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おはなし




『貴方に、伝えたいことが、最期に……』
『逝くな、逝くな、お涼!一人で逝くなぞ、許さん……!』
『いいえ、いいえ。貴方様に、伝えなければ、為らぬのです……』
ふるふると、首を横に振る男。顔をしかめて、眉を顰めて、腕の中で命を手放そうとする女の名前を呼び続ける。唇を白く染めた女は、柔らかく笑って、愛しい男の名を呼ぶ。自らが調べ上げた怨敵の潜む場所を口の端に上らせ、その敵に刃を突き刺されたことは言わなかった。言わずとも、伝わってしまっていることは、お互いに分かっていた。
貴方様に添い遂げられたこと、このお涼、至極幸せでした。じわりじわりと広がる赤に、女を抱く力を強めた男は、唇を切れるほど噛み締めて、顔を上げた。瞳の中で、煉獄の業火が燃える。
『……お涼。許しはせぬ。奴等を、決して、許しは……!』
「……中原くん……」
「……………」
「……ねえ中原くん……俺、君の全てにおいて大好きを振り切っている自信があるけど、俺の出演作を俺の膝の上で延々見続けるこの地獄の上映会だけは、もやもやするというか、如何ともしがたいものがある……」
「うるさい」
「……すいません……」
喋ってた分、巻き戻されたし。別に自分の出演作を見ることに対しては何も感じないのだけれど、「恋人に」「無言で」鑑賞されることに対して、何も感じないわけがない。嫌ではない。ただ、もやっとする。現実の俺を見たらいいじゃない。役柄に入った俺を見るのではなく、ここに今いる俺を見たらいいじゃないのよ。好きなだけ優しくしてあげるし、甘やかしてあげるのに。中原くんってば、膝の上に座っといて、画面の中の俺に集中するために、現実世界の俺には無言を強いるわけで。おいおい。
画面の中では、俺の扮した武士が、妻を失った怒りに燃えながら、敵を斬っていく。このために殺陣がんばったんだよ、俺。本物の武道家の人が、実際に二人でやりあってるところを、無遠慮にじろじろ眺め回したりとか。自分も実際やらせてもらって、おかしいところは全て指摘してもらった。自分の経験にないことは、一度経験すればいい。そうすれば、俺はその人に成れるわけだから。
無言。沈黙。エンドロール。この話は確か、ハッピーエンドではなかった。宿敵の組織を打ち滅ぼした男は、敢え無く捕らえられ、首を落とされたのだ。復讐の名を被った殺人の罪を、その命で支払った。偽物で作り物だとは分かっていたけれど、自分の生首がセットの中に混じっているのは、ちょっと可笑しかった。笑ってたら武蔵ちゃんにすごいどん引かれたけど。クレジットが流れきって、メニュー画面に戻る。俺の膝の上に踏ん反り返ってぽちぽちとリモコンをいじった中原くんが、ようやく口を開いた。二時間ぶりぐらい?
「……おい」
「……なあに……?」
「これやれ」
「……………」
巻き戻し、の後に、再生。潜入捜査に向かわんとする愛しの妻を腕に抱き、どうか無事で戻ってこいと、祈るシーンだ。中原くん、そういうとこあるよね。見たものの中で一番小っ恥ずかしいシーンを、俺にやらせようとするよね、毎回。しかも、毎度のことだからもう覚えたけれど、中原くんを腕に抱いてやるわけではないのだ。はい、と手渡されたくまちゃんに、一応、中原くんが彼女になってはくれないの?と聞いたものの、無視された。悲しい。膝の上に恋人がいる状況下で、彼に被さるようにセットされたくまちゃん相手に本気で演技できるかって?
