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おはなし



「なんにもしたくないです」
「は?」
「明日のお休みは中原くんが俺のお世話をしてください」
「なんで?」
特に理由はない。気分である。

俺は中原くんを甘やかしに甘やかして同居生活を送っている。家事担当は俺だし、なんならいろんな諸々の支払いも俺だし、中原くんの担当は「かわいい」と「たまに泣いて俺を興奮させる」なので何の問題もない。というか赤裸々にぶっちゃけた話、俺の方が収入が格段に高いので、中原くんに頼るべきところは何一つ存在しないのだ。今住んでるこのマンションだって、俺が買ったわけだし。まあ、中原くんにはそういう諸々は伝えていないため、ふわふわっと誤魔化している。先日、これじゃヒモじゃないかという事実に愕然としていたけれど、俺がやりたくてやっているんだとか、旦那さんの立場として君に頼りたくはないんだとか、あとはもうなんか抱いたら有耶無耶になった。中原くん、馬鹿じゃないけど、頭ゆるいから。決定的ななにかが足りてないから。かわいいからしょうがないね。
しかしながら。先日から続く撮影ラッシュ、もとい、出演映画のクランクアップを終えて襲い来る、インタビューとバラエティーでの宣伝活動に、俺は疲れているのだ。演じるのは疲れない。その人になればいいだけだから。しかし、宣伝のためにお喋りしているのは「新城出流」であって、番組を作っている人も、勿論テレビでそれを見ている人も、演じている役としての俺ではなく俺本体を望んでいるパターンが圧倒的に多い。率直に言おう。バラエティーは苦手だ。インタビューはそれなりに考えておけば答えられる。が、笑いを求められるバラエティーでは、うっかり口が滑りかねない。下手なうっかりを打つと、武蔵ちゃんが鬼神になってしまう。それは避けたい。気を遣うというか、うっかりに気をつけながら上手くお喋りするのが苦手なのだ。中原くんといる時みたいに喋るんだったら何時間でもくっちゃべれるんだけど、人気俳優であるところの新城出流に求められているのは、恋人の太ももに俯せで顔を埋めて「脳みそが溶けるまで甘やかしてほしい」「俺のママになってくれ」「あとこの後一緒にお風呂入りたい」「その前に膝の裏を舐めたい」と延々駄々をこねたりする姿でないことだけは確実だろう。ちなみに今の俺ね。
「気持ちが悪い。死んで欲しい」
「……………」
「急に黙るなよ……」
「……………」
「離れろ」
「あだだだ髪の毛抜けちゃう」
「匂い嗅ぐな」
「足閉じて座ってるからじゃん!中原くんのせいだよ!?」
「そ……ちがう……うん。違う」
そうか、と一瞬思いかけて、流されまいと首を横に振った。ちっ。作戦失敗。強めの口調で押し切ると、涙目で流されてくれることが多々あるのだけれど。
お風呂とか膝の裏とかは抜きにしたとしても、中原くんに甘えたい、お世話をして欲しい、という欲望に嘘偽りはない旨を伝え、お仕事で疲れたというこじつけの理由も事細かに説明すれば、意外と中原くんは黙々聞いてくれた。お休みの日でも中原くんの朝ごはん作って中原くんのお洗濯してるのは俺だよ、という一言に肩が揺れたので、やっべ、と思ったんだろうな。こっちもやりたくてやってるんだけどね!
