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おはなし




「将生、行ってきます」
「あい」
ハイタッチ。ぴよぴよと手を振る息子に手を振り返して、保育園の白いドアを閉める。4月の最初は泣き喚かれてしがみつかれて大騒ぎされて、毎回懲りず飽きずに後ろ髪を引かれたけれど、今となってはもう。私が扉を閉めたのを確認して、お友達のところへ行って一緒に電車で遊び始めたのを見て、踵を返す。お仕事、がんばらなくっちゃ。
靴を履いていたら、玄関が勢い良く開いた。きゃっきゃと騒ぐ声、茶色い頭。将生と同じクラスの、一番仲良しのお友達だ。
「いちばーん!」
「さくちゃんのがこんぐらい早かった、海の負け」
「い″ー!」
「可愛くない顔!あ、おはようございます」
「おっ、おはようございますっ」
ぺこりと頭を下げた、茶髪の男の人。将生のお友達の、うみくんの、お父さん。でも、他の男の人をもう一人見たことがある。そっちは、金髪の男の人。勘繰りは良くないって思うけど、あんまりそういう家族を見たことがないから、気になってしまったのは事実だ。あとはなんていうか、今目の前にいる茶色い人はそうでもないけど、金髪の人の方はちょっと怖くて、覚えてる。どっちも悪い人じゃないのは知ってるのだ。茶髪の人とは朝送ってくる時間が割と被ることが多くて、将生が急に突撃しても笑って許してくれるし、むしろ将生とハイタッチしてくれてたところも、見たことある。私が見ているのに気づいて、すいません、って苦笑いで謝られたのも、覚えてる。謝られるようなことじゃないのに、きっと私の目が咎める目だったんだろうなあ。未だに反省で、ちょっと申し訳なく思っている。金髪の方の人とも、お迎えが被ったことがあって、うみくんがよじ登ってて、それを真似した将生が金髪の男の人によじよじしてても、別に平然としててくれた。止めに入った私に将生を送り出して、さらっと、帰ろうか、とうみくんの手を引いて行った。どっちも絶対悪い人ではない。でもこうなんていうか、すごく失礼だけど、私が個人的に男の人が苦手で、あんまり目を合わせられない。今も挨拶するのに声裏返っちゃったしなあ。はああ、とつい後悔のため息が出た。お仕事お仕事、切り替えて、がんばらなくっちゃ。ぴっ、ICカードを通して登園時間を、
「あの」
「はいぃっ」
「落としました」
「あっごめっ、すいません!すいませんすいません!」
「はい」
カードを出す時に、将生の涎と鼻水が染み付いたタオルを落としたらしい。わざわざ拾ってくれたうみくんのお家の人にぺこぺこと頭を下げる。きょとんとされた。絶対、変な親だと思われてる。長いお付き合いになるのに。将生とうみくん、仲良しさんなのに。うう。

