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おはなし



伏見が、珍しく黙々と本を読んでいる。本を割と読むのは知っていたけれど、教室とか電車とか、こういう人の多いところでは読まないんだと思ってた。人気があると集中できないとか言って。
「……、」
「あ。おはよ」
「……おはよう」
声をかけるの一瞬躊躇ったんだけど、別に平気だったらしい。ちょっと目を上げて挨拶した伏見が、席取っといたよ、と荷物をどかしてくれた。この授業には有馬や小野寺はいないので、伏見の分と俺の分だけ。真ん中より少し前に席が取ってあるのは、あんまり後ろの方だと授業が始まる前に前にずらされるからだ。そこじゃあ見えませんよ、とかってどうせ言われるわけだし。
何の本読んでるのかは気になったけど、自分が本を読んでる時にやんややんや言われるのは、相手にもよるが基本的にはあまり好きではないので、特に何も言わずに授業の準備をする。昨日の夜桐沢から連絡が来てたのを思い出して返事をしていると、伏見がぱたりと本を閉じた音がした。
「ちょっとトイレ」
「うん」
席を通してあげて、去っていった伏見を目で追って、そういえば、と机の上を見る。ブックカバーがついているが、サイズが合っていないのか外れかけだ。何の本なんだろう、捲ったらすぐ見えそうだけど。
「……………」
後悔した。人の物を勝手に触った自分に対してのバチだと思う。もう二度とこんなことはしないから時間を10秒戻してほしい。もしくは今すぐにここから並行世界に分岐してほしい。本の表紙を見なかった世界線に行きたい。
端的に言って、ホラー小説だった。表紙も当然ながらおどろおどろしい感じになっている。うっかりブックカバーを剥がしてしまったので、表紙を見ないためにも、伏見に黙って本を触ったことがバレないためにも、とにかくカバーをもう一度かけなければならないのだが、手に取りたくない。あまりにも手に取りたくなさがすごすぎて、俺の手は膝に戻った。こんなに行儀よく手を膝を置いて授業開始を待つ大学生はいないと思う。恐怖のあまり足も揃ってる。目を逸らし気味にしてピントを合わせないことで事なきを得ているけれど、一瞬見えた表紙が怖かったので、割と本当に触りたくない。伏見も伏見で、ホラー小説を読んでいると一言言って欲しかった。まさかわざとか。性格が悪い。捻じ曲がっている。そんな奴だとは思っていたけれど、俺にそんなことをするとは思っていなかった。今晩呪われたらどうしてくれるんだ。伏見を第二の犠牲者にしてやる。
「弁当?」
「は」
「……すげー顔なってるけど」
「……なにもない」
「あー。カバー剥いだの?見せないためにカバーかけといたのに、なんでそういうことするかね。運が無いなあ」
流石は幸運値がマイナスに振り切れてるよね、サスペンスだったら一番に死ぬタイプ、と普通に失礼なことを宣った伏見が、俺の足を跨いで元の席に戻った。だめだぞ、と俺を軽く窘めながら、カバーをかけ直した伏見が、でも面白いんだよ、と本を振ったので、目を逸らした。おもしろくない。
「航介も好きだって」
「あいつの好きは狂ってる」
「俺のこと遠回しに貶してんの」
「そう」
「……弁当が俺のこと悪く言う時ってかなり荒んでる時だよね」
「授業始まるよ」
「まだだよ」
「……その本をしまって」
「このページには写真があって」
「挿絵の紹介はしなくていいから」
「この女の人は」
「紹介しなくていいって言ってるでしょ」
「ねえ、ちゃんと見て」
「俺の話聞いて?」
「こっち見て」
「授業始まるよ」
「始まって欲しいの間違いじゃない?」
「顔の前に本を持ってこないで」

