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おはなし



『当也の家の近くにバラが綺麗なお庭があるんでしょう』
「そうなの?知らない」
『もしツアで見た!あるんだよ!いいなあ!』
「行ったことない」
『今度連れてってよ』
「来るの?こっち」
『当分予定ないけど』

「って言ってたじゃん……」
「サプライズだよ」
「……前にこうやって突然来た時に、言ったよね?連絡して欲しいって、俺言ったよね?」
「東京駅に着いた時に電話したよ」
「それを見て掛け直したんだよ!その時にはもう玄関の前にいたでしょ!」
「急いで来ちゃった」
「……………」
「怖い顔だなあ」
「……怒ってるからね」
「怒るの?当也が?俺に?」
「怒るぞ」
「じゃあそんな当也にいいこと教えてあげる!やちよも夜来るよ!」
「……………」
報連相って言葉を大きく書いて実家の壁に貼ってくればよかった。辻家と、ついでに念のため江野浦家にももれなく一つずつ。そっち両家の母とうちの父は報連相がしっかりしているけれど、当たり前ながら息子たちがいい大人になった時点で、本人同士で連絡してくれというスタンスに切り替わったので、きちんとしてない本人たちが悪い。もう一度言うが、きちんとしてない本人が悪い。母にも耳にタコが出来るまで言いたい。せめて一言でいいから掛けてくれないか。多分朔太郎が「どうせならサプライズにしようよ!」とか宣って、それに母は便乗したんだろうけど。そしてきっと、同行こそしなかったものの恐らくはこの心臓に悪いドッキリ旅行を知っていたあのゴリラ野郎には、俺に連絡するとかいう高度知的生命体な考えは浮かばなかったに違いない。母か朔太郎のどっちかが伝えているだろうと早とちりしたのだろう。まあ自分は行かないわけだし、そう考えるのも分かる。俺がその立場だったら、同じように、とっくに連絡が行ってるもんだと思う。わざわざ隠していたわけではないと思いたい。そうでないと俺の精神をただひたすらに虐めたいだけの会になってしまう。なんだそれ、地獄か。
ちなみに、前にこうやって突然来た時、というのは、ピンポンが鳴ったら航介と朔太郎が玄関の前にいた時のことだ。心臓が止まるほど驚いた。2回目って時点で、朔太郎には本当に反省してほしいんだけど。その時も航介の目ぇ死んでたし。
「……俺、昼から大学行きたいんだけど」
「なんで?土曜日だよ!遊ぼうよ!」
「提出するレポート完成させたくて、ゼミ室の鍵借りてる。だから、それが終わるまでどっかで」
「わーい!ついてくついてく!」
「時間を……」
どっかで時間を潰していてくれ、と言いたかったんだけど、当然のように聞こえていないらしい。そんなこったろうと思ったよ。中学生の時から、俺が宿題やってるところをわざわざ見に来て、いつになったら終わるの?終わったら遊んでくれるんだよね?待ってるからね?って期待たっぷりの目でそわそわ隣に座ってたような朔太郎なので、今更驚きやしない。はああ。
「歩いて行くの?チャリ?」
「……電車かバスだよ」
「ほう?」
「五分に一本は来るから」
「そういう方向での都会アピールはどうかと思うぞ!」
「アピールじゃなくて事実だし……」