「わかった」
「……ほんとに分かってる?俺のお世話をするっていうのがどれだけ大変か分かってる?成人男性の本気の駄々捏ね抑えられる?」
「なんで駄々を捏ねる前提なんだよ……」
「中原くんはきっと俺のことを放置するから」
「放任主義なんで」
「ほら!そういうことするとペナルティーだからね!イエローカードだから!」
「ふん」
ちなみにイエローカードが溜まった枚数によってこういうことが起きます、と具体的な内容を提示したところ、それまでは頬杖ついてそっぽ向いてたくせに、いつのまにか足は揃えてたし手も膝の上にあった。良い子。善処します、と嫌に真面目くさって言われたので、ちょっとおかしかった。
「じゃー、明日は楽しみだなー」
「……なにもできないからな」
「ん?」
「新城が思うより、俺は、本当に、何もできないからな」
「うん」
知ってるけど。念押しされて頷けば、よし、と意思を固めたようだった。たまにはこういうお休みがあってもいいよね。

朝です。
「……………」
絶対起きなそう。絶対。中原くんが俺より早起きしたのなんて見たことない。この人、朝弱いんだよねえ。寝起き悪いし、ほっとくとずっと寝惚けてるし、「仕事」「学校」とかの予定があってはじめて怠い身体を無理やり動かし支度に取りかかれるタイプの人間だ。それに比べたら自分はかなり寝起きが良い方だと思う。
どうしたものか。普段通りに走りに行きたいのだが、走るとお腹が空く。いつもなら、帰ってきて朝ご飯を作ると中原くんが起きてきて、という感じなのだが、今日は家事全般を彼に任せる予定であって、朝っぱらから俺がやってしまうとその後全部、でも結局やってくれる、と投げ出される危険性がある。ていうかその未来しか見えない。中原くんよ、もうちょっとしっかりしてくれ。嘘、しっかりしなくていい、俺に世話を焼かれててくれ。でも今日だけはいつもより少し自立してくれ。すこー、と安らかな寝息を立てる中原くんは、カーテンから差し込む朝日なんかじゃ目覚めるわけもなく、かといって目覚まし時計があってもそれを無視して睡眠に明け暮れる事が出来る人間なので、もう打つ手なし。左手を抱かれているので、もう今日は走るのは無しにしてこのまま寝顔を見つめて過ごそうか、とすら思う。いつもなら、この後のことまで考えて、苦渋の決断で彼から離れベッドを出るのだけれど、寒いからか寂しいからか、引き剥がす段階で必ずぺたぺたと幼気な手で追い縋られるのだ。それも無しにできる、と思ったら、それはそれで。
二度寝なんて何時振りだろうなあ。

「……ん″」
「おはよう」
「……あ″ぁ……?」
目つき悪し。朝というか昼に近い時間になってようやく、中原くんが目を開けた。お腹が空いたんだろうな。ぐうぐう鳴ってたから。俺もお腹は空いたよ、久しぶりの二度寝から目覚めてからもう一時間以上は経ってるもの。しかも二度寝なんかしないからなかなか寝付けなかったし。最終的に中原くんの睫毛の本数とか数えてたし。柔らかな朝日が差し込む中に何時もより角の無い幼い顔が引き立ち丸い頬は砂糖菓子の如く云々、とかなんかのナレーションみたいなこと考えちゃってたし。
目覚めた時に俺が隣にいるという状況が、中原くんにとってはレア中のレアだ。何故お前がここに、と言いたげな顔をされて、寝惚け眼というよりは睨むと同義の険しい目で見られて、理解が追いつかなかったらしく結局瞼を落として寝息を立てはじめた中原くんを、流石に起こした。すごい機嫌悪いんですけど。抱き起こして着替えさせるまでの間、何回腕の間を抜けられて布団に戻られたかわからない。そのしぶとさを見せられるぐらいなんだから、もう完全に目覚めてるでしょ。
ダイニングに連れ出し、さあどうぞ!と手を広げれば、くあ、と猫のような欠伸を返された。もう充分寝たでしょ!昨日の夜は無理させてません!ほとんど開いてない目をぐしぐし擦った中原くんに、エプロンを突きつけて言った。
「お腹空いた、朝ご飯作って」
「……………」
「お、は、よ、う!」
「……うるっさ……」
「だってお腹ぺこぺこ、あ?ねえ、どこ行くのさ!」
「コンビニ」
「寝癖めっちゃついてっけど!」
あ、そのまま出て行きやがった、あいつ。まさかとは思うがあのまま夜まで帰らなかったら許さんぞ、という勢いのまま、後を追う。隠れもせず堂々と、ねえねえねえ朝ご飯朝ご飯、とうるさく後を付いていけば、苛立ち100%の舌打ちが返ってきた。こわ。マンションの下にあるコンビニに到着し、ポケットに手を突っ込んでずかずかと進んで行くので、後をついていく。
「……なに食うんだ、お前」
「え?」
「……腹減った……」
「……えっ?まさかご飯買いに来たの?えっ、ねえ!?俺作ってって言ったよ!?」
「食わないならいい」
「わああ!ほんっと寝起きの君は話が通じないなあ!あっ待ってレジ行かないで!食べます食べます!」
レジまで行って、中原くんがお財布を持ってないことに気づき、「だって新城がいつも持ってるから」と宣われ、不貞腐れて拗ねながらも店員さんの手前ちょっと恥ずかしかったのか耳が赤くなってるのを見てしまったので、走って財布を取りに行く羽目になった。中原くんの財布を持って来てやれば良かったのだが、俺は人がいいので自分の財布を持って来てしまった。当然のように払わされた、というか俺の財布から中原くんが払ったけど。そういうとこだぞ!ヒモなのは!
