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へとへとで終電帰りの自分と




疲れた。とてもとてもとても疲れた。今は所謂繁忙期とかいうやつで、普段は緩くのんびりと動いている職場の時間が、この時期だけはマッハになる。みんな高速で動いてるし、電話は鳴りっぱなしだし、メールボックスの受信履歴は列になって待ち構えているし、発注及び発送のスケジュールが分単位になる。パートのおばちゃん達の方がよっぽどタフだ。職務規定で決まっている範囲内で残業してくれるし、帰れない正社員の俺たちに、はいこれ差し入れ!と手作りのお弁当を置いて行ってくれたりする。そんなのは夕飯どきにとっくになくなって、終電ぎりぎりになって、もう鍵閉めるから!と上司に急かされて腹ぺこで電車に飛び乗った。ぎりぎりセーフ、だけど、駅から家まで歩くのがもうしんどい。思い返せば、電話で喋り通しで、まともに水を飲む暇すらなかった。それに気づいてしまうといやに喉が渇いて、頭がくらくらする。昨日も同じ時間に帰ったし、今日が早いからとシャワーだけ浴びて寝たのだけれど、明日は休みだからゆっくり寝れる。カロリーメイトがあと一箱残ってた、それだけ齧って、シャワーひっかぶって寝よう。ぐわんぐわん耳鳴りが止まらなくなって、家の鍵を鍵穴に差し損なって、数回がちゃがちゃした。早く、早く開け、早く横になりたい、早く、
「おっかえりい、中原くんっ!」
「……しん……?」
「おつかれさまっ、早く入って!お腹空いてるかなーって思って、いろいろ作ってあるから!あ、でも、いらなかったらお風呂入ろっか。どっちがいい?」
「……ぁ、え……?」
なんでいる、撮影はどうした、三日ぐらい前に大きい荷物抱えてどっかに行かなかったか。そう聞くこともできず口をぱくぱくしていると、玄関の扉を閉めて、俺を座らせて靴紐を緩ませ脱がせてくれてる新城が、「俺が家出たの五日前だし、今日が撮影から帰ってくる日だよ。中原くん、時間の感覚無くなるぐらい忙しかったの?だめだよ、ちゃんとご飯は食べないと。せっかく俺が美味しく育てたのに、また細くなっちゃうでしょ。髪の毛もぼさぼさだし、クマもひどいし。明日はお休みなんだから、ゆっくりお世話させてね?」と訥々と話しかけてきて、こくりこくり頷くうちに、眠たくなってきた。いい匂いがする。新城の匂い。あ、寝落ちる。意識がブラックアウトする寸前、新城の呆れた笑い声がした。
「あはは、めっちゃタバコくさいし、……」

「は」
「あ、起きた。まだ三十分も寝てないよ」
「……腹減った」
「うん、お腹ぐーぐー鳴ってたもん」
寝やすいように服を緩めてくれていたらしい。ずり落ちかけたズボンを履き直して、ソファーから起き上がる。お風呂も入ってないのにベッドに寝たくなかったし、お腹は空いてたし、玄関から運ぶ先としてはソファーが最適だ。さっきとは違ういい匂いがする、とダイニングテーブルを覗き込んで、たらりと涎が垂れそうになった。
「ご飯食べる?おかずだけ?」
「……食べる……」
「はいはい。いっぱい?ちょっと?」
「いっぱい」
「ん。いっぱい食べてね」
からあげがいっぱい。白いご飯、お豆腐と小葱のお味噌汁、厚揚げの肉巻き、あと、レンコンのなんかと、オクラのなんかと、ほうれん草とトマトのなんか。後半全然何が何だかわかんないけどいい匂いがするから美味しいことはわかる。いただきます、と箸を乱暴に動かして掻っ込む俺に、新城がお茶を持って対面に座った。そういえば、お前、明日は仕事あるんじゃないの。
「あるよー。ドラマの撮影」
「……早く寝ろよ」
「んー、中原くんが寝たら。おいしい?」
「おいしい。これがおいしい」
「蓮根きんぴら?そっかー、また作るね」
「肉もおいしい」
「明日の分も作り置いてあるから、お昼にでも食べてね」
「ん」
明日のお休み終わってもまだ忙しいの?と聞かれて、あと三日くらいは、と答える。自分のスケジュールと照らし合わせているのか、視線を宙に彷徨わせた新城が、明後日だけは待っててあげられないかも、と困り顔をした。別に待っててくれなくてもいい。作って置いておいてくれているだけでも有難い話なのに。そう、噛んでは呑みくだす隙間に言えば、新城がへにゃりと笑った。
「でも、中原くんがご飯食べてるとこ、俺が見たいから」
「……そか」
「お仕事、毎日待っててはあげられないけど、毎日がんばれーって思ってるんだよ?」
「……………」
「んー?惚れ直しちゃった?」
「……うん……」
「え?あっ、泣いてるの!?そういうつもりじゃなかった!ごめん、思ったより弱ってたね、泣くのだって疲れるんだから、ね!」
お風呂入って寝よう!と言われて、いやだ、とやけくそみたいに味噌汁の器に手を伸ばした。よく分からないけど、ご飯が美味しいから、自分だって死ぬほど忙しいはずの新城が笑ってるから、明日は休みだから、がんばれって思われてることが嬉しいから。まだ食べ終わってないんだ、としゃくりあげながら告げれば、残したっていいんだよお、と眉を下げて言われた。だめだ。こんなにおいしいもの、お腹いっぱいでもないのに、残すわけにいかない。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした。目、真っ赤になっちゃった」
「うまかった」
「あは、嬉しい。お風呂、あったまってるよ」
「……新城寝る?」
「ううん。中原くんが寝るまでは起きてる、台本読んどきたいし」
「……じゃあいいや」
「なになにー?俺にしてほしいこと、あっちゃったりするの?今や国民的スターな新城出流くんを捕まえて好き勝手できるのは後にも先にも中原くんだけ、」
「風呂」
「な、ん……?」
「……風呂、今日もう入った?」
「……入った……あ、入ってない、日付変わってるし、入ってない」
「そういう体のいい感じじゃなくて……」
「さっき全身汚くなったからもう一度お風呂に入り直したいと思ってたの!」
「なにで全身汚くなったんだよ」
「もうハエたかってるから!ね!俺察したよ、中原くんが言いたいことが分かったけどそれを中原くんの口から言わせてしまうときっと君は恥ずかしがって絶対にそうしてはくれないから俺が言うね!」
「うるさ、声でっか……」
「お風呂一緒に入ろっか!」
「……ハエたかってる奴とは一緒に入りたくない……」

