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おはなし



ありま←おべんと の時期の話



俺と有馬が好きな映画のシリーズの、番外編の最新作のレンタルが始まった、なんてことを知ったのが、ちょっと前。一緒に見よう!とうっかり盛り上がってから、ちょうどお互いバイトとか授業とかで夜しか空かなくて、でも早く見たい気持ちは抑えきれなくて、今晩有馬がうちに来る。初めてあいつがうちに来た時も同じシチュエーションで、一緒に映画を見て、有馬が寝惚けて、上に乗っかって押さえつけられて、そのまま二人して重なり合って眠った。彼の体温がフラッシュバックすると、未だに涙が出そうになる。その程度には鮮烈に記憶に残っているのだけれど、今回はそんなことにはならないと思う。というか、思いたい。伏見と小野寺も一緒になら、何度かうちで集まったことあるわけだし。まあ、最初から最後までガチの二人っきり、っていうのは、俺が避けてたってのもあって、なかなかなかったけど。
夜九時。バイトがある、と夕方一旦別れた有馬が、ビニール袋を片手に引っさげて、やってきた。弁当んちまでの道ちゃんと覚えてるか不安だわー、なんて笑ってたから、携帯片手にそわそわ待ってたんだけど、無事にチャイムが鳴ったので安心した。
「おじゃましまーす」
「どうぞ」
「映画借りれた?」
「借りれた。あと、過去編の、日本でまだやってないやつもあったから借りたけど、見たことある?」
「ない!」
かっこいいよな、キャプテンは男の中の男!って感じでさ、かっこいいんだよー、と一人頷きながら浸っている有馬は、ヒーローに憧れる子どもそのもので、ちょっと可笑しかった。靴を脱いで上がり込んできた有馬が、ぱっと顔を上げて、片手に引っ掛けていたビニール袋を差し出した。
「あ、そうだ。見て。じゃーん」
「……瓶のお酒をうちに持ち込むの禁止って前に言った」
「ゴミ捨てがめんどくさいからだろ?」
「覚えてるのになんで買ってくるの。持って帰って」
「ゴミは持って帰るから。な?」
そういう問題では、ないのだが。茶色くて角ばった瓶に見覚えがあって、はああ、と溜息をつく。ちゃんと氷と割り物の炭酸水も用意してきたのは、えらいといえばえらいけど。
「……しかもよりによってウイスキー……」
「ハイボール!」
「ストレートで飲めないからでしょ」
「弁当だって割るじゃん!」
「だからなに」
「態度悪!えっ、機嫌悪い?おこ?」
「……怒ってない」
「怒ってんじゃん!」
強いて言うなら、口元が緩まないように締めているので怒っているように見えるのかもしれない。お酒を用意して来るだろうとは思っていたけど、どうせ缶の適当なやつだろうと思っていたので、しっかり飲むつもりの準備をされてると、あっちも楽しみにしてくれてたのかなーとか、いろいろ思ってしまって、にやにやしてしまって。ウイスキーは、あまりお酒を飲まない父親が、母親と夜更かしする時にだけ出して来る、特別なお酒だと思っていたので、それもあってちょっと嬉しかったりもした。そんなこと有馬は知らないんだけど。がさがさと袋をかき回した有馬が、誇らしげに包みを取り出した。
「そんな弁当に、じゃーん!おつまみ!」
「……からあげ?」
「ハイボールとからあげ!ハイカラ!テレビで見た!」
「……………」
「しかもなー、ここのからあげ美味しいって伏見が言ってて、あいつの美味しいはマジで美味しいじゃん?だから俺わざわざ買いに行ってさー、弁当?」
「……そのからあげ食べたことある」
しかも、その伏見に連れられて。あそこのお店ってテイクアウトあったんだ、知らなかった。有馬が、紙袋に入ったからあげのパックを取り出したので、いい匂いがふわんと広がった。お互い夜ご飯は済ませて来る約束だったけど、空腹感を誘う美味しそうな匂いだ。俺の言葉に、がーん、と言った感じで口を開けた有馬が、わあわあ騒ぎ出した。
「えー!くそー!うまい?」
「うまい」
「やったー!食お!」
いそいそと、からあげとウイスキーと炭酸水を机に出して用意しはじめた有馬に、お皿やグラスを渡す。氷は冷凍庫へ。借りてきたDVDを渡せば、勝手知ったると言った感じで、プレーヤーに入れて操作しはじめた。そういえば、はたと気づいて口を開く。約束しとかないと、居座られるからな。
