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後追い




「町田ぁ」
「はいはい!なんすか?」
「それとって」
「どれすか?」
「それ」
「どれっすか?これ?」
「違う」
「これ?」
「違う!」
「あ!これっすね!」
「違う!自分で取りに行った方が早えわ!」
「あはー、すんません」
中原くんと町田くんが、仲良くなった。
きっかけは、というか初対面は、中原くんが仕事辞めてしばらく拗ね拗ねの拗ねだったから気分転換にお友達候補を連れてきてあげたあの時なんだけど、あの、まあ、その時に中原くんに俺のいろいろがばれてしまい、町田くんにも、中原くんを自慢したい思いからいろいろと言ってしまい、バラしバラされが重なった挙句二進も三進もいかなくなっていたのだけれど、「ケーキのお礼がしたいです」という町田くんの一言で二人の再会が決まったのだ。その時は町田くんと俺は一緒の撮影が多かったから、スケジュールも合わせやすかった。一押しらしい水饅頭を手土産にうちに来た町田くんは普段通りあっけらかんとしていて、中原くんはがっちがちに緊張していた。多分その時は、目も合わせなかったと思う。それから、一緒にご飯を食べに行ったり、会う機会を少しずつ増やしていくうち、中原くんの緊張が解けていった。肩肘張った変な敬語だったのも「俺まだ二十歳すよ」「中原さんそんな気ぃ使ってくんなくてもいいのに」とちょっと寂しそうに町田くんが告げたことで、悩みに悩んだ中原くんがついに砕けた口調になり、それからはあれよあれよと言う間に、仲良くなった。新城の後輩なのに俺なんかが馴れ馴れしくするのもおかしいんじゃないかとか、ある程度の距離を保つためにも敬語のままのほうがいいんじゃないかとか、ぶちぶち煩い中原くんを泣き喘がせながら「もう敬語はやめます」と誓わせたのは俺なので、二人の仲良しには俺の功績もある。えらいぞ、やったね、出流くん。
これだよこれ、と机の上にあったコップを取った中原くんに、それすか!分かんねーわ!だはは!と笑う町田くん。仲良くなってくれて嬉しい。犬のじゃれ合いを見ている気持ちである。今日は、町田くんが初めて主演を張った映画の撮影が終わったということで、お疲れさま会がしたいと中原くんが提案してくれて、だったら気兼ねなくうちでやろうと彼を招いたのだ。初めて、というか、特撮出身の町田くんは、自分が主役をやっていた作品の劇場版ではそりゃ主演を務めたことがあるのだけれど、そうじゃない、普通の恋愛物は初めて、ということで。今まで当てられていた役はみんなアクション寄りだったから、難しいっすね、と眉根を寄せて原作の小説や台本とにらめっこしていたのは知っている。明るく快活なイメージの強い彼の、少し背伸びして大人の恋愛に足を踏み入れた作品は、公開前から話題沸騰らしい。いいねえ、瑞々しくて。俺なんか次やる役、棋士だよ。もっぱら将棋の勉強中だよ。先日中原くんがいる前で将棋の勉強をしていたところ、悪気なんて全く無い彼が、こうやって昔遊んだ、と駒を並べて立ててドミノを作り、途中で倒れてしまったのを見て、ふへへ、と恥ずかしそうに笑ったので、もうその日は一日潰れた。将棋どころじゃない。中原くんが目の前であんなに可愛い顔で笑ったんだぞ。もうなにもかもどうだっていい、その日の俺は彼を可愛がることに全振りしたし、次の日の俺も前日の俺にスタンディングオベーションした。まあ、そんなことは置いといて。
「中原さん、お酒飲めないんじゃないんすか」
「飲めない」
「えー、付き合わなくてもいいすよ」
「お酒飲みたいからいいんだ。新城、飲んでもいいよな」
「いいよー」
「許可制!うける!」
けたけたと笑った町田くんに、普段通りにしたつもりがなぜか笑われた中原くんが、ぽかりと手を出した。耳まで真っ赤だ。氷を入れたグラスに、お酒に強くない中原くんと二十歳過ぎてそこそこの町田くんにも飲みやすい、甘くてすっきり系な果実酒を注ぐ。町田くん、成人前から普通に飲んでたけどな。それを中原くんに知られてしまうと、正しさの指針のようなところがある彼に、そういうのはだめだ、誰かに飲まされたのか?と渋い顔をされてしまうのが目に見えているので、黙っておこうと町田くんと約束している。中原くんのだけそっとソーダ割りにしたら、全然気づいていないようで、ぷは、とご満悦だった。
「おつかれさま」
「おつかれさまー!公開楽しみにしてるね」
「やー、へへ、恥ずかしいんすよ。見て欲しいような、見て欲しくないような」
「チューはしたのか」
「ええー!えへっ、やー、中原さあん」
「おい。したのかしてないのか聞いてるんだ」
