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てをつなごう



「……ん」
「……悪い。ありがとう」
「海、寝た?」
「うん。はしゃいでたけど」
「そっかー」
「陸は、寝てないのか」
「うとうとしてるよ。下ろせないけどね」
「空は?」
「寝た」
「……すぐ起きるんだよな、こいつ……」
悪い、もらう、と手を差し出した航介から、陸を遠ざける。近づいてくるので、遠ざかる。一歩ずつ、距離を保ったまま離れれば、なんなんだ!と怒られた。途端、ふにゃあ、と陸が泣き出して、航介が口を噤んだ。すぐ静かになることは、知ってるけど。
「航介は明日の夜12時まで陸と空に触ることを許しませーん」
「は!?」
「休暇でーす」
「なに、お前明日も仕事だろ」
「航介の明日の予定は、朝、海と一緒にご飯を食べて、保育園に一緒に行って、行ってらっしゃいをにこにこでして、うちに帰ってきて、ゆっくり寝る。普段通り俺がお迎えするけど、夜ご飯はもう当てがあるから、作らなくていい」
「……は……えっ、いや、空と陸がいるだろ、そんなの無理に決まってんじゃん……」
「お助けマンにもう声をかけましたー」
じゃん、と発信履歴の「さちえ」「みわこ」の文字を見せれば、航介は黙った。自分じゃ分かんないでしょ、と目の下を擦れば、不思議そうな顔をされた。クマ、すごいんだよ。真っ黒。寝てないのも、疲れてるのも、体力的にも精神的に限界ぎりぎりなのも、丸分かり。
「さ、だから今日はもう寝なさい」
「……陸が、」
「おまかせあれ!」
「お前は明日も仕事だろ、馬鹿言うな」
「一晩くらいの徹夜がなにさ、まだまだ若いんだから。ねー、りくちゃーん」
「ふぎゃあああ」
「おう、泣いてしまった。若くないって言いたいのか、こいつめ」
「貸せって」
「やだね。ていうか、たまには頼ってくれってことぐらい、察せよ」
「……でも」
多分、きっと、航介が頑ななのは、俺のせいなのだ。海の時に、俺が航介にみんな任せきりにしたから。全部投げやって、自分もやってますってふりをしたから。頼り甲斐のない父親だったから。そんな一人目を経験したら、二人目も三人目も、頼りにならないと思われたってしょうがない、ってのは目に見えてる。それは、分かってる。だから、俺は頑張らなくちゃいけないのだ。航介が潰れてしまわないように、あんな目をさせないように、しなくちゃいけないのだ。それは俺の義務で、責任で、やらなくちゃいけないことで、やりたいこと。
「ね。一日、任せてみてよ」
「……さちえとみわこに、迷惑だ」
「あの二人、電話かけた途端なんて言ったか分かる?」
「?」
悲鳴、絶叫、歓喜の舞、って感じ。待ってましたと言わんばかりの意気込みよう。何時に行けばいいか聞かれ、あっちから指定された時間は「7時ぐらいには着いてるようにしようか!」「海ちゃんのこともあるから6時ぐらいから行って朝ごはん作ればいいかしら!」ときたもんだ。だからね、最初から、一人で抱え込む必要なんてなかったんだよ。
「海の隣で寝てあげて。今晩は、俺に全部任せて」
「……うん」
久し振りに、空気が抜けたみたいな、すんなり笑った顔を、見た気がした。

「……ぐっすりだ」
陸を抱いたまま、そおっと、寝室を覗く。海の隣で、すうすうと安らかに寝息を立てる航介の顔は、海とそっくりだった。目閉じると、そっくりなんだよなあ。海が寝返りを打って、航介に半分乗り上げるみたいに、寄り添った。しばらくしたら、みんなで横並びで寝れるかなあ。

次の日、朝。珍しく、海のが先にリビングに出てきた。寝癖をぴよぴよ跳ね散らかしながら歩く海の後ろから、眠そうな航介がついてくる。
「おはよお」
「……はよ……」
「おはよう。さちえとみわこのところに、陸と空送って、そのまま俺仕事行くから。もう出るね」
「いってらっしゃーい」
「あ、待っ、あの」
「ん?」
「……どこに、二人、あー、四人か?いることになってるんだ?」
「いやいや、そんなの航介に教えるわけないじゃん……絶対来ちゃうし……」
「でも、なんかあったら」
「なんかあったら連絡が来るって。行ってきまーす」
「いってらっしゃーい」
「……いって、らっしゃい……」
わくわくの海と、不安そうな航介。うん、これは良くない。航介だけ呼び寄せて、海が見てるので顔だけにこにこしながら、小声で囁く。
「海の前で、陸と空の話、今日だけはしないであげて。俺のことは信用しなくてもいいけど、さちえとみわこなら信じられるだろ?大丈夫だから、お願いだから」
「……あ、いや、そうじゃなくて、お前のことは、一番信用してる……」
「……おっ、あっ、そう、すか」
「……気が、抜けて」
「はい……」
「うみにひみつのおしゃべりしてるー!」
「……行ってらっしゃい」
「いって、きま、す」
「りくちゃん!そらちゃん!さくちゃん!いってらっしゃー!」
微妙な雰囲気の行ってきますになってしまったじゃないか。くそお、航介が変なこと言うからだぞ。



