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コウノトリと幸せ



「じゃあ、行ってくる」
「はいはーい」
あれから数ヶ月。いつもの病院。看護師さんに呼ばれた航介を見送って、待合室で待っていると、いつもと違う看護師さんがぱたぱたと駆け寄って来た。辻さんですか、と聞かれたので頷けば、医師からお話が、と。嫌な予感。航介は検査から戻って来てないから、検査結果がどうたらとかいう話ではないと思うけど。
「失礼します」
「ああ、辻さん。すまないね、呼び出してしまって。驚いたろう」
「航介になにか」
「いやいや」
一応念のため矢継ぎ早に聞いた確認は、すぐ撤回された。良かった。まあ座って、とお医者さん先生の正面を指されて、座る。
「まあ、これは僕の個人的なことでね。立ち入ったことを聞くから、嫌になったら席を立ってもらって構わないんだ」
「なんでしょう」
「君にばかり聞いたらフェアじゃないから、僕から言おう。僕もね、妊娠経験者なんだ」
五歳になる娘がいる、とにこにこしながら写真を見せられて、受け取る。先生に似た、可愛い女の子だ。パートナーは、と聞けば、女性だったらその人が産むさ、と困ったように笑われてしまった。まあ、そりゃそうか。
「年下の男でね。この子が一歳になる前に、彼女ができたからって、僕を置いていなくなってしまったよ」
「……ぇ、えっ!?」
「シングルファザーってやつなのさ。はは」
「先生!?笑い事じゃないんじゃ!?」
「笑い事にさせてくれよ。この子の将来のためにも、さ」
そんな僕だから、君たちに、というより君に、聞きたいことがあるんだ。そう向き直った先生の手にあったのは、俺が一番最初にここに駆け込んで来た時の問診票だった。子供が宿るきっかけ作りの細胞を体に増やす薬を出してくれ、と先生にお願いした時のこと。理由は深く聞かれず、簡単な検査で薬は出た。俺はそれを航介に渡して、今に至るわけだけれど。
「僕が薬を出したのは君だ。けれど、君が連れて来たのは彼だった。そして、彼の体に細胞は定着していた」
「……薬の譲渡は、いけないことでしたか」
「いいや、それはもういいんだ。検診にきちんと来てくれたし、何も問題は起きなかったからね」
「じゃあ、なんでしょう」
「僕のパートナーは、一年持たずに消えたんだよ」
薬を出された人間と妊娠した人間がちぐはぐな君たちは、本当に家族になる覚悟があるのか。そう先生はきっぱりと告げた。何も言えなかった。言い返せなかった。覚悟がある、がんばれる、二人でやっていける、つもりでいるだけなのかもしれない。現実問題、男親二人なんて、いくら制度が整備されて、そういう人がいると公表されていても、後ろ指さされたっておかしくない。なんとかなる、って思いたかった。けれど実際、航介の身に命が宿ってみたら、どうだろう。本当になんとかなるんだろうか。本当に、俺は、俺みたいな、俺なんかが、親になんてなれるんだろうか。
「ね、考え出したら止まらないよね」
「……は」
「君のパートナーはね、ずっとそういう気持ちだったんだよ」
「……………」
ああ。そういうことか。先生が気付かせたかったのは、そこだ。ぐらぐらの航介が、ずっと考えて、抱え込んでいたこと。がんばる、がんばりたい、って俺に言っちゃったから、相談できなかった不安。黙ってしまった俺に、まあ君たちなら大丈夫だよ!僕らがついてる!と先生は肩を叩いた。
「さっき聞かれたよ。どうして東京の病院で検査しなきゃいけなかったんですか、って。検診ができるんだからここにも検査設備はあるでしょうって」
「そういえば、そうですね」
「それがね、ないんだよ、設備」
「え!?」
「ははは、男性妊娠については最低限ぎりぎりのものしかここには無くてね。君たちが帰って来てくれたおかげで、設備が整ったよ」
「そ……そうだったんですか……」
「うん。あとは、そうだね。ここからは、がんばるのは君じゃなくて彼だ。けれど、君が血反吐吐くくらい必死でサポートすることが、彼の力になる。二人で育てるっていうのは、そういうことだよ」
「……先生」
「ま、僕、二人で育てたことなんてないんだけどね!」
あっけらかんと言うことじゃない。心からそう思った。

実家から車で五分とか十分とか。なんならチャリでも行ける距離。スーパーも近い。駐車場がある。そんな理由で決めた新しい住まいは、まだ何にもない。ほぼ空き家の状態だ。子どもがいるのにお互い実家暮らしも変だろうってことで、家を出る話を両親にして、ご挨拶的な事も一応した。今更?って顔をされたけど。
家探しについては、全部任す、と航介が俺に丸投げしたので、契約までもう済ませた。まだ馴染まない新しい鍵を開けると、航介がきょろきょろしていた。
「じゃーん。ここです」
「……悪いな。全部、いろいろ、契約とか」
「いいのいいの。身重の人にそんなんやらせるほど鬼じゃないって」
「荷物……」
「ちょっとずつでいいよ。どうせ、しばらくは一人暮らしのつもりだったし」
「え?そうなのか?」
「そうでしょう?」
「……俺、ここに住むつもりでいた」
「いずれね?」
「今……」
「はあ。まあいいけど」
「いいのか!?」
「止める理由ないでしょ」
布団とかないよ、と言えば、じゃあ追い追い…とか消極的なことを言い出した。まあ、実家かここにいてくれればいいわけだから。猶予はある、むしろ子どもが産まれちゃったらしばらくは実家に帰るかもしれないわけだから、ほんとしばらく一人暮らしのつもりだったんだけど。航介が辛くない程度に、ゆるくやればいいよ。こっちで暮らしたくなったらそうすればいい、実家帰りたくなったらそうすればいい。誰も止めやしないんだからさ。

