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おはなし



「どうも。水棹武蔵です。今日はあの若手俳優人気ナンバーワンの新城出流さんのお宅に来ています。うわー、どんなお部屋なのかなー」
「下手な小芝居やってないで早く入ってよ」

家が燃えたので住む場所がなくなりました。以上。
「おじゃまします」
「……マジで来やがったこの女……」
「ご親切にどうも」
「あ、っ水棹さん、スリッパあります。あと、荷物はこっち、ここの部屋空いてるから、俺持って行きます、ゔ、重」
まあ元々隙間風の酷いボロアパートで、近所からも、骨董品だの、幽霊アパートだの、言われてましたし。家といえば家でしたが、帰ったら寝るだけ、半ば物置、という様相だったので、別段困ることもなく。しかも火事の原因も、放火とか誰かの不注意とかじゃなく、誰も住んでなかった部屋のコンセントが出火原因なのではないかとのことでして。入居者のいないボロアパートの一部屋なんて、さぞかし埃まみれだったろうし、そういう科学的な誘発は誰かに止められるものではないので、文句は特にありません。彼女の家に泊めてもらおうと思ったのですが、まだ未成年で勿論実家暮らしなので、年上のお姉さんが、どうも、この子を養うつもりでお付き合いしてます、と出て行ったら塩を撒かれるでしょう。ホテルに泊まるのもお金がかかるので嫌なんです、と試しに新城さんに愚痴ってみたら、軽薄な彼は「じゃあうち来ちゃう?なんちってー、わはは」と馬鹿丸出しで笑ったので、お言葉に甘えた次第です。
新城さんの家には、彼のパートナーであるナカハラという男が同棲していることは知っていました。勿論面識もありましたが、突然押しかけて、新城さんはともかく、彼が嫌がるなら素直に引こうと思っていたのです。けれどまあ、この様子を見ると、わたしに帰って欲しいのは新城さんで、わたしを心配してくれているのはナカハラのようですね。わたしの荷物を持って、ひええ、と腑抜けた声を上げているナカハラに頭を下げました。
「甲斐甲斐しくお世話してくれて、ナカハラはいいお嫁さんになりそうですね」
「中原くんの細腕にこんな重たいもの持たせないで!俺が持つから!貸して!」
「ぅ、ごめ……」
「ナカハラ、いいんですよ。わたしは感動しました。あのゴミ溜めと違って、あなたはわたしを本気で心配してくれているのが伝わってきます」
「誰がゴミ溜めだって?」
「大丈夫、当てはあります。二晩だけ泊めてください」
「一晩でどっか行けよ!」
「……俺は全然、落ち着くまでいてもらって構わないので」
「ナカハラは本当にいいやつですね。撫でてあげましょうか」
「は?別にいっ、ぅわ、わあ、やめ、痛い!」
「やめろ武蔵!こら!」
がしがし、あまり背の高くないナカハラの頭を撫でると、もふもふとごわごわの間でした。実家で昔飼っていた犬を思い出します。力加減が強すぎたのか、新城さんがわたしの手を払いのけました。なんてことを。こっちはか弱い女の子ですよ。
「うるさい」
「いったい!足踏むなよ!俺のマネージャーのくせに生意気だぞ!」
「マネージャーと俳優、どちらが上とか下とかあるんでしょうか。優劣があるとするなら、スケジュールとタスク管理をし、あなたに仕事をさせているわたしの方が優れているのではないでしょうか。ねえ、ナカハラ」
「え?あ、はあ」
「武蔵ちゃんにはご飯あげないから!」
「そう言われると思って買ってきました」
「なに?」
「10秒チャージです」
「ちゃんとしたもん食え!」

「ナカハラ、いつもこんなにいいものを食べているんですか」
「え?」
「普通だよ」
「毎晩のように牛丼屋さんにお世話になっている人間の前での口の利き方を考えてください」
「武蔵ちゃん、女の子なんだからもうちょっと食生活に気を使いなよ……」
「黙れ」
「あいっ、すぐ踏む!次踏んだら出てけよ!」