目が据わるのが早えよ。照れ照れしている町田くんに、俺は相手役の女優さんを知ってるぞ、と中原くんが迫っている。以前朝ドラのヒロインを張っていた彼女、俺とも共演したことあるし、その時も確か恋愛物だった。知ってるぞ、チューはしたのか、していないのか、としつこく迫る中原くんの光景に、俺もされたなあ、とぼんやり思う。その時はまだ俺もそんなに引っ張りだこじゃなくて、中原くんも俺が演技で誰かと絡むことにまだ耐性がなかった。その先まで演じるシーンがありまして、と素直にゲロったら、がーん!って感じで涙目になってそのまま寝室に閉じこもられたっけ。演技なんだから本当にそういうことしたわけじゃないし!ていうか女優さん側も俺も全裸ではないし!映らないように着てたし!と扉を叩いて弁明したのは覚えている。
「し、しました……」
「したのか!」
「こう、ぎゅっともしました……」
「ぎゅっともしたのか!」
「やらかかったっすよ」
「あー!」
あーじゃない。中原くん女に勃たないでしょ。なに羨ましがってるの。まさか女優さんの立場を羨ましがってないよね?町田くんにぎゅっとされたいとかいう意味の「あー!」ではないよね?殺すぞ。
照れながら、難しかったけど楽しかったすね、と俺を見た町田くんに、自分のやったことのない方面の役は面白いよね、と同意を示す。俺の場合は、成り切るためにいろいろ調べたり実際に見たりやってみたりと工程が多いけれど、それでも楽しい。わかるわかる、と頷きながら町田くんと芝居の楽しいところを話していたら、あー!以降そういえば中原くんが喋っていないことに気づいた。あれ。
「中原さん俺の膝の上で動かなくなってるんすよ、さっきから」
「あー!こら!」
「むにゅ」
「よだれ!寝るなとは言わないけどせめて俺にしてよ!」
「いいすよお。なんかこーいうの楽しいし」
ズボンによだれを垂らされても怒らない、後輩の鑑。下手に飲みやすくしたからなのか、町田くんの手前かっこつけたかったのか、グラスの中身を空っぽにした代償にでろんと溶けている中原くんの脇を持って引っ張り寄せれば、もにもにと何か言っていた。聞こえん。この際寝言は無視。
「でも町田くん、お友達多いでしょう。今回の共演者さんとも仲良くなったんじゃない?」
「んー、そっすねー、友達は多いですけど」
「自分で言うし」
「こういう、こー、なんていうんすかね?年上の友達、今までいなかったっつーか、嫌だ、つーか、作らなかったっつーか、うーん……怖かった?と、か?」
「ん?」
途切れ途切れに、自分の考えをまとめながら話そうとする彼が、いやあ、と言い淀んだので、言いたくない話は無理に口に出さなくてもいいよ、も先に言葉を落とす。気を遣いながら話して、その後もぎくしゃくするぐらいなら、このままなにも知らずに友達でいた方がいいんじゃないのかな、と。そういう立場の人間が彼にとって必要だったのなら、尚更。俺も中原くんも他人に詳しく言えない昔の話がそれなりに詰まった人間なわけで、だからこその俺たちなりの気遣いというか、ね。膝の上でころんと寝返りを打って俺の腹の方に顔を向けた中原くんが、そのままもそもそと股に顔を埋めてくるのを押しのけて防御しながら、黙ってしまった町田くんに声をかける。
「誰にだって言いたくないことぐらいあるし。俺だってあるよお、こないだ山奥に撮影行った時ヘビ出て普通にすごい女子みたいな悲鳴あげて逃げちゃったこととか」
「……それは恥ずいっすね」
「フォローしてよ!」
「あは、言いたくないわけじゃないんです。言っちゃいけないことだと、俺が勝手に思ってるだけで」
「……それを言う相手は俺でいいの?この人じゃなくて?」
「誰でもいいっす。誰に言っても、誰も怒らない」
兄が「いた」んすよ。そう滑り落ちた言葉は、完全に過去のものだった。はっきりと「いた」と断言されれば、もう失ってしまった何かなのだろうと推測することは簡単で。無言のまま続きを催促すれば、へらりと笑った彼が、言葉を続ける。
「兄貴、五つ上で。新城さん達より、えーと、幾つ下かな。俺が10の時に死にました」
「……それで、年上が好きじゃないの?」
「てゆーか、多分、自分のことで精一杯で。兄貴に近い人と繋がったら、俺疲れちゃうからなあって、わざと避けてたんだと思います。ずるいっすよねえ」
自分と仲良くしてくれようとした人だって、今までにはいたはずなのに。そう笑いながら零す彼に、逃げる事はずるい事じゃないよ、と、返した。思っていたより喉が渇いていて、声が掠れて、嫌に重い言葉になってしまった。けど、大切なものを守るために逃げる事は、決して悪い事じゃないから。俺はそれを知ってるし、俺の膝の上で丸くなって寝たふりぶっこいてる人なんかしょっちゅう逃げ出そうとしては足もつれさせてこけてる。逃げ延びて体勢を立て直してからもう一度立ち向かうのは、賢い作戦であって、ずるじゃない。俺はそう思う、から、町田くんにも伝わればいいと思った。驚いたように数回まばたきをした彼は、目を泳がせて、ふいと顔を背けた。
