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おはなし



「うみねえ、わんちゃんかいたいの」
「わんちゃん」
「わん……」
ちゃいろいのがいい、ちっちゃいのがいい、と希望を述べつつ寝てしまった海をとんとんしながら、ついに来た、とぼんやり思う。
「ペットかー……」

「無理」
「だよねえ」
「世話できないのに、可哀想だろ」
航介に一応伝えたところ、ばっさりだった。問答無用!って袈裟懸けに切る姿が見える。理由も理由でしっかりしていて、海に直接、わんちゃん、とおねだりされても、今の言葉と寸分違えることなくばっさりと切り捨てるのだろう。とはいえ俺も同意見で、動物は嫌いじゃないけど、今この状況で犬やら猫やらを迎えて世話を見切れるかと言われると、全く自信はないし、頷けない。だからこその、珍しくも二人して同意見の「ペットはダメ」なんだけど。
「……海しつこいからなあ……」
「ただ言ってみただけかもしれないだろ」
「俺がダメなら航介、航介がダメなら俺、俺がまたダメなら航介、ってはしごするじゃん」
「途中で甘くなるなよ」
「うーん……」
その自信が最も無い。ちっちゃいお願いごとなら頻繁に聞いてしまうことに定評のある俺である。例えば、「アイスたべたい」とか。「くつはかして」とか。「おふろはいんない」とか。その他諸々。結局航介に見つかると、海は叱り飛ばされた挙句に大泣きになるし、俺も反省するのだけれど、しょうがないな〜ってなっちゃうんだもの、しょうがなくない!?しょうがない時、航介にはないわけ!?
「無い」
「……うわ、マジで無さそう……」
「なんだその顔」

「さくちゃん」
「ん?」
「うみ、わんちゃんのえ、かいた」
「……うん」
「ちゃいろい。これはうみ。おさんぽちゅー」
「うん」
「どう?」
「上手と思う」
「……ちがう……」
ちっ、とでも言いたげな顔で、紙をくるくると丸めた海が、クレヨンが散らかってるちっちゃい机へと帰っていった。なるほど。直接ではなく、間接的におねだりしてくる作戦だな。もしかしたら航介に既にばっさー!って断られたのかも知れない。よく考えた、我が息子。さくちゃんはそういう心理攻撃にめっぽう弱いぞ。そして一応追加説明しておくと、上手と思う、はただのお世辞であって、あまり上手くない。あれが犬だとしたらこの世にはクリーチャーが溢れかえっていることになる。
「さくちゃん」
「はい」
「おやつあげる」
「え?海の好きなクッキーだよ。いいよ、食べなよ」
「ううん。おやつがまんする」
「……なんで……?」
「おやつのおかねで、わんちゃんのごはんかうから」
「……うちにわんちゃんはいないのに?」
「かうから」
真顔。しかも駄目押しで二回言った。いつもいいだけふにゃんふにゃん笑ってるあの海が、真顔。ガチじゃん。めっちゃ本気で欲しがってるじゃん、犬。あげます、と3枚あったクッキーのうち2枚を突き返して来た海が、ふーう、とあからさまに溜息をつきながら、俺の前でちっちゃい子向けの図鑑を開いた。うわー!動物のページこれ見よがしに開いてるし!しかも海の指がどこからどう見ても「犬:dog」って書いてあるところを指差しているし!しかもよく考えたらちゃんとちゃっかり1枚クッキー食べてるし!
「……海ちゃん。こーちゃんにも言われたかも知れないけど、うちでわんちゃんは、ちょっと飼えないかなあって」
「いまはだめってこーちゃんゆった」
「え?」
「うみがもっと、かっこいー、おっとなー、になったら、わんちゃんきてもへいきなるから」
おっとなー、っていう言い方がもう大人ではない。しかし、海にしては真面目に取り組んでいるらしい。おべんきょもする、おとなだから、と俺が昔使ってたパソコン指南書を開いてふむふむしている海に、なんて書いてある?と聞いてみた。
「わんちゃんはかわいいから、おうちにいたほうがいいですよー、てかいてある」
「どこ?」
「ここ。うみにはみえる」
「たくさんのファイルを選択したい時にはシフトキーを押してクリック、って書いてあるよ」
「さくちゃんめがねこわれてる」
壊れてねえ。

