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執着と終着



「……………」
「……来るじゃん」
「……いるし……」
あんな当てつけがましい文章で誘って、どうせいないんだろうと思ってた。こっちに背を向けてテトラポットの縁に座っていた航介が、俺の足音に振り向く。周辺は薄暗い。彼が見ていた携帯の光がぼんやりと顔を照らして、ふっと消えた。振り向いたっきり何も言わない航介に、何の用、と聞いたけれど無視されて、無視は俺も何度もしたから怒れなくて、仕方なく近くに寄った。見上げる距離まで来ても何にも言わないから、よじ登る。わざと近づいた、鼻先がくっつきそうな距離に、航介はちょっと眉を顰めた。
「ねえ。何の用」
「……煙草くさ」
「用もないのに呼ばないで」
「用もないのに散々うち来てたやつがそれ言うか?」
「用事は作ってたでしょ」
「断ったから拗ねてんの?」
「は?」
「えろいことすんの、断ったから、ずっと拗ねてんの?」
「……は?」
思い上がりも大概にしろ、と頭の隅で怒り狂った自分が吠える。こっちを向きもしない航介に腹が立って、呼び出したのはそっちのくせに、最初に拒絶したのはそっちのくせに。今更なにその態度、やっぱり寂しくなったって?彼女に刺された傷は癒えないまま、疑いの目しか生まれなかった。穴の空いた膜はもう元には戻らないのだ。俺がお前の知らない女を抱くように、お前だって俺の知らない相手と幸せになるくせに。顔も名前もないようなモブキャラに、俺の立ち位置をすんなり譲るくせに。そんなことになるなら、好きにさせておけばよかった。思いの丈をわざと曖昧にして、どっち付かずにぼやかして、手玉に取った気になって、良い気になるよりもっと、出来ることはたくさんあった。そんなの分かってる。そんなの分かってた。ただの甘えだ。彼女に言われなくても、分かってた。
自分で取り決めたはずのルールすら守れなかった。一番簡単だったはずの二つ目のルールは、木っ端微塵に砕け散った。そこでようやく分かったのは、自分の持つ異常なまでの彼への執着だった。名前も知らない誰かさんに、航介の中の自分の立ち位置を譲れるほど、俺は大人じゃない。同じく、誰かをお前の代用品に出来るほど、器用じゃない。じゃあ、そうなる前に、手放すしかないじゃないか。どうせ忘れるのが得意な脳味噌なんだから、有効活用してやろうと思って、違うもので塗り潰して、塗り潰して。
「あのさ」
黙る俺に痺れを切らしたのか、先に口を開いたのは航介だった。ポケットから引っ張り出されたのは、ぼろぼろの携帯。通話しかできない、俺名義の、航介の携帯。俺の連絡先しか入ってないそれは、結局使われたことはほんの少ししかなくて、それが目の前にあることが嘘みたいだった。傷だらけのそれを差し出されて、当たり前のように、受け取る。まだ、航介は携帯の端を握ったままだ。
「返す」
「……うん」
「前に」
「……離してよ」
「その前に、話がある」
「返すんだったら、いらないでしょ」
「話があるっつってんだろ、いらないわけじゃないし」
「ちょうど目の前にでかいゴミ捨て場があるじゃん!」
無理やり、力任せに、航介の手を振り払って、携帯を投げた。海に向かって放物線を描いたそれに、航介が手を伸ばして、バランスを崩しかけた俺を陸の方へ押して、携帯の角に指を引っ掛けて、こっちに追いやって、そのまま、落ちた。
「……は?」
陸に残ったもの、俺と携帯。
海に落ちたもの、航介。
「……はあ!?」

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