといて魚が引っかかるかどうか、ってくらいのもんだから。このくらいでちょうどいいのだ。釣果を求めてるわけじゃないし。
「あのさー、こないだししまる散歩してた時にさあ」
「うん」
「あ、勝手にししまる散歩してごめん」
「それはいいけど」
そして、釣りをしてる間の朔太郎は、いつにもまして、よく喋る。暇なんだろうな。この前航介にしつこく話しかけて、おしゃべり虫扱いされて突き飛ばされてたのは見たけど、俺には朔太郎のおしゃべり虫の否定はできない。だってすげえ喋るもん。喋ってるうちに引きを見逃すんじゃないかと思うぐらい喋る。引きなんてないから見逃しようがないけど。むしろ、朔太郎の場合は、喋るために釣りをしているのかもしれない。航介や和也さんと釣りに来た時は、そこまで人の声がすることもないから。
「ししまるがこっち行きたーいって川の方に曲がって」
「いつもそっち行かないのに」
「そうでしょ?だから、俺もどうしたのかなあって思いながらついてったんだけど」
「うん」
「途中に公園あるじゃん。黄色いぞうさんがいる公園」
「黄色……ああ。ある」
「あそこでししまるがまた勝手に公園に入っちゃって。俺もそりゃあついてったけど、ちょっと行ったらししまる止まって、座っちゃって」
「ん」
「トイレかなーとか思ってたら、俺たちが来た方の向かい側から、ちっちゃい犬がお散歩してきて、ししまるもしかしてこのわんこに会いたかったのでは!って思って」
「……普段そっち行かないから、知り合いの犬なんていないはずだけど」
「うん。ししまるガン無視だった」
「はあ」
「だからなんであっち行きたかったんだか分かんないままお散歩終わっちゃって、あの時のししまるの気持ちは俺には分からないんだけど、当也分かる?」
「へえ」
「はい聞いてないー!いつものやつ!」
「なに?」
「ししまるがなんでそっちの公園行きたかったのかなあって話を振った」
「分からない」
「ですよねー」
いつもこんな感じである。朔太郎が自己完結するのも、俺が話を聞いてないのも、含めて。お腹がすいたんだよお、とまた独り言ちた朔太郎は、竿を足の間に挟んで、鞄を弄りだした。俺はなにも持ってない。
「あめちゃん見っけー」
「よかったね」
「でも一個しかないよ」
「……俺別に、お腹空いてないから」
「飴だから二人で食べるとかできないしなー」
「聞いてる?」
「この飴高井さんにもらったんだけど」
「うん」
「謎味って書いてあんだよね……」
「……………」
「当也お腹空いてない?」
「空いてない」
「そうですよね」

別の日。今日は寒い。風邪引きかけで、ぐずぐずの鼻をすすった朔太郎が、いつものことながら釣れねえー、と竿をびよんびよんした。余計釣れなくなる。あまりにぐずぐずしてるのでティッシュをあげたら、持ってるし!と、くたくたで残り数枚のポケットティッシュを掲げられた。持ってるけど、持ってるうちに入らなくないか、それ。
「あ。今日はいいもの持って来たんだった」
「なに?」
「じゃじゃん」
「……水筒?」
「あったかいもの」
「ちょうだい」
「うん。コップ付きだけどコップは一つしかないから二人で使ってもいいよね」
「ん」
蓋がコップになるやつだ。ぱこん、と水筒の口を開けた朔太郎が、中身を注いで、こっちに手渡す。もくもく湯気が立っている。あったかそうだ。お先にどうぞ、と言われてコップの中身を見て、ちょっと見間違いかと思って海を見てからもう一回中身を見た。
「……朔太郎?」
「うん?」
「これなに?」
「お味噌汁」
「……お味噌汁……そう……」
「あったかいうちに飲みなよ、次俺もそのコップ使うんだから」
「はい……」
予想と違った。もっと、紅茶とか緑茶とか出てくるのかと思ったんだけど。いや、まあ、お味噌汁、美味しいけどさ。具があんまり入ってなくて良かった。お箸が必要になってしまう。

