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てをつなごう




「航介のことは、やっちゃんに任せっきりだったから。だから、休みとって、全部自分でやるあいつのこと、すごいとは思うよ」
「……そうですね。こーちゃん、頑張り屋さんだから」
「そうね」
それが、吉と出るか凶と出るかは、別として。
吐き出した言葉は本心だ。我が息子ながら、すごいと思う。全く右も左も分からない子育てに飛び込んで、必死になって育て上げるその姿勢は、尊敬する。頼ることをしない、自分一人でやり遂げようとすることに関しては、見ていてもどかしいものもあるけれど。
朔太郎から電話がかかってきたのは、昨日の夜だった。端的に言えば、「このままじゃ航介が壊れる、陸と空を預かってくれないか」ということで、さちえにも声がかかってるらしく、最初から強制ではなかった。けれど、頼られたとあれば応えないわけもなく、和成に仕事を全部ほっぽって来た、というわけだ。現在地、我が家。航介が乗り込んでくる可能性も考えたけれど、大人しく休んでいることにしたらしい。相当疲れてたみたいだし、そりゃそうか。
空と陸は、案外大人しかった。朔太郎の手から離れた途端、陸が泣き叫んだけれど、さちえに抱かれてよしよしされたら、割とすんなり落ち着いた。空は、自分の足をかじりながら寝た。いたずらっ子って聞いてたからもっとちょろまかするのかと思ったけど、小さいなりにいつもと違う空気を読んでいるらしい。空気読みのスキルは朔太郎に似ている。ともかく、二人が静かにうとうとしていてくれるおかげで、さちえと二人でゆっくりできるんだけど。
「こーちゃんが風邪引いた時、海ちゃんも熱出したことあったじゃないですか」
「あったねえ」
「あの時、私、朔太郎にちょっと、怒ってたんです」
「……珍しい」
「甘えることと、任せることと、頼ることの、違いっていうか。朔太郎は、こーちゃんなら平気だろうって背中を預けてるんでしょうけど」
「預けられるほど大層な奴じゃないよ」
「違います、もっと、こう、こーちゃんは、朔太郎のことも海ちゃんのことも、全部背負い切ってしまったから」
本当にすごいんですよ、とまるで自分の子どもを自慢するように胸を張ったさちえに、それは航介に直接あんたが言ってやるのが一番の特効薬だよ、と素直に告げた。母親に言われたって気持ち悪いだけだし、自分で自覚するもんでもないし。尊敬と憧れの煮詰まった好意を向けられているさちえから、当の航介にそれを言ったなら、海が生まれて朔太郎と家族になると決めた時から張り続けている、意地と緊張の糸が、ぷつん、と最も容易く切れてしまうのではないかとすら思う。もっと自分を認められるようになるのではないか、とも思う。それは、あたしが母親として、実の息子の航介に、あげられなかったものだ。頑張っている自分を認めて、許すことは、恥ずかしくもなんともないんだと、あいつには教えてあげられなかった。それに気づいたのは、海が生まれてからなのだけれど。とっくに手を離れてから気づいたんじゃ、時既に遅し。
「もっと、支えてあげられるようにならなくちゃ。私も、負けてられないなあって」
「……あんたはあんたですごいよ」
「はい?」
「あたしは、また放ったらかしにする気でいたのかもしれないから」
「……そんなことありませんよ。そういうこと言うみーちゃんは、何があっても絶対助けてくれるんだって、知ってます」
だって、助けられて来ましたから。そう笑ったさちえに、もう勝てる気がしなかった。あんたの言うことは正しくて、航介は頑張ってる。だったら、今度はあたしも力になる番なんだろうなあ、と。けど、素直にすんなりお手伝いしてやるようなタマではないので、気づかれないように裏側から、少しずつ。
後から気づいた航介が嫌そうな顔をするくらいのことを、してやってもいいんじゃないかと、思っている。