「わたしはナカハラに話しかけました。邪魔するあなたも悪いのでは?」
「ぐう……!」
「……普通、ていうか、いつもこんな感じ、です」
「そうですか……新城さんがここまで料理上手とは、知りませんでした。使えますね」
「使わねーよ!中原くんに食べさせるためだけに頑張ってんの!お仕事だったら皮剥きもしねえかんな!」
鶏肉のトマト煮込み、ディップソース付きの野菜スティック、えびとブロッコリーのアヒージョ、アスパラガスとベーコンのリゾット。豪華ですし、しかも美味しい。うまい!とナカハラが目を輝かせている様子に、エプロンをつけたままの新城さんがでれりと顔を崩しました。なんて不細工なのでしょう。わたしが来たから豪華というわけではないそうで、笑顔のナカハラが、新城はからあげが美味しい、と教えてくれました。明日作ってくださいね、とお願いすれば、一度は素気無く断られましたが、からあげ拒否を受けたナカハラのチワワのような目に、新城さんがあっさり掌を返しました。毎日お仕事あるのに、夜ご飯はしっかり手の込んだものを作るんですね。胃袋を握られたら負けだと言いますが、強ち間違いはないようで。
洗い物くらいします、と申し出たものの、新城さんは台所に立ち入らせてくれなかったので、大人しく席に戻りました。あの、とナカハラに呼び掛けられて、後をついていきます。
「水棹さん、お風呂がこっちで、トイレはここです。タオルとか、好きに使ってください」
「ありがとうございます」
「布団、あんまり使ってないやつで、ごめんなさい。部屋に置いときましたから」
「ナカハラ」
「はい?」
「お嫁に来ませんか?」
「……は?」
「女の子だったらタイプです。性転換手術を受けるご予定は?」
「武蔵てめえゴラ!人のものに手ェ出してんじゃねえ馬鹿女!」
「痛い。ついに叩きましたね」
「叩くわ!肉食女子こっわ!やっぱり出てっぁだだだ!痛い!武蔵ちゃんさんごめんなさい!痛いです!腕もげる!」
「どうですか?胸が当たっていますよ、新城さん。フライデーされます?」
「腕固められてんのに胸なんて知らねえよ痛い痛い痛い!中原くん助けて!」
「え……こわ……どこがどうなってんのこれ、ええ……?」
都心近くの良いマンションだけあって、お風呂も広々としていて綺麗でした。部屋着に着替えてリビングに戻ると、ソファーに座ってこちらに背を向けているナカハラがいました。どうやらゲームをしているようで。正面に回り込んだものの、こっちに目を向けることはありませんでした。
「お風呂、ありがとうございました」
「ん、ああ、はい。足りないものとか無かったすか、女の人が、あー、なに使うかとか、分かんなくて」
「必要なものは自分で用意してきました。ありがとうございます」
「そうですか、はい、はあ」
「ナカハラ」
「は?」
「口が開いていますよ」
「あー、はい。ん」
閉じました。夢中になると会話が疎かになるタイプらしく、黙々と目が画面を追っています。モンスターをハントするゲームですよね、知ってます。やったことはないですけど。そしてさっきからナカハラの太腿を枕にしてソファーに寝転がり、当然と言った様子で、むしろ真剣な顔で台本の読み込みに励んでいる新城さんについては、わたしはどう突っ込んだらいいのでしょう。いちゃいちゃタイムかよ〜!とか、彼に倣ってふざけたらいいのでしょうか。死んでも嫌です。嫌に静かだったのは、お互いばらばらのものに集中していたからだったんですね。引っ付いてるくせに。
「……なにかできることありますか?」
「……ぁ、えっ?なんすか、はい」
「いえ……」
「武蔵ちゃん」
「はい?」
「俺この役やるならもう少し体作りたい。他の撮影と時期被る?」
「えっ、ああ、いえ、構わないですが……」
「そっか。オッケー。中原くん重石やって」
「今ゲームやってるから無理」
「あとで」
「うん」
「あ。あと、武蔵ちゃん」
「は、はい」
「そのクソダサい部屋着、どうにかなんないの?」
