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執着と終着


「げほっ、ごほっ」
「馬鹿じゃないの!馬鹿なんじゃないの!」
「うるさ……」
「なんで落ちるかな!あんなもんどうだって良いでしょ!」
「……どうだってよくない」
「は!?」
「うるさい」
「っ、あ″ぃっ、……!」
どうやら本気で痛かったらしい。いつもの「いったあ!」とかじゃなく、頭の天辺を押さえて悶絶している朔太郎が、涙目で顔を上げた。さっきまでの、人でも殺してきたみたいな荒んだ目より、そっちのが似合ってる。まあ、拳骨はやりすぎたかもしれないけど。
携帯を追って海に落ちた俺だけれど、別に深いわけでも、泳ぎが苦手なわけでもなかった上、落ちることが分かっていて手を伸ばしたんだから、そんなに困りもしなかった。どちらかというと困ったのは、俺を追って朔太郎が落ちてきたことだ。水面から顔を出したら、必死の表情の朔太郎が飛び込んだ直後で、危うくぶつかるところだった。おかげで二人揃って全身ぐっちゃぐちゃである。タオルなんて持ってない。この場で無事なのは、ぼろい携帯だけだ。自分のスマホは水没して死んだとかいうおまけ付き。しかも、飛び込んだ後のことは考えてなかったらしい朔太郎を引っ張り上げて、海から陸へ押し上げて、自分もテトラポットに座り込んだ頃には、靴が片方なかった。朔太郎も眼鏡がなかった。まあ、いいか。
「……話ってなに」
「ん、いや、それを返そうと思って」
「その後」
「それを返したら、今度は俺がお前に携帯を買おうと思って」
「……は?」
「俺に繋がる専用の携帯、いるだろ」
「いらないよ!」
「いるだろ?」
だって、この携帯貰ってから、俺からかけたことなんてほとんどない。朔太郎からかかってきたことなら、ある。そういう時お前は大体、変なもやもやを抱えていて、顔を見ていちゃ出来ない話をするのだ。
この先、どうするかなんて分からない。二人でいていいのかとか、無意味な関係性がどうなるのかとか、俺って邪魔じゃないかなとか、子どもが欲しいって言葉の意味とか、いろいろ。分からないことだらけだけれど、隣にいることを諦めたくないから、出来るだけ隣に居られるように、俺から追い縋れる方法を考えた。朔太郎と顔を合わせて真剣な話なんてできる気がしないし、お前だってそういうの苦手だと思うし、でもお互い幸運なことに、顔さえ見なければ、少しだけ素直になって、話ができる。電話はそのためのツールだった。文字じゃなくて、声。トーンとか、間とか、言い回しとかで、相手の言いたいことが分かるくらいの年月、一緒にいたから。だから、要するに、俺はこの小さな繋がりにたくさん助けられてきたから、今度は俺がお前を助ける番だと思ったのだ。だってほっといたら今みたいに、理由は知らないけど、嫌にぼろぼろになって、お日様の匂いだったのが煙草臭くなって、なんでも面白がるような目は暗い色になって、よく動く唇は閉ざされて、髪の毛だって跳ね散らかして、大事なものを全部落っことしてしまうんだろうから。
そう、朔太郎に、ぽそぽそと伝えれば、上手くは言えなかったけど、彼は何も言わなかった。俺が言葉を切ってから、静かに自分の服の袖の匂いを嗅いで、確かに、とだけ零した。今気づいたのか。
「いるみたい」
「……だから、こっちは返す」
「嫌だ。受け取らない」
「なんで」
「別にこれを返されなくても、俺からここに頼ったらいいじゃん」
「……でももうぼろぼろだし」
「ねー。ぼろぼろだね」
あれから、そんなに経ったんだね。そう朔太郎に言われてフラッシュバックした、「お前なんか、いてもいなくても一緒だ」と、一人ぼっちで待ち続けた雨の音に、寒気がして、二の腕を擦る。ひぐし、って隣から大きなくしゃみが聞こえて、そっちに目をやれば、鼻を啜った朔太郎が困り顔で笑っていた。隣にいる。隣に、いられる。
「帰ろ」

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