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ここで死ね



中原くんはストレス発散が下手だ。口は立たないし嘘はつけないし溜め込むし、そのくせふとしたきっかけで爆発する。例えば今みたいに。
俺の浮気は、中原くんに構って欲しいから。そんなことお互い重々承知の癖に、いちいち盛大に傷ついて泣き喚いて俺のことをぺしぺしと殴って暴れて追い縋って、終いにはいつも泣き疲れて、隣にいて欲しい、どこにも行かないで、と懇願する彼。俺はそんな彼の姿が見たくてたまらなくて懲りず飽きずに他の人のところへ遊びに行くのだけれど。
「、え」
「じゃ、今晩は帰らないから。明日学校でね」
中原くんが、来週提出の課題と格闘しているのは知っていた。バイトもきっちり入りながら課題のための調べ物をしてまとめあげて、そのせいで相当疲れてるのも、それがあるから構ってくれないのも、分かってたけど、つまんなかった。だから、中原くんが俺を引き止められないこのタイミングで浮気を決行しようと前々から思っていたのだ。ここに帰ってくるのは明日の夜。楽しみだなあ、と踵を返して玄関に向かいかけて、戻る。
待って、今やばい音した。
「なかは、」
「……、」
ぜひゅ、ひ、っひ、と息を吸い込む音だけが嫌にはっきり聞こえる。真っ青な顔で、がりがり自分の首を掻いている中原くんに、今このタイミングでストレッサーが爆発してしまった、と自分の失策を知った。過呼吸だ。溜めてたなら溜めてたって言ってよ、と思わなくもないけれど、カードを切る瞬間を間違えたのは俺の方なので、離そうとした手を引っ張り上げて抱きしめるしかない。しょうがない奴だなあ、もう。突き落として泣かせたいのは山々だけれど、苦しませたいわけじゃない。君が死んだら、俺にどうやって後を追えと言うんだ。
ぐう、とお腹を抱えるように丸くなって転がった彼を抱き起こせば、朦朧とした意識で何がしたいんだか、片手で自分の首を絞めるように抑えながら、反対側の手で俺のことを押しのけてくるので、全くもう、と溜息。どっか行け、ということなんだろうなあ。意地っ張り。泣きじゃくる元気なんかあるはずもなく、重力に従って流れ落ちる雫を舐めとって、ひくひくと痙攣する唇の端にキスを落とした。
「嘘だよ。ほら、吐いて。大丈夫、置いて行かないから」
「ひ、っひぐ、ぅ、っ、っ」
「中原くん。俺が意地悪かった。ね、許して。息吐いたら、うん、そう、もう一回」
「は、っはぁっ、ひ、っひぅ、っぁ」
吸って、吐いて、吸って、吐いて。リズムを教えるように、とん、とん、と胸をさする。大きく上下していた薄い胸板が、少しずつ落ち着いて、中原くんは全身汗だくだった。ぼろぼろ泣いてるせいで、引っかかるような呼吸は止まらないけれど、息はしている。湿った額を手のひらで拭ってやれば、ころりと膝から落ちるように寝返りを打たれた。拗ねておる。かわいい。
「……ぃ、どっか、いくなら、いっちゃえ」
「行かないって。嘘だもん」
「だ、っ誰かと、やく、っそく、してた、ろ」
「うん。してた」
「嘘つき、っなる、から、行けばいい」
「嘘つきになることにするよ。あ、突然ですが行けなくなりましたってお断りしたら、嘘つきにならないかな?」
「ぅう、るっさ、」