「人がたくさんいる」
「……土曜日だから、少ない方だよ」
「有馬くんとか伏見くんとか小野寺くんは?」
「知らない。バイトとかじゃない」
「あっ!名案思いついた!伏見くんのバイト先に遊びに行こうよ!」
「バイト先知らない」
「……当也が本当に上手くやれてるのかってやちよがずっと心配してるのは、お前のそういうところに問題があると俺は思うよ……」
「このままここに置いてってもいいんだよ」
「置いてかれても平気だよ!当也んちに地図アプリのピン刺してきたから!」
無駄に知恵をつけやがって。どうせなら機械音痴であって欲しかった。器用だからなあ。暑いねえ、と腕捲りをした朔太郎に、今日は特別暑いんだよ、と返した。背負っていた荷物と、羽織っていたパーカーはうちに置いて来させたけど、それでも長袖だし、五月末のくせに夏日だし、暑いだろうな。
大学に向かう道に朔太郎がいるの、変な感じがする。うちの母が夜の新幹線でこっちに到着する時間が、8時ちょっと過ぎとからしい。しかも、新幹線が到着する東京駅ではなく、うちの最寄り駅まで来てくれるそうで。さくちゃんが先に行ってるんだからそっちで合流しましょうよ、とのことだった。一応朔太郎の冗談って可能性も考えて母に連絡をとったら、そう教えられた。いっそもう全部嘘であって欲しかったのに。今が11時ぐらいだから、時間的にはしばらくある。レポートを完成させたいって言っても、資料の挿入だけだから、そんなに時間はかからない。むしろ持て余してしまう。
「……寄り道する?」
「釣り?」
「釣りはしないけど」
「お昼ご飯?」
「ああ……ご飯も食べなくちゃか……」
「当也はすぐご飯を蔑ろにするんだから!」
「蔑ろにはしてない、優先順位が低いだけ」
「なに食べる?」
「さっき言ってた庭行きたい?」
「にわ?あっ、えっ!?まさか連れてってくれんの!?」
「時間あるし、大学は夕方までに行けば平気だから」
「当也にそんな甲斐性があったなんて!」
「怒らせたいならはっきりそう言って」
「怒らせたくない!行きたい!わーい!」
バス停から、大学に向かう方向じゃないバスに乗る。心当たりがあるのは一つしかないから、あそこかなあ、ってとこに連れて行くことにしよう。広めの公園、植物園だったか、そんなようなのが確かあったはず。この時期が薔薇のシーズンなのかすら分からないけれど、朔太郎が言ってた断片的な情報から考えられる限りは、多分当たりだと思うんだけど。なんて駅だったかな、と思いながら窓の外を見ていると、そわそわしながら座っている朔太郎が口を開いた。
「テレビではねえ、お蕎麦が美味しいって言ってた」
「そうだよ」
「お蕎麦食べたい!」
「お団子も美味しいよ」
「お団子!」
「あと蒸しパンみたいなやつも美味しい」
「蒸しパン!」
「……一応言うと、声が大きい」
「え!?」
もういいや。既にバスの中に響き渡ってるし。
行ったことない場所だけど、地理的にはなんとなく知ってる場所なので、さほど迷うこともなく着いた。というか、植物園に着いた瞬間から朔太郎のスイッチが入って、歓声だけを残して残像が残るスピードで駆け出して消え、どこ行った、と思ってる間に帰ってきて、迷子防止!の声とともに手を引かれて引き摺り回されたので、植物の知識がないとか、そういったことは最早瑣末な問題だった。薔薇は流石に自分じゃ手間がかかりすぎて育てられないからねえ、なんて嬉々としながら、飛び回るという表現がまさしく当て嵌まる速さで動く朔太郎に引き摺り回されると、流石に膝が笑う。右側にいたかと思えば左に引っ張られるし、止まったかと思ったら朔太郎だけ薔薇で隔てられた向かい側の通路にいたりするから、もうほんと、わけが分からない。好きなものにかける情熱はすごいって解釈でいいんだろうか。今日が地味に暑い日だっていうのも足を引っ張っている。なんか、朦朧としてきた。
「綺麗だね!ねっ、当也!」
「……お茶買ってそこのベンチにいるから、見て回っておいで」
「薔薇にもいろんな種類があるんだよ!ほら!見て!」
「見たいなら一人で好きなだけ見てきていいから……ほんと……」

