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みんなでおやすみ



「いただきまー!」
「……すいません……」
「いいよお、そんな。あんたんちには世話になってるし、ねー」
「ねー!」
八幡さんの家は、定食屋だ。市場から程近い、地元民御用達の飯屋。うちから魚を卸してることもあって、うちの母と八幡さんが仲良しなこともあって、割と海には良くしてくれているのだ。海が言ってた「こないだのおにぎり」というのも、うちの母が海を一日預かってくれてた時に、爆弾みたいなおにぎりを八幡さんが用意してくれていたらしい。俺は聞いた話なので実際には見ていないけれど、海が言うには、ほっぺたおっとこしちゃうくらいおいしかったー!おにくとおさかなときのこさんとおやさいがはいってたー!そうで。なんのおにぎりなのかは不明である。
今の今まで忘れてたくせに、八幡さんの店に向かう道中で海は突然、自作のラーメンの歌を歌い出して、「きょうのごはん、らーめんのおやくそくだねっ、こーちゃん!」とか言うので、八幡さんが気を利かせてラーメンを用意してくれた。ちっちゃい小鉢に入れてもらったラーメンをはふはふしながら、ちまちま麺を齧っている海が、同じくラーメンを啜っている俺たちの方に顔を上げて、八幡さんに話しかけた。
「うみねえ、きょうはさくちゃんなの」
「ふうん?」
「こぼしたらふいてあげるの、あと、おかいものしたの、おさかな」
「そうかい、お手伝い上手なんだね」
「んむ!」
「いいネクタイだねえ」
「さくちゃんの!」
おいしいなー、おいしいなー、と嬉しそうに食べるので、見てるこっちも、よかったな、とは思う。しかしまあ、時間はものすごくかかったけれど。テーブルの上に跳ね散らかしながらラーメンを食べた海が、おいしかったです、と八幡さんになにやら手渡していた。なにかと思えば、さっき俺が渡した飴。食わなかったのか。
「はい、ひゃくまんえん」
「あらー、こんないいものもらっていいの」
「おばちゃん、あるいてたべちゃだめだよ、おえってなるからね」
「はいはい、しっかり者だねえ」
しつけがいいからかね、と優しく笑まれて、背中がむず痒くなった。

