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コウノトリと幸せ



「なに見てんの?」
「海が生まれたばっかりの頃の写真。ほら」
「こんなちっちゃかったっけか」
「ちっちゃかったよ」
「でかくなったんだな」
「あれでもね」
海を寝かしつけた航介がリビングに戻って、俺の見ていたアルバムを覗き込んだ。最初の頃なんてほとんど寝てる写真ばっかりなのに、飽きずにたくさん撮ってある。へえ、とページを捲る航介の頰がどんどん緩んで、見ろよこれ、変な顔、と吹き出してこっちを見た。幸せそうな顔。多分、俺が欲しかったのはこれだ。
でも人間っていうのは強欲なもんで、一つ手に入るともう一つ欲しくなる。一つあったら充分な幸せでも、もう一つあったらもっと幸せなんじゃないかと思ってしまうのだ。故に。
「ねえ、航介。例えばなんだけどさ、海も大きくなってきたし、ほら、2人目とか」
「嫌です」
即答だった。しかも敬語だった。どうやら相当嫌らしい。アルバムから顔を上げてすらくれない。しかし、俺だって諦めるわけにはいかないのだ。ポケットに潜ませていた薬を出せば、航介の手が止まった。手というか、動きか。
「はい」
「……………」
「1日1錠、決まった時間に飲もうね」
「飲まない」
「飲もう」
「嫌だって言ってる」
「大変なのは分かってる」
「あんまりしつこく言うようなら、俺全部ほっぽって、とても南の方とかまで高飛びして逃げるからな」
「じゃあ、それを俺がノーヒントで捕まえることが出来たら、お薬使ってくれるよね!」
「馬鹿言え」

逃げられました。捕まえました。以上。
「旅行だと思えば楽しかったねー」
「……誰にも行き先言ってないのに……」
空港で航介と目が合った時の、顔の引き攣りようったらなかった。海にも根回しは万全で、こーちゃんはおしごと!とあの泣き虫海が何故かにこにこしていたし、さちえもゆりねもみわこもかずなりも、俺の味方ではなかった。なんなら無関係なはずのやちよにまで、法螺を吹かれた。そこまでされてめげずに、逃避行期間内に航介を見つけ出した俺の努力をもっと褒めて欲しい。発信機とか逆探知とか、そういう非合法な手段は使ってないからね!とても南の方、としかヒントは出ていなかったからね!日本国内かどうかっていうところからまず始まったわけだからね!なんたって、航介のやつ、いつの間にかパスポート持ってたし。それが判明した時にはもう俺の目の前は真っ暗になった。国外だったら探し出せない。無理。心折れる。まあ、違ったけど。このカモフラージュのためだけに用意したなら馬鹿すぎると思ったが、いずれ海も連れて海外旅行に行ってみたくて…としゅんとしながら殊勝なことを言うので、許した。ええ、さくちゃんは心が広いんです。みんなで海外旅行、行こうね。
とはいえ、逃避行が目的だったのだが、俺が思ったよりも頑張ってしまったので、単刀直入に言って、時間が空いた。ので、丸一日二人っきりで、縁もゆかりもない土地で、普通に観光して楽しんだ。海がいないっていうのがもうここ数年じゃレアだし、その前だったら二人なんてあり得なかったし、ぶっちゃけた話、普通に楽しかった。いっそ悔しくなるくらい。趣味も趣向も考え方で、お互いの気持ちは全く理解不能な俺たちだけれど、生活を共にすることでいろんなベクトルが合ってきてはいるもんだから。要は、ツボが被るのだ。おいしいもの、おもしろいもの、見たいもの、聞きたいもの、知りたいこと。これはみんな、海が生まれるまでは、無かったもの。海が、くれたもの。
「だからね、そういうものを増やしていこうよって話」
「……じゃあ二人目とかそういうのは関係ないんじゃ……」
「でも俺が航介を見つけたら薬を飲んでくれる約束だよね?」
「そんな約束そもそも俺からはしてない」
「はー!そういうこと言う!」
「了承してないし」
「素直じゃないなー!いつまで経っても!」
「お前が薬を飲めばいいじゃんか」
「それでもいいけど」
「えっ……」
「航介がそれでいいなら」
「……………」
「首を縦か横に振りなさいよ」
「……………」
航介は首を静かに横に振った。よくない、そうで。だろうと思ったよ。

