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後追い




「新城さん!」
「あ、町田くん。お久しぶりー」
「お久しぶりっす!収録すか?」
「バラエティ。町田くんは?」
「同じ感じっす、番宣で」
テレビ局の廊下でばったり。帰るとこっす、とマスクを顎に引っ掛けていた町田くんが、俺も同じだと知って、それならお話が、なんていやに真面目な顔をした。
お疲れさま会の後。中原くんがとてもとても、それはもうとても後悔して、毎日スライムみたいになって過ごしていたので、町田くんを引きずってきて仲直りさせた。何も知らないのに首を突っ込んで申し訳ない、殴ったのも俺がいけなかった、もう二度と会わないから新城だけでも許してくれ、と何故か俺を巻き込んだ反省をものすごく低いトーンでぼそぼそ言う中原くんに、町田くんは、いつも通りあっけらかんと笑っていた。いいんすよ!あの時おかしかったのは自分の方っすから!と中原くんの顔を上げさせた彼は、急に仕事が増えて精神的に参ってたのもあったし、仲良くしてくれる年上の男になんとなく兄を重ねて戸惑ってしまったのも本心だし、過去を話せば「かわいそうに」「がんばったね」と同情してもらえるもんだと勝手に思ってた、と指折り数えた。でも、とまだ目を合わせようとしない中原くんに、町田くんが、口を尖らせた。
「じゃー、もう俺とは仲良くしてくんないんすね?」
「……こんなやつとは、早く縁を切った方が、町田のためだし……」
「そういうこと言う!んー、じゃー、こうしましょ!」
中原くんの猫パンチが「ぺちん」だとしたら、町田くんのグーパンは「ばきっ」だった。顔は遠慮したようだったが、それでも肩を殴り抜かれて、思いっきり吹っ飛んだ中原くんに、町田くんが目を丸くする。そんな力で殴ってない、とお思いだろう。しかし残念なことに、中原くんの「力が無い」は、ただ純粋に「殴る力が無い」だけではなく、「全てにおいて非力」なのである。耐える力もないし、咄嗟に受け身を取れるだけの反射神経もない。衝撃に任せて吹っ飛んで、棚にぶつかって上から降ってくるものの下敷きになって、かこん、と音を立てた最後の一つを引き金にしたみたいに、いたい、と本気の涙声が漏れる程度には、非力。顔を殴られてないのに鼻血が出てたし、あとでお風呂の時に確認したら肩は綺麗に青く痣になってた。これでイーブン、ぐらいにしか捉えていなかったであろう町田くんは真っ青になって平謝りだったけど、中原くんからしたら、自分が傷つけた分はこの痛みに値する、ということで落ち着けたらしく、鼻から真っ赤な血をだらだら流してふがふがしながら、「おれがわるかった」の一点張りだった。
かくて、少年漫画のようなやり方で、二人は仲直りをしたのである。仲直りする前より仲良くなった。具体的に言うと、中原くんが突然「今度の木曜日に出かけたい」と真っ赤になってお願いしてきた理由が「町田と出かける約束をしたから」で、内容が「おかいもの」だった。あまりに驚きすぎて、中原くんからお出かけのお願いなんて珍しい、しかしそもそも俺は中原くんにお出かけを禁じていない、と答えにならない答えを返してしまったぐらいだ。しかも、おかいもの、て。もっと正確にいうと、「お、おか、……おかいもの?……おかいもの……」ぐらいの戸惑いで中原くんに言われたので、俺も、おう、おかいもの、としか返事ができなかった。ちなみに、前日の夜から準備してた。
そんな町田くんから、今更俺に何を。中原くんと仲良ししてくれて構わないんだけど。今となっては中原くん、君ぐらいしか友達いないんだから。
「中原さんじゃダメなんすよ」
「なによお」
「ここじゃ言えない話っす!新城さん、俺の車行きましょ」
「え?マジでなに?こわい」
「こわくねーすよ!」
怖えよ!よりによって8人乗れるでかいやつだし!中原くんの猫パンチの恨みを新城くんで晴らそうとしてるな!?
冗談です。運転席と助手席にお互い座って、それでどうしたの、と出来るだけ優しく問いかける。俺だって、この幾つも年下の後輩が、かわいくて、かわいがってやりたくて、甘やかしてやりたいのだ。町田くんには才能があると思うし、苦労なく演技に集中してほしい。だから、お願いがあるなら、出来る範囲で聞いてあげたい。
「俺の兄貴になってください」
「……ん?うん……ん?」
「俺の」
「あっごめん、聞こえてた」
「っす」
「……ん?」
「?」
「なんつった?」
「聞こえてないじゃねーすか!」
新城さんに俺の兄貴になってほしいんすよ!ともう一度でかい声で言われて、やっぱ俺の耳がおかしかったわけじゃないんだ、といっそ安心した。やべーじゃん。また壊れてんじゃん、町田くん。中原くん、もっかい殴って直してやんなよ。
「違くて、新城さんは、こう、その人にそっくりになれるじゃないすか?」
「イタコ芸とか言われてんの本気にしてんの?頭悪くない?大丈夫?」
「悪くねーすよ!あのー、えーと、こないだっから俺いろいろ考えて、兄貴が今の俺見たらどう思うかなーって、気になり出したら止まらなくて」
自分で思う兄は自分に都合のいい言葉しか吐いてくれなくて、そんなことを言う人じゃなかったから、自分一人でいくら考えても無駄だと言うことに気づいたのが、しばらく前。両親にそんなこと相談できないし、かといって自分が10歳の時に喪った兄の存在を知っている人間もそう多くなく。だから新城さんに縋るのは、あれなんすよ、ツタにもすがる思いなんすよ!お願いします!そう頭を下げられて、それは藁の間違いだ、ととんちんかんな答えを返した。しかし。
「……死人の代替えねえ……」
「……新城さん?」
「んー。ごめんね。すごく不謹慎だけど、やってみたい気持ちはある。もういないその人が、もし今ここにいたら、を俺は考えなきゃいけないわけでしょう?」
「そっすね」
「いつもより、ちゃんと、その人にならなきゃいけない。もし上手くいかなくても、町田くんなら怒らなそうだし」
「お、怒りませんよ……むしろ怒ってほしいっつーか、すげー無茶頼んでんのは分かってるんすけど、新城さんになら頼めねーかなーって、思っちゃって」
「……ん、と。ちょっと考えさせて。スケジュールともにらめっこしないと」
「い、いいんすか!?」
「本物にはなれないけど、偽物になるならいつもやってるし」