「将生、ただいま」
「ままだー!」
おしゃべりが大分上手になった。走れるようになった。おかえんなさい、とにぱにぱされて、頰を包む。ただいま。
「あー、まさきまま」
「うみくん。こんにちは」
「うみねえ、まさきとしんかんせんあそんでたの、これー」
「そうなの?」
「んー」
とは言え、うみくんの方がかなり喋れる。もともと、よく喋るなあ、ってタイプの子だったのもある。こっくん、と頷いた将生が、これも、と赤い電車を持ち上げた。今日もたくさん遊んで楽しかったの、良かった。
「うみくん、ばいばい」
「ばいばーい!あしたねー!」
「あ。こんばんは」
「あっ、こんっ、ばんわ」
「こーちゃんだ!こーおちゃーん!」
「おー」
勢い良く突進してきたうみくんをそのまま抱き上げて担いだお家の人、航介さんが、きゃっきゃしているうみくんを背負ったままさくさく支度をしていく。前よりちょっと仲良くなって、名前とかも知って、年もそんなに離れてないので、まだ少し怖いけど、声も裏返るけど、仲良くしてもらっている。私も支度しなくちゃ、って剥がしたシーツを洗い物袋に入れていたら、将生がそれを引っ張り出して被っていた。
「おばけー」
「うみも!おばけ!」
「海、返して。転ぶぞ」
「やーよ!おばけだもん!わるおばけ、ぎゃうっ」
「あっ」
「ぶやあああああ」
うみくんが、シーツを被ったまますっ転んだ。いだいー!ともがいているが、シーツから抜け出せない。助けなくちゃ、と手を伸ばすのと、航介さんがシーツの中からうみくんを引っ張り出すのは、ほぼ同時だった。
「海。こら」
「ゔやああああごおちゃあああ」
「自分が悪い。転ぶって言っただろ」
「ゆっでないいいい」
「言った。どこが痛い?」
わあわあ言いながら鼻を指すうみくんに、なんもなってない、平気、と頭をぽんぽんした航介さんに、頭を下げる。将生がふざけたから、うみくんはそれに乗っかっちゃっただけで、ごめんなさい、って。泣き叫んでるうみくんが縋り付いてくるのも気にせず、片手に引っ付けたままシーツを畳もうとしていた航介さんが、首を横に振った。
「海が話聞かないから。すいません、なんか、タイミング悪くて」
「あの、でも、将生に何も言わなかった私も」
「大丈夫です、ほんとに。なんともないし」
「……すいません……」
ちょっと笑った航介さんが、俺謝られてばっかりですね、とうみくんを抱き上げて、帰っていった。そうだろうか。私、謝ってばっかりだろうか。シーツを丸めて抱えていた将生が、ままあ、と呟いて、我に帰った。ごめんね、と口をついて出た言葉に、喉がつかえる。
謝ってばっかり、かもしれない。

「まさきママのいいとこは、すぐ謝れるとこだと思うんすよ」
「そうでしょうか……」
「うみパパ、マジで全然気にしてないと思いますよ。アタシもこないだ、ダッシュでお迎え行ったら思いっきりぶつかったけど、全然怒ってなかったし」
気にしすぎっすよ、だいじょぶだいじょぶ、と親指を立てて笑ってくれたのは、もりすけくんママ、桃華さんだ。同い年でご近所さんで、お母さん友達のなかで一番仲良くしてもらっている。さっぱりしている性格で、ざっくばらんな喋り方に、いいなあ、と憧れを抱いている。
「頭の色ならアタシも金色じゃないすか。怖くないっしょ」
「そうですけど……」
「なんもないのに謝るのはおかしいっすけど、すぐごめんなさいが言えるのは、アタシはすげーと思います」
アタシは言えないっすからね!と笑った桃華さんに、そうでしょうか、と小さく返す。気づいてないうちに謝って、ごめんなさいがどんどん軽くなる気がして。それは良いことではないような気がした。まま、と遊んでいた将生がこっちに来て、もりすけくんと一緒に書いたらしい絵を自慢げに見せてくれた。すごいね、何を書いたの、と笑う私を見た桃華さんが、ぽつりと呟く。
「……まさきママは、すごいっすね」
「え?」
「いーえ!もりすけー、もりのも見せろー」
「いやー!」
「なんだとー!」