「こんばんわー」
「あ、海ちゃん。おむかえ」
「さくちゃーん!」
「わはー、うみ、おっと」
「あのねっ、あさねっ、こーちゃんとごはん、さんどちっちたべた!」
「そっかそっか。美味しかった?」
「ほっぺたおっことした!」
「それは大変だなー」
飛びついて来た海を抱き上げて、先生とお友達にさようならをする。今日はスペシャルゲストがいます、と靴を履かせて車を見せれば、わかった!こーちゃんだ!と手を打たれた。残念、ぶぶー。こーちゃんは今頃お家でだらだらしています。
「じゃん」
「あー!ゆりねちゃん!」
「こんばんは、海ちゃん」
「すきー!」
「わあ」
ぎゅーっと抱きついている海に、目を丸くした友梨音が、嬉しそうに笑った。チャイルドシートの隣に友梨音を座らせた海が、おめでとう!と一人で拍手している。友梨音のこと、ほんと大好きだよな。いいんだけど。
江野浦家に向かって車を走らせる。友梨音の荷物はもう辻家に置いてきているので、後はみわことさちえと陸と空を回収してうちに帰るだけだ。この車ぱんぱんになるけど、それはまあ。
「買い物、頼んじゃってごめんな」
「ううん。楽しかった」
「おかいももしたのー?」
「うん。今日の夜ご飯のお買い物」
「よるごはんなあに?」
「みんなでお鍋しようかって、お母さんが」
「みんなー?」
「お兄ちゃんと、航介お兄ちゃんと、海ちゃんと、陸ちゃんと、空ちゃんと、あとお母さん、みわこさん」
「ゆりねちゃんも?」
「うん」
「やったー!」
海が大盛り上がりなせいで、がったんがったんチャイルドシートが揺れている。車を停めるとすぐに江野浦家から二人が陸と空を抱いて出て来て、大はしゃぎの海に目を丸くしていた。テンションぶち上げだから驚かれてるぞ。
「さちえ!みわこ!」
「はいはい」
「海ちゃん、保育園楽しかった?」
「だんすした!そらちゃんとりくちゃんに、みせてあげる!」
「そうなの」
「みてて!」
「今やるのか……」
狭いんだから、暴れないでください。

「ただいまー」
「こーちゃん!」
「おう、おかえり」
「休めた?」
「休めた。ありがとな」
「こーちゃんっ、こーちゃ、よるごはん、おなべ!」
「そうなのか?」
「うん。さちえプレゼンツ」
「おじゃまします」
「ゆりねプロデュース」
「久しぶり。どうぞ」
「うん。航介お兄ちゃん」
「ん?」
「……ううん。安心、した」
「……う、ん?」
多分友梨音は心配だったのだ。友梨音にとって航介は、自分を助けてくれて、お兄ちゃんも助けてくれて、絶対折れない柱みたいなもんだったから。心配性な節がある彼女のことだ、不安が高じてマイナスに考えてしまって、それを誰にも言えずに抱えていたんだろう。思っていたよりも元気な航介の姿に、安心するのも止む無し。
どうやら、思惑通りにゆっくり休めたらしい。テレビがついていて、マグカップに入ったコーヒーはまだあったかくて、畳み掛けの洗濯物の横にはいつもより丁寧にきちんと重ねられた洗い上がりの服たちがあった。いつもは、そんな時間ないからね。航介がいたらしいテレビの前に走っていった海が、あー!とチョコレートのクッキーの包み紙を発見したので、航介が血相変えてそれを取りに行った。あれ俺の。
「くっきっき!」
「だっ、こら、海!」
「こーちゃんおやつたべたー!」
「それ、俺のクッキー」
「……買ってくるから……」
「んや、別にいいけど。そんな、そこまで執着してないし」
「……でも買ってくる」
「じゃあ三人で分けっこしようなー」
「うみもー?」
「海もー」
「わー!くっきっき!すきー!」
「よし」
複雑そうな顔。くっきっき!きっきっき!と変な歌を歌いながら友梨音に海が飛びついた。喜びの舞である。空と陸はとっとといつもの定位置に転がされて、さちえが二人を見てる。大人しいな、二人とも。空気を読んだのか。みわこは、台所に消えた。そうなると行き場のなくなる航介が、洗濯物たたみの続きをしようと座りかけて、友梨音から離れてダッシュして来た海に激突された。
「い″っ……」
「こーちゃん、うみ、でんしゃする!」
「どうぞ……」
「こーちゃんもするよ!ゆりねちゃんも!でんしゃ、しんかんせんかしたげる!」
「でも、」
「航介はでもばっかだなー」
「途中で」
畳み掛けのバスタオルを奪って航介を突つく。くすぐったかったのか割とすぐ飛び退かれて、海がそれを了承と受け取って手を取った。こんぐらい代わりにやるって。海とたっぷり遊んで であげなよ、明日からも海が頑張れるように。
「こーちゃんは、しんかんせんね」
「うん」
「ゆりねちゃんは、しんかんせん」
「海ちゃんは?」
「うみは、とーます」
一つしかない、一番いいの取りやがって。航介も同じことを思ったらしく、自分の手の中にある新幹線を見下ろしてもにょもにょしていた。