ん、で。やることにしました。ちなみに、中原くんには秘密である。役にのめり込みすぎた俺が俺じゃなくなるところを知っている彼に、いつもよりもっと役に近く潜ってみようと思う、とは言えない。しかも、役が役だ。普通に考えて、怒られそうだし。
舞台用のレッスンルームをレンタルして、中原くんに内緒のお休みを、1日だけ作った。たった1日。待ち合わせの時間は、夜8時。その時間までに役を完成させられなかったら、それはそれで仕方がない、ということになっている。だから、その時間まではベストを尽くさなければならない。町田くんが置いていった資料を読み込んで、脳髄に叩きこんで、映像を見て、町田くんの兄が10年の年月を重ねた姿を自分の中に鮮明に描けるようになるまで、繰り返し。描き出した幽霊を、今度は自分に下ろす。新城出流は今この場にはいらない。必要なのは、ただ一人。鏡を見る度、自分の姿が歪んでいくように見える。俺は、俺の名前は、年は、口調は、家族は、大切なものは、
「おじゃまします」
開いた扉の先に立つ弟の姿を見た途端に溢れ出た言葉は、憎悪の塊だった。

「お前が死ねばよかったのに。」「俺の方が上手くやれたのに。」「お前の内臓を全部俺に寄越せば俺が生きられたのに。」「今からでも死んでしまえ。」「本当ならそこには俺が立っているはずだったのに。」「俺の名前を返せ。」「死んでしまえ。」「才能のないお前なんか、どうせすぐに飽きられる。」「消耗品風情が調子に乗るなよ。」「自分の限界を知って絶望して死ね。」「お前なんかよりも俺が生きてた方が良かったと後悔しながら死ね。」「ゴミクズのくせに笑ってんじゃねえよ。」「いいから死ね。」「今すぐ舌を噛め。」「俺の名前で恥をかくな。」「誰のためにもならない命なんか、とっとと捨てちまえ。」「お前のことなんか大嫌いだ。」「殺せるものなら俺が殺してた。」
「お前なんか、生まれて来なければ良かったのに。」「お前さえいなければ、俺は生きていけたのに。」「有名になれたのに。」「きっといつまでも、大好きな芝居を大好きなままでいられたのに。」「お前のせいだ。」「お前なんかいらなかった。」「俺が死んだのはお前のせいだ。」「何笑ってんだよ。」「全部お前のせいだ。」「お前が生きてると周りは不幸になるんだよ。」「だから早く死ね。」「世間様のために死ね。」「御涙頂戴のウェブニュースとしてメディアを沸かせて、一ヶ月後にはあっさり忘れられろ。」「お前なんかどうせその程度なんだよ。」「死ぬ気になったか?」「なあ、今ここで死んでくれよ。」「俺の名前を、返せ。」

