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おはなし



「ねえねえ、てつた兄ちゃん」
「どうしたの、真守くん」
「あのね、」
よく聞く応酬だ。この後には、真守の純粋な疑問と、それに対しての哲太の回答が続く。真守の『どうして?』には、子どもと大人の境界線を問いかけられているような気分になる。その答えは、俺にはどっちつかずで分からないことばかりで、だから、聞くなら哲太に聞け、とあっちに追いやってしまう。結果、真守は分からないことがあれば初めから哲太を頼り、俺には聞かなくなった。だって哲太なら、どんな『どうして?』が来ても、『それはね』と返せるから。しかしながら。
「それはそれでどうなんだ?」
「ごめん、俺でも気になることがあったら哲太に聞くわ。巧には聞かねえ」
「……………」
「すぐ拗ねんなよ……いい大人が……」
運のいいことに、俺には真守以外にも弟がいるので、もう一人の弟に問いかけてみたのに、とんだ裏切り者だった。一番上の兄貴がそんなに偉いか、俺と一つしか変わらないぞ。呆れた顔の律貴が、だってあんた全部哲太に聞けって言うじゃんか、真守だってそんなこと知ってんだよ、と正論で突き刺してくれた。まあ、それもそう。
けれどそれにも理由はあって、昔は俺だって、弟妹の期待に応えたいという思いが無かったわけじゃなかったのだ。ただ、俺よりも哲太の方が賢いし、哲太の方が教えることに向いているし、むしろ俺が哲太に聞いた知識を伝えることになる回数が多いわけだし。学校の先生になりたいとずっと言っていた、その夢を叶えただけのことはあって、小さい頃から丁寧に教える才能は卓越していたのだと思う。だから、哲太に聞けばいいと俺が思うようになったのも、仕方のないことなのではないか。少なくとも俺はそう思う。哲太のせいではない。
と思っていたのだが。
「巧くん……」
「……………」
「……ごめんよお……」
「……………」
深夜、したたかに酔っ払った兄が、自室の扉をノックもせずに入って来て、崩れ落ちた挙句頭を床に擦り付けながら涙声で謝って来た時の正確な対応を、今こそ教えて欲しかった。いつもなら教えてくれるはずの対象は、現在土下座真っ最中である。そりゃ無言にもなる。いっそ怖い。俺がなにをした。
「りつっ、律貴くんからあ……巧くんが、俺のせいで、真守くんにお兄ちゃんできないって悩んでるって、聞いてえ……」
「……誰とどこに酒を飲みに行ったら、そんなんになるんだ」
「ひーろーくん……」
「あいつは馬鹿なのか?」
「馬鹿じゃないよお!俺に、飲んだら全部忘れるって教えてくれたんだよお!」
同じ教職者としても、何年来の友人としても、「飲んだら全部忘れる」という大人として絶妙に切っちゃいけない切り札を教える時点で、馬鹿だろ。うえーん、と泣く哲太は、泣き真似をしている時の美里にそっくりだった。さすが兄妹だ。哲太は真似じゃなくガチなところにちょっと引いた。
しかし、余計なことをこの素直で純粋で馬鹿な兄に教えてくださった弟には、然るべき罰が必要だとは思わないか。昼寝の間に清楽に弄られたらしい髪の毛をどうにかするため、律貴が風呂場へ行ったのが十分くらい前。ふんふん上機嫌な鼻息まで聞こえている。あの後哲太を宥めるのがどれだけ大変だったかも知らないで。
「律貴」
「ひっ、ぎゃああ!」
「哲太に余計なことを言うな」
「てめえ、風呂場に乱入してくんの一番やめろっつったろ!脳味噌蕩けてんのかゴリラ!」
「なんだと」
「あー!やめろ!入ってくんな!いってえ!持ちあげん、あぶねっ、マジでやめろ!」

