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☆すてらびーた☆



「……、」
「……あるさん。お帰りなさい」
ふにゃり、じぶんに覆い被さるスピカさんが、笑った。普段通りの顔で、押し倒しちゃいました、と照れたように巫山戯て。
音は無い。じぶんの右側にはコリンカさんが、左側にはポールさんが、それぞれ倒れていた。目立った外傷もなく、ただ眠っているかのようだった。これからこの先二人が目を覚ますことはないのだろうとも、分かったけれど。ざり、と靴を引きずったピスケスさんは、地面に足をつけて立ち、ぼろぼろの片腕を垂らし、頭から血を流し、ゆらゆらと揺れて、まるで影法師みたいだった。神獣との繋がりがある以上、彼女の魔力が尽きることはないが、もともと在ったピスケスさんの肉体に対してのダメージがかなり酷い。ああいうことをするのは、コリンカさんだ。は、と溜息をついたピスケスさんが、鈴のような声で呟いた。
「……今更戻ってきたところで、全て忘れて死に絶えるだけなのに」
「ピスケス、さん」
「ああ、しかしながら私、音楽なんかで撹乱されて、私としたことが、ああ、なんて恥ずかしい、かみさまに近づこうとする存在としてなんて恥ずべきことでしょう、恥ずかしい、消えてしまいたい、恥ずかしい」
「……?」
「ピスケスちゃん、さっきから、ちょっとおきに、ああやって苦しむんです。三人を一人に押し込めてしまったから、情緒が安定していないみたい。……あるさん、痛いところは、ありませんか?」
「だ、大丈夫です。スピカさんは、」
「わたしは、大丈夫です」
「……スピカさん」
「大丈夫です。もう、痛くないんです。貴方が帰ってきてくれたから、わたし、もう、大丈夫なんです」
スピカさんのお腹には、ぽっかりと、大きな穴が空いていた。いつもより少し青い顔で、それでもスピカさんは、笑った。糸が切れたようにどさりと崩折れた身体は、嫌に軽かった。二人は傷一つなく倒れているのに、スピカさんはよく見ると、お腹に空いた穴以外にも、切り傷擦り傷打ち身だらけだ。守ることに特化したスピカさんだから、捨て身でじぶんとコリンカさんとポールさんを守ってくれたのだろう。あったかい、と薄く囁いた身体を抱き上げて、立ち上がる。
「ピスケスさん」
「僕のことお友達って呼んでくれたのに、私は星のみんなを守らなくちゃならないから、だって人間は脆いから、すぐに死んでしまうから、掻き消えてしまう命ならそれに永遠を与えられる存在に私がなるしか、全て、なによりも、誰よりも強い力を」
「ピスケスさん!」
「……どうか、しましたか?牡牛座くん」
「コリンカさんと、ポールさんに、なにをしたんですか」
「コリンカ……ああ、ええと、忘れそう。ごめんなさいね、脳の容量がいっぱいで。そう、そうでした、私、その人達に、二度と目覚めることのない眠りを与えました」
「……どうやって」
「どう?どうって、方法はたくさんあるじゃないですか。ありもしない記憶に踊らされて、大切な記憶を失って、自分を殺すのは自分です。ふふ、ちょっとだけ楽しかった。思い出しました。私、楽しかったんですよ」
正気に、というか、脳味噌がピスケスさんの管理下に、戻って来たらしい。どうって、どうでしたっけ、と少し考えたピスケスさんが、蜂蜜を零すようにとろとろと、話し出した。ポールさんの音楽に、うっかり耳を傾けてしまったこと。神獣の理性なき破壊の行使でそれを打ち消し、自分にそんな低俗な方法でやり返して来たポールさんにも、それに嵌ってしまった自分にも、腹が立ったこと。自分への罰として、神獣との融合化を一気に進め、時間をかけてゆっくり星々を破壊するのをやめたこと。ポールさんへの罰として、「半身の存在」を忘れさせたこと。それによって、双子座としての在り方の原理を壊されたポールさんは、存在意義がエラーを起こして、動けなくなった。そして、音楽が鳴り響いている間ずっと自分へ攻撃を続けていたコリンカさんには、反逆として、「ピスケスはずっと昔からの友達」という記憶を渡したこと。
「あの子、すっごく良く言うことを聞いてくれました。最初からそうしておけばよかった。ねえ、スピカさん。お腹、痛かったでしょう?」