「はー!楽しかった!」
「……………」
それは良かった、と言った、つもり。言ったことにしてくれ。マジで疲れた。滅茶苦茶に、破茶滅茶に、疲れた。こいつってこんなんだったっけ。アグレッシブすぎやしないか。離れたせいで朔太郎への耐性が衰えているのをひしひしと感じる。ふらついてるわけじゃないけど心無しよれよれしている俺を見て、朔太郎が申し訳なさそうな顔をした。
「はしゃぎすぎちゃった」
「……その自覚あるんだ」
「うん。当也といる時のテンション忘れちゃって、うっかり」
地味に傷つくんだけど、それ。俺と周りとで何が違うんだ、と思ったけど、都築とか瀧川とかといる時と、俺といる時とじゃ、まあ確かに違うか。逆に、ここまでやんちゃしてるのをよく俺といる時だけ抑えてきたな。
ぐうう、と分かりやすく朔太郎のお腹が鳴ったので、お昼ご飯にすることにした。テレビでやってた!蕎麦!とぴーちくぱーちくし始めたので、別に他に食べたいものもないし、お蕎麦屋さんに向かう。ちょうどお昼過ぎだ、ちょうどいい時間。定番って言ったらざる蕎麦だけど、でも鴨南蛮とかも美味しそうだな、と思いながらメニューを捲ってたら、朔太郎も同じところで同じように目を泳がせてた。そういえば、こういう気は割と合う方なんだった。例えば、好きな食べ物とか。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
お財布とも相談して、ざる蕎麦にした。一番手頃だったし、ここで削った分だけ後でおやつとしてお団子とか食べようってことにして、手を打った。美味しい。前に有馬とも食べたことあるけど、変わらず美味しい。お蕎麦って、家でも食べれるけど、お店で食べるとそれはもう別物だと思う。食べ始めたら朔太郎がうるさくなくなったのも、味の保証になってる。
一本も残さずぺろりと食い切って、ごちそうさま。お腹も満たされたところで、まだ時間にはゆとりがあるので、せっかくだからと朔太郎に簡易的な観光案内をしてあげることにした。エリア的には深大寺だ。物見遊山の御参りくらいしたって、バチは当たらないだろう。店を出て大きいお寺の方へ向かおうとしたら、朔太郎が足を止めた。無言だ。何を見ているんだろうと目線を追ってみた。
「……………」
「……………」
「……………」
「……食べる?」
「食べる!」
そばパンを見つけて固まっていたらしい。割とローカルな食べ物だから、なんだあれは、と固まる朔太郎の気持ちも分からなくもない。俺はあんこにしたけど、朔太郎は迷って迷って、きんぴらにしたようだった。おやつ?って感じ。まあ、どうせ後でお団子も食べたいって言い出すだろうし。
「うまーい!」
「うん」
「当也の甘いのも美味しい?」
「うん」
「んふー、もふもふだー、おもしろい」
美味しいより先に面白いが立つのは多分味の感想じゃない。けど、相当嬉しそうだ。にこにこしながら、わざとちまちま食べている。気に入ったのかな。それなら良かったけど。
このルートすごく知ってる、前にも来た、青い人と、とぼんやり思いながら境内を歩き、小銭をちゃりんちゃりんと投げ入れて御参りしてきた。無病息災とか世界平和とか、そんな感じ。朔太郎は手を合わせてる時間がコンマ1秒ぐらいしかなかったので、多分特に何も願掛けしてない。挨拶程度、なのかな。うちの裏の神社では何回か丁寧に御参りしてたから、やり方を知らないわけじゃないと思うけど。興味深げにきょろきょろしていた朔太郎が、ポスターを指差して言った。
「もうすぐなんかあるって書いてあるよ」
「なに?」
「漢字が難しくて読めない」
「なにがあるの」
「お祭り的な感じじゃない?みんなで来たらいいのに」
「ふうん」
「その返事は絶対来ないやつだー」
「気が向いたら」
「ルビに、誰かが誘ってくれたら、って書いてあるのが見え見えだー」
確かに自分からは誘わないかも。お祭りとか、最も人が集まりそうじゃん。わざわざ来ない。間延びした声で朔太郎が言ったことが正に図星である。
ふらふらしてたら、いつの間にかおやつどきも過ぎた。お団子食べて、そろそろ大学に向かうことにする。けれど何故か、朔太郎は一人でお団子をたくさん買ったので、これじゃバスに乗れない。仕方ないから、歩いて少し先のバス停まで行くことにした。なんでそんなにたくさん買ったんだ。
「食べたかったんだもん」
「歩くと暑いんだけど」
「お茶飲みなよ」
「歩きたくない」
「ひよわ!」
「うるさい」

