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mellow


くっついてます



「こっち向いて」
「や、やだ」
「向けって」
「嫌だ」
「一番に見せるって約束したろ!」
「う、後ろからでも、切ったことは分かる」
「そうじゃなーい!」
髪の毛を切ろうかな、と弁当が、ふと思いついたように零したのが、昨日のこと。明日休みだし、いいんじゃない?って俺は答えた。その言葉の最後に俺はちゃんとくっつけたのだ。「切ったら一番に見せろよな!」って。それって、こう、大学生からの恋人として、同居までしてる彼氏として、言って然るべき言葉なのではないだろうか。当然、弁当もオッケーした。断る理由も見つからない。うん、いいよ、って頷いた。
そして今日になって、二人揃ってお休みだったから一緒に行っても良かったんだけど、弁当が嫌がったから俺はお留守番しておくことにしたのだ。しかも、ただ留守番するだけじゃない。風呂掃除もぴかぴかにしたし、乾いてる洗濯物も畳んだ。すごく良い子、弁当は絶対褒めてくれる、とうきうきしながら待ってるうちに、俺はうたた寝してしまって、鍵の回る音で目が覚めた。頬っぺたが妙に痛いので、多分変な線がついている。かっこ悪い。それを擦って隠しながら、おかえり!と声を上げた俺に、何故か背中を向けている弁当は、びくりと肩を跳ねさせた。最初は、顔を見てくれないのは頬っぺたの線のせいかと思ったんだけど、しばらくして分かった。
こいつ、髪の毛切りすぎたな。
「なあ、一生俺に背中しか見せないつもり?」
「……お風呂入ったら、なんか変わるかもしれないし……」
「変わんねえよ!切っちゃったもんは戻ってこないの!」
「やだ、うぅ、いやだ」
「向けー!こっちをー!」
「待って、せめて、もうちょっと心の準備を」
ぐだぐだと逃げる弁当は意外と俊敏で、背中を向けられているプラス、両手で顔を覆っているせいで、ほとんど前から見た図が分からない。そんな意地になることかよ、どうせ早かれ遅かれ見るんだぞ。肩を掴んで引っぺがそうとしたら、振り払われた。ねえ、有馬くん、ちょっとショックなんですけど。
ぐるぐるしているうちに、洗面所まで来てしまった。弁当は気づいているのだろうか。前がそんなにはっきり見えているようでも無さそうだから、自分が今家のどこにいるのかいまいち分かっていないのかもしれない。鏡の前で方向転換した弁当を後ろから捕まえると、ひぃ、と怯えたような声を上げられた。勝手に追い詰められてんの、そっちだからな?俺なんにも悪いことしてないからな?
「弁当がそんなんじゃ、明日からお仕事がんばれません!」
「が、がんばってください……」
「がんばれませーん!うらあ!」
「あっ、待って!」
後ろから、渾身の力で弁当の両手を万歳させると、やっぱり前に鏡があることには気づいていなかったのか、ぎゅっと目を瞑っていた。黙る俺に、恐る恐る目を開けた弁当が、自分が映る鏡を見て、自分越しに映る俺を見て、ぱかりと驚いたように口を開けた。おお、珍しい。レアだぞ、びっくり顔。
どうやら、切りすぎたのは前髪らしい。全体的に短くさっぱりとはしているけれど、そんなに違和感はない。逆に言えば、今までだったら有り得ないくらい短くされている一点は、前髪だけだ。そもそも目にかかりそうなくらい長かったし、弁当が長めの前髪じゃないところは見たことがなかったので、ちょっと俺もびっくりしたけど。
「……似合ってんじゃん?」
「……………」
かああ、と音を立てるように、弁当がみるみるうちに真っ赤になった。前髪がないから、うろうろする瞳も、前よりも良く見える。持ち上げられている手を離そうと抵抗し出したので、片手だけ離して、短くなった前髪を上げた。
「俺、実は弁当のおでこ好き」
「……なんでそんなとこ……」
「見やすくなったなー」
「……も、もういいでしょ。離して」
「おでこっていうか、顔が見える。うん、目とか、いいな」
「離してってば……」
「弁当の目、見える、俺、嬉しい」
「……全然聞いてない……」


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