入院することになった。誰がって、航介が。そろそろ予定日だし、人工的な妊娠である分、不確定要素が入ってくると色々なものが狂う可能性が高くなるので、安心と安全を確保するために、という理由だった。男だから、妊婦さんみたいにお腹がすごく大きくなったりもしないわけで、ぱっと見たところで普通なんだけど、それでも航介の身体には、もう一つ命が宿っている。医学の進歩はすごい。ただ、外見が今までと大差ないだけで、つわりがものすごかった。一緒に住み始めてしばらくして、ずーっとぐったりしてた。匂いでもうきついらしくて、食べはするし、根性で我慢してるのか吐くところまでも行かないんだけど、いつ見てもぐったりしてた。隣で普通に飯食うのが申し訳なくなるレベルだった。妊娠週数が進むにつれて、だいぶ良くなったけど。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「ごゆっくり」
「おー」
「お見舞い毎日行くからね」
「いいよ、毎日は……」
嘘こけ。毎日来てくれないと不安になるとか、たまには素直に言ってみろ。数日分泊まれるだけの荷物を持って病室に消えていった航介を見送って、取り敢えず、手を下ろすタイミングがわからなかった。
それから俺の日課の中に新しいルーチンが加わった。今までいつもやってたのは、ゴミを毎朝一つの袋にまとめるのと、お風呂上がった後に換気扇を弱から強にすること。新しいやつは、仕事終わりに近くの神社でお参りしてから、病院に行くことだ。病院に行くことよりも、お参りが大事だ。お百度詣りとか言うじゃない。何回も顔を見せてたら、神様だって俺に情が湧いて、不運や災厄を無駄に降りかからせるようなことしないかもしれない。とにかく、何事もなければそれでいいのだ。特別ななにかが欲しいわけじゃない。なるようになって、航介も元気で、俺も赤ちゃんと会えれば、それでいい。それだけでいい。むしろ、それだけがいい。なので、お願いします。ぱんぱん、と手を合わせながら、毎日同じことをお祈りした。
「今日はどうだった?」
「暇だった」
「いつもそれ」
俺が行くと大概窓の外を見てる航介は、常に暇らしい。本とか持って来てあげてるんだけど、すぐ読み終わっちゃうんだよな、この人。暇だと思えるってことは辛くないってことだから、いいんだけどさ。

産まれます!って電話が来るとは思ってもみなかった。もっとなんていうか、人工妊娠っていうくらいだから、予定的なものがあるのかと思ってた。今すぐに!早く!って急かされるだなんて、想定外にも程がある。まあ、急かされたから、携帯と財布と鍵しか持たずに市役所飛び出して来ちゃったんだけど。荷物取りに戻らなきゃいけないってことだよね?あんまり遅くなると普通に庁舎閉まるんだけど、大丈夫かな?あまりに突然のことすぎて、荷物の心配ばかりが頭を回ってしまう。航介とお腹の赤ちゃんの心配をしないといけないはずでしょうに。心の準備ができてない。
「あ、辻さん」
「赤ちゃん!赤ちゃんは!先生!赤ちゃん!」
「産まれましたよ」
あっさりしている!先生!もっと重大なことみたいに言って!こちらのテンションと差をつけないで!
いつもの病室にもう戻ってますよ、なんて間延びした先生の声を背中で聞きながら走って、どかん、と音を立てて開けた扉の向こうには、ベッドの上で珍しく目を丸くしている航介と、その手に抱かれた小さい赤ちゃんがいた。
「だああああ!」
「うわ、なに、怖」
「わああああ!」
「ぎゃっ」
「……はああああ……」
「……人間の言葉を喋れよ……」
率直に言おう。無理だ。顔を見られたくなくて抱きついてしまったけれど、俺の航介の間に確かに存在する小さな暖かみに、込み上げるなにかが止まらなくて、どう発散していいか分からずに唸りながらちょっとだけ涙が出た。航介はそれについては特に何も言わずに、俺が急いで向かっていた間の説明をはじめた。なんかお腹が変だと思って一応ナースコールを押したら、いろいろ検査されて、薬打たれて、意識が朦朧とするくらいお腹痛くなって、ふっと痛みが引いたかと思ったらいつの間にか手術室にいて、産まれたばかりで泣き叫ぶ赤ちゃんを見せられて、がんばりましたね!と涙ぐむお医者さんと看護師さんたちから総出で拍手された、と。どのタイミングで俺に電話がかかってきたのかは分からないけれど、航介が異変を感じてから産まれるまでがかなりのスピードだったことは今の話で分かった。そういう野生の勘は鋭いからな、こいつ。
「だから、俺にも何があったかよく分からん」
「……そうね」
「でも、元気だ。俺も、この子も」
「うん」
「がんばった」
「……ありがとう」
「なにが」
「がんばることを選んでくれたことにも、がんばってくれたことにも、かな」
「……でも、がんばりたかったのは俺だし?」
「それ、いつだか俺が同じようなこと言った」
「そうだな」
「……かわいいね、赤ちゃん」
「なんでお前そんな手ぶらなの?」
「あっ!」

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