「……ゆにばーしてぃー」
「……なぜ英語」
「俺が通わない選択をした、あの例の……」
「……………」
ふわっとぼやかされても、どうにも突っ込みづらいので、やめてほしい。植物園でのことを思い返すと、もっと騒ぐのかと思ってたのに、案外静かについてくる。お寺の辺りと違って同年代ばかり、下手したら顔を知ってる程度の知り合いレベルならごろごろいるようなここで騒がれたらたまったものじゃなかったから、良かったけど。鍵が閉まってる時点で誰もいないゼミ室の扉を開けると、ほあー、と変な声がした。感嘆符を音にしたらそんな感じだろうか。
ちょっと待っててね、と一声かけてパソコンを立ち上げ、事前にファイルに入れといてもらった資料をレポートに挿入する。朔太郎は大人しく椅子に座っている。人見知り、場所見知り、どっちだろうか。どっちもしなさそうなのに。
「とーや」
「もうすぐ終わるから待ってて」
「写真撮って。もしも俺が大学生だったらの写真」
「静かに待ってて」
「自撮りは恥ずかしいからあ!撮って!」
「あと印刷だけだから」
「航介に自慢するのー!」
「自慢はいいけど……あんまり羨ましがらなさそうじゃない?」
「……よく考えたらそうだね」
机に頬杖をついて勉強してる風のポーズを取っていたけれど、あっさり諦めてくれた。かと思えば、じゃあさちえに見せる!とまた構図を考え出したので、無視した。その辺に積んである参考書籍みたいなの勝手に出してるけど、俺知らないからね。後で怒られても知らん顔するからね。
「終わったけど」
「待って!自分で撮ってる風じゃなく撮る方法を思いついたから!じゃん!その名も、セルフタイマー!」
「もっかいセルフタイマーって言って」
「セルフ!タイマー!」
「必殺技みたい」
「かっこいいポーズもする?爆発と共に」
「爆発がマジっぽいから遠慮しとく」
「背中に背負うんだよ、やってみようか?」
「まだ死にたくない」
ちゃんと片付けてから出ました。次は平日に来よーっと!とか言ってるので、丁重にお断りした。ほんっとに勘弁してくれ。知り合い、及びは顔見知りに、出来るだけ見られないように、そそくさと大学を出る。俺にとっては顔見知り程度でも、コミュニケーション能力が天元突破している有馬と、友好関係の広さが大学内では到底収まらない伏見にかかれば、余裕で「こないだ一緒に飲みに行ったあいつでしょ?」に成り得るので、危険にも程がある。
「でも大学までの道順覚えたよ?」
「もしまた黙って来たら、次からはストーカーって呼ぶし通報もする」
「やめてよ!友達だろ!」
「友達とかそういうふわっとしたやつじゃ止めきれないものもあるんだ」

「楽しかった」
「……それは良かった」
「さて、やちよが来るまでまだ時間があるわけですが」
「うん」
「よく考えたら、当也くんよ。君は、18歳で上京してしまったわけですよ」
「はあ」
「お酒も飲めない年で!さくちゃんとサシ飲みもしないうちに!」
「居酒屋ならたくさんあるよ」
「話が早くていらっしゃるー!イエー!」
そんな直接的なぼかしがあるかよ。下手くそ。勿体つけず素直に飲みに行きたいって誘えばいいのに、めんどくさいやつめ。航介に似てきたな。そこまで思って、多分半分ぐらい口に出ていて、成る程顔の朔太郎に「こういうやり口だと当也は断ることができる……」って変な知識を与えてしまった。有馬たちにもノーと言えない扱いされてたし。
「……………」
「……………」
「……どこからこんなにたくさん人来たの」
「最初からたくさんいたよ」
「暑い……座りたい……お酒が飲みたい……」
しかしながら、土曜日の夜を舐めていた。予約も無しにぽんと入れる手頃な値段のお店なんてもの、当たり前ながらなかった。もういっそ、一旦うちに帰って時間になったら駅まで母を迎えに行くのでもいい気がする。一応朔太郎に提案したら、夕暮れ時の蒸し暑さと店員さんに申し訳なさそうに断られる精神的ダメージにやられているようで、了承してくれた。席がいっぱいなので二時間後なら大丈夫ですって断られるとか、あっちじゃ無いからな。未経験。
「あれ?じゃあ、ご飯は?」
「……買って帰ればいいんじゃない」
「当也が作ってくれるんじゃなくて?」
「朔太郎、唐揚げ食べたい?」
「食べたい」
「じゃあ買って帰ろう」
「誘導尋問!」
だって面倒だから、買って帰りたい。与えれば与えるだけ食べる朔太郎にわざわざ作りたく無い。朔太郎も、唐揚げは捨てがたし……と悩んでいたけれど、帰り道に半ば無理やりお惣菜屋さんに押し込んだら、ショーケースにべったりだった。腹ぺこかよ。
宣言通りに唐揚げと、俺が個人的に食べたかった春巻きと、朔太郎が欲しがったフライドポテトを買った。なんかすごい油ものばっかりだ。野菜が食べたい。お酒も買ったけど、ほっとくと瓶をカゴに並べ出す朔太郎の首根っこを掴んで止め、捨てるのが面倒だからと缶にしてもらった。瓶、重いし。お菓子も買った。多分、普段取ってる1日のカロリー摂取量を、大幅に超えている。お腹いっぱいになっちゃう。
「何時に出たらやちよのお迎え間に合うの?」
「早く見積もっても7時過ぎとか」
「あと2時間ぐらいあんじゃん。当也、時間配分の計画立てんの下手だね」
「初っ端からサプライズだったくせになに言ってんの?」
「時間配分下手男め」
「……朔太郎って悪口言うの下手だよね」
「良い人だからね」
「そういうんじゃないし、そういうわけでもない」
「ずばっとそう言われると傷付くわ……」
だって、喧嘩になっても、「ばーか!」に始まり「おたんこなす!」「おっちょこちょい!」「すっとこどっこい!」みたいな悪口しか言われたことないし。もっと的確に人を傷付けることを言うだけの脳味噌もあるのに、有馬とか小野寺レベルの語彙力だ。良い人だからって言われたら、まあそうなのかもしれないけど、そうじゃないような気しかしない。
缶を開けて、乾杯。箸でおかずをつつき合いながら、朔太郎が今日数度目の台詞を吐いた。もう聞き飽きてきた。嘘ついてやろうか。
「知ってる?当也と二人でお酒飲むの、これが初めて」
「そうだっけ」
「そうだよ!忘れちゃったの!」
「よく思い出して。前にもあったよ」
「あれ……そうだっけ……?」
「うん」
「……やめて!惑わさないで!」
「惑わしてないよ。忘れられてたなんて、悲しい」
「えっ……ご、ごめん……!?」
「あーあ」
「待って!?嘘ついてるでしょ!」
「ついてない。悲しい」
「うぐぅ……よく覚えてないだけに、強く言えない……!」