腹が立ちました。彼女がせっかく選んでくれたのに、クソダサいだなんて。なんて男でしょう、人気ナンバーワンが聞いて呆れますね。

「おはようございます」
「……おはよ……びっくりした……」
「体を作りたいと昨晩言っていたのを思い出しました。走りましょう」
「は?」
「今日は8時にここを出ます。逆算して考えると、今からランニングを開始し、休息を取って出発するのが理想的です」
「……今、朝の5時……」
「ストレッチはお手伝いします。時間は有限です、新城さん」
「……ていうかあんた、この状況見てなにも感じないの……」
「ナカハラが目を覚ます前にわたしがこの部屋を出れば誤魔化しが効きますね」
「……起きないよ、こんぐらいの話し声じゃ、絶対」
薄い掛け布団に二人で包まって、ぶかぶかのパーカー(前全開)だけを身に纏っているナカハラと、上半身裸で脱ぎ捨てられたTシャツが床に落ちている新城さん。下はちゃんと穿いてたので、別に何も感じません。わたし、かなりのショートスリーパーですけど、なんの物音も聞こえませんでしたし。新城さん、寝起きはよろしいらしく、わたしが部屋に侵入して一言「おはようございます」と言っただけで、ぱちりと目を開けました。勝手に入ったことについては悪かったと思うけれど、お仕事のためなんだから、仕方がないでしょう。
くあ、と大きな欠伸をした新城さんが、走るんなら昨日言ってよお、と間延びした声で言いました。昨日突然あなたが体を作りたいとか言うから、わたしなりにメニューを組んだんじゃないですか。
「え?トレーニングのメニュー、マネージャーが組んだの?」
「ええ。ジムトレーナーに見直してもらいますが、恐らく大丈夫でしょう」
「そんなことまでできるの?すごいね」
「走り込みには付き合えます。わたし、肉食系なので」
「そういえば無駄に力強いよね……」
ぐっぐっ、と筋を伸ばした新城さんが、ちゃんと走るのは久しぶりだなあ、とこっちを見た。ほんとについてこれるの?と顔に書いてある。ご心配なく、体力はありますから。
聞いた話では、体を動かすことを習慣づけているらしく、新城さんは割とちゃんとしたシューズとウェアを持っていました。運動しないとすぐお肉になっちゃうから、と苦笑混じりでしたが。軽く汗をかく程度に留めて家に戻ると、ナカハラはまだぐうぐう寝ていました。彼は寝起きがあまりよろしくないタイプですね。
「朝ご飯作ろっかな」
「わたし、やりましょうか」
「いいよお、毎日牛丼の人に任せらんないし」
「料理、できないと思ってるんですか?」
「え?」
できますよ、料理くらい。面倒だからやらないだけです。なにを用意するつもりだったか聞けば、作れそうなメニューだったので、せめても一宿一飯の恩義です、と台所を借りました。またいずれきちんとお礼をするにしても、作る手間が省ければその分身体を休めることができるだろう、と思いまして。ソファーに座って、黙ってこっちを見ている新城さんに、なにかご用ですか、と問いかければ丸い目のまま口が開かれました。
「……武蔵ちゃん、ほんっとなんでもできるよね」
「ええ。苦手なことはありません」
「彼女さんかわいい?」
「かわいいですよ。天使のような子です」
「そっかあ。君にもそういう人がいるって知ってると、かわいげあるなあ」
「そうですか。ごめんなさい、新城さんのことは本当に嫌いです」
「うん、いや、知ってるけど……脈絡なく改めて言われると傷つく……」
「ナカハラは、新城さんにとって、どんな存在ですか」
「飼い主」
「……飼い主」
「逆らえないんだわんっ」
「……逆なのかと」
「ん?」
「あなたが、ナカハラを飼っているのかと、思っていました」
「俺が飼ってるよ。でも、俺も中原くんの言うことには逆らえないのさ」