「……コリンカさんに、スピカさんを、殴らせたんですか」
「いいえ。あの人たちがいじめます、って私のことが大好きなコリンカさんに、ちょっと言ってみただけです。そしたら、勝手にそうなりました。大切な人が困っているってだけであんなに怒れるんですもの、コリンカさんは良い人ですね」
そして。スピカさんはいくら削っても倒れず、本棚に居るじぶんと、倒れるポールさんを、守り続けた。物理的な攻撃をコリンカさんに与えられて持ち堪えられるのはスピカさんくらいのものだろう。むしろ反撃してくる始末で、苛々したピスケスさんは、コリンカさんに泣き付く振りをして、さんざっぱら暴れさせて、お強請りしたらしい。偽りであろうと、その時点では大切な友達からのお願いを、コリンカさんが断れる訳もない。お強請りの内容は、「全部終わるまで心臓止めててください」とかいう身も蓋もないものだった。コリンカさんもコリンカさんだ、どうせ「オッケー!がんばっちゃう!」とか言って受け入れたんだろう。コリンカさんはそういう人だ。相手が困っていたらそれを助けるために自分の出来る限りの事をする、優しい人だ。
「だから。あと残っているのは、貴方達だけです。手間を取らせてくれましたね」
「……あなたたちを、ばらばらに戻す方法を、じぶんはもう知ってます」
「だからなんです?全て忘れてしまうのに。忘れさせてあげますから、目でも閉じててくださいね」
「……そうは、させません。あるさんの、邪魔を、愛する貴方ががんばっている、その邪魔をしようだなんて、許しません、から」
ぐ、とスピカさんの手に力が篭った。じぶんに縋りながら、それでも一人で立とうとする身体を、押し止める。動いちゃダメです、といくら言っても、スピカさんは聞いてくれなかった。ぱたぱたと、スピカさんの中身が零れ落ちていく。回復にはスピカさんが作ったものを食べなくちゃいけない。けど、もうそのストックもすっかりとうに無くなってしまったらしかった。ぼんやりとピスケスさんの方を見たスピカさんが、ふらりふらりと身体を揺蕩わせながら、呟く。
「わたし、あなたに、ごめんなさいを、しなくちゃいけません。お友達、わたしのお友達、あなたが欲しかったのは、かみさまの力だったんですね」
「……スピカさん」
「……………」
「そんなことも知らず、わたしは女神様の真似事をして、貴方が喜んでくれるならそれが幸せだと、勘違いをして。わたしが貴方に希望を抱かせたから、貴方はそんな風に成り果ててしまった。神代の記憶を掘り返して、貴方は力を手に入れた。わたしが、女神様になろうとしたりしたから」
「……いいえ。違います。貴方のせいではありません。私がこうしたいと、自分勝手に決めたのです。そう、私、いえ。いいえ。……そう、僕が。僕がスピカに、我儘を言い続けたから、これはきっとそのバチなんだ」
碧い瞳に長い髪のピスケスさんに、ノイズのように別人が被る。空色の短い髪の、泣き出しそうに笑う、名前も知らない誰か。きっと、スピカさんのお友達だ。神話の記憶を掘り起こして自分に付与し、神獣に成った、誰か。
「……お久しぶりです、わたしのお友達」
「うん、久しぶり。スピカが、いい人たちに囲まれていて、ちょっと安心した。ここから全部見てたんだ」
「ずっと、そこにいたんですね。貴方が貴方で無くなってしまってからも、ずっと」
「……そうだね。僕というモノはもう失われて元には戻れないけれど、心はずっと残ってた。ねえ、スピカ、こっちにおいで。次こそはずっと、一緒にいようよ。他の星の子たちも、神獣のお腹の中でみんなで暮らそう。それは今よりも幸せじゃないかもしれないけど、きっとあたたかいよ」
「……それは、きっと、貴方の言う通りなのでしょうね……」
ぽそりと呟いたスピカさんが、じぶんの服の胸元を握って、ゆっくりこっちを向いた。眉を下げて、困ったみたいに笑う。じぶんの方を向いた時だけ、頬が赤くなるのを見ると、優越感と愛しさの塊で胸がいっぱいになって、今だってそうで。
「ねえ。あるさん。わたしのこと、愛してくださいますか……?」