「うみとこーちゃんだけだねー」
「……そうな」
「ごはんたべよっか」
「うん」
「おなかぺそぺそ」
「ぺこぺこ?」
「そお」
嬉しそうな海を見ると、ほったらかした申し訳なさが先に立つ。パンたべよお、と台所をちょろちょろしている海が、トースターの前を陣取った。焼けってことな、分かった分かった。
今日は、海しかいないから、豪華版。食パンの上にチーズを乗せたやつと、もう一枚にはベーコンを乗せて、隣同士で焼く。焼きあがったらチーズとベーコンがくっつくように重ねて、海には大きいから半分に切る。あわわわ、と口を覆って目を輝かせている海に、着替えないの?と問いかければ、その場でもたもたボタンを外し始めたので、移送した。寒いだろ、こんなところで。
「さくちゃん、くそー、ってゆうよ」
「言うかもな」
「ふふー」
ベーコンとチーズのあったかいサンドイッチ、ホットココア、プチトマト。いただきます、と元気に手を合わせた海が、プチトマトを一目散に俺の皿に移そうとして、俺の顔を見て、プチトマトを睨んで、ぱく、と口に入れた。偉い、と思う反面、今までだったら甘えてたのにな、と寂しくなったのも本当のことだ。
あのねえ、うみね、こないだね。最近、しばらくの間、ゆっくり聞いてやってなかった気がする。食べながらも喋り続ける海がぽろぽろパンくずを落とすのを拾ってやって、海がそれに合わせて口を開いた。自分で食べろ、と言いそうになって、やめる。あーん。
「はみがき、ひとりでできる!」
「うん。ああ、そうだ。髪の毛、直してやろうか」
「わはー」
あったかいタオルで、跳ね返った髪の毛を押さえる。朔太郎の出る時間に合わせて海も出なくちゃいけないから、普段は、ゆっくりしてる時間はない、と急かして、海がぐずってもそんなのほとんど聞いてやれなくて、頭もびよんびよんしたままだけど、今日は違う。陸と空の弊害を一番被っているのは、多分海だ。俺がお休みなのに、二人にかかりっきりで、海には構ってやらないから。仕方がないことだとは分かってたけど、海がそこまで大人になれないことだって、もっと分かってやるべきだったのかな。くふくふ、嬉しそうに笑っている海のつむじを見ながら、ぼんやり思った。
「できた」
「うみ、かっこいい?」
「かっこいい、かっこいい」
「がおー!」
決めポーズをとった海が、ぴょこぴょこしながら、自分の上着と鞄を取りに行った。歯磨きはどうしたんだ、忘れたのか。おかしいやつ。思わず笑った自分に気づいて、それも可笑しかった。

「こーちゃん、いってきまあす!」
「おう、行ってらっしゃい」
「まさきー!おはよおー!せんせえー!」
「あ、海ちゃん、おはよう。あら?双子ちゃんは、今日はいないんですね」
「今日は、母が。あ、俺それで、休みだし、早くお迎え来た方がいいのかなって」
「そうなんですか」
「あら、海ちゃんちの。お休みなら、ゆっくりなさってね」
「園長先生」
「さくちゃん、でしたっけ。さっき、電話がありましたよ」
俺と話していたかすみ先生の横をちょうど通りかかった園長先生が、にこにこしながら、朔太郎からかかってきた「今日は海と一緒にこーちゃんが行くのだが、きっと早お迎えを申し出ると思うので、それは断って彼に過ぎるぐらい充分な休暇を与えてやってほしい」という内容の電話を教えてくれた。根回しが用意周到なことで。というか、よく分かってらっしゃる。
「本当なら、早くお迎えに来るとか、お休みしてもらうとか、あるんですけどね。秘密よ、特別なんだから」
「すいません……」
「いいのよ。謝らないで」
ね、と手を握られて、ちょっと泣きそうになった。特殊な家庭の事情というか、俺と朔太郎で育ててることとか、この園の人は知ってて、園長先生なんかも勿論全部知ってる。俺たちが話したからなんだけど。親と同じ年くらいの園長先生だから、なんとなく、優しくされると嬉しくて。お休みの日は、休むためにあるのよ。そう優しく告げられて、頭を下げた。
さて。一人になってしまった。陸と空を連れているはずのさちえとみわこが何処にいるか分からない以上、本当に何もすることがない。家の掃除でもするか。夜ご飯、と思ったけど、それも作らない方がいいみたいだし。

「は!」
寝てた。完全に寝てた。ソファーにちょっと座ってお茶飲んでたはずが、目が覚めたら昼過ぎだった。焦って飛び起きたけど、誰もいないと分かって、気が抜ける。疲れてんのかな。朔太郎に言われた通り、大人しく布団でも被ってた方が、いいのかもしれない。変な風に首痛くなったし。
「……………」
静かだ。一人だから、当たり前だけど。陸の啜り泣きも、空が暴れて転がる音も、海のおしゃべりも、朔太郎の笑い声も、ない。それはそれで、とは思えない。普通に嫌だ。まあ、期限付きの一人だし、満喫するけど。
久し振りに使うコーヒーメーカー、録画しっぱなしになってたドラマ、朔太郎の隠しお菓子。一番最後に関しては、バレる前に買って返しておくしかない。朔太郎は俺に隠し通せてると思ってるらしいけど、家にいる時間は育休中の俺の方が断然長いんだから、そりゃ知ってるに決まってる。甘いものそんなに好きじゃないけど、このチョコのクッキーは割と好きだ。朔太郎も同じく。
一話から撮り貯めてあったドラマ。結局見れずじまいで、この前最終回を迎えた。新しい録画であることを示すマークが全てについているのが、忙しさを物語るようで、どこか虚しい。海の前では見れない、朔太郎に見つかったら「またそういう薄暗いの見て……」って笑いながら呆れられるような、やつ。殺人を犯してしまった妻と、それを庇う夫、それを知りながら利用する友人、夫の立場を妬み妻とは不倫関係にある会社の同僚、などなど。はらはらしながら三話まで見て、クッキーが尽きた。
そういえば、陸と空はいつ、さちえとみわこの元から帰って来るんだろう。

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