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おはなし



太陽と月だったら、太陽寄り。晴れと雨だったら、晴れ寄り。外と中だったら、外寄り。寒色か暖色かって言ったら、暖色寄り。誰のことかって、航介のことである。寄り、っていうだけで、完全にそうではないのが、注意すべきところだ。どちらかというとそう見えるってだけ。そう見えるだけってことは、そうじゃないってこと。でも、月なわけでも、雨なわけでも、寒色なわけでも、ない。かといってどっち付かずの真ん中なわけでもない。あれは、そういう奴だ。
「……………」
「……んだよ」
「なんでも。続けたらいいのに」
「もういい」
「なんで」
「聞かれてるのにわざわざやらない」
ひねくれ者。時折思い出したかのようにアコースティックギターを触る航介は、俺でもテレビで聞いたことあるようなポップな感じの曲を鼻歌交じりに、なにやら弄っていた。弾くわけでもないらしい。つまみみたいなのをぐるぐる回して、時々ぽろんって音を出す。見られているのが嫌らしく、手を止めてしまった航介に、なにしてんの?って一応聞いたら、親父がこれ貸せって言うから、と望んだものじゃない答えが返ってきた。理由としてはそうなんだけど、そうじゃなくって。うーん、難しいなあ。
「ギター好き?」
「別に。教えてもらったから、ちょっとは弄れるけど」
「友梨音は好きでピアノやってるよ」
「楽器できる奴が全員それを好きなわけじゃないだろ」
そんなこと言ったら有馬なんかトランペット吹けるらしいぜ、肺活量あるから。そう続けられて、なんか納得した。音感がない当也でも、カスタネットくらいなら叩けるわけだし。
俺が航介の家に入り浸ることを、この家の人はなにも言わないし、うちの家族も特になにも思わないみたいだし、俺もそれが当たり前だ。それは航介がちっちゃい頃ずっと当也の家に暮らしてるみたいなもんだったとか、俺が一人でお留守番することが多かったからとか、そういう理由が重なってるんだろう。じゃあまた次、が必ずしもあるわけじゃない世界で、最善を選び取ってきた結果がこれ。ちょっとでも希望的に歩んできたせいで、俺たちはどうやら離れられなくなってしまったらしい。自分で作った未来だ、文句はない。けど、まあ。
「つまんない」
「家帰れよ……」
「俺が帰ったら寂しいでしょ」
「別に」
「またまた!このこの!」
「うるさいしうざい」
「意地張っちゃって!」
「うるさいし、うざい」
二回も言わなくていい。しかも二回目ははっきりと言い直しやがって。嫌味か。嫌味だな。喧嘩なら買うぞ。
俺個人に限って言えば、停滞が好きなわけじゃない。俺の右足と航介の左足を鎖で雁字搦めにしちゃってるから、二人で前に進めなくなってるだけで、俺一人だったらどうにかして、どうにでもなる。そう思ってたんだけど、航介は、今までずっと、踞って膝を抱え、その場で石のように頑なになって動かなかったのが、最近は不意に立ち上がってはきょろきょろして、ちょっとしたらまた踞るんだけど顔だけはきょろきょろして、みたいな、それはただのイメージなんだけど、そういう風になった。俺が出張してる間になにかがあったらしくて、それは多分彼にとってはいいことで、晴れ寄りだったのが快晴になるような、そういうことなんだろう。だからってそれが、それまで雁字搦めにしていた俺を蔑ろにすることには繋がらない辺りが、航介らしいっちゃらしい。そんなんだから俺みたいなのに浸け入れられるんだぞ、もっと気をつけろよ。
俺が帰らないと判断したらしく、抱えていたギターを所定の位置に戻した航介が、ベッドに腰掛けた。ちなみに俺は床である。くるくる回る椅子もあるんだけど、先日俺がそれに乗って高速回転してたらキャスターが馬鹿になってしまったので、下手に座ると軋む。だからお互いあんまり座りたくないのだ。致し方無し。
「何の用があって長居してんだよ」
「別に用はないよ」
「……また変なことになってんじゃねえのかと思った」
変なこと、とは。ちょっと考えたけど、思い当たる節が多すぎてやめた。野生の勘がとても優れている航介は、遡りましては中学生の頃からずっと、こっちがなんとなく秘密にしておくあれこれを掘り当ててはド正論で真ん中を打ち抜いていくので、それらのごたごたを一括した、変なこと、だろう。別にそういうのはない。ほんとにない。
「ふうん」
「心配してくれたの?こーちゃんってばやーさしー!」
「殺されてえのか」
「すいませんでした」
「お前を心配するくらいなら八千代の腹の具合を心配する」
「あの人が腹壊すっつったら生肉を五キロ食べたとかそういう時でしょ……」
要約、そんな心配は犬にでも食わす、ということか。失礼にも程があるな。
ぽちぽちと携帯をいじり始めた航介は、全くこっちに構うつもりがなさそうなので、俺も特に構わず黙ることにする。漫画読も。バスケットボールするやつ。しばらくすると、航介が部屋を出て行った。トイレかな。5000回ぐらいノックしてやろうかな。
「食うか」
「へっ?」
「ポテチ」
「……くれるの?」
「おー」
「……やーさしー……?」
「なんで疑問系だよ」
戻ってきた航介に、ぽい、と放られた袋を受け取る。でも、なんで急に食い物を与えられるんだ。お腹空いてるように見えたなら間違いだけど、でも、ほら、いや、食べるけど。再びベッドに戻ってしまった航介に、開けた袋を差し出せば、布団の上はやめろと押されて、結局航介がベッドから降りてきた。食べるんかい。
「……なんで急に優しさ見せてくんの、怖いんですけど」
「は?俺が食いたかっただけなんだけど」