「……失礼なこと言っていいすか?」
「はい」
「……分かった気になってんじゃねー」
「うるせえクソガキ、鼻折るぞ」
「……あー……あは……同情して、かわいそがってくれないんすね。いけないこともいけないって言ってくれないし、なんでもかんでも許すとか、我儘な子どもが育ちますよ」
「減らず口を閉じるのと、ワインの瓶で殴られるの、どっちがいい?」
「……おっかな」
「町田くんねえ。自分がかわいそうだなんて、飛んだ思い上がりだよ」
世の中には、もっとかわいそうな人がいるよ。それは例えば、自我を与えてもらえず人形のように母の言いなりに過ごしては周りを見下して生きていた自分だったり。10年以上も前の鎖にいつまでも縛られて歪められて抜け出せずに他人の手の中で生きることしかできないこの子だったり。いつだかニュースでやってた、居もしないものを信じ続けた結果とんだしっぺ返しを食らって手を汚したあの子だったり。かわいそうの価値観なんて人それぞれだ。兄貴が死んだぐらいの君が、俺よりかわいそうだなんて、そんなわけないだろ。そう、ぽつりぽつりと零すと、町田くんは、不貞腐れているようなばつが悪いような、複雑な顔をしていた。まあ、ほら、お兄さんが亡くなって君はどんな風に生きざるを得なかったかは知らないけど、悲観しすぎて囚われるのもよくないぜ、って話。
そう締めくくろうとしたら、中原くんが急に体を起こした。俺の顎に後頭部をぶち当てて起き上がったので、脳が揺れた。中原くんも相当痛かったようで、無言のまま二人して悶絶するはめになった。かっこ悪いなあ!決まんないでしょ!お兄さんかっこつけたかったのに!
「ってめ、の、頭が、じゃまなとこ、あっからぁ……」
「ひ、ひとのせい、いったあ、したかんだ」
「えっ、だ、だいじょぶすか?」
「町田ぁ」
「は、はいっ、」
あ。殴った。中原くんの猫パンチなので、威力は高が知れているけれど、町田くんは大層びっくりしたようで、ぱくぱくと口を開けて声も出ないらしかった。ごめんねえ、この人、俺のこと殴り慣れてるから、役者の顔がいかに大事なものか全然理解してないから。殴った側のくせに、泣くのはいつも中原くん。ぶるぶるしながら町田くんの上に馬乗りになった中原くんが、しばらくの間ふうふうと荒い息をついて黙った挙句、ぼそりと小声で吐いた。
「……生意気言ってすいませんでしたって謝れ」
「……へ?」
「新城に謝れ……」
「……え、あ、なま、いき言って、すんませんした……」
「……自分のことかわいそうがるなよ。そんなんじゃ、ほんとに、かわいそうだろ……」
ああ。それは、君だから、君にしか言えないことだ。痛めつけられて嬲られて、それにいつまでも足を取られて沼から上がれない、どこからどう見ても欠陥品でぶっ壊れててかわいそうな自分を、かわいそうだと思いたくない、中原くん。中原くんがどうして正しく在ろうとするかって、自分はまともで普通で、落魄れてなんかいない、隣と肩を並べて歩ける人間だ、と胸を張って言えるようにいたいからだ。そんなわけないって、きっと自分が一番知ってる。その言葉の重みは、多分町田くんには半分ぐらいしか伝わらないだろうけど、半分でも十分みたいだった。ごめんなさい。そう零した町田くんが、中原くんの涙を頰に受けて、泣いてるみたいだった。ぐすぐすの顔を手のひらで拙く拭いながら、ううう、と唸っている中原くんを引っ張って、町田くんの上から退ける。
「ごめんね。痛かった?」
「……ぜんっぜん……」
「だよね。中原くん、力無いから」
「……ごめんなさい……」
「なにに謝ってるのさ。ねえ、中原くん?」
返事はなかった。べそべそしている中原くんの代わりに、僭越ながら。
「俺たち一人っ子だからお兄ちゃんにはなれないけど、ちょっとばっかし君よりも長生きだから、君の助けになれることがもしかしたらあるかもしれないよ?」
「……はい」
「悲しいことばっかり見てたら、楽しいことを取り逃がしちゃうって。ねー、中原くん」
「ぅう、うるさい、声がでかい」
「ねー!」
「うるっさい!」
「……はは」
なんかよく分かんないけど、いつのまにか重くなってた体のどっかが、軽くなりました。そう言った町田くんは、それからしばらく俺たちとどんちゃん騒ぎをして、最後には笑顔で、あざす!とピースサインを掲げて帰っていった。それに手を振って見送った後、目を真っ赤にした中原くんは、町田は俺のことを嫌いになっただろうか、とぼそりと呟いた。目玉イカれてんの?
「どう見ても大好きでしょ」
「……友だちが一人減った」
「あ、ランクアップ?親友?」
「他人になってしまった……」
「聞いてる?」



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