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mellow


「みいぢゃん、がぜびいだ」
『うける』
「ごろず……」
『旦那は?』
「ゔぢあわぜ、じゃまじだぐない、でんわじでない」
『はははは』
「ぶぢごろず……」
電話口で大笑いしているのは、腐れ縁の幼馴染で大親友のクソゴリラ女である。でもまああたしも、みーちゃんからこんな声で電話かかってきたら、めっちゃ笑うけど。
一頻り大笑いしている声を、枕に顔を埋めながら聞いた。受話器を耳から離してるのに聞こえるくらいの声ってなんだよ。でかいんだよ。ぜえぜえ言うまで笑ってくださったみーちゃんの野郎様は、で?とトーンを変えた。
『熱は?』
「……あがっでぎだあ……」
『そういう時は自分のお母さんに先に電話しなさいよ』
「……じんばいがげだぐない……」
『馬鹿』
ピンポンするまで寝てろ、と言われて、蚊の鳴くような声で返事をした。家同士もそんな遠くないし、みーちゃんがこの時間なら空けれることも知ってるし、車で来てくれるはずだから、大丈夫、大丈夫。ぼおっとする頭で、大好きなあの人を想う。響也さん、無事に打ち合わせ、出来たかしら。あたしには、響也さんのお仕事は難しくてよく分からないけれど、昨日から胃の辺りを押さえていたから、きっととても大事な打ち合わせだったはず。ここ3日くらいずっと雨が降っているから、スーツを濡らして、くしゃみなんかしていないかしら。昨日から咳が酷かったあたしのことを心配して遅刻しそうになっていた優しい貴方のことだから、傘のない子どもとかに自分の傘を渡しちゃったりなんかして、びしょびしょで途方に暮れていたら、どうしましょう。いつもだったら何処へだって、八千代は助けに行くのに。響也さんが困っていたら、それを支えるのが、あたしに唯一出来ることなのに。風邪引いて、心配する貴方に意地張って頑張って、彼が家を出た途端にぶっ倒れて、高熱。ざまあない。無理をするからそうなるのだ。けど、意地を張って元気なふりをしたことに、後悔はない。だって響也さん、寝込む八千代を放ってなんて行けないでしょう。あたし、邪魔にだけはなりたくないの。大好きな貴方の大好きなお仕事、あたしだって大事にしたいの。
人恋しくて、寒くて、寂しくて、涙が出そうになった頃、ようやくみーちゃんがピンポンを鳴らした。よろよろしながら玄関を開ける。
「……あざす……」
「すげえ顔」
「……さぶい……」
「寝てろ寝てろー」
和成で看病は慣れた、とあたしを軽々ベッドに戻したゴリラ、じゃない、みーちゃんは、てきぱき氷枕を用意して、分厚いお布団をかけて、コップにたっぷり水を入れてくれた。そういえば、水も飲んでない。
「病院行く?」
「……びょ、いん、ぎらい」
「知ってる。しばらく冷やして下がらなかったら行こ」
「ざげる」
「勝手に上がった体温なんだから勝手に下がるよ」
「……ゔ」
「なんか食った?」
「……………」
「うどんか米」
「……ゔどん……」
ぐごごー、と鳴ったお腹の音に、みーちゃんが部屋を出て行った。置いてかないでよお、とは言えなかった。一人が寂しいとこんなに思ったことはない。あんまり病気しないから、こういうイレギュラーに滅法弱いのだ。
「ほら、飯」
「……………」
「ありがとうは?」
「……………」
「無言で食うな」
「……………」
「無言で泣くな」
薬を飲みなさい、と市販薬を渡されて、飲んだふりして捨てた。薬とか、病院とか、好きじゃないんだもの。みーちゃんだって知ってるくせに。ちゃんと治すから見逃して、神様お願い、と布団の中で手を組んでいると、どうやら目が節穴のみーちゃんは気がつかなかったみたいだった。よっしゃ。
「帰っていい?」
「……やだあ……」
「やっちゃんの面倒見てるせいで和成の面倒見れなくなるんだけど」
「……じゃあ、がえっでいい」
「オッケー」
とか言ったくせに、出て行ったはずのみーちゃんが、台所を片付けている音がする。しばらくするとテレビをつける音もした。居座られている。お腹がいっぱいになって、あったかくて、疲れて、眠たくなってきた。喉が乾いたらみーちゃんを呼べばいいや。寝てる病人残して、何も言わずに勝手に帰っちゃうようなやつじゃない。

ふと目が覚めたら、部屋は真っ暗だった。しとしとと雨の音がする。どれくらい寝てたんだろう、時計も見えないから分からない。乾いて掠れた声で、みーちゃん、いるでしょ、みーちゃん、と呼ぶ。ばしばし布団を叩いて、ここからはてこでも動かんと甘えたアピールをしていると、部屋の扉が開いた。
「おそーい!みーちゃん!やっちゃんが呼んでたら、たとえ呼んでなくてもすぐ、に……」
「……悪い、遅くなって」
「……き、ょ」
「あ、起きた。じゃ、帰るわ」
ぱたぱたと髪の毛から雫を落としているびちょびちょの響也さん越しに、さっさとみーちゃんが去って行くのが見えた。呼び止める声すら出ない。ばたん、と玄関扉が閉まった音に被さって、濡れ鼠の響也さんが、口を開いた。
「……どうして連絡しなかった」
「ぁ、え、お邪魔かなって……」
「家から職場に電話があった。お前が熱を出して寝込んでると、美和子から」
「……ごめんなさい……」
「違う」
深く溜息をついた響也さんが、髪の毛をくしゃくしゃにして、あたしを抱き寄せた。少し震えている手に、謝るのはこっちの方だ、と低く唸る彼の、珍しくごちゃごちゃに混ざった心の内が透けて見えたようだった。
「……響也さん、こんなに早く、どうやって帰ってきたの」
「……タクシー」
「なんでこんなに濡れてるの」
「……傘は忘れてきた。タクシーの運転手が、家の近くまでは道が分かるが、そこからは曖昧だと言っていたから、降りて走ってきた」
「やっちゃん、そんなに重大な病気になんてかかっていませんよ」
「お前、熱なんか出したことないだろう……熱はだめだ、熱は。あれは、生きる力を奪う」
「……響也さんにとっては熱ってそんな恐ろしいことなのね……」
「……へ、っくし、っ」
「あ!響也さん!くしゃみ!」
「わ、分かってる、というより八千代、熱は下がったのか、元気そうに見え」
「響也さん寝て!早く!熱が出る前に!」
「は!?なに言ってるんだお前、ぶわっ」
「一緒にお布団であったまりましょう!」
「せめて着替えさせてくれ!寒い!」
あたしが、響也さんを呼ばなかった理由を告げたら、そういうところがお前のいいところだ、と呟いた響也さんが、真っ赤になってしばらくして、そういうところが俺は好きだ、と言い換えた。あたしも、そんな響也さんが、大好き。


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