うみくんとおうちであそびたい、と将生からお願いされて、今度お休みの日にでも、と予定を立てて、それが今日。はじめておうちに来てもらうので、ちょっと気合い入れていろんなところのお掃除をして、おやつも作って用意して、準備は万端。将生も、でんしゃする、おいしゃさんもするんだ、と楽しみにしているようで。時間ぴったりに来たのは、朔太郎さんとうみくんだった。航介さんには、俺は行けない、って昨日言われたっけ。うみくん曰く、お休みの日もちょっとはお仕事があるらしい。大変だろうなあ。
「おじゃまします」
「おじゃましまーす!」
「どうぞ」
「まさきんちー!」
靴を脱ぐなりどたどたと走って行ったうみくんにつられて、将生も走って行った。全然構わないのだけれど、朔太郎さんは一応止めようとして、しかしながら勝手にリビングへ飛び込んで行ったのを見て、うるさくしてすいません、と苦笑いでこっちを向いた。
「どこいたいですかー」
「おなかです」
「おねつはかりましょー」
「はい」
微笑ましくお医者さんごっこをしている二人を見ながら、お茶を用意する。うみくんがお医者さんで、将生が患者さん。と思ったら、すぐ交代して、またすぐ交代して、どうやらどっちもお医者さんをやりたいみたいだった。さくちゃんはこーひーすき、とうみくんから聞いていたので、コーヒーを淹れて持っていけば、嬉しそうにお礼を言われた。お茶請け、甘いものとしょっぱいものと、一応用意したけれど、甘いもので良かったらしい。世間話をしていると、ちょっと目を離したすきに、わーん、と泣き声がした。こっちに走ってくる将生を受け止めて。
「将生、どうしたの」
「うみぐんがあ」
「海。なにしたの」
「なんもない!うみしてない!」
「こっち見て言えないのはうそっこだよ」
「ほんとだもん!まさきがわるいもん!」
「そうなの?」
「……………」
しくしく泣いている将生からは話は聞けなそうなので、うみくんから話を聞く。どうやら、お医者さんごっこをしている間に、将生がうみくんのことを勝手に患者にしたらしく、うみくんは自分がお医者さんの番だと主張したけれど受け入れてもらえず、怒って突き飛ばした、と。どんしちゃだめって言ってるじゃないか、とうみくんに話す朔太郎さんの後ろで、泣いている将生に話す。
「将生?うみくんがお医者さんだったのに、順番できなかったの?」
「……………」
「ごめんね、ママおしゃべりしてて見てられなかった。いけないことしたなら、ごめんなさいしよう?」
「……ぅん……」
私の膝から降りた将生が、半泣きで怒ってるうみくんに、ごめんなさい、と頭を下げた。朔太郎さんは、海も謝んなさい、と言ったけれど、うみくんは聞く耳持たずで、そっぽを向いている。いじわるしてごめんなさい、ともう一度言った将生に、ばつの悪そうな顔をしたうみくんがちらちらと目線を向ける。しゅんとしている将生に、うみくんがなにか呟いた。すっごく低い声だし、小さすぎて何を言ってるか分からなくて、もっと大きく!と朔太郎さんがうみくんに発破をかける。それでまたそっぽを向くうみくん。しょんぼりする将生。
「……、………」
「海、聞こえないってば」
「もー!さくちゃんあっちいって!うみ、まさきにだけおはなしする!」
「ちゃんとごめんねできるの」
「あっちいってー!」
「海」
「まさききて!」
「ぅ、うん」
追い払われた朔太郎さんが、まさきくんはごめんねできたのに、海はできなくて、もう、と口を尖らせている。ぽそぽそと、こっちには聞こえない声で喋っている二人が、くつくつと笑い出した。あ、勝手に仲直りしてる。後から将生に聞いたことだけど、「うみくんちゃんとごめんねした」「あと、ひみつおしえてくれた」そうで。
「まさきくんがごめんねちゃんとできるのは、お母さんのおかげなんでしょうね」
「え?」
「だって、青根さん、気配り上手だから。航介もよく謝られるって言ってましたけど、謝れるってことは相手の気持ちをすごく慮ってるってことでしょう?」
「……そう、でしょうか」
「俺はそう思います。海にもそうなってほしいなー」
相手の気持ちを慮る、か。ちょっと、前向きな気持ちになれた気がする。仲良くお医者さんごっこを片付けて、次は積み木で遊び始めた二人を見て、自然と笑っている自分に気づいた。
「うみくんは、自分の思いが強くって、そこは将生には無いところなので、羨ましいです」
「えー、ただのわがままですよ」

「この前、うみくんと遊んだんです」
「あ。アタシもこないだ遊びました。どっちっすか?うみパパ」
「朔太郎さんです」
「おー、アタシんときはもう一人の方っした」
「もう一人って……」
「公園行ったんすよ。もりすけがぜーぜーするまで遊んでくれて、助かりました」
「私はお家で遊びました」
「あ!今度、みんなで集まりましょーよ!都合いい日に、公園がいいすか?家?」
「お外もいいですねえ」



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