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おはなし



「弥生さんは怒っているー!」
「……突然呼び出して何……」
「怒っているのだー!」
「ねえ」
涙声で、半田お願い今すぐ来て、大変なことがあったの、弥生さんを助けて、なんて電話が来たから、チャリンコ飛ばして来たのに。全然大変そうじゃないじゃん。がおー!とポーズをとって怒りを表しているので、気が抜けた。
ちなみになんでチャリ飛ばしてこれたかって、弥生さんが彼氏と暮らしているボロアパートとうちの実家が近いからである。単純。おかげで高校を卒業してからも付き合いが続いているわけだけど。
「おい」
「半田!」
「なんだ」
「聞いてよ!弥生さんの叫びを!」
「そういえば彼氏は?」
「あの野郎のことなんか知らねえよ!」
「おおう……喧嘩したの……」
弥生さんの彼氏は、超優しそう、真面目そう、正義感に溢れてそう。弥太さんっつったっけ。結婚したら弥太弥生になるの♡弥の字が多くてもう訳が分からない♡ってめろめろしながら弥生さんが言うから、流石に笑った覚えがある。もちろん失笑である。
「どこ行ったの、彼氏。仕事?」
「非番!だけど追い出してやったわ!棒でつついて!」
「怖え女」
「だってさあ!聞いてよ半田!」
「さっきから聞いてる」
「弥生さん浮気された!」
「……は?あの品行方正な良い子ちゃんに?」
「そお!貴斗のやつ!良い子ぶってとんでもねえ野郎だったの!」
「いやいや。いやいやいや、あのお巡りさんそんなことできないでしょ、しかも弥生さん相手に」
「相手が男なのー!」
「……は?」

弥生さんの話では。
「貴斗が知らん男に連れ回されてたの」
「弥生さんには、仕事が長引いたって連絡してきたのに」
「あの人見知りでどこまでも良い人な貴斗が知らん男に怒鳴って」
「でもでも、楽しそうだったの」
「そして!夜の街に消えたの!二人で!」
「しかもその日貴斗は朝帰りしたのお!」
「きっとワンナイトラブで非処女になったんだー!わあー!」
だそうで。まず第一に、自分の彼氏をよくそんな呼び方できるなと思った。非処女て。おい。まあ確かにあの人、食うか食われるかと言えば食われる側っぽいけど。しかも弥生さんガチ泣きだし。ほんと脳味噌変わってんな。終わってんな、の方がいいかな。
「で?」
「……ええと、俺、弥生さんに呼ばれて、帰ってきたんですけど……」
「そうだね」
「あっ、弥生さんと直接話させてはくれないんですね……はああ……」
「いや、あの子が、直接顔合わせたら最悪の場合右拳が唸っちゃう!って言うから、それはまずいとおもって、ワンクッション」
「ひい」
「こないだも三段蹴りされてたじゃん」
「全部誤解です、浮気なんて」
「まあ、そうでしょうよ」
イン、弥太さんと弥生さんの愛の巣。いるのはあたしと弥太さん。なんでや。ちなみに弥生さんは実家に帰った。このシチュエーションであたしとこの人が二人っきりって言うほど意味のわからない状況あります?
わあー!って泣いた弥生さんに、まあ取り敢えず話し合ってみなよ、弥太さんは弥生さんと別れるつもりなんてないよ、と適当なことを並べ立てて伝えれば、5秒で泣き止んで、それもそうかも!弥生さんを捨てるとか有り得ないの極み!とか宣い始めたのが先ほどの事。有り得ないの極みってことはないし、もしかしたら弥太さんの本命はそっちで弥生さんがキープなのでは?と思わなくもなかったが、まあそれは言わないでおいた。だって弥太さんいつまで経っても他人行儀だもの。敬語抜けないし、弥生さんの言いなりだし、されるがままだし。そして、冷静になって話し合うことを決めた弥生さんだったが、そもそも弥生さんの頭の中には冷静なんて単語は存在しないので、
「じゃあ、半田がまず貴斗から話を聞いて、その話を半田がご精査して、弥生さんが怒り狂わない内容だったならば、次のステップで半田と弥生さんと貴斗で話し合いをしよう?」
とか言い始めたのだ。お前ら二人の話し合いはどこに消えたんだよ?と思う。心の底からそう思う。
「弥生さん、怒ってますか」
「まあいつもの感じだけどね」
「うう」
「友達とふざけてたとこ見られただけで浮気扱いする方も狂ってるから、気にしなくていいんじゃない」
「……でも、俺が一晩帰らなかったことは確かですし……」
「カラオケオールとかでしょ」
「いえ……」
「……うん?」
「……あの……」
「なに」
「……俺!その日、」
「えっ待って、待って、ストップ」
「はい」
「ご精査できない。半田には無理。それ以上の真実は弥生さんに直接言って」
「ど、どういうことですか!?」
「ガチのやつは無理」
「ガチもなにも、俺はいつだって真剣です!」
「だから困るんだよ!あんたがそんなんだからこっちは困ってんの!」
「ええ!?」
嫌な言い澱みに嫌な予感がした。あたしが知る限りでは、弥太貴斗という男は良くも悪くも、クソ真面目なのだ。兎に角、嘘がつけない。どうやらカラオケオールとかじゃない疚しい理由があるらしい上に、「とか」って範囲を広げてやってるのにも関わらず、さもそうじゃないんだと否定しにかかりに来られると、流石に構える。そんな重い理由は半田には聞けません。弥生さんと直接話してください。本命の男がいるならそう弥生さんに言ってください。あんたみたいなふにゃふにゃ流されやすい系もやし男を好きになる胆力のある男もこの世界にきっといるのでしょう。
「違います!そういう、えっと!俺は男が好きなんじゃないんです!」
「そうなの。でももう聞けない、無理」
「なんでですか!弥生さんにきちんと伝えてください!」
「男じゃないなら本命の別の女がいるということかな」
「それも違います!あの時一緒にいた人は探偵さんで」
「探偵!?怖っ、興信所に依頼するなにかが弥生さんにあるってこと!?余計言えないわ!」
「そんなことないです!違います!お願いだから話を聞いてください!」
「いやいやいや!巻き込まないで!弥生さんのことは説得してあげるから二人で話して!」
「半田さん!」
「ひぎゃー!押し倒さないで!」

