このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

おはなし



*くっついてます



どこに居たって、見つけ出せる自信があった。あっちだって、そうだと思った。

それはただの夢で、俺はあんまり夢なんて見ないから、どこか俯瞰から観察していることが気持ち悪くて仕方がなかった。いつも通りっぽい生活が自分の手の外で広がっていて、自分らしき人はそこにはいなかった。みんないるのに、俺だけいない。仲間外れにされた気分だ。一人ぼっちにされることには慣れていないので、率直に言って、気分が悪かった。
「おはよ」
「おはよう。小野寺は?」
「寝坊。置いてきた」
「……起こしてあげればいいのに」
「やだよ、めんどくさい。朝っぱらからべたべたされんだよ」
「嫌じゃないでしょう」
「嫌だよ」
「嘘ついてる」
「嘘ついてない!当也!」
弁当、って呼ばれてない弁当と、どこか角の取れた伏見が、笑いあっている。きっとこの伏見とあの弁当は、俺の知ってる伏見と弁当より、近くて、仲良くて、いろんなことを話したんだろうな、って思った。
二人の周りには人がいて、俺はいなくて、周りの友達らしき人たちと弁当は楽しそうに話していて、どんどん心が荒んでいくのが分かった。俺がいないのにそんなに楽しそうにするんだ、と腹が立った。しばらく経って小野寺も来て、二人は三人になって、四人にはならなかった。早く目が覚めろと念じていた俺は、そこでふと気がついた。気がつかない方が、良かったのかもしれない。
「小野寺、昨日借りたゲーム。ありがとう」
「えっ!?もう終わったの!?」
「終わってない」
「ええ……つまんなかった?」
「……そういうわけじゃ」
「逆、逆。当也、買うことにしたんだって」
「ほんと!?」
「……わざわざ言わなくても」
「さっきすげえ嬉しそうに言ってたじゃん、あれは自分でクリアしたいだのなんだの」
「う、うるさい」
「続編が今度出るんだよ。あと、漫画にもなってるし、うちにあるから今度持ってくる」
「うん……」
「こいつみんな知ってたよ、さっき俺聞いたもん。調べたんじゃね」
「……そんなに気に入ってくれるとは思ってなくて……」
「そ、そうじゃない。そういうんじゃない」
「なんで好きなこと隠すの」
「伏見にだけは言われたくない」
「伏見がそれを言っちゃいけない」
「は?なんなの?怒らせたいの」
楽しそうだ。俺がむかつくくらいに、心から。弁当だけじゃなくて、小野寺も、伏見も。俺がいない方が、楽しそうだ。えっ、あれ、ちょっと、待って。これは俺の夢なんだから、いずれは弾けて消えるはずだ。この苛立ちも、ぐるぐると塒を巻く嫉妬も、全部消えて無くなるはずだ。そうだろ。そうだよね。そうだ、と誰かに肯定して欲しかった。誰にも感知されない今の俺にそう言ってくれる人は、いない。
もしも、これが夢じゃなかったら。こっちが本物で、あっちが夢だったら。そう思った。思ってしまった。こっちを見ようともしない弁当が笑うたびに、内臓を握り潰されたような気になった。

誰でもいいから誰か、たった一人だけでもいいから、俺のことを認識してくれる人はいないかと思って、探し回った。弁当も伏見も小野寺も駄目で、家族のところにも行ったけど、かなたは一人っ子になってた。他にも誰かと思って、高校の時の友達のところにも行って、叶橋も行原もこっちを見ようともしなかった。当たり前だ、何にもない虚空を見つめるやつなんてそうそういない、変わり者だろう。三野瀬も椎名も梶原も、どこを彷徨っても誰も、俺のことなんて見やしない。それを「楽でいいや」と思えたらいいのかもしれないけれど、俺にはただの地獄にしか思えなかった。
「じゃあね」
「明日ねー」
結局、弁当のところに戻って来てしまった。ここが一番傷つくくせに。伏見が小野寺のことを足蹴にしながらきゃんきゃん吠えて、二人で歩いていくのを見送った弁当が、ちょっと笑って踵を返した。
名前を呼んで欲しいと思い続けるうちに、自分の名前がどんなだったか分からなくなってしまった。自分から話しかけようと思って、そこではじめて、自分の声がどんなだったか忘れていることに気がついた。体って、どんなだったっけ。俺って、どんなだったっけ。他人に認識されていないせいで、自分がどんなものだったかも、見失ってしまった。ただただ、弁当についてって、知ってる道を歩く彼の背中に必死ですがりついて、見慣れた玄関に滑り込んだ。ここに帰って来たら、おかえり、って言ってもらえてたのに。玄関を飛び出す程にどうしようもなくすれ違ったことも、心から愛していると伝えたことも、全部がこの部屋であったはずのことなのに、そんなの嘘っぱちで、みんな真っ暗に塗りつぶされたみたいで、恐ろしかった。そもそもそんな事実は存在しなかったんじゃないかと思うと、有りもしない足元がぐらぐらした。気持ち悪い。早く、触れて、呼んで、俺のことを見つけ出して欲しい。きっとそれだけで、その一瞬だけで、ハッピーエンドになるのに。
一人暮らしの日常を普段通りに過ごす弁当の顔には、「まあこんなもんか」って書いてあるみたいだった。俺といる時には、そんな顔絶対にさせない、させたくない顔だった。俺がいないとそうなっちゃう癖に。早く俺のこと見つけてくれないと、世界がどんな風に綺麗かとか、幸せってどんなものなのかとか、手から零れ落ちる程沢山の「こんなもん」に収まらないいろいろとか、知らないままお前は生きていくんだ。
ただじっと、じいっと、弁当の横顔を見つめながら、時間とか視界とか、そういうものが溶けて流れていくような、そんな感覚に襲われた。いいよ、ずっと、待ってるから。どっちが夢か俺にはもう分からない。こっちが現実なら、また夢が見られるようになるまで待つ。あっちが現実なら、いつか突然に夢が覚めて、弁当が俺の名前を呼んでくれる日を待つ。どっちにしたって、お前次第だ。緩やかに終息に向かっていく世界の中で、嫉妬に塗れて、一人ぼっちで、お前のことだけ待ってるから。















