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コウノトリと幸せ



「うみー!」
「そらちゃん、やだ!うみ、忙しいの!」
「うみー、あそぼー、うみー」
「あそばない!こーちゃん!そらちゃんどっかやって!」
「はいはい」
「……………」
「陸はいいのか」
「りくちゃんは静かだから……」
確かに。小学校一年生になって勉強に目覚めたらしい海がリビングで宿題を広げて、その椅子の下で丸まってじっとしている陸は、置物のようなので、許されているらしい。ぎゃんぎゃんしている空が損だ。黙々と宿題をやり始めた海の方を静かに見上げている陸が、そのまま動かなくなった。ほんと静かだな。航介に担ぎ上げられて、わあわあしながら遠ざかった声が、走る音と共に帰ってきた。
「りくばっかー!」
「う」
「ずるい!そらも!そらっ、うみ、あそぶ!」
「……………」
「いたーい!りく、いたいしたー!」
「こら!海の邪魔するんじゃない!」
「こーすけ!りくに、そらっ、りくが!」
黙って見てないでどうにかしろ!と俺まで航介に叱られた。だって面白かったから。
空は、海よりもおしゃべりで、すばしっこく動き回って、怖いもの知らずで、飽きっぽくて集中力がない。まだちびのくせに、腕を脱臼して病院送りになった経験を持つ、強者である。おしゃべりなくせに語彙が無いので、語順はぐちゃぐちゃだが、まあよく喋る。うみー!あそべー!がほとんど口癖で、海がなにをしてても構ってもらいたがる。海も基本的には全然オッケーなのだけれど、なんならトイレまでついていく勢いなので、拒否してもしつこいところは困っているらしい。とにかく、そら!そらっ!そらー!と自己主張が激しい。そらそらそらって、最早祭りかなにかなのかってレベル。
そして陸は、海よりも物静かで、座り込むとあんまり動かなくて、こつこつ一つのことに打ち込むタイプで、よく俺たちに見失われる。探すと大体海の後ろにいる。しょっちゅう空にぶつかられているので、最近やり返すようになった。ただ、無言でやり返すから、どっちが最初にやったのか分からなくなるのが難だ。あとは、ぼんやりさんなのによく食うので、飯の時間が終わらない。そして無口、とにかく無口。「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」「うみ」ぐらいしか言葉を発しない。あとは「ん」「う」「うん」ぐらいのもんだ。ちなみに、ちゃんと喋れる。さぼっているだけだ。
全部海との比較になってしまうけれど、系統的に仕方がない。海の顔は基本俺寄りで、細かいところが全部航介にそっくりなんだけど、陸と空もまあ似たような感じだ。髪の毛の跳ねっ返り方は、陸が航介に近い。空はどっちかというと頭が丸い。空の方が垂れ目で、陸の方が吊り目。俺と海のような真ん丸の目、ではない。けど航介ほど細目でもない。空の垂れ目はさちえに似てるかもしれない。じゃあ陸の吊り目はみわこから遺伝したんだろうか。みわこそんな吊り目じゃないけどな。不思議だ。
「そらとあそべー!」
「……………」
「りくちゃんと遊んでて、そらちゃん」
「やだー!りくつまんない!りくきらい!うみすき!」
「……………」
「いたーい!そら、りくっ、いたいしたー!」
今のはむかついたんだろうな、普通に。黙々と机に向かっている海の下で、陸が空をぺしんした。そりゃ、耳元ででかい声で「きらい!」だの「つまんない!」は腹立つよな。わ″ー!と陸の耳元で叫びだした空に、陸がまた足を出したので、二人まとめて抱え上げた。航介に丸投げじゃ可哀想だ。
「さくちゃんとお外行くかー」
「やだー!うみがいい!うみー!うーみー!」
「……………」
「じゃあこーちゃんでもいいよ」
「こーすけやだー!うみー!うみあそべー!」
「……………」
「……複雑な気分……」
「俺も」
無言の抵抗を食らわせてくる陸と、でかい声で騒ぎ立てる空に、海の時は「さくちゃん♡こーちゃん♡」だったのが幸せだったんだなあ、と思った。

「あれ?海、学校は?」
「お休みだよ。こないだの林間学校の代休」
「そうだっけ」
「もー、こーちゃんは知ってたよ」
「俺は忘れてた」
「さくちゃんいつもそうー」
ぺらぺらと分厚い図鑑を読みながらソファーに埋もれている海に、じゃあお留守番よろしく、と片手を上げれば、微妙そうな顔をされた。なんだなんだ、寂しいのか。5年生にもなって。図鑑好きなんだから、図鑑読んでお休みを満喫してなさいよ。
「さくちゃん、お仕事お休みだよ」
「え?何言ってるの。あるよ」
「みんなのカレンダーにそう書いてあるもん、だからそらちゃんとりくちゃんも今日おあずかり無いんだよ」
「うそつけー」
みんなのカレンダー、と海が言った、冷蔵庫に貼ってある大きなカレンダーを見る。俺と航介の仕事のお休みをはじめ、海と陸と空の小学校の行事とか、みんなお休みの時にどっか行く予定があるならそれが書いてあったりとか、するやつ。今日は15日でしょ、と指で辿ると、海のところにお休みなんて書いてなかった。こいつめ!学校行くのめんどくさくなっちゃったのか!
