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No one matters but you




がちゃり、鍵の回る音がした。そろそろだろうと準備していたお湯は、まだ沸いていない。新城のやつ、駅に着いたら連絡しろっつったのに、「今コンビニにいる」だもんなあ。もうそこ家じゃん。マンションに入ってるテナントのコンビニなんだから。ていうか、芸能人二人でコンビニに行くなよ。写真撮られてツイッターとかにあげられても知らないぞ。
「どもっす!おじゃまします!」
「どうぞー」
「すげー家っすね!管理人さん、常にいるんすね!」
「あの人は管理人さんじゃないよ」
「ええ!?」
「コンシェルジュさん。困ったことがあったら言えば助けてくれる人。ただいま」
「おかえり」
「おあっ、こんばんは!町田侑哉っす!おじゃましてます!」
「な、中原新です。はじめまして」
「はじめまして!」
緊張のあまり、律儀に自己紹介してしまった。頭を下げあって、上げるタイミングを見失っていると、新城がげらげら笑いだした。てめえ。
ケーキを買ってきて、コーヒーを淹れようと思って、としどろもどろに説明する俺に、ありがと、嬉しい、って目尻をふにゃりと下げた新城が、部屋に行っててもいいしリビングで一緒にお話してもいいよ、と選択肢をくれた。俺と新城を見比べてぽかんとしている町田に申し訳なくて、部屋に戻ってる、と早口に取り繕う。最初から引っ込んどけば良かったかなあ。
「ぁ、あの、ご、ごゆっくり」
「あっ、はい」
「ぶち。おいで」
なーお、と鳴いてついてきたぶちを抱き上げて、部屋に引っ込む。寝室だけれど。ぶちは何故か俺の掛け布団がお気に入りらしく、ふぎゃぎゃと歓喜の唸り声をあげて布団にダイビングした。扉に背をつけてへたり込む。……ほんとはちょっと、見せつけてやりたかったんだ。新城は一人じゃないんだって、自分の存在をひけらかしたかった。新城だって、俺を誇ってくれたりしないかなあって、期待してた。けど、彼の悪気のない「この人は誰?」という目に、一気に気持ちがへこたれて、俺なんかやっぱりいない方が良かった、と頭を抱える。こんなことなら、どっか外に出てたら良かった。お出迎えの準備ぐらいする、とか、なんで言っちゃったんだろう。
仕事を辞めてから、再就職なんて考えもせず、分かりやすく言えばヒモ生活を満喫していた。だって、家事全般は新城の方が遥かに手慣れているわけで。出かけることを禁じられているわけでもないけれど、ただ、出かける当てが絶望的に見当たらなかった。だから、家にいる時間が必然的に伸びた。新城はちょこちょこ「そろそろお財布の中身空っぽなんじゃない?」とお金をくれた。俺はそれを極力使わないようにしているけれど、そしたらそしたで、服とか靴とかは新城が買い与えてくる。だから、一人が長い時だけ、貰ったお金で一箱だけ煙草を買うことにしてる。あと、ぶちのご飯とか、生活するのに必要なもの、例えば洗剤とかティッシュとかトイレットペーパーとか、そういうものは買う。食べ物は、新城が基本的に用意してくれるから、手出しはしていない。たまーに、本当に稀に、へとへとで帰ってきて、シャワーも浴びずにベッドにダイブして死んだように寝こける新城が目覚めた時に口にできるものを、と台所に立つことは、ある。
そんな関係の説明を、本当に端的にするならば、新城が一言「これ俺のペット」と吐くことが一番分かりやすいように思う。ぶちを引っくるめて、所有物。好きだと口の端に登らせてはキスをするのも、自分のものだから。そう思えば、少しはこの生活の中で心にバランスがとれた。そう思うことで、彼のものである自分が、彼のためになにができるか、考えやすかった。どうしようもなく逃げている気はしたけれど、でも、もうあんな思いはしたくないし、外には出たくない。あんな目に遭うならモノでいい。くるくると喉を鳴らすぶちの隣で、丸くなって寝た。