おにぎりが二つ、パン、お湯入れたらできるスープが二種類、野菜ジュース、プリン。どっちにどれが行くかはご想像にお任せしたい。自分を守るために言っておくと、俺だったらおにぎりとオニオンコンソメスープとプリンなんて食べ合わせはしない。朝ご飯を食べて目が覚めた中原くんが、とても悪い目つきととても悪い態度をけろっと忘れて、ごちそうさまでした、と満足そうに手を合わせる。かわいい。そういうところはきちんとしている。
「……夜ご飯は作ってくれる?」
「……お湯入れて3分?」
「料理できないなら言ってよ!」
「できる。お湯切れる」
「そうじゃない!ラーメンか焼きそばかの違いじゃない!」
「あ、スパゲッティーならできる、ゆでてソース混ぜるだけだろ、あんなもん」
中原くんは今まで自分が食ってたパスタがそうやってできていると思っていたらしい。がっかり通り越して唖然だよ。お前、この野郎、俺がそんな風に君のご飯を拵えたことがあったと思っていたのか、おいしい!と言われるためにこっちは必死だっていうのに、ばかやろう。できそうだぞ、と満足気な顔をぶち壊してやりたかったので、先日作った夏野菜パスタのレシピを事細かに説明すれば、うん、うん、とこくこくしながら聞いた挙句に、混ぜるだけのやつはいつ入れたんだ?と聞かれた。入れてねえよ。
「じゃあできないわ」
「潔い……ううん、諦めが早い……」
「なんで言い直した」
「ご飯は外に食べに行こう。家を燃やしたくないし、中原くんの指が無くなるのもごめんだから」
「おー」
「どこに行きたいか考えるんだよ」
「んー」
「聞いてる!?」
「え?お前なに食いたいの」
「だから!」
そんなこんなしているうちにお昼も過ぎてしまった。こんな自堕落な過ごし方をしたのは久方振りである。ソファーでぐだぐだとテレビを見はじめた中原くんにべったりしていたものの、このままじゃ俺まで中原くんになる、と跳ね起きた。煩そうな目でこっちを見た中原くんが、そうだ、これ、とソファーの下の引き出しから何かを取り出した。
「新しいエログッズ?」
「ちげえ馬鹿、これ買った」
「……中原くんそこの収納になんでもしまうのほんとやめて……」
「あ?」
ゲームソフトとお気に入りの雑誌(俺の写真がいっぱい載ってるやつ)が数冊、CDとマンガとコンドームとヘアピンと、イヤホンと鋏とライターとベルトと、あと何故か剥き出しの千円札。勝手に片付けるとブチ切れられるので、手出ししてはいけない禁断の引き出しである。勝手に開けられるのまではセーフらしい。ラインが全然分からん。中原くんの巣、と俺は個人的にその場所を呼んでいるのだけれど、中原くんは巣扱いされるのは微妙らしい。いやいや、俺が仕事忙しかった一時期、そこに俺のマフラー詰めてたでしょ。もう巣作りじゃん。よって、中原くんの巣、である。中原くん的には整理整頓できているのかもしれないけど、そこに食べ物だけは入れないでほしい。お願いだから、後生だから。そんな俺の願いもつゆ知らず、蹴っ飛ばして引き出しを閉めた中原くんが、これをやるぞ!とふんふんしながらゲームの準備を始めた。
「……お掃除は?」
「あとで」
「お洗濯は?」
「あとで」
「俺のこと甘やかしてくれないの?」
「あとで」
「……せめて二人でやるやつがいい……」
「ん」
それは中原くんもそうであったらしい。ゲームのコントローラーを渡されて、どうやってやるの、どのボタンがなに、と聞いているうちにスタートして、秒で死んだ。中原くんは勝ち誇った大笑いで大変楽しそうである。うはは、じゃない。あとでちゃんと甘やかしてくれるんだろうな。ていうか、中原くんのクソクズな部分しか今までを通して出てないけど、いいんだろうか。出流くんは、かわいこちゃんでにゃんにゃんな中原くんを待ち望んでおります。いや、何にもできないクズヒモでも中原くんはかわいいんだけど。そうしたのは俺だし。でもなあ、なんというか、こう、できないお料理もがんばってみて、「焦げちゃった…」って涙目で俺から失敗作を隠すような、そういう想像をしていたのだ。あとは純粋に、掃除洗濯その他諸々を中原くんもやってみればいいと思ったのもある。散らかしたら散らかしっきり、良くない。
「ばーか!うるせえんだよ死ね!新城!」
「語弊がある……」
「あっはははは!死んだ死んだ!」
げらげら笑って楽しそうだからいいけど。操作方法が分からないまま三回殺されて腹が立ったので、一回コントローラーを捨てて中原くんの手元だけ凝視し操作方法を覚えたところ、秒殺されることはなくなった。俺の特性をよく分かっている中原くんは、やべえ見られた、コピーされる、というのを顔前面に押し出して、俺の方のコントローラーを引っこ抜きやがった。てめえ。