7時を過ぎました。しばらく前に母からは、この電車に乗ってそっちの駅まで行きます、と乗り換え案内のスクリーンショットが送られて来た。そういう気遣いが出来るのなら、実の息子に知らせずに新幹線の切符を取るとか、勝手に来ることに決めてるとか、そういうことをやめて頂きたい。床に横たわっている朔太郎を揺さぶれば、うーん、と分かりやすく唸っていた。
「迎えに行くよ」
「ねむい」
「行くよ」
「……当也行ってきて……」
「一人で盛り上がって疲れて眠くなってるのは朔太郎でしょ、俺を一人で迎えになんて行かせたらどうなると思ってるの」
「道に迷う?」
「違う。やちよのテンションが爆上がりして手がつけられなくなる」
「ああ……俺も行かなきゃダメか……」
道に迷うわけないだろ、住み始めて数年経ってるんだぞ。眠そうな目をした朔太郎が、むにゃむにゃ、とはっきり寝言を言いながら体を起こした。絶対起きてる、眠くない。めんどくさいだけだ。
「おっ」
「こんばんわ!」
「……こんばんは」
「こんばんは。青くない友達?」
「はあ、まあ」
朔太郎に靴を履かせ、二人並んで靴を履けるほどうちの玄関は広くないので俺は先に外に出たら、お隣さんと会った。ちょうど帰ってきたところらしく、レジ袋をぶら下げている。朔太郎が元気よく挨拶をしてくれたので、お隣さんも半笑いだ。俺の友達がみんなうるさいって勘違いされそうで嫌だ。
「……なんかすいません」
「夜は静かにしてくれりゃあいいよ」
「お姉さん、ここに住んでるんですか?」
「さようなら」
「あっ!お名前をお伺いしないと!当也のお隣さんなんだから!」
「友好を深めなくていいから」
「あー!お隣さんのお姉さーん!」
「……今晩もうるさそうだなー」
朔太郎を引きずって立ち去る途中、呆れ声が後ろから聞こえた。うるさくしないので、大家さんには黙っといてください。

最寄りの駅に着いたら、もう既に母がいた。乗り換え案内で出たやつより早い電車に乗れたのかもしれない。ぼけっとしていた母がこっちに気づいて、ぱあっと顔を輝かせた。嫌な予感がする。
「とーちゃん!」
「あぶね」
「避けないで!お母さん寂しかった!」
「往来で飛びついて来ないで」
「さくちゃん!とーちゃんを押さえて!」
「いいよー」
「あっ、ばか、どっちの味方なんだ!」
「今だけやちよ、今だけ」
「とーちゃん!」
「やめて」
「会いたかった!また骨みたいになってる!」
「本当にやめて」
「元々骨じゃん」
「そろそろ怒るよ」
次の日、悪意の塊である朔太郎が黙って有馬に連絡をとり、止めても無駄な有馬がうちに来訪し、母と有馬の面識が深まってしまい、結果としてうちがとてもうるさくなり、後日お隣さんに「まあ、あんたのこと大好きな母親で、幸せなんじゃない……?」とちょっと引かれた。有馬くんだけ呼ぼうとしたんじゃなくて本命は伏見くんだったのに!有馬くんだけ来ちゃったんだもの!と言い訳をする朔太郎からの連絡は、しばらく無視した。お前なんか嫌いだ。


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