ちゃいろくてちいさい犬、を海が飼いたがったのは、確かそれが最初。5歳ぐらいだったか。今現在。それから5年。
「犬ほしい」
「駄目」
「こーちゃんのけち!こわいかお!」
「ランドセルを投げるな」
「うーわ!こっわいかお!」
「生まれつきだ」
こういうところはお前に似た、と海を指差した死んだ目の航介に、申し訳ない、としか言えなかった。海としては航介に暴言を吐くのはかなりの苦肉策なので、多分30分もしないうちに萎れた花みたいになって謝りに行くと思う。
何きっかけで「犬飼いたい」が再燃したのかと思えば、テレビだった。海がハマってるアニメの主人公の相棒キャラが、犬モチーフらしい。しかも海好みの「ちっちゃくてちゃいろい」。その犬もどきは喋るんだけど、とにかく犬を飼いたいモードの海にはそんなこと瑣末であるらしく、絶対打破出来なさそうな航介にまず食ってかかってみている。多分いくら押しても倒れないぞ、その鉄壁要塞。昨日俺がスーパーで、これ食べたいなあ、ってカゴに入れたお菓子、何回入れ直してもいつのまにか消えてたもん。結局買ってもらえなかったもん。
あからさまに溜息ついて、航介にはちゃめちゃアピールしている海だが、当の航介は全く意に介していない。スーパーのチラシを見ている。暇つぶしに見ているというよりガチチェックなので邪魔しないほうがいい。
「はあーあ、ぼくの家にはぼくよりちっちゃくてかわいいものがいない」
「くまごろうがいるじゃない」
「生き物」
「……くまごろうにだって命があるかもしれないじゃない」
「ない。ぬいぐるみだから」
かわいそうなくまちゃん。幼い頃の海にしゃぶられたり投げられたりして、腕がもげかけだから棚に避難して、今となってはインテリアと化しているのに、散々な言われようだ。くまごろうだってちっちゃくてちゃいろいのにねー、と久し振りにぬいぐるみを取れば、ちょっと埃っぽかった。思い出の品ではあるので、外でぱたぱたと埃を落としてやっていると、海が無言で寄ってきた。なんだ、さくちゃんのことを押し切ったとしてもあの鉄壁を倒さないとうちに犬が来る日は一生やってこないぞ。
「……くまごろうでがまんする……」
「生きてないよ?はい」
「……とりあえずは……」
ぎゅ、とくまを抱いた海が、久しぶりの感覚にしっくり来たのか、ちょっと顔を綻ばせた。あれを抱いてる海なんて、いつぶりだろうか。小学生になってすぐから一時期、何をするにもあのくまを連れていた時期があった。学校には連れて行かなかったが、片手で抱ける程度の大きさのぬいぐるみは、大きめの鞄になら詰め込めるサイズで、だから摩耗が激しくくたくたになってしまったのだけれど。小学生になった自分と幼いままの気持ちが、くまを連れ歩くことでバランスをとっているようで、何も考えていないようでいて結構繊細なのだなあ、なんてその時は思ったのだ。今はただの代替、というか、海自身もちょっと懐かしさがあるらしく、ぎゅっぎゅと抱き心地を確認しているけれど。
「……懐かしいもん持って」
「くまごろうが生きてたら、わんちゃん欲しいなんてゆわなかったのになー」
「熊は凶暴だぞ」
「こーちゃんとどっちのがこわい?」
「熊」
「くまかー」
くまごろうを頭に乗せた海が、しっくり来たのかそのまましばらく過ごしていた。航介もなにも突っ込まないし。

それからまた5年。海、15歳。
「こーちゃん。犬飼いたい」
「……何度目のブームだ、それ」
「海辺をわんこと一緒に走りたい」
「置いて行かれるんじゃないか?」
「そういうリアルな話はいいの!ちょっと見てよ」
「はあ」
「こう、俺がこう、ここ。わんこはこう走る」
「はは」
「笑った!こーちゃん俺の理想を笑った!」
「うけたから」
「うけない!うけません!」
「絵が下手」
「じゃあこーちゃん書いてみてよ!おい!おうこら!おい!」
「犬飼いたくないって言えたら絵でもなんでも書いてやるよ」
「飼います!」
「飼いません」
「おうこら!おう!」
「全然重くない。微動だにしない」
「ゴリラ!こーちゃんのこはゴリラのご!」
それじゃごーちゃんじゃねえか。どす!どす!と航介に寄りかかっている海だけれど、悲しいかな、身長もそんなでもない上に、体重もそんなでもないので、成長期の男子なら少しぐらいよろけさせられてもおかしくはない歳の男に鼻で笑われている。航介が重いっていうのもあるけど、あっ嘘です、脂肪じゃないです、筋肉です。
「さくちゃん!」
「はい」
「わんこ!」
「こま」
「しりとりじゃない!補聴器いる!?」
「まだいらないね」
「そうだな」
「そういう話じゃなーい!」
しばらくぷりぷりと腹を立てていた海だが、どたばたと出て行ったかと思うとにっこり帰ってきた。なんだ、情緒不安定か。怪しむ俺に、海がにんまり答える。ちなみに航介は海の一騒ぎがまるで無かったことのようにあっさり出掛けた。
「しろたさんが会いに来てくれた」
「しろたさん。ああ、あの野良」
「海っぺりに家出してやろうと思ってチャリ乗ろうとしたら、しろたさんが乗ってたの。かわいい。撫でさしてくれた」
「海から歩いて来たのかな。猫からしたら割と距離あるんじゃない」
「俺に会うために……うん、しろたさんはいいやつだから……」
「そのしろたさんに、海は猫より犬派だって言ってきていい?」
「駄目!犬派とかじゃないから!猫派でもないから!共存!両方とも大好きだから!あっ、鳥も好きだから!あとライオン!」
「ライオンは猫科では」
「狼も好き!」
「犬科か……」



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