「やっぱ一人でやる」
「……中原くん友達いないだろ……」
「い、いる」
いるはいるけど少ないことは知ってるので、そこに関してはつつくのをやめた。友達いないくせに!って言い続けると本気で泣いちゃうからね。慰めるとかそういうレベルじゃなくなっちゃうから。俺がいるからいいでしょ?とかそういう上っ面は受け入れてもらえないから。経験者は語る。

「中原くん」
「……は」
「そろそろ起きて。夜ご飯食べに行こうよ」
「……ゔーん……」
ゲームをやるだけやって、我儘気儘モードな中原くんは、目が疲れた、とソファーの上で丸くなってしまった。俯せは良くない、と上向かせて、自分も座る場所を確保するために膝の上に中原くんの頭を乗せたら、意外にも大人しく、されるがままになってくれた。大きめのソファーだけど、一人横になってもう一人が座れるほどの大きさはないからね。中原くんが俺の膝にいるのは、普段と逆でちょっと面白い。目が疲れてると肩も凝るとか聞いたことあって、疲れ目にはあっためるのがいいとかも思い出して、眉根を寄せて閉じている瞼に手を乗せて温めてみたり、肩から首にかけてをマッサージしてあげたりしていたら、中原くんはうとうとしだしたのだ。気持ちよかったらしい。お気に召したのか、寝こけるわけじゃないけど、意識がふわふわしている。しばらく続けていると、眉を寄せた不機嫌そうな顔ではなくなって、ちょっとそれが嬉しくて、手もマッサージしてみたり、ほっぺを指の背ですりすりしてみたりしていたら、いつのまにか超高速で時間が経過していたのだ。しかもまた尽くしちゃったし。やってあげる、ではなく、やってもらう、が目的のお休みなのに。
目を覚ました中原くんに、どこにご飯食べに行くの、と聞けば、眠たげな顔で、なにが?と問い返された。もお。中原くんのわすれんぼ。
「まあまだご飯には早いんだけどさ」
「……お前連れてどっか行くと、騒がれるじゃん……」
「それも含めて考えて」
「……こ」
「コンビニでカップ焼きそばはなし」
「ん……うーん……じゃあなんも食べれない」
「そうやって言えば俺が作ってくれると思ってるだろ!」
ちょっと反省している。今まで甘やかしすぎたかもしれない。甘やかした分だけ同じことをしてもらえるつもりでいたが、中原くんには全くその気がない。というか、尽くしに尽くされている自覚もないかもしれない。新城が勝手にやってくるから、なんて平然と思われててもおかしくない。あれ、おかしいな、なんか泣きそうだなあ。
なんちゃって。もう掃除も洗濯も諦めた。中原くんはそういうことする気がないのが重々分かったので。どこか行こう、外に出よう、と中原くんに支度をするよう促して、自分は自分で身支度を整えながら洗濯機を回して乾燥機のセットをして、掃除は暇なときでいいと諦め、帰り際に明日の買い物をしてこようと冷蔵庫のチェックをしていたら、俺の帽子を取ってきてくれた中原くんが、あー、俺がやるはずだったのにー、と平坦に文句を言った。全然思ってないでしょ。ラッキー!としか思ってないでしょ。
一応、帽子と眼鏡。気休めだけどね。中原くんとデートだから、とこないだの衣装で気に入ってそのまま買い取った新しい服をおろしたら、いつも通りのだぼついたサルエルとシャツ姿の中原くんが、自分の服を見下ろして、複雑そうな顔をした。隣に立つのが恥ずかしい、とか思ってんのかなあ。それとも、新城くんってば素敵、を覆い隠すための顔かなあ。どっちもありそう。さっきの服とどっちがいい?と一応聞いたところ、今のがいい、とさらりと答えられ、取り繕うように「変だから!」「似合ってないから!」「気持ち悪いから!」とやいのやいの言われた。かっこいい、似合ってる、見惚れちゃった、と受け取って良いだろう。
「どこ行きたいんだよ」
「決めてない」
「……飯には早いしなあ……」
「うん、え?中原くん運転席?」
「嫌か。鍵」
「別に。珍しいと思って、はいどうぞ」
どこに行くかねー、と二人して目的地を決めていないまま、車を走らせる。俺が運転すると、あそこに行くぞ!と決まっていることが多いので、必然的に中原くんは助手席になる。運転手の中原くん、ちょっと新鮮。当て所なく車を走らせながら、ぺらぺら喋る俺に中原くんが適当な相槌を打つ。適当だから話を聞いていないのかと思って、話の途中からしれっと話題をすり替えて中原くんの恥ずかしい夜の話をしたら、信号が赤で止まった途端に裏拳が飛んで来た。リズム天国みたいな「へえ」「はあ」「んー」「そっかー」みたいな返事のくせして、ちゃんと聞いてやがる。嬉しい。避けきれなかったので、見事命中した鼻は痛いが。