「いきかえるー」
「……お前風呂入ったんだろ?」
「一人で入るお風呂と中原くんの汁が滲み出たこのお湯には大きな差があるでしょ?」
でしょ?と言われても。汁ってなんだよ、体ちゃんと洗ったのに。洗ったのは新城だけど。中原くんは寝てていいから!と息急き切った新城が、指の先っちょから全部ふわふわの泡で洗ってくれたので、申し訳ないけど寝た。良い感じにあったかかったし、元々髪の毛洗われると眠くなるし、マッサージとかいっていろんなとこ揉みほぐされて気持ちよかったし、わざわざ出したのかいつも使ってる石鹸と違う匂いがしたし、まあもうとにかく寝た。泡を流すのにお湯をかけられて目が覚めた。白目むいてたけど眼球乾かない?と不思議そうな顔をされたが、白目むいてたなら起こしてくれよ。
「俺一人だと湯船浸からないからさー。中原くんがいてくれないと」
「そうなんだ」
「一人ならシャワーで終わりにしない?」
「……忙しくなければお湯に浸かるけど」
「眠い中原くんに湯船浸からせるとそのまま寝たりするから危ないんだもん」
前科があるだけに言い返せない。今は寝てもいいよ、俺がいるからね、と俺の背中にいる新城に腕を回されて、抵抗する気力もなく体を預けた。どうせきっと、朝起きたら、いないんだもんなあ。たまの休みだ、寝て潰してしまうことは分かっている。休みが一緒になる時には、新城がスケジュールを無理くり合わせてくれてることも、知ってる。本人は言わないけれど。
「明日はゆっくりしてね。俺は、ちょっと、一緒にはいられないけど」
「うん」
「夜には帰ってくるから。ご飯どうする?作ってもいいけど、遅くなっちゃうかも」
「待ってる。俺、作れないし」
「……買って食べてもいいんだよ?」
「なんで?」
「……うーん。ふふ。本気なんだもんなあ」
「なにが?」
「んにゃー、胃袋をつかめって言うけど、強ち間違っちゃいないねー」
嬉しそうな笑い声。顔が見えなくてもそれぐらいは分かる。忙しい彼を時々テレビ越しに見ると、同じ人間だってことは分かってるのに、ぽんこつな脳味噌は画面の中の相手を別人だと受け取って、不安になる。だから多分、こうやって、気取らない素の感情を向けられると、安心するのだ。眠くなる。ぼんやりと揺蕩う意識と目の前の湯気。マッサージの続きなのか、俺の手を取った新城が、指先から丁寧に揉み解しはじめた。あったかい。ねむい。かくりと傾いだ首に、甘い声が落ちた。
「全部してあげるから、寝てていいよ。おやすみなさい、中原くん」

「……………」
現在時刻、昼過ぎ。自分の腹の音に驚いて目が醒めた、なんて間抜けなこと、絶対誰にも言えない。見たことのないふかふか、ふわふわ、もこもこ?したパジャマが着せられていて、着心地はいいけどなんだこれは、と首を傾げた。新城が買ったんだろう。
空っぽの隣はもうとっくに冷たくて、そんなこと分かっていたけれど、やっぱり少し溜息が出る。そんなことはさておき、腹が減った。ダイニングテーブルには、冷蔵庫の中には昨日の残りがあるから好きに食べてね、なんて書き置きと、ハート形のホットケーキがあった。手の込んだことで。
「……はー。がんばろ」
とりあえず、今日は一日なんにもしない。


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