「そんならわざわざこっちに投げて渡すことなくない?」
「……うーん」
「嘘ついた!今嘘ついた!」
「嘘はついてない」
「じゃあ誤魔化した!」
「だってお前がなんか変だから!また弱ってんのかと思って!」
「そう簡単に弱んねーよ!」
「ふざけんな、嘘こけ!突然ばきぼきに折れるじゃねえか!」
「ばきぼき!?」
「添え木しとこうと思って何が悪いんだよ!」
「俺のことなんだと思ってるの!?」
「めんどくせえと思ってるよ!」
「待って!それ以上喋んないで!結構傷付くから!」
大声をあげると疲れるので、閑話休題。
航介曰く。お前は前触れ無しに突然頭がおかしくなる、原因は精神的に弱ることではないかと思ったし現にそうであることが多い、そうなると面倒だから前以て予防しようと思った、どうしたらいいか悩んだが、腹が膨れれば機嫌が悪くなる原因も忘れるのではないかと考えた、そうで。お腹いっぱいになったら忘れるって俺相当馬鹿だと思われてない?と不審に感じたが、現に寝れば忘れることが多すぎるので、言い返せなかった。それもそうだなあ、としか言いようがない。
「でもほんとになんにもないよ」
「ふうん」
「信じてなーい!」
「つまんないだけならまだしも、お前が黙ってるのはおかしい」
「口を閉じることも許されない!」
「じゃあ黙っててもいいから、突然変になるのはやめて欲しい」
「そんなこと言われても困るんですけど」
「困るのはこっちなんですけど」
「……ポテチ食べる?」
「食べる」
「そうか……食べるのか……」
ちょっとこいつの考えてることがよく分からない。さっき話されたことが、なんとなく的を射ているとは、思うけれど。
昔からそうだから、どうにかならないかとずっと思ってて、でもお前のことはいつまで経っても一向に分からん。そう重ねられて、最後の言葉は聞き覚えがあるなあ、と思い返す。中学生の時だったっけな。とぼけなくても本当のことだ。お前がなに考えてるのか全然分かんねえ、と切れられたっけ。今だから、思い返してもそんなに感慨もないけれど、ちょっと前までは忘れようとしてた。寝たら忘れる、便利な脳味噌で。まあ、ちょっと誤魔化してみようかな。腹が立つと航介に大評判の、肩を竦めるすかしたポーズを取ってやった。
「こちらとしましても、まあ?分かってもらいたくはないけど?」
「あ?」
「あっ、はい……」
誤魔化し失敗。取りつく島も無し。普通に怖い顔された。当たり前だけれど、信じてもらえるわけもない。付き合い長いし、そんなもんだとは思ってたけど。
中学二年生の時。まあ、ざっくり言って、俺の苗字が変わった時のことなんだけど。何度も航介には叱り飛ばされている俺だけれど、その時ばかりは茶化し誤魔化しは無しで、ちゃんと話した覚えがある。というか、それ以外に方法はなかった。逃げることは許されない、どうしようもなく当事者は自分で、この先の全てが掛かっていたことだから。自分でも訳分かんない我儘で周りに当たり散らしていたとは思うし、それを見て見ぬ振りせず一手に引き受けて、俺のことを力任せにぶん殴り、無理矢理にでも前を向かせた航介は、今更ながらとんでもない奴だとも思う。その時にも、お前がなにを考えているのか分からないと怒鳴られたし、やりたいことがあるならはっきり言えと叱られたし、どうしようもなくなる前に相談しろとぶち切れられた。俺もそれに言い返して怒鳴り散らし、号泣に次ぎ流血沙汰で殴り合いの喧嘩になった。未だに、俺の気持ちは航介には理解し難いし、航介のように割り切って考えることは俺には不可能なままだ。それは、お互い全く真逆なところだから、真似しようとしたって一生無理。逆立ちしたってそうはなれない。よく覚えてる。あんなの、眠ったくらいじゃ忘れられない。忘れようと努力はしたけれど、無駄な足掻きだということは自分が一番よく分かっていた。吐き気がするほど特別で唯一の思い出。
考え込む俺の無言に対してなにも思うところはないのか、ポテチの袋がいつの間にか空になっていた。てめえ、こっちの気も知らずに自分ばっかり食いやがって。一つ溜息をついて、そんなもんだよなあ、と思う。まあ、そんなもんぐらいが丁度いいのだけれど。
「なんていうか、分からなくていいんだと思うよ」
「……分かりたくもないけどな」
「どう頑張っても他人にはなれないからねえ」
やり直しも、生まれ変わりも、巻き戻してここから再生も、できない。この世界は現実で、ゲームじゃないからね。今度はうまくやろうと思ったって、今度はないかもしれないわけだし。だから、なんとか諦めないように、上手くやれるように、選びながら生きていくのだ。
ここにある太陽もどきは、走り出しそうな勢いを身体の中に押し込めたまま燻っている時間が長すぎて、消費期限が切れた。中身ぐちゃぐちゃで食えたもんじゃない俺と一緒だ。航介が前を向いたところで、二人揃って足を括って、よーいどんから進めないもので。お互い頭悪いなあ。中学二年生から成長してないどころか退化しているのではないかと不安になる。
「基本航介の声は聞こえてるから大丈夫だよ」
「……なにが?」
「変になっても、ちょっと間違えちゃっても、航介が戻してくれれば俺はなんとかなるから、大丈夫」
「やだよ、巻き込むなよ」
「いいじゃん。乗りかかった船じゃん」
「お前急に馴れ合おうとするから気持ち悪い」
「喜べや」
「帰って欲しい」
「窓はやめてね」
「大人しく玄関から帰ってくれたら窓から放り出さなくてもいいんだけどな」
「窓から放り出す選択肢を早いとこ失ってくんねえかなー!」


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