いつだって彼は正しくて、一直線で、俺のことを大好きでいてくれて、何も知らない、何も考えようとしない、だめな自分のリードを引いてくれるんだ。そう、新城さんは目を細めて幸せそうに言いました。成る程、それならば「飼い主」にも納得が行くというものです。丁度焼きあがったパンをお皿に乗せれば、良い匂いにつられたのか、寝室の扉が開く音がしました。ごん、とどこかになにかをぶつけた音と、呻き声のような唸り声。
「あ。中原くん起きた」
「……んん″……」
「はいはい、今いくよ。寝起き、覗きに来ないでよね」
「豆腐の角に頭をぶつけたくないので」
プレーンオムレツと、シーザーサラダ。トーストに、ソーセージとピーマンの炒め物。くしゃくしゃの髪で、おふぁよお、と欠伸をしながら眠い目で席に着いたナカハラが、こくこくと舟を漕ぎだす前に、いただきます。
「ん。意外とちゃんと美味しい」
「意外とはなんですか」
「中原くん、朝ご飯、武蔵ちゃんが作ってくれたんだよ。食べて、あーん」
「ねむい……いらない……」
「あーん!」
「別に無理に食べさせなくとも……」
「中原くん朝ご飯食べないと起きれないから、ほら!お仕事遅刻しちゃうよ!もぐもぐ!」
「ゔぅ……んむ……む……うまい……」
「おはよう」
「おはよう。おいしい」
「武蔵ちゃんが作ったんだよ」
「おいしいです」
「……本当に朝ご飯を食べると目がさめるんですね……」

「行ってきます」
「行ってらっしゃい!変な奴に会ったらすぐ電話するんだよ!男でも女でも関係ないからね!中原くんは誰より弱っちいってことを自覚してね!ねえ!振り向いてよ!なんか言って!」
「……熱烈な行ってらっしゃいですね」
「普段はキスぐらいするけど武蔵ちゃんがいるから嫌だってさ」
「気にしないのに」
「君はね……」
ナカハラはお仕事に行きました。なんの仕事を?と聞いたところ、電車に乗って数駅先のとある印刷会社で、事務員さんをしているそうです。アットホームな経営らしく、年上のおばちゃん達に可愛がられているんだとか。かわいがられていそうですものね。
マネージャーと同居してると朝迎えに来られる手間もどっかに出向く手間も省けていいや、と地下駐車場に向かいながら新城さんがからから笑いました。それは同感です。新城さんも運転はできますが、体裁的に運転席にわたし。マネージャーですからね。
「今日どこ?」
「赤坂です。午前中が新規ドラマの制作発表会と打ち合わせ、午後はバラエティの収録。夕方にジムの予約を入れました」
「盛り盛りスケジュールじゃん。一個無くしてよ」
「じゃあジムですかね」
「お腹痛くてトークできないからバラエティ無くして欲しい」
「新城さんがお仕事頑張ってくれないと、わたし心配で、あの家を出て行けません」
「うわあすっごいがんばろ!もっと仕事入れていいよ!」

夜、8時。下からマンションを見上げると、新城さんの部屋にはもう電気が付いていました。ナカハラが帰ってきているのでしょう。インターホンを押せば、ナカハラはすんなり開けてくれました。
「ただいま戻りました」
「おかえ……あれ?」
「新城さんならジムに残りました。あと30分だけ、とごねるので」
「あ、そう、すか……」
「なので、先に戻らせていただきました。からあげはちゃんと用意するから許して、だそうです」
「別に、平気だけど」
「その代わりに」
新城さんには内緒ですよ、と持ち上げた袋の中には、缶ビールが二本。お酒は好きではありませんか、と問いかければ、あまり強くないから飲まない、と正直に返されました。家ならいいでしょう、お世話になったお礼も兼ねて、ともう一度晩酌のお付き合いを願ってみると、案外あっさりと受け入れられました。強くないのと好きではないのは、イコールでは結べませんよね。
おつかれさまです、と乾杯して、口に含んだナカハラが、おいしい、と頬を緩めます。ごっごっ、と普段の癖で半分くらい飲み干したわたしに、少し目を丸くしたナカハラが、ちょっと笑いました。お酒たくさん飲むんですか、と聞かれたので、首を横に振ります。わたしの彼女はまだ未成年なので、その子の前では勿論飲みませんし、他でも嗜む程度にしか。正直にそう答えれば、嘘だ、とでも言いたげな目を向けられました。