「終電までには帰ってね」
「今から映画二本見て終電間に合う?」
「……微妙」
「じゃあ泊まるわ、始発で帰る」
「え、いや」
「嫌?」
「……嫌では……」
「どっちから見る?」
そりゃ、二本見るよなあ。最新作だけでいいところを、テンション上がっちゃってもう一作借りてきたのは俺だし。始まる時間がこの時間なんだから、って逆算して、もうちょっと深く考えればよかった。分かりやすく舞い上がりすぎだ、我ながら。今回は俺が悪い。二枚のパッケージを見比べている有馬に、怒り口調にならないように、つっけんどんに冷たく聞こえないように、告げる。
「……好きな方から見ていいよ」
「えー、うーん、どうする……?キャプテンの番外編って、過去編的な感じ?」
「分かんない。俺も詳しくは」
「だよなー。あとさ、俺これも持ってきちゃったの。弁当、こう言うのも好きかなーって」
「え?」
見ようと思ったんだけどさ、と渡されたのは、車が変形してロボットになるやつの、ハリウッド版の方のDVDだった。好きかなー、というより、好きだ。こう渡されると、久し振りに見たくなる。けど、俺が二本用意してしまったがために、有馬持ち込みのこれも見るとなると、計三本。ちょっとした上映会だ。朝までコース待った無し。好きじゃない?と問いかけられて、咄嗟に首を横に振ってしまった。そして、単純な有馬は、持ってきてよかった!じゃあこれも見ような!と嬉しそうにするのである。断れるわけないじゃないか。映画一つにつき二時間として、ここから六時間。有馬が起きている保証もなし。酔っ払わないという保証も、絡んでこないという保証も、なし。終電では帰れないので、どうあがいても朝五時ぐらいまではうちにいる。八時間近くあるので、映画は全部見られるだろうけど、それは単純計算であって、人間としてどうこうという話ではないわけで。安請け合いしすぎだ、自分の理性を過信しすぎていとは思わないのか、一回強めに頭打て馬鹿、目を覚ませ、と心の中の自分が自分を滅多刺しにしてくる。ごもっともです、としか返す言葉がない。
一時停止していた俺を放って、プレイヤーの準備を整えた有馬が、グラスを見て、うーん、と唸った。眉根を寄せた顔。
「なあ、弁当、ハイボール作れる?」
「……自分でやって」
「ウイスキーがお好きでしょってやって」
「俺に何を望んでんだよ……」

日本未公開の、レンタル専用のやつは、当然といえば当然、字幕だった。有馬は果たして付いて来られるのだろうか、なんてとても不躾なことを考えたけれど、見る限りはすごく集中している。からあげが減らない辺りからも、それを感じる。好きなものだから、脳の可動領域が広がっているのかもしれないなあ、なんて。
世界を守るヒーローたちのリーダー格である、ファンからの通称、キャプテン。有馬が大好きなその人の過去話から、見ることにした。彼が平和を望み続ける理由は今まで明かされていなくて、シリーズの一番最初でキャプテンの師匠が悪の親玉にやられて死んでしまうので、それに対しての怒りがきっかけなのだと、今までは思われてきた。この過去話ではそのきっかけが明らかになる、というキャッチコピーに、つい手を伸ばしてしまったのだけれど、気紛れに借りた自分を褒めたいと思った。面白い。キャプテンの過去に秘められた、年若い彼の葛藤と苦悩、通ってきた絶望と、それを乗り越えて手に入れた力。ラストシーンを見たら、もう一度シリーズの最初から見返したくなるような、すごい映画だった。有馬なんかちょっと泣きそうだった。俺もだけど。
「……すげえよかった……」
「……うん」
「なんでこれ日本でやらないんだろうな?」
「さあ……」
「みんな見てほしい。今すぐ全世界に公開してほしい」
だってさあ、あのシーンがさあ、と有馬は目を輝かせて話し出した。映画の間は静かだったけど、きっとその間にいろいろ言いたいことを頭の中で掻き回していたんだろう。勢い任せの有馬にしては丁寧に言葉を選んでいる気がして、好きなものとか大事なものに対してはそうなるんだなあ、って伝わってきて、なんでかちょっと嬉しくなった。自分がその中に入れるわけでもないけど、そういうところが好きだと改めて思ったのだ。すっかり炭酸の抜けてしまったハイボールを、喉を潤すためだけに傾けながら、有馬が話す。くるくると表情を変えながら、本当に嬉しそうに、好きなものの話をする。それを見て、ああ、好きだなあ、と俺は思うのだ。本気で憧れて、真っ直ぐに好きになることができる、有馬のこと。