出来ない、なんて格好悪いことは言わない。
「、」
ふ、と息を吐く。一度降ろして受け入れたものに、もう一度成り代わるのは、単純だ。思い出せばいい。この役をした時に感じた、全ての激情を、フィードバックさせればいいだけ。愛する女を戦場に出さなければならない自らの力不足と不甲斐なさ。それを補って余りある絶対的な信頼と、生き物で在れば感じて当然の不安。彼女が背中を預けられるに値する男で無ければ為らないと張り詰める矜持。布の塊に被さるのは、自分の復讐に地獄の底まで付き合ってやると誓った、一人の女だ。
「……君で在れば、無事に戻ってくることが出来ると、信じている。俺の信用を裏切る女ではないことも、知っている」
「……………」
「…………、」
くまちゃんの後ろから、据わった目が見える。なにを意図して中原くんが俺に再演を求めるのかは、申し訳ないことに全く分からない。ただ単純に、自分のためだけにやってほしいとか、熱烈な愛の言葉を吐かれたいとか、女優さんが羨ましいとか、そういう可愛らしいプラスな感情が基盤ではないことだけは確かだ。どろんと澱んだ、いろいろなものが入り混じりすぎて読み取れない目。割合素直で真っ直ぐな瞳を持つ彼が、ぐちゃぐちゃになる瞬間。好意と嫉妬、羨望と怨恨、慈愛と軽蔑、諦観と肉慾、好きと嫌い。ぬいぐるみ越しに見えるその目が、なにより愛しい。
本当なら、彼女の台詞が入るはずだった。ぬいぐるみは無言を貫く。だから、その無言を受けて、「彼」ならきっとこう宣う。
「……生きて戻れ。次にお前の声を聞くのは、吾が名を呼ぶ時と心得よ」
「……台詞が違う」
「だはー!もっと言うことないの!決死のアドリブだよ!」
「3点」
「10点中!?」
「100点中」
「手厳しいにも程があるんじゃない!?」



後日。またもや俺の膝の上を陣取った中原くんが、ちょっと前のドラマの録画を見始めた。うーん、これはちょっと恥ずかしいやつだぞ。とりあえず、いつものくまちゃんはソファーの裏側に追いやった。やれ、と無慈悲な命が下される前に。不意に、ぽちり、と一時停止ボタンを押した中原くんが、振り返りもせずに言った。
「お前この役やった時いくつ?」
「……なんでそう言うこと聞くの?」
「……サバ読み年増野郎……」
「あーあー!悪かったね25で!高校生役なんて柄じゃないの分かってたっつの!」
でも武蔵ちゃんが持ってきたんだから仕方ないでしょ!と吠えれば、ふむ、と頷き、また再生された。なによ!何か文句があるなら言いなさいよ!学ランとかブレザーじゃなくて、シャツにネクタイにカーディガンだったから誤魔化せてたようなもんで、当時現役女子高生の絶賛売り出し中な女優さんに並ぶのはそれなりに恥ずかしかったんだから!いくら先輩役と言えども25歳に高校生は無理がある!
そう俺は思っていたのだが、世間的には高評価だった。「まさに女の子が求めるかっこよくて頼れる憧れの先輩像」と持て囃され、若く見えると取ったらいいのか、幼く見えると取ったらいいのか、演技を褒められていると思えばいいのか、子どもっぽいと揶揄されていると傷ついたらいいのか、とても悩んだ。というか、撮影現場がみんな年下だったのもきつかった。現役高校生が多かったもので、大学生ですらない俺は「大人」として見られることが多々あり。
現在画面に映し出されているシーンは、一度でいいから二人で出掛けたいと強請る女の子の後輩に、だめ、やだ、と断り続ける先輩、という辺り。自分がやった役だけど、いや行けよ、行ったれよ、と思う。
『別に、今のままでもかわいいよ』
『じゃあ!』
『それはだめ』
『もうぅ……なんでなの!先輩!』
『君が後輩だからかな』
『なにそれ!』
『なんでも』
「おい」
「……ひい……」
「この時の頭にしてこい」
「……えっ?演れってんじゃなくて?」
「この変な、半分だけ上げてるみたいなやつ、今やれ」
「髪?」
「そう」
「いいけど……」