「さくちゃん、今日16日だよ」
「えっ?」
「ほら」
「……あらー……」
「やだー、もー」
テレビをつけて、アナウンサーの人の前に置いてある卓上カレンダーを指差した海が、はあ、と溜息をついた。き、傷つく、その溜息。呆れないで。ちょっと最近疲れてただけだから。
まあ、スーツに着替える前でよかった。なんで休みなんだっけ、最近休出したっけ。もう覚えてないや。こういうところで海は、もおー、って言いたいんだと思う。コーヒーを淹れてパンを持って椅子に座れば、図鑑を閉じた海が寄ってきた。ねー、と隣に座られたのでパンを差し出せば、素直にかじった。与えられれば与えられるだけ食うな、お前は。
「むぐ、ふぁふふぁん」
「ん?」
「ふぁ、んぐ、さくちゃんが最近忙しかったのねえ、知ってるんだけど」
「うん。帰り遅かったしね」
「さくちゃんが忙しいと、こーちゃんは家のことが忙しくなるでしょ」
「そうね」
「それで、昨日、いいこと思いついたんだけどさ」
疲れてて眠たかったらいいんだよ、と前振りをしてからの提案は、今日の家事は1日お休みの海とさくちゃんでやって、こーちゃんをびっくりさせない?というものだった。なにそれ、おもしろいじゃん。そんな素敵なこと言えるようになったの、えらいね。しかも前振りに俺のことを気遣ってる辺りもすごいよね。大人になって。
「じゃあ海は洗濯担当ね」
「さくちゃんは?」
「なにしよ」
「掃除とか?」
「掃除かー……苦手だわー……」
「じゃあ交換する?」
「洗濯かー……」
「さくちゃんなんもしない!だからこーちゃんの腰が痛くなるんだ!」
「それは俺には関係なくない!?」
「やるぞー、やってやるー、うおお」
なんだか燃えている。面白いから、任せてみよう。さくちゃんもやるんだ!と叱られたけど。
掃除して、洗濯して、もっと細かいところの掃除をして、夜ご飯も作るぞ!と意気込んだ海に連れられるがまま買い物をした頃、空と陸が帰ってきた。空が騒がしいのですぐ分かる。
「ただいまー!おなかすいたー!」
「……ただいま……」
「あ!うみとさくたろーなにしてんの!おれもまぜろ!」
「……ん」
「ああ、お手紙?陸、ありがとう」
「なあ!なにしてんの!こーすけは?まだ?おれのおやつは?」
「そらちゃんは一人でりくちゃんの分までおしゃべりするなあ」
「そうだよ!りくなんも言えないから!なあ、うみなにしてんの?りくとおれは今からしゅくだい!」
「がんばって」
「うみなんでがっこーにいなかったの?おなかいたいの?おれ、うみ探しちゃったじゃんかよー!」
今の会話で分かったのは、空は頭が良くない、ということだけである。陸は隣でぼーっとしている。君も君で、動きなさいよ。なんも言えないとか言われてるぞ。と思ってたら、動き出した。多分陸の場合は、思考と動きが繋がる回路の流れが、人よりゆっくりなんだよな。ランドセルを置きに行って、のんびり戻ってきて、冷蔵庫の中からお茶を出す。冷蔵庫の扉をあんまり長いこと開けてると航介がやいのやいの言うので、そこは素早かった。とぷとぷ注がれたお茶を見た空が、わあわあ喋っててランドセルもその辺にほったらかしてあるのに、ぱっと手を伸ばした。
「あ!りくありがとー!」
「……あっ……」
「ん?」
「……ううん……」
多分、それ空の分じゃないんだよなあ。でも陸はなにも言わずに、もう一つコップを出して自分の分を用意している。その途中、はっ、と気づいたように顔を上げて、あと二つコップを出した。俺たちの分までお茶を用意してくれるらしい。えらいなー!ほんとこの子は!当たり前に人のためを思って動ける、航介のいいところをフルで受け継いだよね!ただすごくゆっくりなだけで!陸がお茶を三つのコップに注ぎ終わるまでの間に、空は飲み終わってコップを流しにがちゃーんって置いて、ランドセルを逆さまにして宿題を引っ張り出し、よーし!とか一人で言いながらもうリビングのテーブルを占領している。海は気長なので、りくちゃんありがとー、と待ってくれている。お兄ちゃんになったなあ、お前も。