「敵のはずのジェシカが、キャプテンを守って最後、全部の力を使って、いなくなっちゃったじゃん。キャプテンはそれをすごい後悔してたけど、そうされるだけの人だったって、俺はちょっと分かる」
「火星の話でも、キャプテンが戦えなくなった時、リリアが守ろうとしてたけど、キャパオーバーして復活したよね」
「そう!それもきっと、ジェシカのことがあったから、あそこで守られるわけにはいかなかったんだ。キャプテンはすごい、俺もああなりたい」
「なりたいの?」
「なりたい。あー、こう、地球を守りたいとかじゃなくて、大事なもののために自分の全部を賭けられるような、そういうかっこいい男になりたいってもんだよ」
「……そうだね」
もう充分かっこいいよ、なんてこと、言えないけれど。盛り上がった自分に気づいたのか、ちょっと恥ずかしそうに、あー、と目を泳がせた有馬が、今度はこっち見ようぜ!と最新作の方を翳した。そっちは、番外編の最新作なので、キャプテンはあまり出て来ない。前にうちで見た映画は、本編の最新作だったっけ。番外編の方は、脇役、というか、キャプテン率いるヒーローたちのチームには決して加わらない、一匹狼のダークヒーローが主人公の話だ。自らの正義を貫くためには手段を厭わず、時にはヒーローたちとも対立する。けれど、彼には彼なりの守りたい唯一があって、それを知ったキャプテンたちと徐々に協力関係を結んでいく、そんなシリーズの三作目。映画館でも見たけれど、やっぱり何回見ても盛り上がるし、はらはらどきどきするし、おもしろい。有馬は、やいのやいの言いながら見ることにしたらしく、ハイボールもからあげも食べ進めながら、応援したり悔しがったり笑ったり怒ったり、と忙しそうだった。俺もつられてわいわいしてしまったので、お隣さんに迷惑になってないといいけど。
「最後までかっこよかった……」
「……有馬って映画館にも観に行くの」
「行くよ!誰か誘って」
「ふうん……」
俺は一人で行くけど、有馬が一人で映画を見ているイメージはなかったので、まあ然もありなん。俺は誘われたことないなー、とぼんやり思った。別に、いいんだけど。
タイトル画面に戻ったDVD。はあーあ、と楽しさの余韻が色濃く残る溜息をついた有馬が、寝転がりかけて、何かに気づいたのか中途半端な体勢から戻ってきた。どんな腹筋だ。俺にはできない。
「あ。空じゃん」
「え?」
「言えよー。作ってきてやるから、俺ももうないし」
「あ、いいよ、お茶で」
「お茶で割んの?」
「違う、お茶だけで」
「はい」
「お茶……」
「かんぱーい!キャプテンに!」
「……………」
とても雑に、すっごく雑に、がちゃんがちゃんからんからんじゃー!って勢いでお酒を作ってきた有馬が、ごくごくと美味しそうにグラスを傾ける。一口飲んだけど、濃い。有馬の方は薄そうだ。自分のだけそうやって、と思ったが、グラスの色を見てふと思う。有馬、水色のラインの方使ってなかったっけ。今俺の手にあるのは水色ラインで、有馬の手にあるのは黄緑と黄色の葉っぱ柄。あれ、あっちの葉っぱのやつ、俺さっきまで使ってなかったっけ。追いつかない頭で呆然と考えていると、俺の目線に気づいた有馬が、ああ、と頷いた。
「わりい、間違えたわ」
「ぁ、え、あっ、」
「濃!分量も間違えてんじゃん!」
「ぁ……」
うへえ、と苦い顔をしながら、確認のようにもう一口行った有馬に、間接キスだ、と他人事みたいに思う。だって俺、入れ替わってるなんて分かんなかったから、口付けたちゃったもん、水色ラインのグラス。引っ手繰られた代わりに渡された、葉っぱ柄のグラス。もう飲める気がしない。うーん、と唸った有馬が、固まっている俺の手から再びグラスを取って、有馬が勢いよく飲んだせいでかなり減っている薄い方に、濃い方を混ぜた。ああ。あああ。もっと飲めなくなる。分けてやるよー、じゃない。半笑いしか出ない。よし、と満足そうに頷いた有馬が、仕切り直しのようにグラスを上げた。
「かんぱーい!」
かんぱーい、の後には、一口以上は飲むのが定石で。半笑いの俺は、背中を汗でびしゃびしゃにしながら、ちょっと濃いハイボールを呑み下した。