運の良いことに、この時とそんなに長さ変わらないし。くまちゃんがいないと、自分に直で演技が向くわけだから、それは嫌なのかな。俺はスタイリストさんじゃないからあれだけど、近くならできると思う。こんな感じかな、とざっくり整えてリビングに戻ると。
「……………」
「……………」
「……くまちゃんさんじゃないすか……」
「ここをやれ」
俺を、リビングから、引き離すための、罠だったわけね。中原くんにしては考えたじゃない。しっかと抱かれたくまのぬいぐるみに、お前さえ見つからなければ、と思わずにはいられなかった。しっかりソファーの後ろに隠しただろうが、ちゃんと隠れてろ。
どこで一時停止されてたかって、後輩女子からのデートのお誘いをついに受けることにした先輩が、彼女を壁に縫い止めて、一言を吐く直前だった。おい。どうしてこう、ラブシーンばかりを演らせようとするんだ、中原くんってば。恥ずかしがらなくても、こんなのよりよっぽど甘ったるく落としてあげるのに。
「無視すんな」
「……立って」
「なんで?」
「壁ドンするシーンだから……」
「はい」
「くまちゃんを壁にドンしろと!?中原くんがいるのに!?」
「はい」
つかつかと近づいて、壁際のハンガーラックにくまちゃんを突き刺し直立させた中原くんが、行きと同じ速度で帰ってきて、ソファーに戻った。かわいそうなくまちゃん。お尻にあんな太いものを。とか言って笑い飛ばせる雰囲気ではない。中原くんの目が怖いからだ。
仕方ない。やるっきゃない。中原くんがいるソファーからは、俺とくまちゃんの斜め後ろのポジションをキープしている形になる。あのドラマのカメラワークでは、女の子側からの目線で俺に口説かれる体験が出来る。しかしながら今の中原くんの位置からだと、口説く俺を見る感じになるけど、それでいいんだろうか?まあ、今までやらされた再演も、カメラワーク、もとい中原くんの位置は撮られたものと違うことがほとんどだったからな。
降ろすのは、年下の女の子を翻弄したい先輩。自分に惚れている女を、ただただ可愛がり、困らせ、踊り狂わせ、自分のことだけを考え続けさせたい。一度断って、仕方がないからと受けたふりをして、彼女の脳内に自分の存在を刻み込むために画策を練る、ずるい男。まあ実際、高校生の話だし、そこまで理論づけて考えなければならない根幹ではないのだけれど。俺に似てるな、と思ったのは覚えている。強欲で、我儘で、狡くて、周りのことは考えていない。相手が自分を好いていることに甘えきっている。くまちゃんは、後輩の女の子。壁に縫いとめられて、ほんの少しの恐怖と、強引な行為へのときめきと、脳髄を浸し切った恋慕を、ごちゃ混ぜにした目でこっちを見ている。
「お前、俺のこと、満足させられんの?」
「……………」
「……え?ここだけでいいんだよね?」
「6点」
「ひっっくい!もっと先までやったらよかったの!?」
「新城出流感が強すぎて6点」
「仕方ないじゃない!君からしたらそりゃそうだよ!」
「うるさいからマイナス2点」
「うぐう……!」



「これ」
「無理」
「やれ」
「無理!セットがないとこれは無理だよ!」
「見たい」
「ああーわあーかわいい!でも流石に自宅でスタントはできないから!」
「チッ」
また数日後。中原くんが次に持ってきたのは、SFちっくなバトルものだった。やって、とおねだりされたシーンは、力を制御できずに暴走するヒロインを抱きとめて落ち着かせる場面なのだが、普通にCG使いまくりのばりばりアクションなので、これを素面でこの場でやれというのは、俺がやりたいかやりたくないかに関わらず、無理だ。俺はワイヤーも無しに宙に浮けないし、くまちゃんには手足合わせて4本しか生えていないし、10本の手足に片腕を引き千切られながら彼女を宥めるシーンの再現は、無理。やってよ、とかわいく、本人は全く無自覚だろうけど、上目遣いで唇を尖らせて拗ねられて、やれるもんならやるさ、目からビームだって打つさ、と思う。できないんですよ、基本的に俺ってば人間だから。
「じゃあこっち」
「……うーん……」
「はい」
「……くまちゃんじゃなくて中原くんがいい」