都会の方に出ると人目が多い、なんてお互い分かり切ってるので、人のいない方面に車は進んで行く。大まかに、こっちの方に行こう、と中原くんが決めたので、俺がそのざっくりとした「こっちの方」になにがあるのかを調べる。しかし、どちらかというと田舎の方に進んで行くので、なにもない。川があるよ、と教えれば、じゃあ川に行こう、とこれまた適当なことを言われた。目的地が無い上にやりたいことも無いと、こうなるのか。もう中原くん主導のデートはしないぞ。
到着。到着してしまった。コインパーキングに車を止めて、だらだらと歩く。名前も知らない川にぶち当たって、わあ、と無感動な声を中原くんが上げた。
「川だ」
「……川、好きなの?」
「別に」
「どこ行くの」
「散歩」
「……手ぇ繋いでいい?」
「だめ」
ほんとにただ散歩するだけ。ジョギング中のおじさんとか、犬のお散歩とか、そういう日常に紛れるだけ。高校生の時は、お金もそんなになかったし、行くところもなかったから、中原くんとよくお散歩したなあ。公園のベンチでアイス食べたり、線路沿いをずうっと歩いたり、したっけ。そんな思い出を彷彿とさせる道に、むらむら、じゃない、どきどきして、中原くんの手を取れば、いやだってば、と本当に嫌そうな顔をされた。でも手繋ぎたくなっちゃったんだもん。
「誰か見てる」
「変装してるから平気」
「汗でべたべたする」
「中原くんの汗はご褒美だから平気」
「頭の病院行って」
「あ!」
「ぎゃっ」
「見て!花火大会だって!」
「うるさ」
俺が急に立ち止まったので、引っ張られて強制的に止まらされた中原くんがつんのめった。ほら見て、と町内の掲示板を指差す。ここから程近い場所で、小規模な花火大会があるらしい。しかも今日の夜。これは天の思し召しでは。予定もなかったし、花火なんて夏っぽいじゃん。行こう行こうと盛り上がる俺に、中原くんは苦虫を噛んだ顔だった。人が多いぞ、と指摘されて、すっと頭が冷えた。そうだった。俺は騒がれてもへらへらしとけばやり過ごせるけど、一緒にいる中原くんは、そうじゃない。巻き込んだら迷惑だし、かわいそうだ。そうだねえ、そうだった、とぽつぽつ零した自分の声が思ったよりもずっとさみしげで、こんなんじゃいけないと顔を上げれば、びっくりしたように目を丸くした中原くんと視線が合った。
「え、ご、ごめん、花火大会なんて言って」
「……そんなに行きたかったの」
「うん……でも、俺、ほら、テレビ出る人だから、やっぱりだめだって。忘れてた。あは、中原くんといると忘れちゃうんだよね」
「行く?」
「ううん、ごめんね、どっか別のとこ行って、ご飯食べて帰ろ」
「……花火、俺と見たくない?」
「……その聞き方ずるくない?」

中原くんは、ちゃんと考えてくれた。
車に戻る道すがら、何処でやるのか、見えそうな場所はどこか、などなどをまず調べ、車に乗り込んですぐ、中原くんがどこかに電話をかけはじめる。なにやら交渉している中原くんが、ありがとうございます、と電話を切り、次の電話をかける。二回の電話を終えて、ここに行くぞ、と中原くんが行き先に設定したのは、和菓子屋さんだった。
「なんで?」
「このお店の二階席、テラスみたいになってるらしいんだけど、そこから花火が見えるって。貸してくれるって言うから、借りた」
「は!?」
「新城が行くって言ったのに、お金はいらないって。良かったな」
「えっ、いや、なんで!?なにが!?」
「声がでかい」
「中原くん今なにしたの!?」
「交渉した。水棹さんに、もし新城と出かけることがあったらって、話の筋の通し方、教えてもらって」
中原くんが一回目にかけた電話の相手は、花火大会の運営だった。小規模の花火大会であったがために地元密着型で、「新城出流が見に行きたいと言っているのだが人が集まってしまうと困る」「静かに見られる場所はないか」と相談したところ、先の和菓子屋さんを紹介されたらしい。老夫婦が経営している和菓子屋さんも快諾してくれたそうで、だから大丈夫、と中原くんは運転しながら言った。だと思う、と付け足したけれど。武蔵ちゃん、ナイスプレー。お礼に、武蔵ちゃんの好きなものをなにか買ってあげよう。すげえ高級な肉とか強請られそうだけど。