うるさいのはどっちだ。酸欠でまともに頭も働いてないくせして。このまま意識を落としてやろうか。いやに凶暴な気持ちのまま、頰を鷲掴んでキスを落とせば、むごむごとこもった声で吠えながら暴れ出した。蹴っ飛ばされるし殴られるけど、特に痛くはない。このまま気持ちよーく酸素の供給が薄れて寝てしまえ。目の下にはくっきり隈が残ってることも、ゆっくり休む時間もなくて精神的に追い詰められていることも、逃すものかという気持ちに拍車をかけた。来週提出なのになんでそんなにがんばるんだ、そもそもそんなにがんばる必要なんかないだろう、君はどうしてそうなんだ、変な時に自分のことを限界まで削って。言いたい恨み言はいくらでもあったけれど、ばしばしと飛んできていた足と拳が、力なくくたりと垂れたので、満足した。濡れた音を立てて舌を離せば、およそ綺麗とは言えない、汗と鼻水と涎まみれの顔で、白目剥きかけてぐったりしている中原くんがそこにいた。息はしてるから平気。
ちなみに、どうしてあそこまで根を詰めていたかというと、来週が提出期限なだけで早めに仕上げたい思いもあり、もっと単純に言えば来週が俺の誕生日だからだった。心置きなくお祝いをするために、急いでやるとキツイからゆとりある締め切りにされている課題を、一人だけ切羽詰まってやっていたわけた。もー、かわいいんだから!あの時あの瞬間の中原くんは、俺のために必死になっている事実と必死になっているせいで俺がいなくなる現実に、完全に板挟みにされたわけで、そりゃ過呼吸にぐらいなる。酸欠から突き飛ばされた睡眠の中に中原くんがいる間に用意した、たっぷりの肉汁が溢れ出すおっきいハンバーグと、味濃いめのコンソメスープと、チーズいっぱいのサラダ。寝起きに問い詰めた結果、全部ゲロって、俺の誕生日のために頑張るなら健康的に頑張ってくれないと許しません、と本人から断言されてしまった中原くんは、死にかけの青白い顔色のまま、ハンバーグを頬張った。
「……おいひい……」
「でしょー。最近ご飯ちゃんと食べてないの、知ってたんだからね」
「食べてなくない」
「味も分かんないうちから噛まずに飲み込んで腹の中に収めることを、食べたとは言いませーん」
「う……」
「俺がバイトでいなかった時の中原くんの晩御飯当ててあげようか。カロリーメイトと牛乳」
「……そんな簡素じゃない」
「あ、ほんと?じゃあ、じゃがりことウイダーだ」
正解は、どっちも当たり、である。俺がいない日の1日目、カロリーメイトと牛乳。2日目、じゃがりことウイダー。ゴミ箱を見たから分かる。そこまで根詰めて疲れ果ててることを知りながらお世話をしなかった、重ねて倍率の高いストレスをわざと与えた俺が完全に悪い。嫌な嘘ついてごめんね、さみしかったんだ、とがふがふハンバーグに貪りつく中原くんの左手に指を添えれば、一応人差し指だけ返事をしてくれた。自分も悪い、と思ってしまうような中原くんだから、俺は中原くんを弄ぶことがやめられないのだ。
お皿を空っぽにして、また課題に戻ろうとする中原くんをソファーに絡め取った。歯磨きでもしてあげようか、歯磨きって気持ちいいらしいよ、ちゃんと本腰入れてそういうことの一環として歯磨きすると漏らすぐらい気持ちいいらしいよ。そう嬉々として告げると、胡乱な目で見られたけれど。
「歯磨きは自分でする」
「じゃあちゅーしてもいい?」
「しない。歯磨きしてない」
「そっかー。じゃあしょうがないね」
「いい加減離、っ」
今さっきの「しょうがないね」は「それじゃあキスは諦めよう、しょうがないね」ではなく、「歯磨きもさせてくれないかと思えば歯磨きをしないとキスもできないというならもう無理やりキスするけど、しょうがないね」の略だ。残念。唇を一旦離して、はい息してー、と告げれば、ぜえぜえして、また俺に塞がれる。なんかそういう拷問みたいだね。数度目に、ぷちゅ、と可愛い音で唇が離れたけれど、真っ赤になってる中原くんの顔は、わけわかんないって書いてある全然可愛くもなんともないラリった目だった。そこがかわいい。大サービスしちゃう。
誕生日前からこんなことして、お誕生日が楽しみだなー。

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