⇒世界のはじめかた



「ゔう……」
「……………」
分かりやすく、有馬がうなされている。眉根は寄ってるし低く唸ってるし布団を握り締める手には力がこもってるし、夢見最悪、早く目覚めたい、ってとこだろうか。どうしたんだろう、珍しい。
「……起きたら、ねえ、有馬」
「……ぐう……」
泣きながら寝ている。何があったかは知らないが、流石にちょっと可哀想だ。揺すって起こそうと思ったけど、いくら手をかけても起きる気配がない。夢の世界にずぶずぶはまっている。どうしたら起きるんだろうと思ってしばらく見ていたけれど、唸り声は続くばかりで苦しそうだし、揺らしても軽く叩いてもそれに対する反応がない。唯一、呼びかけるとちょっとこっちを向こうとする。子どもみたいだ。
「有馬。ねえ、起きなって。布団、水溜りになるよ」
「……ゔ」
「ねえ!有馬!」
「っ!」
ちょっと大きめの声を出したら、ばちんと勢いよく目が開いて、飛び起きた。ぜえぜえと息を吐きながら呆然としている様は、まさに「おかえりなさい」といった感じで、かける言葉を失う。壊れた人形みたいな遅さでこっちを向いた有馬が、俺を見て、自分の身体を見て、また俺を見て、そのままものすごい強さで自分のほっぺたを引っ叩いた。
「わあ!?」
「い″っ……」
「なにやってんの!?」
「……、あ」
「ひ……」
ぱたぱたと口の端から滴った赤い液体に、気絶しそうになった。しかしながら、鮮血が滴るほど唇を切る勢いで自分の頰を引っ叩く男が目の前にいたら、誰だって息を呑むだろう。それが近しい仲ならなおのこと、仕方がないと思う。
真っ青になった俺を見て、自分の服に飛んだ血を見て、無言のまま洗面所へ消えていった有馬は、しばらくして戻ってきた。洗い流したらしく血は落ちているが、綺麗に頰が真っ赤になっている。どす、と目の前に座り込まれて、咄嗟に引いてしまったのは責めないでほしい。普通に怖い。
「……………」
「……な、なに……」
「……なまえ」
「な、名前」
「名前。もっかい」
「……有馬?」
「もっかい」
「なんで、こわい、嫌だ」
「弁当」
「なに……?」
「べんとお……」
「……変な夢でも見たの?」
「夢だった?」
「は?」
「こっちが夢じゃなくて?」
「……なに言ってんの?」
「俺のこと、見えてる?」
「え、眼鏡かけてるし、見えるよ……?」
「触れる?」
「は……?」
単語ばかりで話そうとする有馬と、訳が分からないまま答えようとする俺なので、疑問に疑問が重なって、余計ややこしい。触れる?ともう一度問いかけた有馬が、じいっと俺の手を見下ろした。普段だったら嫌だと言ってもべたべたしてくるのに、まるで触れられないかのような目を向けられて、決して手を出して来ようとしない様子に、意味の分からなさや不思議を通り越して、心配が勝った。いよいよ頭の螺子が緩みすぎて抜けたのかもしれない。
「……………」
「……………」
「……なんで無言さ……」
「……………」
ぺたりと頰を触れば、熱を持って熱くなっていた。本当、どれだけの力でぶっ叩いたんだ。なにを言うでもなくぼけっとこっちを見上げている有馬に無言の意味を問うても、なにも言わなかった。変な夢のせいでほんとに壊れちゃったのかもしれない。どうしよう。お医者さんにかかったらいいのかな。黙っててもあれだし、何か言おうと口を開いて、やめた。
「……………」
「……………」
静かに、普段の彼にしては有り得ない程本当に静かに、よく見なければ分からないくらい無音で、ぽろぽろ泣き出した有馬に、言葉は見つからなかった。なにを言っても、なんにもならない気がして。
しばらくして、待つのを諦めるくらいずっと待ってた、もうどっちが夢でもいい、こっちが続けばなんだっていい、と途切れ途切れに零した有馬は、俺に寄りかかって、泣き疲れたみたいにまた寝た。夢の中で一日過ごしたことなら俺もあるけど、多分そういうんじゃなくて、もっと幾星霜の時間を夢の中で過ごしてしまったような気になる、そういう夢を見たのかもしれない。すうすうと寝息を立てる有馬から、夢を見たとかそういう話はあんまり聞いたことがないのに、不意に見た夢がよりによってそれとは、災難な話だ。
「……おやすみ」
名前を呼べと言うのならいくらでも呼ぶし、夢の中に閉じ込められないように、求められるならばいつだって起こしてあげよう。口に出しては言えなかったけれど、なんとなく、そう思った。



55/57ページ