「ナカハラと新城さんは、いつから一緒にいるんですか」
「高校生の時からです」
「高校生の新城さん……」
「……今と大差ありませんよ」
とろん、と目を緩めたナカハラが、俺みたいなのとずっと一緒にいて、飽きもせずに、ねえ、と笑いました。一口で頬が赤くなってるのが分かって、こんなことを聞かれた手前、照れもあるのかもしれないけれど、お酒に強くないというのは本当らしい、とぼんやり思いました。ちまちまとお酒を傾けながら、わたしの問いかけに合わせて、新城は、新城が、と悪態に似た惚気を口の端から零していたナカハラが、少しずつローテーブルに潰れていきます。お腹が空いていたところにアルコールを入れたので、ただでさえ弱い身体に、わたしよりずっと早く、お酒が回っているのかもしれません。あいつってば、ずうっと一緒にいたいとか言うんですよ。とナカハラは茶化し誤魔化した口調で続けて、やけくそのようにごくごくとグラスを傾けました。ぷは、と息を吐いた彼の唇は、ストッパーを外してしまったようで、恨み言に似た愛を延々と囁き続けました。
「俺は、男しか好きになれないけど、新城は女の子も好きになれるのに。水棹さんみたいに、普通の、綺麗な、かわいい女の子と、一緒にいるような、そんなシーンが似合うじゃないですか。そうやって、普通は、」
「普通普通って、自分が普通じゃないつもりですか」
「、へ」
「わたし、自分のことは普通だと思ってます。男として育てられたからなのか、同性が恋愛対象ですし、自分に目を向けてくる異性は嫌いです。舐められるのが嫌いなので、なんでもできるように努力しました。けど、普通です。新城さんと並んで歩くなんて、反吐がでるほど嫌です。だけど、わたしは普通です。そうでしょう?」
わたしの言葉に、ぐすりと鼻を鳴らしたナカハラは、でも、だって、と溢しました。「でも」も「だって」もありませんし、慰めているつもりもありません。「ナカハラは、自分のことが嫌いですか?」。そう問いかければ、ただただ無言が返ってきました。無言は肯定と見做します。自分のことを嫌いな人間が、誰かに愛されたとして、それはとんだ不誠実ではありませんか。誰かさんが愛してくれる自分は、自分が嫌いな自分だなんて。だったらせめて、好きになれとは言いませんから、嫌うのをやめることはできませんか。ぱたりと机に落ちた雫に、姉になったような気分で、ねえ、と続けます。
「ナカハラ。あなたの言う普通は、誰かが決めた普通でしょう。誰があなたにそんなことを言ったんですか?親?友達?それとも新城さん?新城さんだったならわたしがぼこぼこにぶん殴ってやります」
「……誰、て」
「自分なんか、と思うのは、自分を想う相手に失礼だとは思いませんか。少なくともわたしは腹が立ちました。あなたが女の子だったら積極的に肉体を狙いに行きたいと思うくらい好みのタイプだったのに、あなた自身があなたをそんな扱いするなんて。誰が許してもわたしが許しません。新城さんも、もし聞いてたらきっと怒りますよ」
「……ぅん」
「返事ははいです」
「はい……」
「あなたのいいところを、あなたが殺すのは、わたしは少し悲しいと思います。あなたは、新城さんを生かしたんでしょう。あんなちゃらんぽらんでも、一生懸命あなたのことを大切にしています。たった数年マネージャーとして近くにいられたわたしですら、そんなこと知ってます」
「……ぅう」
「泣いたって何にもなりませんよ」
「ぅるっさい……」
「生意気な口、きけるじゃないですか。わたしにまでへこへこするのをまずやめなさい」
武蔵ちゃんと呼ぶことを許してあげましょう。そう告げれば、頬に雨を降らせたナカハラは、ふにゃりと笑った。わかったあ、なんて、新城さんに似た抜けた声を上げて。

「あ!?寝てる!」