なにより、中原くんがちゃんと俺のために考えてくれたことが嬉しい。行かなくてもいいよ、という選択肢も提示していたのに、俺がうっかりがっかりした声を出してしまったから、変なところで彼氏面したがる男前な彼は、叶えてあげたいと思ってくれたのだ。嬉しいなあ。ほんとに嬉しい。にまにまが止まらない。上手く話が通ったから、協力してくれる和菓子屋さんにも、教えてくれた花火大会の運営さんにも、感謝しなくちゃいけないとも分かっているけど、なにをおいても中原くんが俺のために考えてくれたことがすっごく嬉しいのである。今日なんもしなかったのとか全部チャラだ。イエローカード溜まりまくりでお仕置きコースかと思ったけど、いちゃこらラブラブちゅっちゅコースを辿れそう。
車が到着したのは、坂道の上にある、小さな和菓子屋さん。柔らかな雰囲気の店主とその奥さんは、あれを見た、これも見た、と俺の出演作をあげてくれて、握手まで求めてくれた。ありがとうございます、と頭を下げる俺を通り越して、マネージャーさんも大変ねえ、と話を振られた中原くんが、微妙そうな顔で、そうですねえ、と答えた。マネージャーさんに見えるよなあ。撮影ではない旨も伝わっているらしく、どうぞゆっくりしていって、お茶やお菓子は出せますからいつでも言ってくださいね、と奥さんに言われて、夕暮れて薄暗くなったテラスに案内される。淡い照明が綺麗だ。花火はどの辺りに上がるのかな。しれっと椅子に座って遠くを眺めている中原くんの手を取れば、こっちを見てはくれなかったけど、ぴくりと反応したのが分かった。
「……中原くん?」
「ん」
「ありがとうね」
「うん」
「かっこいかった」
「……んー」
「俺、ほんとは花火見たかった。中原くんがこうしてくれなかったら、見れなかった。ほんとにすっごい嬉しいんだよ」
「……………」
「ありがと。中原くんのそういうとこ大好き。ね、こっち向いて」
「……近い」
「誰も見てないよ」
「うっさい」
「あーん」
押しのけられて声を上げれば、俺が見たかったから来た、と語気も荒く言われたけれど、だって中原くん、「花火、俺と見たくない?」って俺に聞いたんだよ。自分もそりゃ見たかったかもしれないけど、二人で見たかったんでしょ。かわいいなあ。交渉なんてもの、中原くんが決して得意ではないことも知ってる。本人だって分かってたはずだ。電話中も、丁寧に伝えようと、すっごく考えながら喋ってたけど、言葉に詰まることは多々あったし、緊張で汗だくだった。それでも、俺のためにがんばってくれちゃってさ。一生懸命さが伝わって、みんなが協力してくれたんだと思うよ。家のことは何にもやらないし、寝起き悪いし、人の財布でお金は払うし、たまのお休みなのに寝て終わりにしようとするけど、俺のことが大好きで俺のためにがんばってくれる中原くんだから、俺は全力で君を甘やかそうと思うのです。
「ん。おいしい」
「……………」
「食べる?」
「食べる」
「中原くんのも一口ちょうだいよ」
「ん」
「あーんして。あーん」
「きっしょくわる……」
「あーん」
「……………」
「んー、おいひいー」
「自分で食え」
「あ。花火」
「……ちょっと遠かったな」
「ううん。すっごく綺麗だよ。お菓子も美味しいし、花火は綺麗だし、中原くんはかわいい」
「うっさい」
「花火大会終わったらちゅーするね」
「しない」
「します」
「しない」
「するって決めたの。心の準備しといて」
「しない」
「するの!中原くんの意思は聞いてない!」

涼しい風が吹き抜ける。綺麗だったねえ、と告げれば、うん、と素直な言葉が返ってきた。意外。ご機嫌さんだね。和菓子も美味しかったし老夫婦も優しかった。満足満足。お土産も買っちゃった、明日武蔵ちゃんにあげようかな。
そして。
「……結局……」
「あ?」
「……いいえ……」
ファミレス。帰り道をたどる途中、俺たちの夜ご飯は中原くんの「腹が減ったな」の一言で、車はファミレスへと入った。なんというか、デートの最後の夜ご飯、綺麗な花火まで見て、しかも俺という有名人がいて人混みを避ける必要にある程度駆られている、という条件を加味した上で、どこにでもあるチェーン店のファミリーレストランに入るかね、中原くんよ。詰めが甘い。最後までベストを尽くせなかったのか。あんなにかっこいいところ見せてくれたじゃない。スマートにやってくれよ、最後まで。案の定、予想通り、名前を書いて待とうとする時点で騒がれた。重ねて、中原くんが「おい新城、名前書け」と不機嫌そうに呼ぶものだから、ほらあ!とざわざわされてしまった。あのねえ中原くん、考え無しなのか、考えた上での行動なのか、しっかりしてよ。まさかとは思うけど、ざわざわされていることに苛々してないよね。自分のせいですけど!君がここに連れてきたんですけど!