「……あは。侑哉だあ」
へらり、町田くんは笑った。

町田侑哉、の兄は、芸名兼本名、立川侑哉という。8歳の時の雑誌デビューを皮切りに、ドラマや映画にも子役として出演し、子どもらしからぬ鬼気迫る演技を持ち味としていた。ストイックで、真面目で、一生懸命。もらった役のために全力を尽くせる子どもだった。
そんな彼の弟は、彼が10歳になった時、5歳で養成所に通いはじめた。顔も違えば体格も違う、似たところなんて一つもない兄弟だった。なんぜ弟は、演技の才能なんてからきしで、泣き真似も下手なら笑い真似も下手、シリアスなシーンで思い出し笑いをして、感情移入を過剰にしすぎて一筋の涙程度のシーンで大号泣。そんな弟は、兄にとって、とても邪魔な存在だった。弟の取り柄は、演技力とは別のところにあった。あっけらかんとした笑顔と、天真爛漫な態度と、愛嬌。全て、自分にはないもの。それは、人に愛されるためのもの。下手な演技を許せない彼は、弟に強く当たった。大好きな兄に叱られて弟が泣き喚いても、お前なんか大嫌いだ、と心の底から突き放した。本当に、嘘偽りなく、嫌いで憎くて仕方がなかった。周りに甘い目で見られる笑顔が疎ましかった。失敗しても許される立場が憎かった。自分が同じことをしたら、ああ、と少しがっかりしたような目を向けられるのに。どうしてこいつだけ。どうして俺にはないものをこいつなんかが持ってるんだ。
立川侑哉は、どれだけ辛くても、血反吐を吐いても、芝居がやめられなかった。魅力に取り憑かれていた、もう二度と抜けられない底なし沼を愛していた、死んでしまいたいほど苦しくても絶頂を味わえる瞬間が必ず訪れた。愛嬌だけで仕事をもらう弟と、一つ一つの役に全身全霊でのめり込んで演技をする兄。血の繋がりがあるとはおよそ思われなかった。いつまでも幼い五歳下の弟。こいつなどいずれ皆から忘れ去られるだろう、と馬鹿にしていた。自分は絶対に有名になるのだと、自分のことをみんなが見てくれる未来がきっと来るのだと、信じて疑わなかった。
そんな未来は来なかった。彼の15歳の誕生日だった。ランドセルをがしゃがしゃ鳴らしながら、養成所までの道をついてくる弟が、煩わしくて仕方がない。ゆうや、ゆうや、お誕生日のケーキ楽しみだね、今日は早く帰ろうよ、と後をついてくる、楽しげな弟の声を聞いているだけで吐き気がした。夕暮れ時、人も多い商店街の真ん中で、うざったい、ついてくるな、と吐き捨てようと弟の方を振り向いた。
「……侑哉、お腹ぺっちゃんこになっちゃったんすよ」
「覚えてるの?」
「忘れらんねーっすよ、あんなん!おっきいトラックが、侑哉の上を、がーって。いっぱい、いろんな人が轢かれて、すげー臭かった。お腹の中身が全部タイヤに引っ付いて、持ってかれちゃった侑哉が、俺のこと見て、なんで?って聞いたんすよ」
そんで、お前が死ねばよかったのに、て。
へらりへらりと笑っている町田くんが、新城さんはやっぱすごいっすねえ!と首を反らせた。俺はずっと勘違いをしていて、「立川侑哉」のことをきちんと知るまで、兄弟仲は良好なもんだと勝手に思っていた。だから了承したのもあった。仮初めでも、兄としての言葉を彼にかけてあげたら、不安になってる町田くんが安心するんじゃないかと思って。蓋を開けたら、そんなわけはなかった。町田くんはきっと、詰られたかったのだ。俺と中原くんは、しなかったこと。お前のせいだ、と首を絞めてほしがった。だから、俺はそうした。「立川侑哉」の皮を借りて。
「町田くんはどうしてお兄さんの名前を芸名にしたの?」
「……俺、侑哉が死んでから、必死で演技の勉強したんすよ。俺には才能がなかったから。へらへらすることしか、取り柄がないから。んでまあ、願掛けみたいなもんなんすけど、侑哉の名前を借りたら、俺でも侑哉みたいになれる気がして、それで、っすかね」
「君の本当の名前は?」
「……立川環生」
たまき、って呼ぶのは、侑哉だけでした。
そう笑った彼は、俺の手を取って首にかけた。
「環生を殺して、侑哉」