「中原くん。町田くん送ってくるね」
「ぇう、……?」
「寝てた?ごめんね、起こして。誰か来ても開けちゃあだめだよ」
薄く開けられた扉から声がして、目が覚めた。いってらっしゃい、と掠れた声で返す。二人の話す声と、玄関扉の鍵が締まった音に、ベッドを抜け出した。床がひやりと冷たくて、結構な時間寝てしまったのかな、とぼんやり思う。
ご飯、と冷蔵庫を覗けば、なにかの下拵えがしてあって、まだ完成していなかった。お腹すいた。それこそコンビニでも行ってなにか買ってこようか、と玄関に向かい、いつもの場所にある鍵を探して、鍵、あれ、鍵がない。代わりに新城がいつも使っているキーケースが置いてある。どういうことだ、と眠気覚ましに考える。そういえば先日から、新城が持ってる方の車の鍵、ドアの開け閉めなどができるリモコン付きのやつ、が壊れていて、それは修理に出していて、昨日は俺が車を運転した。ただ車を動かすためだけの鍵なら俺のキーリングにもついていて、新城は多分、町田を送るのに車を使いたかったのだ。だから俺の鍵を持っていった。それなら、つじつまが合う。こうも理論立てて説明できるとはまるで探偵じゃないか、とちょっと鼻高々になって、雷に打たれたような感覚に襲われた。天啓、とはこのことを言うのだと思う。
「あ!」
盗聴器!俺のキーリングについてるそれで、新城と町田の会話を盗み聞きできないだろうか!
どたどたと新城のパソコンを立ち上げて、こうやって中原くんのことを監視してるんだよお♡とでれでれしながら見せられた手順を必死に思い出す。パスワード、知らねえ、どうせ俺の誕生日かなんかだろ。当てずっぽうで打ち込んだ自分の誕生日、うわ、当たった。まじかよ、新城気持ち悪い。訳が分からないなりにがちゃがちゃと弄っていると、ヘッドホンから話し声が漏れた。やった、繋がった、俺すごい。ちょっと涙が出そうだ。これが新城が引いたレールでも構わないし、全くの偶然であいつが時々やらかす詰めの甘さが出たんでも構わない。どっちでもいい。新城が、他人とどんな話をしているのか、聞いてみたかった。
『すげーでかいマンションっすね!俺もああいうとこに住みたいなあ』
『高いよ?やめときな』
『まじすか!うわー、でもなー、下にコンビニがついてるのもでかいっすよ』
『あー、あれは便利。ちょっとした買い物みんなあそこでするもん』
『俺の家から最寄りのコンビニまで、歩いて7分かかるんすよ』
『夏アイス溶けない?』
『ドロドロっすね!』
そりゃ困るわ、と笑っている新城の声に、高校生とか大学生の頃を思い出して、鼻がじわりと熱くなった。それを堪えて、目を閉じる。車が走る音と、楽しそうな声。俺と話してる時には聞けない声だ。それこそ夏場に溶けたアイスみたいに、どろどろのぐちゃぐちゃに蕩けさせられて、大切にされているのは分かってる。俺だって、同じだけ大切にしたいと思ってる。けど、俺と新城じゃあ、もう立ってる場所が違うから、貰っただけと同じものを返せる気がしないのだ。学生時代の方がはるかに気楽だった。貰ったものを投げ捨てたこともあるけれど、あからさまに泣いて縋って喚いて、分かりやすく全身で、お前が欲しいと表現できていた気がする。けど、今はどうだろう。甘やかされて、閉じこもって、好きにされるがまま、与えられ放題。求めることが下手くそになった。こんなことなら、こんなになるなら、大人になんかならなければよかったのかな。
『あー、あの、新城さん?』
『んー?』
『変なことだったらアレなんすけど、あー……あの、さっきの人?友達すか、兄弟?遊びに来てたなら、俺、邪魔しちゃったかなー、って』