俺の機転により、というか、咄嗟の成り済ましにより、俺は新城出流ではない立場を得ることができた。具体的に言えば、「しんじょう」を名前ということにし、受付の名簿には「武蔵」と書いた。ごめん武蔵ちゃん。咄嗟に思いついちゃったから。かくて、俺は武蔵新城さんになった。うける、そういう名前の駅あるよね。明日のバイトの話と、大学の授業の話と、付き合ってる彼女がしつこい話などなどを、リアリティたっぷりに周りに聞こえるように語った。やたらめったら引っ切り無しに、しつこいぐらいに。語り口には常に真実味を持って、しがない大学生に成り切って、不思議そうに口を挟んでくる中原くんの口は、申し訳ないけれど何度も塞いだ。いつもぱっちり開けてる目を緩く垂らして眠たげにしてみるとか、口調とかイントネーションをどことなく変えるとか、声色を上げるとか、話している内容をどこでもいる一般人のそれにするとか。ほんの少し、いろんなところを弄ると、その人がそれであると認識しきれない相手にとっては、判断を見誤る要因になるのだ。おかげさまで、席に着いた頃には、俺への注目とざわつきは急速に薄れていった。そもそもにして食事をしにくる場所なのだ、わざわざ全てのテーブルを回って俺を見つけ出す奇特な人はいないだろう。
「あー……疲れた……」
「なんなんだよ」
「証拠隠滅だよ……余計なところで騒がれると後が面倒なんだ……」
「俺がいるからか」
「……そうじゃなくてえ」
「マネージャーのふりでもなんでもやってやるよ」
「……卑屈。中原くんのばか」
「あ?」
「中原くんといるからどうこうって話じゃないよ。武蔵ちゃんといたって、人前に出れば騒がれるもんは騒がれるんだから」
「……………」
「誰といたって一緒なの。中原くんだけじゃないし、俺がこんなお仕事してるからいけないんでしょ」
あ。俺が拗ねたことに気づいた。ふりだけど、騙されてくれたらしい。というか、中原くんが俺に騙されないことなんてない。あれだけ一緒にいてどうして俺の演技が見破れないかなあ、そんなもんなのかな。
自分の発言を振り返ったのか、ばつが悪そうな顔をした中原くんが、だって、とぼそぼそ吐いた。陰鬱な空気になってしまった。と、中原くんは恐らく思っている。そりゃあめんどくさいし疲れたけど、俺は別に構わないし、そこまで拗ねてもいない。伏した腕の隙間から窺われていることを知りもしない中原くんは、だって、でも、ってぶつくさ小言を漏らして、伏せている俺を見て、くしゃりと顔を歪めた。あ、泣きそう。かわいい。自虐に走ると涙腺の決壊が早い。
「……だから、俺なんも出来ないって、ゆったのに……」
「……………」
「……も、いい、帰ろ」
「ええ。やだよ、お腹空いたもん」
「ぅ、え」
「どれ食べる?お肉?」
「ぇ、?」
ついてこれなくなってる。かわいい。最高。だからやめらんねえわ、中原くんいじめ。
突然普通に戻った(ように中原くんからは見えている)俺に目をぐるぐるさせた中原くんが、はてなをたくさん浮かべて、えう、あう、ともごもご言っている。これ美味しそうだねえ、と俺が指差したものに目を向けるものの、「本当に怒ってないのか?」「もしかしてさっきからずっと機嫌悪くなんかなかったのかも」「それとも家帰ってから叱られるんじゃあ」って感じの疑問がたっぷりこもった目で俺をちらちら見てくるので、全くメニューを選ぶ気はなさそうだ。
「これは?」
「……からあげ」
「これは?」
「すてーき……」
「これは?」
「はんばーぐ……」
指さしたものを取り敢えず全部言ってくれるので、ちょっとおもしろい。けど、放心状態の中原くんであんまり遊ぶとかわいそうなので、やめよう。