ふと意識が戻ってきたのは、寒さからだった。目を擦って、額にずり上がっていた眼鏡を戻して、机の上に転がっていた携帯を手に取る。三時。テレビの画面は、有馬が持ってきてくれた方の映画のタイトルで停止している。そして当の本人は、床に転がって寝ている。俺は机に突っ伏してた、いつから寝てたのかの記憶はないけど。
体を起こすと、なにかがするりと下がった感覚があって、目を向ければ、落ちていたのは有馬の青いジャージだった。自分からずり落ちたということは、肩にかけてくれたんだろうな。それは要するに俺が先に寝落ちたってことで、有馬はそれを見届けて、俺が寒くないように自分の服をかけて、寝たわけだ。推理にもならない単純な予測。それが、酷く愛おしくて、つらかった。自分だって半袖のくせに。寒い、とまで有馬は感じないかもしれないけど、涼しいな、くらいには思っただろうに。すうすうと寝息を立てる彼を見下ろしながら、ぼんやりと思う。優しすぎるから、その優しさが痛い。人懐っこくて明るいから、その眩しさに目が焼けそうになる。それは有馬のせいじゃなくて、彼を想っている自分がどうしようもなく汚いせいだ。何の変哲も無い言葉の奥底に殺す、好意。好きでいられるだけで幸せなのだと、そんなこと分かっているけれど、「好きでいるだけ」がこんなにも重いなんて、分からなかったから。
目を閉じて、黙っていると、普段より少しあどけなく見える。明るい色に染められた髪に、変な体勢で寝ているせいで、癖がついて跳ねている。思ってたより長い睫毛、通った鼻筋、よく喋る唇。整った顔だとは思っていたけれど、改めて見ると、一つ一つのパーツが他人よりも丁寧に作られているみたいだった。口を開けば騒がしくて子どもっぽいくせ、身体の作りはきちんと男らしくて、羨ましい。俺の方が少しだけ身長は高いけれど、彼の方が筋肉質で重い。よく動くからじゃね、とは本人曰くの言葉で、特に気にしていなかったようだけれど、無駄な脂肪が薄く筋張った身体を、数回目にしたことがある。笑ったり、焦ったり、拗ねたり、謝ったり、ころころと変わる表情はいつまでも飽きることなく、対面にいることを良しとしてくれた。一度だけ、怒られたこともある。怒りだけに拠らないその感情は、俺のためだけに向けられたそれは、彼の何処から生み出されたものなのだろう。フラッシュバックする頰の痛みと、およそ殴った側がするものではない悲痛そうな目に、未だ、呼吸が詰まる。
映画の中では大概、ヒロインがピンチになるとヒーローはそれを必ず助け、二人は抱きしめ合ってキスを交わす。なにがあっても大切な人を助けに行くのが、ヒーローとしての定義なのだろう。そんな風になりたいと、恥ずかしそうに有馬は言った。大事なもののために、自分の全てを賭けられる。そんな人間、この世界にどれだけいるのだろうか。生きとし生けるものたち全てが、綺麗事も理屈も偽善も抜きに本心からそんなことをできるのなら、この世界はもっと綺麗だったはずだ。有馬は、そういう綺麗な世界に生きるべき人だ。俺とは違う。俺にはきっと、そんなことはできないから。助けてもらう側の立場にさえ、立てないから。
ぱたりと手の甲に落ちた雫に、目を擦る。ばかだなあ。酔っ払ってるのかな。そんなにたくさんお酒を飲んだつもりはないけど、場と雰囲気と気持ちに、悪い方へ酩酊してしまったのかもしれない。ずず、と鼻を啜れば、有馬が身動いだ。泣いてるなんて、ばれたくない。咄嗟に俺が取った行動は、寝たふりだった。さっきと同じように机に突っ伏して、顔を隠す。さっきまでみたいに上手くずらせなかった眼鏡が眉辺りに当たって痛いけど、仕方ない。腕と脇の隙間から、有馬が身を起こしたのが見えた。ぺたりと座り込んだ彼の、顔は見えない。体だけだ。ふあ、と欠伸をする声。俺の肩から落ちたジャージに気づいたらしい有馬が、小さく笑ったのが聞こえた。
「……しょうがないやつだなあ」
潜めるような、いつもより低くて、甘い声。ジャージを拾って、また俺に掛けた有馬が、腕の間に挟まって俺に押し付けられてる眼鏡を取って、かたり、と机に置いた音。きしきしと床を鳴らして歩いて行った先は、台所なのかトイレなのか洗面所なのか、見えないから分からないけれど。
またひとつ、涙が零れた。それはまるで、好きだ、という言葉の代わりのようだった。


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