「帰るか」
「かえらない!おかしかう!」
「えー」
「海ちゃん、さくちゃんお家帰りたい」
「やなの!うみ、おかしかいたい!」
「……………」
「こーちゃん、うみいいこするから」
「……1つだけだぞ」
「わー!こーちゃんやさしい!すき!」
「甘い」
「……………」
「甘々」
「さくちゃんのおたんちん、うみはこーちゃんがすき」
「あー、そういうこと言う海なんかさくちゃんもう遊んであげない」
「あ″ー!」
海が精一杯の怖い顔で威嚇している。朔太郎も歯を剥き出しにしている。後ろの座席が気になって運転に集中できないので、やめていただきたい。
別になんの理由もなく海のおやつを買ってやるわけじゃない。昨日、海が大好きな動物の型抜きクッキーが無くなっちゃって、海はそれを知らずに今日も当然それが食べられると思っていて、朔太郎に昨日の帰りに買い物を頼んだのに「忘れちった、めんごす」とか言って買ってきてくれなくて、今日あのクッキーが食べられないと知ったら海は恐らく夜ご飯をボイコットするだろうから、おやつを用意したいのだ。でもまあ、ボイコットは、夜ご飯にもよる。めちゃくちゃに甘くて海以外誰も食べられない子ども用のお星さまカレーみたいなやつなら食べてくれるとは思うけど、それはそれで買わないといけない。ちなみに今日の夜ご飯の予定は、野菜メインか魚のどちらかなので、海はきっと食べてくれない。だから、元を正せば朔太郎が昨日海のおやつを買い忘れたのがいけないんだ。だから別に俺が甘いわけじゃない。魚のが食べるかな。魚にしよう。
「きゃべつさん」
「買わない。こら、触るな」
「うみがかごもつ」
「はい」
「うんしょ!とこしょ!よいしょ!」
「声が大きい」
「……しょ……ぃ……」
小さくなった。素直でよろしい。しばらく歩いてふっと後ろを見ると、朔太郎が消えていた。膝にカゴをがつんがつんぶつけながら進む海を止めて、朔太郎がいないと告げれば、海が大きく息を吸った。
「ぴんぽんぱんぽーん!つじ、さくちゃーん!どこむぐぐ」
「声がでかい!」
「ぷはあ!こーちゃん!さくちゃんまいごさんなんだよ!ないてるかもしれないよ!」
「大丈夫だよ、大人なんだから」
「おでんわしてー!」
「しません」
「おにくかってー!」
「買いません」
「なんでー!」
「今日の夜ご飯は魚だから」
「じゃあくっきーかってー!」
「ああ、それは買う」
「えっ?かうの?やったー」
朔太郎の迷子は、クッキーに負けたらしい。可哀想に。でもまあ、いなくなる方が悪い。くっきっき、くっきっき、と踊りながらカゴを引きずりお菓子コーナーへ向かう海についていく。買い物終わったら連絡すればいいか。見慣れた動物のクッキーを手に取った海が、にんまり笑った。
「うみの、うみの、うみの」
「3つもいらない」
「……うみの、こーちゃんの、さくちゃんの」
「だから、3つもいらないって」
「じゃあいくつかうの!」
「1つだよ」
「うみのだもんね!」
「どうぞ。カゴに入れな」
「……………」
「……なに?」
「……かえるさんのぐみ……」
「1つだからな」
「みて!ぱんださんのちょこ!」
「1つ」
「……んーんん……」
悩みに悩み抜いて、いつもの動物のクッキーにしたらしい。だってこれならねこさんもうさぎさんもらいおんさんもいるし……と自分を納得させていた。かえるさんのグミなんて買ってやったことないんだけどな。マシュマロ初めて食った時も、あまい!あまい!って口に詰め込んで死にそうになってたし、グミも怖い。それから、トイレットペーパーも特売で安いから買って、いつの間にか海が持っていたアスパラも買った。握り締めてあったまってたから、これを売り場に戻すのはしのびない。いつから持ってたんだ、アスパラなんて好きじゃないだろ。
買い物も終わってしまって、やることもなくなったので、朔太郎に連絡してやることにした。ほんと、どこ行ったんだかなあ。エスカレーターの横の隅っこで携帯を出せば、足元をちょろちょろしていた海が、あー、と口を開けてこっちを見た。うーん、自分の子どもながら、アホみたいな顔だな……
「さくちゃんいないねえ」
「そうだなあ」
「おでんわ?」
「うん」
「うみしたい」
「いいよ」
「もしもし!さくちゃんですか!」
「まだ繋がってないよ」
「いつおしゃべりしてもいい?」
「ぷるるる、ってのが終わったら」
「おわったー」
「そしたら、もしもしって言うんだ」
「もしもし!うん!うみ!さくちゃんがまいごさんだからおでんわ!そう!」
再び、声がでかい。周りの人が見ている。そして笑われている。海は気づいてないけど。
俺が小声で伝えた通りに、えすたれーかーのところにいます!と最後まで大声で告げ切った海が、ふんす、と大きく鼻息を吐いて、やりきった顔をしている。一仕事終えた感がすごい。でかい声が抜けきらないまま、はい!と携帯を返されたので、口に人差し指を当てれば、はっと気づいたようで、むにむに唇を引っ付けて取り繕おうとしていた。声がでかくなってたことを自分でも知らなかったようだ。まあ、そんなこったろうとは思ったけどさ。ちょっと居心地悪そうに、海が口を開く。
「……こーちゃん、うみ、さくちゃんとおでんわできたの……」
「うん。偉いぞ、ちゃんとできて」
「うみえらい?」
「途中で代わろうかと思ったけど。一人でできたな」
「うみ、えらい!?」
「うん。えらいえらい」
「きゃー!」
「……ああ……」
てっきり怒られると思っていたのだろう。思ってもみなかった「えらいえらい」にテンションがぶち上がった海が、俺の足を中心に猛回転し始めた。フォロー失敗。もういいや、朔太郎に場所は伝わっただろうし。
しばらくして朔太郎が来た。ちょっとだけ海貸して、航介はここにいて、絶対にここから出ないで、ここから!絶対に!とエスカレーターの壁を叩かれて、気圧されるまま頷く。なんなんだ。後から聞いたら、会社の人とばったり会って海がちょろちょろしてるのは見えてたから、見せびらかしたかったらしい。見せびらかすって。もうちょっとなにか言い方は無かったんだろうか。
さて、そろそろ帰るか、ということで駐車場に向かう。朔太郎と手を繋いだ海が、繋いでる方の手にぶら下げたビニール袋を揺らして、あのね、と話し出した。
「うみねー、くっきーかってね、さくちゃんがまいごさんのあいだに」
「うん」
「それでね、こーちゃんが、うみえらいって」
「海ちゃんはいつも良い子だもんなー!」
「あとねえ」
「あれ?俺の渾身の褒め、スルー?」
「きょうのよるごはん、おさかなさんだって。ねっ、こーちゃん」
「ああ」
「ん!おてて!」
「はいはい」
「海ちゃんいいねえ、両手にさくちゃんとこーちゃんで」
「うん!うみ、いい!」