期間限定って書いてあったステーキのセットを頼んだ。俺のご機嫌を伺うことに余念がなかった中原くんには、もう怒ってないよー、と指で丸を作ってかわいこぶってみせたけれど、全然信用してもらえなかった。なんでやねん。信じろや。
「おいしーねー」
「……ん」
「たまにはこういうとこもいいねえ、めった来れなくなっちゃったけど」
「……ほんと?」
「うん。俺ドリンクバー好きだし」
「……ふうん……」
疑わしげな目だが、ようやく納得してくれたらしい。中原くん、一回疑いだすと長いなあ。自分が引き金を引いた場合はなおさら長い。お肉を口に入れると忘れてしまうようで、おいしいおいしいとほっぺをもちもちさせて嬉しげに顔が綻ぶのだけれど。は!って気づいてじろじろ窺ってくる様が、動物みたいでおもしろい。犬だな。小型犬。ふわふわしたやつ。
ちらちら気にしているくせに、お会計を出すのは俺である。財布持ってきてるよね?まさか置いてきてないよね?そこまで確認してない。車に戻った頃にはもう結構な時間で、あとは帰るだけ。運転席に座って、うっかりライターを取り出して、慌ててそれを収納ボードにしまっている中原くんは、見なかったふりをしてあげた。そっちに座る時は、俺がいない時、だもんね。
「たのしかったー。中原くん、ありがとうね」
「うん」
「なんかねえ、働いてない時に戻ったみたいだった。なんにもしないのもいいね」
「……そ、か」
「家帰って、お風呂入ろ。明日からもがんばるからね」
「うん」
「中原くん?」
「……なんもできなくて、ごめん」
「ん?」
「なんか、……俺のできることで、してほしいこと、言ってくれたら、がんばる……」
「……………」
案外、自分は何もできない、という事実は中原くんを刺していたらしい。別に、何もできないこたないと思うんだけどなあ。でもまあ、和菓子屋さんへの交渉も武蔵ちゃんの入れ知恵であるわけだから、中原くん自身がそれを自分の功績ではないと思うのならば、そうなんだろう。てことは、まあ確かに、なんもしてない。いいんじゃない、なんもできなくたって。再三申し上げるようだけど、中原くんの担当は「かわいい」と「泣く」なんだから。元気に生きてれば充分だっての。
でもまあ、自分にできることを言ってくれればがんばる、と言われましたら、こちらとしても考えがあるわけで御座いまして。
「がんばるの?」
「……うん。がんばる」
「どのぐらい?」
「ど、どの……それなりに……」
「それなりか……」
「……すごくがんば、って、みる……?」
「すごく?ほんとに?」
「え、なに、何させようとしてんの、お前」
「え?聞きたい?」
「聞きたくない……」
「じゃあ後で言うわ」
「……………」
「あれ?なんで曲がったの?お家こっちじゃないよ」
「……まっすぐ帰りたくない……」
「積極的ー!ふぅー!」
「そういう意味でもない……」

甘やかしてもらった。できるだけがんばって、俺を全力で甘やかしてもらった。当初の目標達成、というところである。俺からの「甘やかされる」には無意識に慣れている中原くんだが、「甘やかす」は初めてのことなので、真っ赤になったり真っ青になったり汗だらだらになったり涙目になったりまた真っ赤になったり結局泣いたり、忙しそうだった。勘弁してくれ、恥ずか死ぬ、と泣かれた。俺そんなに羞恥を煽ることしてないんですけど。
「……もう、二度としない」
「ええー……そんな……」
「しない……」
髪の毛を乾かしてやっている間、うつらうつらしていた中原くんは延々、もうしない、絶対しない、きらい、と文句を垂れながらそのまま寝落ちた。ご奉仕する側の中原くん、可愛かったけどなあ。残念。
まあ、先は長いし、またいつか。



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