「すみません。呑ませてしまいました」
「ちょっとお!武蔵ちゃんが早々俺を置いて帰るなんておかしいと思ったんだよ!」
「からあげを食べさせたら起きるのでは?」
「他人事!」
中原くんはお酒弱いのー!と地団駄を踏んだ新城さんが、ぺったりとローテーブルに伏しているナカハラを抱き上げて、寝室に連れて行こうとしました。寝かせちゃうんですか、ご飯も食べていないのに、と口を挟めば、ご飯ができるまでぐらいベッドでゆっくり休ませてあげたいの!と吠えられ、黙ります。わたしがやったことですし、新城さんがそうしたいのならば、とやかく言いませんけれど。肉食女子!とわたしを蹴っ飛ばすふりをした新城さんの腕の中で、ナカハラがぼんやりと目を開けているのが見えました。起きてますよ、と言う前に、再び目を閉じたナカハラがむずがるように新城さんに擦り寄って、起こしちゃかわいそうだと新城さんが寝室の方へ消えました。ぽそぽそと、微かに響く喋り声。素っ頓狂な新城さんの声、それに続いて、押し殺した笑い。また、小さくて柔らかなおしゃべりと、ほんの少しの静寂。聞こえていませんよ、と主張するためにつけたテレビのせいで、内容までは聞こえませんでした。聞こうとも、思いませんけれど。
数分で戻っていた新城さんが、らしくもなく首まで真っ赤になっていて、そそくさと台所に立ちました。これはちょっと、冷やかしたい気分ですね。
「ひゅーひゅー」
「……君ねえ……」
「わたしがいるからって我慢しなくてもいいんですよ。わたし、男は嫌いですから」
「俺も武蔵ちゃんも良くても、中原くんは恥ずかしがりやさんなのっ」
「素直じゃないんですね」
「そうだよ!ん?なんで知ってるの?」
「勘です」
「……お互いが絶対に恋愛対象にならないからと思って武蔵ちゃんと中原くんの仲良しは認めてきたけど、無闇矢鱈と仲良くするなら、武蔵ちゃんと中原くんの仲良しを俺は邪魔しなければならなくなるからね……?」
「聞こえませんよ。ぼそぼそと、なんですか。可愛い恋バナぐらいいいでしょう、ケツの穴の小さい男ですね」
「じゃあ君の彼女ちゃんと俺も仲良くするからね!?それでもいいの!?」
「いいですよ。サインが欲しいと言ってましたし」
「きー!余裕綽々!腹立つ!」
「今度会ってあげてくださいよ」
「そうじゃない!中原くんのこと無駄にほじくらないで!俺の大事なの!そりゃみんなに大事にされて欲しいけど、俺のなの!俺が一番大事にするの!分かったあ!?」
「はいはい」
「武蔵ちゃん!」
「ナカハラが起きますよ」
「もうとっくに起きてるよ!聞こえるように言ってんだからな聞いとけ中原新ァ!」
「お近づきの印に、わたしもナカハラのことをアラタくんとでもお呼びしましょうか」
「だからなに更に親密になろうとしてるんだよクソアマ!」
「落ち着いてください、イズルくん」
「いずるくん!?」

「おはようございます」
「……侵入すんのほんとやめて……」
「幸せな寝相ですね」
「心臓に悪い……」
「走り込みに行きましょう」
「……まじで?」
「ええ」
「眠る恋人を腕に抱いてる、毎日大忙しの超人気俳優に、ほんの少しでもゆったりとした時間を与えようとは思わないの?」
「思いませんね」
「鬼。悪魔。武蔵ちゃん」
「はいはい」
新城さんの胸に寄り添ってすやすやと眠っているナカハラから、新城さんを引き剥がすのに、大層時間がかかりました。ごねにごねるので。ナカハラは昨日同様全く目覚めることもなく、新城さん本体の代わりに、新城さんの枕を抱えて、寝息を立てています。角の無い寝顔に、眉を寄せて吠えている時より、ずっとこっちの方が幼く見えるのだな、とぼんやり思いました。新城さんはきっとこの顔を独り占めしていたいのだろうなあ、とも。
「武蔵ちゃん」
「はい」
「走りながら喋れる?」
「この程度なら」
「中原くんに、昨日なんか、君の大切な話の欠片をしなかった?」
