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おはなし



花咲き病、と一般的に呼ばれるそれは、発症してしばらくすると、まるで花が枯れ落ちるように、死に至るらしい。もっとも、きちんとしたメカニズムがあって命を落とすに至るわけで、その病にかかったからと言って絶対に生きていけないわけではない。生をつなぐ可能性が著しく低い、という話だ。
だから、そんな話は信じていなかった。そもそもにして、花咲き病自体がとても稀有なものであって、実際問題、現実にそれが起こり得る事態が漫ろ有るものではない。都市伝説。街談巷説。そういう類のものは、よくあることだ。
だから。
「ここに種が埋まってるんだって」
前髪を捲り上げておでこを見せた幼馴染が、あっけらかんと笑っているので、へえ、としか声をあげられなかった。確かに、指されたそこにはすこしふくらみがあって、そうと言われなければただのたんこぶのようだ。これがたくさん咲いて、枯れたら自分は死ぬらしい。そう、すこし困ったように眉を下げて言われたので、そうならない方法はないのか、とぼんやり問いかける。
「それがねえ、ないみたいなんだよね。手術で種を取ったら俺は死ぬし、花が咲いちゃってそれが枯れても死ぬ。タイムリミットが決まったようなもんだよね」
いやあ、まいった。そう頰をぽりぽりと掻きながら言われて、ああ、これは戯言なのだ、と思うことにした。変わり者の幼馴染が吐く、酔狂な作り話。もしくは、誰かが作った戯言話に巻き込まれているだけ。そうだ。だって、人間から花が咲くなんて、有り得ないじゃないか。ましてやそれで死ぬなんて。そんなの、見たことがない。そんな現実は、信じるに値しない。この道化芝居が、早く終わればいいのに。

しばらくすると、朔太郎は常に花冠をかぶっているみたいに、蔦のような葉っぱを頭に纏わせるようになった。最初はちょろちょろした葉っぱだったそれが、いつのまにか青々と茂って、前髪と混ざって前が見えない、と朔太郎は勝手に伐採しているらしかった。変に短いところがところどころにある。気候の変化には、苗床である朔太郎本体と同じ影響を受けるらしく、過ぎるぐらい暑い日にはなんとなく萎れていた。純粋に暑いから体調が芳しくないのか、頭から生える草が萎れているから元気が出ないのか、本人にもいまいちわからないらしく、涼めるし水もやれる、ということで頭から水をかけてほしいと頼まれた。シャワーを浴びれば良かったのでは、ということに気がついたのは、如雨露で過ぎるぐらい水をかけて朔太郎がくしゃみを連発し始めた頃だった。
「あ」
「ん?」
「……花が咲いてる」
「え?どこ?見たい」
一輪目を発見してしまったのは俺だった。朔太郎からは見えないであろう後頭部。見たこともない、白い花だった。写真撮ってー、と呑気に言われて、断った。蕾があることも知らなかったそうで、まるで自分の育てた花壇に花が咲いたときのように喜んでいたけれど、俺は、これが枯れたらお前は死ぬのに、とぼんやり思っていた。口には出せなかった。
その一週間後には、こめかみの辺りにも白い花が咲いた。蕾もちらほらと分かりやすく膨らむようになってきていた。花の数が増えた頃、朔太郎が高い熱を出して、結構周りは心配したけれど、ただの風邪だった。タイミングが悪い。熱も下がって全快、花咲き病ではあるけれど全快、の朔太郎が、お医者さんが珍しいって言ってた、とちょっと照れていた。後頭部の一番最初に咲いていた花の辺りに、ぷつりと黒っぽい実ができているのを見つけたのも、俺だった。
「美味しいのかな」
「食えないだろ……」
「これ食べたら航介の頭にも花が咲くかもよ」
「罹患者を増やそうとするな」
「んー」
「……実は?」
「甘かった」
「……………」
「自分からできたもんだから平気だと思って」
俺以外に食べさせるのもアレだから俺のおやつにしかならないのが残念である、と朔太郎は肩を竦めた。食うなよ。一瞬目を離した隙に。ベリー系の味のような感じ、だそうだ。
朔太郎の頭の花は、ぽろぽろと咲き誇っては、実になった。見つけると普通につまんでは食べているので、あの実が体内に入ってまた芽付いて、延々とそれを繰り返せば枯れることもなく死ぬこともないのではないか、と思った。勿論そんなことはないらしい。やっぱり、頭のそれか枯れたらこいつは死ぬのだ。
しかしまあ、それにしても。
「案外枯れないな」
「うん。結構元気」
また花が咲いて、新しい葉が伸びて、実ができて、花が咲く。延々と、もう朔太郎の頭の花にも慣れてしまった。もっと切羽詰まった話なのかと思ったら、タイムリミットは案外ゆったりと設けられているようで。
次の異変は、またしばらくした後だった。俺の部屋で漫画を読んでいた朔太郎が、あ、と思い出したように、こっちを向いた。
「見て」
「あ?」
「ただの紙です」
「はあ」
「ただの指です」
「……はあ」
「いて」
紙の端で、ぴ、と指先が切れた。赤い血が滲むはずのそこには、白い液体がぷくりと浮かび上がった。花の幹を千切った時に溢れる、ちょっとべたべたした汁。ほら、血が出ない、と指先を見せられて、言葉もなかった。
「もうそろそろなのかなあ」