授業が終わった。伏見は性格が悪いので、授業中ずっとカバーをかけた本を机の上に置いたままだった。一瞬見えただけなので、鮮明な表紙は覚えていないけれど、ぼんやりとしか覚えていないせいで、逆に想像を掻き立てられてしまって怖い。本当に早くしまって欲しい。
「はー。ご飯食べよ」
「本しまった?」
「もしかして今日一日中ずっとあの本のこと気にすんの?」
「場合によっては伏見とは別行動をとるよ」
「今日ずっと授業被ってんのに?」
さびしいー、とのんびり言った伏見が机の上を片付けて、出発。伏見と俺が二限と四限、小野寺と有馬が三限と四限、ただし四限の授業は、俺と伏見、小野寺有馬、でそれぞればらばら、という構成である。伏見と小野寺は大概四限が終わったら一緒に帰るので、有馬が俺にくっついてくることは予想される。そして嬉しいことに、今日のような授業編成だと、のんびりご飯が食べられるのだ。時間もかなり開くし、相手が伏見なので、尚更。
「なに食べる?」
「先週なに食べたっけ」
「定食。おさかな」
「……ああ、伏見が半分しか食べなかった焼き魚……」
「そういうことは思い出さなくていいの」
とりあえず、大学を出る。わざわざ学食で食べることもない。電車で二駅、大きめの駅まで出るとショッピングモールがあるので、そこへ行くことにした。たくさんお店があった方が、この偏食にも食べられるものがあると思って。
「あったかい」
「急に暑くなったよね」
「俺この中半袖なんだ」
「……そんなに暑い?」
「ううん。上着は脱げない」
「でしょうよ……」
「でもー、これ、片っぽの袖がかわいいの」
「脱がなくていいよ」
「見てほしい」
「ああかわいいかわいい」
「ちゃんと見て!」
伏見がよく喋るので、周りの人がすごく見てくる。伏見と有馬といると目を引くので、静かにしてほしい。しかしながらその二人には静かにするとかいう概念は無いので、結果として目を引くことになる。とても嫌。静かに生きていきたい。電車の中では黙ってほしい。かわいいかわいい、はいはいかわいい、袖かわいいね。
「ここのお店で買ったんだ」
「飯は?」
「このリュックとか弁当使ってそうだなーって思って」
「なにこの紐」
「かざり」
「引っかかっちゃうじゃん」
「……………」
「なに?」
「服を合わせてる」
「合わせなくていいよ」
「面白みの欠片もない無個性な服ばっかり着てないでこういうのも着てみたらいい」
「今俺の服のこと面白みないっつった?」
服屋は早々に出て、混む前にご飯を食べに行こうと伏見の背中を押した。すごい嫌がられたけど。伏見は他人に服を押し売りするのが好きなので、きっぱり断らないとしつこくされる。前に帰省した時、航介が寝間着に着てた変なTシャツも、伏見があげたやつらしいし。
なに食べようかね、とレストランガイドを見上げる。ラーメンうどん系は、伏見が嫌がったので無し。なんでそんなに嫌なのか気になるぐらい嫌な顔をされた。多分、ただ気分じゃないだけだけど。俺は食べたいものが特にないので、伏見に任すことにした。しばらく迷っていた伏見に着いて行く。伏見の食べたいもの、味には信用あるけど、何が出るか分かんないからな。
「からあげ屋さんです」
「……肉か……」
「おいしいんだよ。小野寺はいくらでも食べれるって言ってた」
「伏見はどうして俺のこと小野寺と同じ扱いするの?」
「タッパ同じぐらいじゃん?」
「だからなに」
席に座って、メニューを開く。セットが選べるらしい。からあげの味と、量と、サラダをつけるかつけないかとか、そういうのを選べる。量は少なくていい。味も普通でいい。サラダは欲しい。ご飯は、なんなら少なくていい。細かく選べるのは嬉しい。伏見は、ご飯は普通でからあげはたくさん、サラダは無し、という分かりやすいセットだった。からあげをたくさんにすると味が増やせるようで、俺は醤油だけだけど伏見のは塩と醤油とにんにくと、ってあった。塩おいしかった。次は食べよう。ぺろりとからあげを食べきった伏見が、再びメニューを手に取った。まだ食べ足りないのか。
「デザートもおいしいんだよ」
「ふうん」
「期間限定パフェだって。ほら」
「……ふうん……」
「俺も食べたい」
食べたいと言う割に、伏見は一口か二口しか食べないだろうから、二人だけど一つだけ頼むことにした。桃のパフェ。メニューの写真だけ見て頼んだんだけど、注文した後で近くのテーブルに運ばれていく同じパフェを見たところ、思ってたよりかは大きかった。でも、あのくらいなら食べれるかな。
「……弁当食べきれる?」
「え?」
「あれだよ?あれ。俺無理」
「食べれるよ」
「……弁当って甘いものになると胃袋おかしくなるよね」
「パフェは食べられるでしょ?」
「それならからあげ食べられるでしょ」
「からあげは食べられない」
「意味分かんないわ」
「おまたせしましたー」
「いただきます」
「うわー。うーわ。うわーあ」
「うるさいな」