立川侑哉の死、というより、運転手が心臓発作で亡くなっていたことによって引き起こされた商店街大型トラック暴走事件、の方が、心当たりのある人間は多いかもしれない。自分の記憶を掘り返してみれば、立川侑哉のことは覚えていなくても、その事件のことはぼんやりと覚えている。何人も死んで、怪我人もものすごく多かったっけ。
侑哉と俺が兄弟だってことはほとんどの人が知りません、と町田くんは俺に教えてくれた。顔が似ていないから、だそうだ。隠そうとしなくても、誰も調べようとしなければ、隠す気がなくとも隠せるものらしい。情報過多のこのご時世に。このご時世だからこそ、なのだろうか。
「環生」
「なんすか?」
「ここ持って」
「はい」
「重たいから手伝って」
「言う順番逆じゃないすか?」
「うっさい、持ち上げて」
「よっしゃー」
「あっばか、ばか!お前ばっかり持ち上げたら俺が重たいだろ!」
「もおー、中原さんが持ち上げてっつったのにー」
俺は、「立川環生」を、中原くんにあげた。新しいお友達として。自分と殴り合って仲を深めた友人である町田侑哉とほぼ同一人物の彼の、はじめましてみたいな自己紹介を聞いて、中原くんがどう思ったかは定かではないけれど、「環生」と呼ぶ時と「町田」と呼ぶ時があることは確かだ。案外雑な中原くんのこと、どっちでもいいのかもしれない。そのうち混ざって「町田環生」とか呼び出しそう。それはそれで彼も笑ってくれるだろう。
「そしてだね、町田くん」
「はい?」
「新城さんは、君にお願いがあるんだよ」
「なんすか?なんでも聞きますよ」
「なんでも!?重い!出来る範囲でいいよ!」
「いやあ、なんでもはなんでもっすからね。なんでも言っていいんですよ」
「犬か!やめてよ!そこまでマジな話じゃないから!」
「そうなんすか?えー」
「なんでちょっと残念そうなのさ……」
「新城さんには恩があるんで……」
「町田くんに、と言ったけど、町田くんのままだと中原くんが抵抗を示すかもしれないから、ここは立川環生くんにお願いしたほうがいいかもしれない」
「なんでもしますよ」
「そっちもなんでもするんかい……」
「中原さんになんかするんすか?あっ、サプライズとかっすか?」
「うーん。近い」
「わー!俺そういうの好きなんすよ!何して喜ばせてあげるんすか?」
「この前ちょっと小耳に挟んだんだけど、町田くん、枕して役もらったことあるんだって?」
「……………」
息吸ったまま笑顔で動かなくなった。息しないと死んじゃうぞ。中原くんと仲良くなれるのはこういう、嘘が苦手で態度に出てしまうところが似ている、という点で繋がり合えるっていうのもあるのかもしれない。まあ、まあまあ、こっちに来なさいよ、と背を押して、秘密の会議場である車内へと誘導する。扉を閉めるのに大変抵抗されたけれど、なんでもするんだろ!と一喝したら縮こまってしまった。
「……中原さんには言わないでください……怒られちゃう……絶対に怒られちゃう……」
「言わないけど、言わない代わりに協力してほしいことがあってだね」
「言わないでいてくれるならなんでもします」
「君の「なんでもします」、意外と軽いな?」
「枕するより刺し殺した方が早くないすか?」
「なにを早合点してるの!?目が怖いよ!そうじゃない!違う違う、役がどうとかそういうんじゃなくて、邪魔者がいるとかそういうバイオレンスな話でもなくて、中原くんが実は、」

「すげーやだ」
「よろしく頼むよ!」
「新城さんイかれてんすね」
「よく言われる!」
何を頼んだのかはまた後日。了承以外の選択肢が残されていない町田くん、もしくは立川くん、中原くんのためを思うと環生くん、が、はあああ、と珍しくも笑わずに特大の溜息をついた。


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