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mellow


「あのねえ、矢野ちゃんはすごいんだよ」
例えば、で出てくる話の量が半端じゃない。榮の「矢野ちゃんはすごいんだよ」シリーズは、多分デアゴスティーニで一月いくらって売り出しても余裕で数年単位続けられるくらいある。小学校の時のこと、中学校の時のこと、高校大学現在、ならまだしも、よくそんなこと覚えてるなってレベルの、小学校入学以前ぎりぎりの話をしたりもするのだ。ちなみに俺は全く覚えていない。榮の話でしか、俺は自分の過去を知らない。榮は記憶力がいいから。
今回の標的は、先日小学校にタイムカプセルを取りに行った時ばったり会った畑瀬、現在は辻に苗字が変わったらしいので辻、だった。というか、榮の「すごいんだよ!」は誰が相手でもいいのだ。下手をすると本人に直接「矢野ちゃん聞いてよ!矢野ちゃんってすごいんだよ!」をかましてくる。馬鹿だ。そんな状態なので、俺が隣にいても構わず、榮は辻に俺の過去話を嬉しそうに話している。辻はにこにこ聞いてくれるタイプで良かったな、榮。今度飲みに、と約束した初回でよく榮が「すごいんだよ!」を我慢できてたとすら思う。ちなみに今回は二度目ましてだ。俺はともかく、この二人は案外話が合うらしい。
「それでねえ、矢野ちゃんはいつもそうなんだけど、お休みの子がいると必ずプリントを届けてくれるんだ」
「……先生に頼まれた時だけだ」
「良い人だねえ」
「そう!良い人でしょう!そんな矢野ちゃんが俺は大好きなんだなー、すごいと思うんだ」
「なあ、おい。先生に頼まれた時だけだ」
「そして矢野ちゃんは、なんと、お休みの子が飼育係だったりすると、その子の代わりに兎の餌やりも黙ってやってくれるんだ!」
「それは兎が可哀想だからで」
「すごいよねえ、辻ちゃん、矢野ちゃんのことが大好きになっちゃうでしょう」
「ははは、そうでも」
「でっしょー!」
ご覧の通り、「すごいんだよ!」モードの榮は人の話を全く聞かない。俺が途中で口を挟んだのも、辻がそこまで同意してないのも、全く聞いてない。突っ込み待ちだったらしい辻が、尚も話を続ける榮を指差してこっちを見たので、首を振っておいた。今は無駄だ。
「おい、榮」
「高校生の時に矢野ちゃんが女の子に告白されたんだけど断ったんだ、その時の断り方がこれまたかっこよくてねえ」
「榮、お前がどこでそれを聞いてたかとかは聞かないでおいてやるから、榮」
「女の子がここに、あっ辻ちゃん女の子役やって、俺が矢野ちゃんやるから、えっ!?俺が矢野ちゃん!?」
「榮、煙草買ってきてくれないか!俺は足が痺れて立てない!」
「オッケーいつものやつね!」
「……榮くんはすごいな……」
「……頭の螺子が緩んでるんだ……今は尚更」
「足が痺れて立てないってあんなにかっこよくいう人もなかなかいないけど」
「いくつか試したけれど、あれが一番言うことを聞くんだ」
「てことは常套手段かー……じわじわうけるなー、君ら……」
走り去った榮の方を見た辻が、告白の話はそんなに聞かれたくなかった?と茶化したので、そんなんじゃないと首を振った。あの話の落ちとしては、好きな人がいるからと素気無く振った俺に尚も言いよる彼女に、そんなに一生懸命になれるなら別のものを好きになったらどうだと俺が呆れ半分で言ってしまったがために、じゃあ別のものをと探し出した彼女が行き当たったのがダンスで、その後彼女はプロダンサーとして有名になり今は海外でトロフィーを両手に抱えているらしい、というものである。そりゃ、言いようによってはきっかけは俺かもしれないが、ほとんど彼女の才能である。榮が盛り上がるほどすごい話でもなんでもない。どちらかというと、俺関係ないし。
「矢野ちゃんはすごいんだよー、で聞くと、矢野ちゃんがすごい話になんでも聞こえちゃうけどね」
「……すごくない」
「榮くんは矢野ちゃんがほんとに好きなんだねえ」
「……辻、良いことを教えてやろうか」
「ん?」
榮の得意技は、嘘をつくことだ。
誤解のないように言い訳をすると、なにも榮が嘘をついているわけじゃない。プロダンサーの彼女しかり、兎の世話しかり、榮の語る俺がしたことは全部真実だ。彼に語られると、俺ってすごかったんだなあ、とすら思う。思い込まされる。「矢野ちゃんってすごいんだよ!」って気持ちが、榮の本心ではないこと。それが榮の吐く嘘だ。全くさらさら、そんなこと思っちゃいない。あいつは大嘘吐きで、歪んでいて、俺のことなんかこれっぽっちも好きじゃなくて、どちらかと言えば大嫌いで、いなくなれば良いと思っていて、なのに何故か俺のことを支えにしていて、いなくなられると困って、俺のことが大好きなのだ。矛盾している。壊れている。それこそ、腹を抱えて笑ってほしい。そんな榮壮斗に、矢野心は惹かれているのだから。
「なに?」
「……榮が、小さい時、大きい犬に触ろうとしたんだがな」
そんな余談、言えるわけもないので、誤魔化しの常套句に成り果てている、「子どもの頃、榮が大型犬に触ろうとして跳ね飛ばされ、挙げ句の果てには上に乗っかられて逃げられずにギャン泣きした」という話をしておいた。辻には大ウケだったし、途中で帰ってきた榮には真っ赤になって煙草を投げつけられた。
「矢野ちゃんの馬鹿ー!その話しないって言ったのに!」
「痛い」
「今もちっちゃいもんねえ、ぷぷぷ」
「辻ちゃんに言われたくなーい!」
「……おい、榮。これ、間違えてるぞ」
「いつものでしょ!矢野ちゃんが死んだ目で吸ってるところを見る俺が好きなやつ、要するにいつもの!」
「それはお前が好きな銘柄だろ……」

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