正直に全部話した。弥生さんと直接話したいって最初は言ってたとか、一緒にいた男は探偵だとか、カラオケオールとかではないらしいこととか、男が好きなわけじゃないとか、最終的に議論がヒートアップしてやけくそになった弥太さんに押し倒されたこととか、全部。
「弥生さんの愛した貴斗はもうどこにもいないんだああ、わああああ」
「嘘泣きしないでよ」
「嘘じゃないもん!見て、この涙!」
「うわ、汚ねえ顔」
「非処女でクソビッチな貴斗が一晩で爆誕してしまったんだ、うええええん」
「……そんな警察がいたら世も末だよ……」
鼻水と涙と涎と汗、らしき汁が混ざったべちゃべちゃの顔で、ぎゃーん、と泣いている弥生さんを、一応慰める。よしよし。だからもう二人で話したらいいじゃん。
「二人きりになんてなったら貴斗を一回殺して元の弥生さんの貴斗が再構築できるように錬成するしかないじゃない!」
「手合わせ錬成でもするつもり?」
「弥生さんまだブタ箱には行きたくないいい」
「あっ、そっち……」
「うええん」
「……じゃあもう別れればいいじゃん。弥生さんが泣いてると、調子狂うよ」
「……半田が?」
「そう」
「……泣き真似でもー?」
「そう」
「……えー?」
馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、まじもんの馬鹿だ。にやあ、と嬉しそうに笑った弥生さんは、半田がそこまで言うならあ、とくねくねし始めた。そこまで深い仲になった覚えはねえよ。こっちから呆れ半分で見られていることには気づいていないのか、弥生さんはにまにましたまま、それならもういっそ別れちゃおうかなあ、貴斗よりも半田の方が弥生さんを大事にしてくれるかもしれないし、と非常に恐ろしい選択肢を提示しだしたので、半田にそこまでのポテンシャルはないよ、と遮りたかった。遮る前に、まあやれるだけのことはやろう。
「弥生さん、でも半田は思うよ」
「なあにー?」
「弥太さんは何か言いたげだったよ。きっとそれはあたしには言えないことで、弥生さんに直接言いたいことだったんだよ」
「……ほお?」
「別れるにしてもさ、最後に話を聞いてやりなよ。弥生さんがキープで本命が他にいるって言われたら」
「言われたら?」
「持てる手全てを使って痛めつけることを許すから」
「えー!?半田がそれを許すのー!?」
「許す」
「弥生さん楽しみー!」

後日。弥生さんに呼び出されて家に行ったら、玄関ですれ違った。飲み物無かったから買ってくる、貴斗がいるから遊んであげてね、と言い置いて出て行った彼女に頷いて、弥太さんに詳しい経過を聞くことにした。
「なにされた?」
「……ヒールホールドを……」
「なにそれ」
「膝の靭帯をねじ切る技です……」
「痛かった?」
「泣き喚きました」
「あっはっは」
「話を聞く前に、家に帰ってきた時点でまず技をかけられました」
「ああ、あたしがなにしてもいいって言っちゃったからかも。ごめん」
「いえ」
痛みには慣れてますので!とはきはき真面目に答えられて、常識人に見えるけれど弥生さんとやっていけてる時点でこいつも十分頭がおかしいな、と思った。弥生さん絡みじゃなければ常識人の部分が発揮されるのだろうか。あたしは弥生さん絡みの弥太さんしか見たことがないので分からないが。なんて思ってたら、何故かずっと正座の弥太さんが、急にでかい声を張り上げた。
「半田さん!」
「うわなに、また押し倒したら今度こそ弥生さんに刺されるよ」
「弥生さんに俺とちゃんと話すように言ってくれて!ありがとうございました!」
「……ひえ……」
「半田さんのおかげです!」
「……怖……そこでありがとうが出る精神めっちゃ怖い……」
「え!?なんですか!?」
「うるさい!声がでかい!」
「あっすいません」
「別にいいよ」
「はい」
「膝の靭帯ねじ切れた?」
「しばらく歩行に支障が出ました」
「うける」
「けど業務は支障なく行いました!弥生さんの力加減に、優しさを感じました!」
「……なんで弥生さんにそこまでべた惚れなのか、あたしには分からんわ」
「人と少し違うところが、好きです」
「あんたも大概変わってっけどね……」


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