「そういう希望は聞いてないから」
早戻し、一時停止。熱烈なキスシーンで止められた画面に、くまちゃんは毛もじゃだからキスしたくない、と抵抗すれば、差別だ、と罵られた。いやいや、差別もクソもないでしょ。ぬいぐるみに舌入れてキスするって、ただの変態だよ。これは普通にやりたくない。やりたくないです、と正直に言えば、不満げな中原くんが、俺に背中を向けて再生ボタンを押した。全年齢向けの映画の割には洋画を彷彿とさせるしっかりしたラブシーンに、中原くんが突然裏手で俺の目を狙ってきたので、避けた。あっぶね。ばれた。顔を覗き込もうとしたのがばれた。
「邪魔」
「照れたりとかしてるかなーって」
「しない」
「えー。してよ」
「下手くそだからしない」
「……………」
「まさぐるな」
「しろよ!照れたり!反応を見せろ!」
「うるさい」
戻された。この映画はしっかりめのCGとアクションが売りだったから、多分中原くんの求める「これやれ」が、現実的にできない。しかもこれ、俺主演ではないしね。ヒーロー役の幼馴染、っていう立ち位置だしね。ヒロインにヒーローがぶち殺されるから、実質最後の方俺のアクションばっかりだけど。その分、というかなんというか、前半に俺の出番はそんなにないわけだし。普通に全部見終わって、演じ直して欲しい部分がなかったらしい中原くんが、ふん、と鼻息荒く踏ん反り返った。膝の上で反られると、普通に痛いのと変なところが擦れるので、やめていただきたい。
「……間違えた」
「なにを?借りてくるのを?」
「うん……」
「見たことなかったの」
「あった」
「?」
ちょっとよく分からない。見たことあったのに覚えてなかったんだろうか。有り得る。どうせ俺の出てるとこなんか鼻で笑って半分寝てたのかもしれない。もしくは、素敵!かっこいい!ってなっちゃってもうストーリーなんか目に入らなかったのかも。どっちだろう。個人的には後者がいいので後者ということにしておく。
「……なんかやれ」
「無茶をおっしゃる……」
「今撮ってるのなに。それやって」
「嫌ですう。ゴリゴリの恋愛ものですう」
「相手誰?」
「お?嫉妬?かわいー」
「誰?」
「あのー、若林菜葉さん。朝ドラの人」
「……名前ちゃんと覚えてんの珍しいじゃん」
「クランクアップするまでは覚えてるよ」
「終わった途端に忘れるんだろ?最低」
「そう?そんなもんじゃない?」
「最低」
御機嫌斜めらしい。どす、と握り拳を太腿に数回叩き落とされて、ふてくされた中原くんは目を閉じてしまった。うん。ねむいの?
「ねむくない」
「怒ってるー」
「怒ってない」
「なにに怒ってんの?」
「うるさい」
「痛い!折れちゃう!」



中原くん相手の禁じ手がある。
「も、いい、いららい、のめらい……」
「でももったいないよ、ほら、あとちょっと飲んじゃって」
「げろでる……」
「出たらお掃除してあげるから。はい」
「んぐう」
その名も、アルコール摂取、である。鬼さえも酔わせる毒酒でも有るまいに、適当なチューハイで普通にべろんべろんのぐっちゃぐちゃに酩酊してラリってくれるので、俺も彼にお酒を飲まないでくれと禁じているし、彼も余程のことがない限り外では飲まない。でもまあなんというか、中原くんもお酒が嫌いなわけではなく、俺が飲ませようとすれば飲む。そういうところがちょろい。理性を消しとばす方法を俺に委ねてしまうところがもうだめ。ちょろっちょろのちょろ。ちょろ原くんに改名して。
ソファーに座っているのは俺だけ。中原くんはラグに直接座って、背中をソファーに預けている。お分かりだろうか。この体制の時点で、俺はほとんど飲んでない。中原くんを酔い潰すためだけのお酒である。それに本人が気づいていないのも馬鹿ちょろい。最高。俺、飲んでるふりすらしてないのに、中原くんが勝手に「新城も同じ分だけお酒飲んでる」と思ってるだけだからね。しかも下手したら、負けず嫌いの彼のこと、こいつよりも飲んでやる!と思っていてもおかしくはない。ちょっろ!