「それじゃ、おやすみ」
「ゆりねちゃん、やああ」
「また遊びに来るね」
「かえんないでー!うみとねるー!」
「うん……」
「海。ゆりねちゃん困った顔してるぞ」
「ゔ……うう……ゆりねちゃん……」
「また、絶対来るからね」
「……うん……おやくそく……」
「こーちゃん、夜はしっかり寝るのよ」
「はい」
「風邪引かないようにお布団ちゃんとかけて、ご飯もちゃんと食べて、自分のことないがしろにしちゃ駄目よ」
「はい」
「……もう、あたしよりさちえが母親の方がいいんじゃないか?」
「みーちゃんの代わりに言ってるんです!同じこと言いたいくせに!もう!」
「あいって、さちえ!半泣きのくせに手ぇ出すんじゃないよ!」
「……ありがとな」
「あ?」
「……助かった」
「潰れる前に自分で助けぐらい求めるんだね」
「そういう言い方しかしない!みーちゃん!もおお!」
「いって!だから!さちえ!」
騒がしい三人は、騒がしいまま連れ立って帰っていった。ゆりねちゃん、ええん、とめそめそしていた海も、友梨音が角を曲がって見えなくなった途端に泣き止んだ。現金なやつだな。
また、いつも通りの五人に戻った。海が、おもちゃを齧っている空と半分寝てる陸の周りをうろうろして、だんすみる?ねえ、そらちゃん、うみのだんすみたい?りくちゃんも、みたい?と聞いている。空と陸からの返事は勿論無い。そりゃそうだ。しょうがないからリクエストしてあげた。
「じゃあー、みんな、おきゃくさん」
「うん」
「うみは、おどるひと。うみしかおどっちゃだめ!」
「はいはい」
「さくちゃん!」
「あいたー!なんで踏むのさ!」
「せんからとびでてる!」
「なんだそれ、海ルールじゃんか」
可笑しそうに航介が笑った。膝に座ってる空と陸が、それを見上げて、ぽかんとした。つられて一緒に笑ってくれるようになるまで、あとどのくらいかな。海のおかしなダンスを見て、もしかしたら一緒に踊り出すようになるまで、何日かかるだろう。それは楽しみでもあり、気の遠くなるような時間に目眩がしそうな程の不安でもあり、でもやっぱりとてつもない期待と希望の塊でもあるのだ。
空と陸が大きくなるまで、海がもっとしっかりするまで、航介は身を削って、彼らを育てていく。俺も勿論そうだけど、俺と航介が同じ立場かと言われたら、そうじゃないのだ。同じ土俵に立てるなんて思ってない。だって、言うなれば母親側の立場を選んだのは航介で、選ばせたのは俺だから。それでも、いつかみんな横並びで眠れるように、俺だって頑張らなくちゃいけない。航介が潰れちゃわないように。海がさみしくならないように。周りの手を借りながら、助けられながら、助けなくちゃ。
「ばばーん!」
「すごいすごい」
「はくしゅ!こーちゃん、はくしゅ!」
「はい」
最後の決めポーズをとった海に、笑いながら眉を下げた航介がお座なりな拍手をした。満足げにふんふんしていた海は、また俺に蹴りかかってきたけれど。
「いたーい!なんでさ!」
「せんからとびでてるってば!」
「ははは」
まあ、航介が笑えるようになったから、大成功かな。



「ん」
「また夜更かししてる」
「……今日の夜更かしは、したくてしてる」
「ふうん」
眠たげでもない朔太郎が、トイレに向かうでもなく、リビングにいた俺の方に来た。海の寝かしつけは俺がして、空と陸を朔太郎が受け持ったのだけれど、空があまりにも寝なさすぎて騒ぎまくったので、朔太郎が背負って散歩して来たのだ。その間に陸を俺が寝かしつけて、空も散歩から帰ってきたら寝てて、朔太郎も空を寝かせがてら一緒に寝たんだと思ってた。なんか飲むか?と問いかければ、マグカップを渡される。同じのでいいか。
「もー。航介じゃないと空は泣き止まん」
「そうか?」
「陸の方が頭いい、諦めるもん。空は全然分かってくれない」
「……ちょっとわかる」
「海の時とは違うんだなあって、すげえ思う」
「そうだな」
「だから、こう、今日みたいな日がもっとあってもいいなあって、俺は思う」
あったかいココアを入れたマグカップを差し出せば、それと引き換えのように、航介はどう?と聞かれた。まあ、確かに、ゆっくりは出来たけど。寂しかったのも事実だ。静かな部屋、誰もいない家。たまにはいいかもしれないけど、しょっちゅうじゃなくていい。そんな感じ。期間としては、そうだなあ。
「じゃあ次は、春ドラマが初回から最終回まで終わった頃、頼むわ」
「まとめて見たいだけじゃん、それ!」
「そうだな」
「はー!そういうこと言えるぐらい元気になったならもういいや!」
がん、と額をテーブルにぶつけた朔太郎が、そのまま、ぐう、と寝息を立てだした。慣れないことばっかするから、疲れんだよ。ココアだって、二口くらいしか減ってないし。仕方ないから俺がもらおう。もったいない。
「……ありがとな」
ぐうぐう、聞こえてないのをいいことに、ありったけいっぱいに心の底から、そう呟いた。海にする時の癖で、頭を撫でてしまって、そっくりな感触にちょっと笑った。

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