あ、嫌だ、聞きたくない。ヘッドホンを咄嗟に引っこ抜いてしまって、ヘッドホンを抜いたらスピーカーから音が出るのなんて当たり前で、ああ、と新城の溜息混じりの声がさっきよりも大きく聞こえた。なんて答えられても、受け止められる気がしない。電源のボタンに伸びた指が、止まった。
『あの人はねー、俺の大事な人。我儘言って、家にいてもらってる』
『身内の方すか?』
『ううん。そうじゃないけど、うーん……俺、身内らしい身内、いなくて。母親も父親も兄も弟もやってくれてる、恋人?』
『へー……』
『誰に言ってもいいよ。どこに出しても恥ずかしくないから』
『い、言いませんよ!ただちょっと、こー、びっくりして?や、俺も金なくて、ルームシェアしてましたけど、そういう感じでもなかったかなって思って、聞いちゃったっていうか……』
『きっと君とも仲良くなれると思うよ。今日は変な気回して、不貞寝してたけど』
『ケーキ、お礼言いそびれました』
『また遊びにおいでよ。今度は、みんなでご飯でも食べよ。中原くんにもそう言っとく』
『はい!ありがとうございます、楽しみにしてます!』
自分が、声をあげて泣いているのに気がついたのは、喉が痛くなってからだった。ぶちが、どうした、とでも言わんばかりに頭を擦り寄せてくる。モノだなんて思ってごめん。不安にさせてごめん。自分のこと、諦めてごめん。もっと俺がしっかりしてたら、いろいろ手放さなかったら、新城だってこんなに雁字搦めに縛らなくたって良かったはずなのに。わあわあ泣きじゃくったまま、しばらくそのままでいたから、新城が帰って来たことには気がつかなかった。
「ただっ、えっ!?中原くん!?どうしたの、なにがあったの!どっか怪我、誰か来た!?」
「ぅゔぅ、っひ、し、っじょ、ゔ、しんじょ」
「なあに、あっ、ついてきたかった?寂しくなっちゃった?ごめん、あの、えっと、お土産とかは何にもないっていうか、中原くんの鍵勝手に借りてごめんだし、あー、えー、な、泣き止んでよ……」
いつもみたいに、もっと泣け、興奮させろ、って迫ってみればいいのに。本気で泣かれるとおろおろする辺り、人が良くて、優しくて、きっとこいつの根っこはこっちなんだ。どうしたの、と困りながら抱きしめられて、何かあったか教えて?と甘い声を落とされて、ひぐひぐしゃくりあげながら、なんとかパソコンを指差した。俺が指す通りに画面を見て、俺の首に引っかかったヘッドホンを見て、自分が握っていた俺のキーリングを見て、また俺を見た新城が、らしくもなく上擦った声で、なんてことしてくれたの、と零した。
「だ、っだ、って、おれ、っおれ」
「え、っええ?待って、俺何言った?そ、その前に、何聞こうとしたの?待って、中原くん、落ち着こう?」
落ち着いてないのはお前だ。自分より動揺している人間がいると落ち着くというのは本当らしく、俺を腕の中に閉じ込めたまま固まってしまった新城に、おい、苦しい、と文句を言えるくらい精神が持ち直していた。しゃくりあげるのはそう簡単には止まらないから、声は引っかかってみっともないけど。
しばらく停止していた新城が、べりべりと音がしそうな勢いで俺から離れて、にっこりした。あ。ああ。やっと全部わかった。
「なーんちゃって!中原くん、びっくりした?わざとだよお、全部わざと!熱烈なラブコールだったでしょー?」
「……お前、今まで、何回その嘘ついたんだ」
「え?」
「全部自分が仕組んだって嘘、何回俺についたんだ」
「……ぇ、と……」
「今のは嘘だろ?本当に、聞かせるつもりなんかなかったのに俺が勝手なことしたから、俺が俺のせいだって思わないように、今までずっと、そうやって嘘ついてきたんだろ?」
「……………」