また別の日。この前より更に寒くなった。北風びゅーびゅーである。けど朔太郎が釣竿を持って俺の家にやってくるので、他にやることもなし、自転車を走らせて、海っぺりまで来てしまった。しかも本日は、朔太郎が長い網を持って来た。これでお魚が竿にかかったらこっちまで寄せなくてもすぐに掬えばオッケー!と握り拳を突き上げているが、まずお魚が竿にかからないことについてはどうするんだろうか。餌を変えるとかいう問題じゃないぞ、多分。
「さあ!来い!」
「さぶい」
「当也はいつも寒いじゃん。秋になりかけくらいから寒がってる」
「……朔太郎、今日は寒くないの」
「寒くない。沢山着て来たからね」
「どのくらい?」
「ヒートテックとー、シャツと、カーディガンと、学ランと、コート。それにマフラー」
「……………」
「ね。たくさんでしょ」
同じだ。むしろカーディガンの下にパーカーを無理やり着込んでる分、俺の方が着ている。靴下もふわふわ!とズボンを捲って見せられて、俺には今この寒さの中ズボンを捲ることはできない、ので朔太郎は寒さに強い、と結論を出すしかなかった。航介は寒い寒いって言いながら薄着でいるけど、朔太郎は寒いからあったかくしてきた!と自信満々でいる割に俺よりもあったかくしてないことが多い。俺が寒がりなのもあるかもしれないけど、二人が寒さに強いっていうのもある、絶対そう。うちの父も寒さに弱いもん。だからきっと遺伝だ。そんな話をぽつぽつしていたら、朔太郎が思い出したように口をぱかりと開けた。
「あ。こないだ、きょーやさん、お仕事行くのとすれ違った」
「……電車?」
「ううん。車だった。俺はおつかい、きょーやさんは車」
「ふうん」
「出張?」
「なんか、打ち合わせって言ってたかも。新しい本でも決まったんじゃない」
「またコーヒーくさくなっちゃうねー」
「……そーね」
「俺、あの部屋好きなんだ」
「あんまり入り浸ると怒られるよ」
「きょーやさん俺にそんな怒んないもーん」
「俺にだって怒んないよ」
「そうなの?お父さんなのに?」
「……怒んないよ。お父さんのことなんだと思ってんの」
「やー。まだ今だによく分かんないからさ、お父さん」
ふう、と溜息をついた朔太郎が、テトラポットに背中を預けて、上を向いた。重い話は、好きじゃない。こういう話は朔太郎が避けるから、俺と朔太郎の間ではあんまり出ない。航介と朔太郎は揉めに揉めてたけど。別にわざわざ、掘り返す必要もないし、埋めといてそのままでいられるなら埋めとけばいい思い出だってあるわけだし。
「あっ。もしかして、きょーやさんいないと、やちよが当也にべったりなんじゃない?」
「……よく分かってんじゃん」
「うわー、げんなりの顔」
「うるさい」
「最近友梨音に勉強教えるってうちに入り浸ってたのそのせい?」
「……別に」
「そして俺は気づいたよ、当也」
「なに?」
「この網は邪魔だ」
「……………」

また別の日。今日はどんより曇り空である。寒くて鼻が痛い。雪でも降ってきそうだ。
「こんなに釣れないのには原因があるはず」
「はあ」
「そこで、さくちゃんは考えました。じゃじゃん」
「……お団子」
「新しい餌!」
友梨音考案!いつもの餌の中から、なんとびっくり、いつもよりちょっといい餌が出てくるシステム!これでお魚は食べ進めて針まで飲んでくれるはず!イエーイ!とは、朔太郎の盛り上がりである。ちょっといい餌をそのままぶら下げるのではダメなんだろうか、と思ったけど、友梨音ちゃんが考えたのなら、まあいい。朔太郎考案だったら口出ししたけど。ていうか、さくちゃんは考えました、って言ったのに考えてるのは友梨音ちゃんじゃないか、嘘つき。
「ふふ。これでもう100%釣れる。ふふふ」
「……やってみてよ」
「腰抜かすなよ!」
予想通り、期待を裏切らず、一匹も釣れませんでした。
「あ。雪」
「くそー!魚拓を取りたかったのにー!」
「帰ろうよ」
「友梨音に、お兄ちゃんめちゃくちゃ魚釣ってくるからって言っちゃったよー!」
「ねえ。帰ろう」
「恥ずかしいー!わあー!」
「おい」
「はい」

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