けぷ、と水っぽい息を吐いた中原くんが、もうからっぽなった、と満足げにグラスをこっちに寄越すので、新しく注ぎ足してやってそっと戻せば、からっぽなってない!とショックで泣き出した。めそめそするなよ、興奮するだろ。残ってたらもったいないから、と勧めると、中原くんは「捨てるぐらいなら仕方がない」と飲み続けてくれるので、ここまで酔わせるのはとても簡単なのである。
そして、今日の本題。
「ねえ、中原くん」
「なに……」
「どうして俺と一緒に俺の出てる作品見て、これやれーあれやれーって言うの?」
「……やだの?」
「やだじゃない。不思議なだけ」
ぽや、と見上げられて、ぐらぐら揺れている頭を撫でる。会話が通じるレベルで脳みそを残しておき、且つ理性は焼き切ってしまうと、中原くんは俺の言うことをなんでもしてくれるし、なんでも答えてくれるのだ。別にいやらしいことになんか使ってないよ。だって一回ベッドでゲロ吐かれたもん。
んー、と考えた中原くんが、どこがふしぎ、と首を傾げた。不思議なのは理由であって、もう一回を求められることについてはなにも思っていないのだけれど。そう返せば、りゆう?と手に頰を擦り寄せられた。
「しんじょおの、いつもとちがうとこが、かっこいいから」
「……………」
「ぁえ、くち、ぁにふるんら」
「……はー……」
「ぉ、えっ、ぁに、ぃ、ぉえぇ」
「……はああ……」
頰に添えていた右手の親指を、中原くんの口の中に突っ込んでべろを押さえたまま、溜息。これ以上喋らないでほしい。ので、物理的にべろを押さえさせてもらった。まさか本当にそういうストレートな理由だとは思っても見なかったのだ。なにかしらかの考えが中原くんなりにあって、それはもしかしたら女優さんへの嫉妬かもしれないし、もしかしたら自分の知らない場所で自分の知らない顔をする俺への意趣返しかもしれないし、とにかくそういう理由があると思ってた。マジでほんともう、いい加減にしてよ。いつもと違うところが?かっこいいから?はあ?としか言えない。好き通り越してキレそう。中原くんが根本的に「新城出流の見た目がド好み」であるということを忘れていた。それが理由でこいつは俺と海やプールには絶対に行ってくれないのだ。それはおいといて。
だったら、自分に向かって演じてほしいと思わなかったのも、納得がいくといえば、そう。物語に入り込んだかのように感じたい、わけではないんだから。むしろどちらかというと、カメラワークと別の方向から見たほうが、「いつもと違ってかっこいい」俺を、二度楽しめることになる。それは例えば、二人を引きで写していたシーンを、まるで自らが抱かれているかのような位置で、最も近くで体感することであったりとか。例えば、壁に縫い付けられてときめくシーンを、その様を少し後ろから全体図として眺めることであったりとか。ワイヤーアクションだって、もしやらされていたとしたら、変な位置から観察されていたに違いない。俺の真下とか。
「ひんろぉ、くぅひい」
「黙って。吐きたくなかったら黙って」
「ぁい」
「……指しゃぶらないで」
「?」
しばらく。落ち着くまでに、かなりしばらく、時間を要した。予想と違う現実、とかいうやつ、苦手です。
ソファーの上に招き入れれば、いそいそと嬉しそうに登って来た。膝の上に抱き込んで、じゃあ今日はこれを見ようね、とレコーダーのリモコンを操作する。すっかりそういう気になってる中原くんを半ば力づくで押さえつけながら再生したのは、
「……ひ、」
「これ中原くん嫌いだもんね」
殺人鬼役として一躍名を馳せることになった、出世作にしてほぼ処女作。監督、剣崎仁志。主演、中野竜比古。撮影中、久しぶりの演者側なせいで役に入り込みすぎて戻ってこれなくなった俺にブチ切れられたりとか、泊まり撮影で強制的に引き剥がされたりとか、そもそもこれに出るにあたってのいざこざとか、そういう全部をひっくり返されてフラッシュバックさせられるこの映画が、中原くんは大嫌いである。珍しく、俺の出演作品の中で唯一と言っていいくらいに、見ることを避けている。ちゃんと視聴している中原くんの姿は一回しか見てないし、その一回も、普通にそのあと体調崩した。精神面のダメージが、体調に如実にフィードバックするタイプなもんで。
「中原くん、ゲロ吐いていいよ」
「……………」
普通に真っ青だったから冷静になったのかと思ったら、全くもって酔いは冷めてなかったし、泣きじゃくられながら「だいっきらい!」って逃げ出された。ショック。



「だいっきらい訂正して」
「うそです、うそ、ゅゔ、ゆるして、っあぅ、う」
「あっ」
「おえええ」
ベッドでゲロ、二度目まして。




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