パフェは美味しかった。伏見がうるさかったけど。しかも、あれは食べれないとかぶちぶち言っといて、その後、ショッピングモール出る時スタバでなんかでかいやつ買ってたし。二口飲んで俺にくれたけど。美味しかったけど。
「まだ時間あるよ」
「もう帰ろう」
「まだ時間あるよ」
「遅刻したら困るから」
「まだ時間あるよ」
「痛い痛い」
「まだ!時間!あるよ!」
「引っ張らないで」
伏見が言うほど時間はない。服屋で俺に買いもしない服を当てたりしてるから。ショッピングモールから駅の方に歩いて行く途中、大きめのツタヤがあったので、そこに寄ることにした。
「弁当の好きな映画」
「……レンタル始まったんだ」
「見たんじゃないの?映画館で」
「見たよ」
「何度も見るのが面白いタイプの映画じゃなくない?」
「話の展開が分かっててもかっこよかったら面白いでしょう」
「全然」
「節穴」
「じゃあ、今度一緒に見ようよ」
「……珍しい」
「面白さが俺には分からないから、教えてくれたらいいじゃん?」
絶対何か企んでる。いやに優しい。胡乱な目で見てたら、企みがバレたからなのか、でれでれをすぐ引っ込めて、嘘です、嫌です、あんなものは見ません、と手のひらを返しやがった。なにしやがるつもりだったんだ、とちくちく問いかければ、抱き合わせでさっきのホラー小説の実写版を見るつもりだった、とねたばらしされたので、許さない旨を伝えた。
「怒んないでよー」
「そうやってすぐ騙そうとする。人からの信用を失う」
「えー、でも、弁当は俺のこと信頼してくれてるから」
「……本心で言ってるなら相当の馬鹿だよ」
「今割と結構傷ついたんだけど」
そんな喧嘩をしながら場所を移動して、レンタルコーナーから、本屋さんのコーナーに出た。雑誌のところを素通りしかけた伏見が、あ、と声を上げて止まる。指さされているのは、アイドルグループが表紙の週刊誌だった。好きなのかと聞けば、そんなわけがない、そうで。そんなわけがない、って。そうでもないとか、そうじゃないとか、言い方あるでしょ。否定的にも程がある。
「センター。俺に似てると噂の女」
「……ああ、なんだっけ」
「カンナ」
「目の大きさが確かに似てるかもね」
「でも俺のが整ってる」
「性格でマイナス五億点」
「見た目でプラス一兆点だからな……」
「そういうとこだよ」
「どういうとこ?分かんない」
「……………」
こっちは弁当が好きな人たちじゃん、と指さされた隣のテレビ雑誌に、好きじゃない、と咄嗟に答えた。チーム有馬(仮称)。三秒ぐらいじっくり俺を眺めた伏見が、そうですね、とあっさり牙を仕舞ってくれた。あの顔にじっと見られるの、全く慣れない。雑誌コーナーから出たら実用書コーナーで、目敏い伏見がレシピ本を見つけて駆け寄った。食に全振り。
「弁当さー、レシピ見たら作れんの」
「……覚えられて、面倒じゃなければ」
「これ美味そう」
「食べれるの?」
「緑の野菜は入れないで」
「じゃあ作らない」
「匙加減じゃん!俺の嫌いなもの抜いてくれたらいいでしょ!」
「そういう甘やかしはしない」
「ケチメガネ!」
「それ昔航介に言われた」
「そうなの?」
にやにやしないでくれ。伏見がどうして航介にあそこまで懐いているんだか、一ミリも気持ちが理解できない。迂闊に名前を出すと伏見が食いつくのでやめよう。
漫画のコーナーに来たけれど、お互いあまり詳しくはないので、知らないタイトルばかりだった。最近ドラマで実写化した少女漫画に立ち止まった伏見が、はん、と鼻で笑って立ち去るので、とても感じが悪かった。そんなに感じが悪いのに、二つ棚を挟んだ先にいる女の子グループが、伏見を見てちょっと盛り上がってる。別に女の子に持て囃されるのが羨ましいとかそういうのではなく、純粋に善意から、この人は性格が悪いんですよ、と伝えたい。性格の捻じ曲がった腹黒と、とても真っ直ぐだけど馬鹿、どっちがいいかと言われたら俺は後者を選ぶ。
「有馬がさあ」
「はっ、え、なに」
「……なにテンパってんの?」
「テンパってない。なに」
「……有馬がこないだこの漫画の話してて、って話なんだけど、なにその顔」
「……心臓に悪い……」
「は?」

大学に帰って授業を受けて、チャイムが鳴ったら小野寺と有馬が来た。伏見がこっちにいる場合、別グループが合流した方が合理的かつ早いからである。おはよおー、と手を上げられて、飽きずにホラー小説の解説を続ける伏見を小野寺に突き渡した。引き取ってくれ。
「伏見また甘えて弁当困らせてたの」
「この女が死ぬ時の呪われ方をもっと細かく伝えたい」
「同じように呪われてしまえ……」
「なあ弁当、ボールペン貸して」
「有馬俺のボールペン壊すから嫌」
「壊さないようにがんばるから!」
「小野寺もこないだ一緒に見たじゃん、あの犬探しに行って死ぬ映画だよ」
「あー!めっちゃ怖かった!俺その後夢に見たもん!」
「伏見、もう二度とその本を俺の前に持ち出さないで」
「なあ、貸してってば。俺のは壊れちゃったから」
「……壊さないでね」
「ありがとー」
「でも今度一緒に見る約束したし」
「してない」
「このボールペンどうやって先っぽ出すの?」
「乱暴しないで」
「書けない」
「ここ」
「ここ?」
「違う」
「弁当約束してないって」
「した。有馬も見るから弁当も見る」
「え?なに見るって?」
「マーベルの新作」
「見る見る」
「有馬、見ないって言って、この男は根っからの嘘吐きだよ」
「そんなん知ってるよ」
「なら撤回し、だからボールペン壊さないでってば!」
「まだ壊してねえだろ!」
「変な音がした!」
「弁当俺と今日一日一緒にいたけど大きい声出さなかった。有馬はすぐ弁当怒らす、俺のが弁当に愛されてる」
「呆れられてるの間違いなんじゃない?」
「小野寺今晩飯抜きな」
「やめて!母に連絡しないで!」


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