「……黙るなよ……」
「そんなことないよ」
「嘘つくな」
「……じゃあどうしたらいいんだよお……」
水棹さんに、俺が仕事辞める一件を全部新城が仕組んだって言わせたのも、嘘。今の「わざと」も嘘。俺はいくつその嘘を信じて、新城に泥を飲ませてきたのだろう。真顔にもなれず、笑うこともできず、ましてや泣くなんて以ての外のこいつは、いろんな気持ちをひっちゃかめっちゃかにした顔で、俺の肩に額をあずけた。
「……だって、俺、嘘ぐらいしかつけないよ。中原くんは全部正しくて、なのに割りを食ってばっかりで、中原くんが悪くなんかないのに、君は自分が悪いんだって言う。自分に何かできることはないのかって、いつも言う。だったら全部俺のせいにして、全部、捨てちゃえばいいじゃない。俺がやったんだって言ったら、中原くんは自分のせいにしないし、怒って終わりにしてくれるでしょ?」
「……うん」
「どれが嘘でどれが本当か、俺もよくわかんないよ。俺のせいにしたことの殆どは本当に俺のせいだし、じゃあ嘘をついたことには全くの無関係だったのかと聞かれたらそれも嘘だし、今更中原くんにどれが嘘だったのか教えられるほど覚えてない」
なんちゃって、これも嘘。そう絞り出されて、もうそれはいい、と背中に手を回した。聞き飽きた。
それから、床に座ると膝が痛くなる、と大真面目な顔をした新城に連れられて、ソファーでたくさん話した。新城の数少ない「ほんとう」を全部聞いた。二人で隣り合わせに座って話してるのに間にぶちが挟まりたがって、ちょっと笑った。下衆な言葉の多い「ほんとう」は、どこか愛の告白に似ていて、皮肉なもんだなあ、と心の隅で思う。泣き顔が好きなのはほんとう。でもそれと同じぐらい笑った顔が好きなのもほんとう。自分以外の人間に感情を動かして欲しくないのもほんとう。死ぬまで自分のことだけを見続けて、他の人間を認識しないでほしいのもほんとう。だけどたまには楽しく過ごしてほしいのも、ほんとう。それ以外は全部嘘、と眉を下げて笑った新城に、じゃあ例えばさっきの町田が新城と俺のことを誰かに話したとして、だってお前は誰に言ってもいいってあいつに言ったじゃないか、と投げかければ、酷薄な言葉が返ってきた。
「は?駄目に決まってんじゃん。そんなことさせないし、そんなことしちゃったらまた中原くんが俺以外の人間のせいで傷つくことになるんでしょ?それが駄目だっつってんの。中原くんが傷ついていいのは俺が傷つけた時だけなの。傷を作る場所も、時間も、治るのにどれだけかかるかも、心と身体どっちを壊すかも、全部俺が決めるの。ぽっと出のモブキャラの気まぐれでそんなことされてたまるかっつっの」
「……お前かわいそうだな」
「中原くんの方が五億倍かわいそうだよ」
お腹がすいた、と俺の手を取った新城が、まるで映画の中のように、普通普遍極まりないダイニングに、俺をエスコートした。馬鹿なんじゃないのか。馬鹿みたいに様になる。腕によりをかけて作っちゃうぞ、とウインクされて、中空でそれを掴んで他所へ放り投げた。いらん。
「そういえば、中野さんとの連ドラ、映画化するんだけどさ」
「へー」
「シリーズ物で息が長い作品になるかもしれないんだってさ」
「ふうん」
「あと俺大河決まった」
「へ……へえ?」
「中原くんを養うためにも、おっきめの賞が一つ欲しいところですなー。男として、こう、箔をつけるためにも?」
「……俺になんか、できることは……」
「んー」
おうちで「おかえり」って言ってくれることかな!
そう、笑われて、頷いた。笑って頷けた、と、思う。できることなら、こんな幸せが、少しでも長く続いたらいいなあ。


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