「……おちゃ」
「うん。りくちゃんも飲もー」
「……ん」
「陸、学校でなにしてきたの?」
「……、……たいく」
「楽しかった?」
「……………」
何か言い淀んだ陸に重ねて聞くと、黙り込んでしまった。多分、楽しかったことは他にある。けど、体育の時間にあった何かを報告したいのだ。ただ、それが言いにくいことだから、うっかり言ってしまった「たいく」について突っつかれたくない、というのが空の内心だろう。陸は口数が少ない上に、いろんなことに気を使って、隠してしまうから。その点、口がものすごく軽くてぺらっぺら要らんことまで喋る空が、おれ知ってるよ!と口を開いた。
「りくはどんくさいから、こけてたよ!おれはクラスでいっちばん早いんだけど、りくはおれとおんなじなのに、すっげーおそい!」
「痛かったの、りくちゃん」
「う、ううん、いたくなかった」
「ひざっこぞうだよ!おっきいばんそーこー!でもそら、じゃない、りく、泣かなかったんだよ!おれ見てた!すっごいこけたんだよ!」
「見せてごらん」
「いたくない、いたくないから」
「陸」
「……………」
「転んだって、誰もそのせいで怒ったり、転んだことを笑ったりしないよ。見せて?」
「……ころんだ……」
「いいよ。海だって絆創膏だらけだったんだから」
「えー、そうだっけ」
「そうだよ。しかも海はでかい声で泣いてた。陸は泣かなかったんだから、強いぞ」
「……りく、つよい……?」
「うん」
確かに貼ってある大きい絆創膏には、血が滲んでいて痛そうだった。これを見られるのが嫌だったらしい。多分その理由は、かっこ悪いからとか恥ずかしいからとかじゃなくて、俺たちが心配するのが嫌だったからだ。陸らしい。隠し事をしている時や焦っている時だけは普通に口数が増えるのも、分かりやすくて陸らしい。もっと成長したら、頭が良くなったら、言い淀む内容を全部上手に隠してしまいそうなのが、ちょっと不安だけど。頭を撫でれば、ちょっとだけ口角が上がった。運動神経は、全部空に持っていかれたからな。その代わり、頭の回転は陸が全部持ってったけど。
「りくちゃん、さくちゃんとお兄ちゃん今から夜ご飯作るんだ。こーちゃんをびっくりさせようと思って」
「……ん」
「宿題終わったら、りくちゃんも手伝って」
「ん」
「えー!おれもやる!りくばっか!うみ!おれもいれて!さくたろ!」
「そらちゃんは宿題をがんばってから」
「ぜんっぜんわかんない!いっこもわかんない!りくやって!」
「う、う、くるし」
「自分でやりなさーい」

「空と陸も中学生かー」
「そうだな」
「海ももう高校生だしね」
「……なに?」
「いや?」
「なんでこっち見んだよ」
「……いやあ?」
こんなことになるとは、と改めて思って。こんな、過剰なまでの幸せを、航介と出会った一番最初、中学一年生の俺は、思い描くことすらできなかったから。不思議そうな顔の航介が、ちょっと可笑しかった。なんていうか、言いたいことはたった一つなんだよ。
「ありがとね」
「……はあ、こちらこそ」
「なにその感じ」
「突然お礼言われたら誰だってこうなるだろ」
「察せよ!雰囲気を!」
「……………」
「あー!取り敢えず黙る!そういうとこに陸にそっくりだよなー!」
「お前のうるさいところは空にそっくりだよ」
「あっちが俺に似てきてんだよ!」
「陸だってそうだよ……」
「なに言ってんだみたいな顔で航介がそうやって俺のこと見るから、海もその顔するんだ!悪い見本!」
「さくちゃん、うるさーい」
「すいませんね!」
「息子に怒られてやんの」


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