朔太郎がいなくなった。それは突然で、唐突だった。そろそろ、なんて言ってから、何回夏を通り過ぎて、何回如雨露で水をやったか分からないくせに、いなくなるときはあっさり、泡が弾けるみたいだと思った。それに、死んでしまったにしては、周りは普段通りだった。最初からそんな人間は存在しないみたいだった。まるで、そこにあった花がただ枯れただけ、取るに足らないこと、みたいな。もしかしたらそうなのかもしれなかった。俺が見ていたあの生き物は、ただの花だったのかもしれなかった。花にしては、饒舌だったなあ。それにそういえば、頭に咲いていたあの白い花は、いったいなんて名前の花だったんだろう。調べたけれど、いまいち分からなかった。植物には詳しくない。本当に実をつける花なんだろうか。蔦のように這う葉に、あんな花が咲くんだろうか。気になったけれど、分からないものは分からない。朔太郎がいたら、教えてくれたのかもしれないけれど。
普段通りに日常が回る途中、ある日、ベッドの上にあの白い花が落ちているのを見つけた。とりあえず、水にいけてみた。これは、朔太郎の未練だろうか。未練、ほど似合わない言葉もない。落し物、もしくは、忘れ物かも。それなら有り得る。それともヒントのつもりだろうか。花の名前を調べろ、と。
図書館に行った。植物園にも行った。一向に花の名前は分からないまま、何故か一輪だけ落ちていた白い花は、萎れることも枯れることもなかった。しかしこれだけでは実をつけることも葉を伸ばすこともできないらしく、そのままだった。いつのまにか俺は、花のことばかりを考えるようになっていた。分からないことだらけの花。

名前が分かったのは、頭に花が咲いた男の顔があまりはっきり思い出せなくなった頃だった。年を取ったという意味ではなく、日に日にぼんやりと、顔が思い出せなくなって、声も言葉も記憶から零れ落ちて、名前すらも曖昧に、霞んでいったのだ。きっと、花咲き病なんてものを考えた誰かが、それに飽きたのだと思う。だから、この世界は終わるのだ。そもそもきっと、俺も彼も、みんなして、まともに存在できるほどの価値がある人間ではなかったのだ。影法師でしかなくて、夢が覚めたら消えてしまう。だったら最初から、もっと早く、こうしていたらよかったのかもしれない。
その花は、人を殺す花だった。飲み込んだが最後、全身の筋肉の動きを止める、毒の花。心臓だって筋肉だ、それが動かなくなったら人間は死ぬ。葉っぱの方も違えば、実だって似ても似つかなかったけれど、あれから枯れることをしらない花が、全く一緒だった。枯れなかったのは、きっとこのためなのだ。
自分だけのおやつにするのがもったいない、と彼は嘯いた。確かに、甘ったるくて、でもどこか爽やかで、酸っぱくて苦くて、途方も無い愉悦が舌を焼く。白い花を飲み下して、目を閉じた。
早く、終わらせてくれないか。



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