さて。結局根本的な問題は解決していない。要するに、要約すると、真守は俺のことを頼りなく思っているから哲太ばかり頼るのだろうか、という不安である。哲太と同じお兄ちゃんとして、俺では役不足な場面があるのも分かる。頭を使うことに関して俺に聞かれても、そりゃ分かるわけない。けど、こう、もやっとするじゃないか。それならそれで、別の頼り口を真守に提示すれば、たくみ兄ちゃんはこれが得意!と思ってもらえるかもしれないじゃないか。
「……巧って、真守のこと、多分うちの中でいちばん好きだよねー……」
「……弟に頼られたいと思ってなにが悪い?」
「そーいうんじゃねんだわー、あんたのそれ」
一連の流れを知った清楽に呆れられた。何故知ったかって、狭い風呂場で無理やり律貴に腕ひしぎ十字固めをしようとしてるところを見られたからである。そんなところ見られたら、説明せざるを得ないじゃないか。
「でもさー、巧には巧のいいとこがあるよー」
「どこだ」
「えー?そんなんは、まー、知らんけど」
「……無責任だな」
「あたしが無責任じゃないことなんかないでしょお」
それもそうだ。責任感のある清楽、怖すぎる。
巧には巧のやり方があるよー、誰かの真似っこは駄目だって前言ってたじゃんかさー、と眠たげな声で言われて、それもそうだと思い出す。誰かの真似っこ、というのにもはっきり心当たりがあるのだ。真守の先輩がうちに来た時、何人か来たけど一番食う奴が来た時の話。真守はとてもはしゃいでいて、なんでなんでどうして攻撃を先輩にも繰り広げていて、俺たちは特に口を挟むこともなく見ていた。いつものことだからほっとくか、って感じ。ねえねえ先輩、どうしてこうなんですか、なんでなんですか、ねえ先輩、と嬉しそうに飛び回りながら聞いている真守に、いい加減痺れを切らしたらしい先輩が、うるせえな!知らん!と声を上げたのだ。真守はそれに対して、こわいー!とまだはしゃいでいた。俺はそれを見て、なるほど、何もかも答えてやるのではなく、ああいう接し方もあるのか、と思った。青天の霹靂だったのだ。そして後日、実際に試してみた。結果、真守が泣き、俺は母に叱られ、哲太からは残念そうな目で見られ、「やりたいことは分かったけど、巧くんにそれは、ちょっと、こう、向いてなさすぎるよ……向きすぎてるって言った方がいいかな……」と申し訳なさそうにアドバイスをもらった。そして導き出された結論が、誰かの真似っこは駄目だ、である。
「かわいー妹は応援してるぞー、おにーたん」
「藍麻に聞いてくる」
「おっとお、清楽さんでは頼りにならないらしいぞ」

「真守」
「はあい」
「……俺は頼りないか?」
「たよりない、か?」
「哲太と、何が違う?」
藍麻曰く、もう直接聞いてみたらいいんじゃない、だそうで。素直に言った方が拗れなくて済むこともあるよ、とおよそ妹から言われるべきではない忠告を受けて、しかしいい考えも浮かばないので、真守に兄ちゃんのどこが哲太と違うのかを聞いてみることにした次第である。んん?と考え込んだ真守に、言葉が足らなかったか、と口を開けば、それより早く首を傾げられた。
「たくみ兄ちゃん、一番頼れるよ?なんで、頼りないの?」
「……頼られない、から、というか……」
「それはねー、たくみ兄ちゃんは頼りになりすぎるから、俺もこんなにできるんだぞー!ってとこを、みんな見せたいからだよ!」
「……へえ」
「真守もそうだよ」
「そうなのか」
「うん。違うとこ、てつた兄ちゃんと、たくみ兄ちゃんは、全部違うと思うけどなあ」
「真守」
「なあに」
「分かんないことがあったら、俺が分かることなら、俺に聞いてもいいぞ」
「たくみ兄ちゃんは何が分かるの?」
「……何が分かるかは分からないけど……」
「そっかー!じゃあ一緒に考えられるねー!」
ほら、てつた兄ちゃんとは違う!1個目!と喜ばれて、つられて笑った。真守のなんでどうしてに100%答える自信は毛頭ないけれど、一緒に考えられる、とかいうのは、まあ、それなりに心が踊った。


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