「いただきます!」
「めしあがれ」
「うみ、このおさななしってる!しゃけ!」
「正解。よく覚えてたな」
「しゃけすき!」
鮭のホイル焼き、に海の好きなチーズを乗せてやったので、大喜びでかっ喰らっている。ご飯の前にクッキーもつまんだし、上機嫌。せっかくの休みの日の晩飯をボイコットは避けられたようだ。スープに入ったブロッコリーは朔太郎の皿に勝手にぴんぴんって跳ね除けていたのでそっと戻した。気づけよ、朔太郎も。
「ごちそうさまでしたー」
「はい」
「おさらおたかずけする、うみ、さくちゃんだから!」
「……おお……」
まだ生きてたのか、その設定。お手伝いをしてくれるのは助かるけど。がっちゃんがっちゃんと皿を鳴らしながらシンクに運んだ海が、よーおし、あらいものしといてやるろ、と腕まくりをしたので、踏み台を用意してやった。朔太郎が後ろから、まさかとは思うけど今海がしてたのって俺の真似じゃあないよね?と問いかけてくる。お前の真似だろ、どう考えても。
「ごしごしーって、あわあわー」
「流してやろうか」
「うん!うみのおてつだいして!」
「はいよ」
「海ちゃん!さくちゃんはなにしたらいいかなあ!」
「ぶろっくでもしてな」
「……はい……」
今のは俺の真似かもしれない。切り捨てられた朔太郎が、というより普段そうやって無意識に切り捨ててしまっている海のことを思うと、ちょっと胸が痛んだ。朔太郎じゃないけど、ちょっと改めよう。
洗い物を無事、まあ何事もなく無事にかと言われるとそうではないけれも、とりあえずは無事に終えて、一通り片付けが済んだ頃。あふ、と大きなあくびを漏らした海が、ソファーで丸くなり始めたので、お風呂に入ろうと持ちかけてみた。風呂好きなのですぐ飛び起きて、自分のパジャマと俺の寝間着と、何故か朔太郎のパンツを掻き集めて持って来た。うみの、こーちゃんの、さくちゃんの!と言っていたので、確信犯である。何故下着しか持ってこなかった。
「いっしょにおふろ、はいろー」
「どっちと入るんだ」
「みんな」
「三人はきつい」
「狭いから無理だよ」
「やだー!うみとこーちゃんとさくちゃんと、おふろはいらなきゃやだなのー!」
「さくちゃんと入ろうなー」
「やー!こーちゃんもー!」
「こーちゃんにもたまには一人でゆっくり風呂くらい入らしてやれー」
「ぎゃーん!やだー!さくちゃんきらーい!」
絶叫が遠ざかっていく。嫌いとか言われてるのに、なに言ってんの、めっちゃうけるー、とかなんとかこれまたとても適当な朔太郎の返事が聞こえる。ゆっくり一人で風呂、確かに久しぶりだから嬉しいけど。
洗濯物もたたみ終わって、布団の準備もして、しばらく経った頃どたばたとお風呂場から騒がしい音が聞こえてきた。と思えば、びしゃびしゃのままきゃっきゃしながら両手を上げて走り出てきた海が、追走する朔太郎にあっという間にタオルで巻かれて連れ去られた。人攫いの速さだ。お風呂場に入る時の「きらーい!」はどうしたのか、異様に楽しそうだったけど。連れ戻された海の大きめの鼻歌と、ドライヤーの音。多分、海の髪の毛を朔太郎が乾かしているんだと思うんだけど、一旦音が途切れて次の瞬間、悲鳴が聞こえた。
「あつい!あつーい!」
「かわわしてあげてるのー!」
「ドライヤーが頭にくっついてる!海!さくちゃんはげちゃう!」
「わがままゆわないのー!」
風呂から出てきた海は、ほっぺをぽかぽかさせて、まだネクタイを握り締めていた。もう今日1日でそれくたくただよ。頭皮へのダメージでぐったりしている朔太郎の目の鼻の先に、むすんで、とネクタイを突きつけた海を通り越して風呂場へ向かう。興奮してるから、当分寝ないな。
「ぐりと、ぐらと、くまは、のはらのまんなかで」
「あー、こーちゃんおふろでたー」
「うん」
「おなかいっぱい、えんそくのおべんとうをたべました」
「さくちゃんがおはなしよんでるの、こーちゃんもみて」
「うん」
「海ちゃん聞いてる?」
「んーん!もっかい!」
「どこから?」
「わかんない!」

布団に潜って、ふがふがもふもふ笑っている海が、こっちはこーちゃん、こっちはさくちゃんね、と指定してきたので、その通りに横になった。大変幸せそうだ。
「ねー。おやすみのひ、たのしいねー」
「そっか」
「うみ、おやすみのひ、すき」
「今度みんなお休みの日があったらどっか遊びに行こうか。今日はお買い物だけだったから」
「んーん、おかいものがいい」
「そう?」
「あとねー、おとまりしたーい」
「どっちさ」
「どっちもだろ」
「どこに?」
「でずにーらんどー」
「おお……」
「……難しいところを……」

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