「どれでしょう。新城さんの隣には女が似合うというので、わたしは女だけれどそんなことをするぐらいなら全裸で渋谷のスクランブル交差点で踊ってやる、というくだりでしょうか」
「そんなこと言ったの!?」
「言ってません」
「……はああ……君の冗談は、冗談に聞こえない……」
「冗談は言ってません」
「本気なの……納得だわ……」
そうじゃなくて、武蔵ちゃんが女の子を好きなきっかけについてぽろっと話さなかったかい。新城さんはそう、軽く言いました。そんなようなこと、言った気もします。けど、別に、大切な話でも無いですし、隠しているわけでも無いですし。
「わたし、男だったんです。第二次性徴が来るまで」
「……なんで?」
「家の方針です。後継に男が欲しかったんですよ、単純に。任侠映画の類、見たことないんですか?」
「……水棹さん?」
「はい」
「やの付くお家の方なんですか?」
「ノーコメントで」
「だから無駄に戦えるの!?まさか拳銃とか扱えちゃうの!?」
「うるさいですね。ごちゃごちゃ言ってるとアウトレイジ系のオファー勝ち取って、出てもらいますよ」
「役はできるだろうけど、ガチがここにいるんでしょ!?嫌だよ!」
「だからうるさいですって」
よく走りながら叫べるなあ、と思っていたら、新城さんがげほげほし始めた。そりゃそうなるか。
途中の公園で、休憩。昔のことはどうだっていいじゃないですか、と流せば、確かにねえ、と苦笑いされました。新城さんの昔なんて興味もありませんし、あなただってそういうタイプでしょう。隣同士ベンチに座るのに耐えきれなかったので、新城さんを置いて自分だけ立てば、気づいたようではあったけど、特に何も突っ込まれませんでした。ありがたい話です。男が嫌いだと言うと、怖くないよ、中には優しい人もいるよ、と弁明を重ねて来る人間がいるが、そうではないわけで、理由がそもそも根本から違うのです。無駄に近づく必要は全くない。だって、生ゴミの横でわざわざ立ち尽くしたりしないでしょう。
「中原くんがねえ」
「はい」
「武蔵ちゃんに怒られたって泣いてたよ」
「はあ。怒ってません」
「うん。嬉しそうだったから、怒られてないんだろうなあと俺も思った」
「そうですか」
「でもねえ。中原くんのことが好きなのは、俺だけでいいんだー」
「?」
「もしも、中原くんが自分のこと好きになっちゃったら、中原くんのこと大事にできる人が、増えちゃうでしょ。それは困るから、中原くんは中原くんを嫌いなままがいいんだよ」
「……不幸ですね」
「そう?俺に愛してもらえるんだから、幸せじゃない?」
「ドクズ」
「あっその言い方めっちゃ刺さる……ここ一週間で一番傷ついた……」
「こんなクソクズでもちやほやされるんですから、世の中捨てたもんじゃないですね」
「……褒めてる?貶してる?」
「両方です」
「……ねえ、彼女ちゃんかわいい?」
「サインください」
「いいよ」

「お世話になりました。家のことが落ち着いたら、お礼は必ず」
「住むとこ見つかったの?」
「手配できました。定住先はまたしばらく探しますけれど」
「また困ったら来てください」
「はい。ナカハラ一人の時に」
「おい武蔵」
「冗談です。武蔵ちゃんジョーク」
「真顔ジョークほんとやめて」
「武蔵ちゃんジョーク」
「うわ笑った!」
「武蔵ちゃんが笑った!」
「……失礼な男たちですね……」
なかなかに楽しい二日間でした、と伝えれば、新城さんと暮らせたことを光栄に思いなさい、と頭に手を置かれたので、苛立って関節を締めてしまいました。うっかりうっかり。新城さんの悲鳴がリビングに響き渡りました。玄関口とかじゃなくて良かったですね。
「てめえ!許さんからな!」
「また来ますね。ナカハラ」
「えっ俺?あ、はい」
「新城さん、行きますよ」
「嫌だー!武蔵ちゃんと一緒にお仕事したくなーい!嫌ー!」


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