後日。いつもの病院。おえおえし出した航介を引きずって、いつもの先生に検査をお願いすれば、にこにこしながら結果を手渡してくれた。俺たちのことがきっかけで、ここの病院にもかなり人工妊娠に関する設備が整ったようで、あれから出産まで漕ぎ着けた二人を何組か先生は見送ることができたらしい。それは、関係ない俺から見ても、ものすごく良いことのように思えた。
「おめでとうございます、だね」
「うふふ」
「二人目かー、素敵だね、と言いたいところなんだけど」
「はあ」
「二人目じゃなかったんだよ」
「えっ」
「で、できてないとか」
「ううん。できすぎちゃったね」
「は?」
「双子ちゃんだ、おめでとう」
「は!?」
素っ頓狂な声を上げた航介の方が、俺より頭が回ってる気がする。だって、なに?ふたご?なにそれ、ちょっと聞いてない、知らないんだけど。そもそも、後付けの作られた子宮なのに、双子とかあり得るわけ?男の身体でそれに耐えられるわけ?頭の中をぐるぐる回って口からは出てこない疑問に、先生が全部答えてくれた。
「今まであの薬を用いた人工妊娠で双子ができた前例はないね。なんなら、二人目だって滅多なことじゃない。君たちは本当に、良くも悪くも、イレギュラーを連れてきてくれるなあ。ははは」
「え、それ、じゃあ、平気なんですか」
「平気じゃない。まず、身体が耐えきれないことが想定される。男の身体は妊娠できるようにそもそも出来てない、海くんの時だって必死だったろう?」
「……はい……」
「だから、まあ、入院は長期になることを考えて欲しい。本当なら東京の専門病院に行って、ここよりもしっかりした設備の中で、きちんと経過観察をして欲しいんだけど、それこそ海くんのことがあるからね。専門医に掛け合ってみるから、入院先については待ってくれるかな」
「分かりました」
「多分大丈夫さ。東京で君の診察をしてくれた医師は、僕の後輩でね。人工的な妊娠を可能にする薬や、その後の妊娠経過については権威なのに、なのにというかだからというか、研究熱心すぎるきらいがあって。要は、君達みたいなイレギュラーは、大好物だから」
「そうなんですか」
「研究材料にされてもいいかな?」
「無事に産まれるなら、それでも」
「ははは。じゃあ、あの子にこっちに来てもらおう。暇ではないけれど、研究のためなら暇を作れる子だからね」
「そんな人と仲良しなら、先生もお忙しいんじゃ……いつも、すみません」
「いやいや、僕はお友達がたくさんいるだけだよ。大事なのは、人との繋がりだねえ」
以上、俺一言も喋ってない。意外にも気丈な航介が、次の検診の日を決めて、ありがとうございました、とお辞儀をして、俺を引っ張ってさっさと病室を出てしまった。おい。
「ふたご!」
「うるさい」
「ねえ!もっとたくさん聞くことあったでしょう!」
「ない。先生に任せとけば大丈夫」
「でも!」
「大丈夫だから」
もう、不安じゃないし、不安にもならない。上手くやろうとも思わないし、上手くできなくちゃいけないとも思わない。みんなは一つしか持ってないはずのものが自分は二つだったら、それは不幸じゃなくてお得なことなんだって、海に言ったのはお前じゃないか。水陸両用バスだって、父親もどきと母親もどきだって、一人のはずが二人だって、お得で嬉しいんだって、そう思ったほうが、幸せだろ。
そう淡々と告げられて、すとんと腑に落ちた。頭に氷水を流し込まれたみたいだった。それもそうだ。そうだった。どうしようどうしようじゃ、頭を抱えて蹲ってちゃ、何にも見えなくなっちゃうから。その場足踏みが大得意だった航介に、先を見た話をされるとは、思っても見なかったけれど。
「……お腹にその子たちがいる間は、航介しかがんばれないし、航介だけ辛いんだよ」
「そうだな」
「俺には何もできないんだ」
「知ってる」
「それでもまたがんばってくれるの」
「仕方ないだろ」
「……入院してる間、家のことは絶対に心配かけない。お日さまに誓う」
「分かった。任す」
「俺にはそのくらいしかできないから、それをがんばるよ」
「海が泣くたびにお前を叱る」
「ええ!それは無理だ!」
「ははは」

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