愛しています。じぶんには愛がなにかは分からないけれど、あなたを大切にすることや、一緒にいることを、愛と呼んでいいのなら。愛しています。優しくて暖かくて愛おしい、赤いリボンが良く似合ってる、かわいいスピカさん。
ぽつぽつと、足りない言葉でそう伝えれば、スピカさんは嬉しそうに笑った。じぶんの首筋に優しく手を回したスピカさんが、顔を擦り寄せてくる。じぶんの唇の端に、やわらかい唇が触れた。キスをしたのは、はじめてだった。くるり、ピスケスさんに被る誰かの方を振り向いたスピカさんが、明るく言い放った。
「さようなら、お友達。もう、貴方と会うことは、ないでしょうから」
「……そうだね。僕は、ピスケスの意思に従って、君たちの星を壊す。君たちを殺す。僕も外に出てくることはない」
「あの、スピカさんのお友達、」
「牡牛座の君とも、話すことはない!ピスケスと代わろう、僕は君たちを倒すために召還されたんだから!」
「……っ」
「……さようなら、大好きなお友達」
ノイズが掻き消えて、スピカさんのお友達は、笑顔で消滅した。彼はきっとこの先もずっと、神獣の中で、一人ぼっちで、何をすることもできずに、何を思うこともなく、ただ世界を眺めるだけの存在と成り果てるのだろう。それは酷くさみしいことのように思えた。けれどスピカさんは、晴れやかな顔をして、一筋だけ涙を零して、笑っていた。心配しないで、と言うように。
ピスケスさんの、碧い目が開く。数秒、呼吸を止めた彼女は、まあいいでしょう、仕切り直して、と目を閉じた。酷薄な冷めた瞳が、再びこちらを差し穿つ。
「……さて。そろそろ、忘れてもらいましょうか」
「これより、神獣とピスケスさんを、剥がします!必要な魔力量に基づいた肉体の成長を!」
「遅い。魔法陣を形成する間に、貴方の全ての記憶を奪えます。さあ、忘れてください。忘れろ、全て、今までもこれからも全て、記憶という記憶を全て!」
ピスケスさんの怒号と共に、頭の中身が真っ白になる。上から全部塗りつぶされたみたいに。真っさらな頭の中に、ただ、腕の中にある微かな暖かさが、小さく声を上げた。それが誰なのかすら思い出せない記憶の剥奪の中で、言葉が聞こえる。それは、祈りだった。誰かが誰かを想う、真摯な祈りだった。



そんなことは、させません。
わたし、決めたんです。
守り抜くって、決めたんです。
愛してくれる人の為なら、愛する人の為なら、なんにだってなれる。なんだって出来る。
……ねえ、女神様。
不遜なわたしが愚かにも成り代わろうとした女神、アストライアー様。
わたしの全てを捧げて祈ります。
かみさまがくれた特権も、この命も、愛も。
全てを貴女に捧げます。
わたしを許して欲しいとは言いません。
ただ、わたしの想う全てを、救うために少しだけ、力を貸してください。
みんなが幸せに、この先の未来を生きられるように。
わたしの愛する貴方が、もう何も失わないように。
守りたいのです。
わたしに出来ることはそれだけだから、ただ、傷ついたみんなを癒してあげたいのです。
ああ、女神様。
この祈りを受け入れてくれるのなら。
どうか、どうか愛する貴方が、もう二度と傷つきませんように。
笑って過ごせますように。

そして、できれば。
わたしのこと、覚えていてくれますように。



「……魔法陣、展開。神獣とピスケスさんの契約式を破壊。余剰した魔力に関しては、魚座の星に流し、魔力回路を新たに作成するものとする」
愕然とするピスケスさんの顔が見える。いつもより大きなじぶんの手のひら。確かに覚えている、かみさまの本棚で見てきた、三人をばらばらにする方法を、展開する。赤いリボンを握りしめて。もう、忘れないから。もうなにも、取りこぼさないから。
「オッケー、あるクン。お兄さん、なにしたらいい?」
「同期解除によって神獣が暴れることが予想されます。じぶんは、剥がすこととこの星に迷惑が掛からない程度に魔力を回すことで手一杯になるので、そっちをどうにかしてください」
「ある、実はぼく、トールができることは全部出来るんだ!えっへへ、神獣相手なら加減はしないぞ!」
やってくれたな、とでも言いたげに拳を鳴らすコリンカさんと、腕を回して嬉しそうなのに目の奥が笑ってないポールさんが、了承の意を示すようにそれぞれ構えた。二人は笑顔だ。消えてしまった唯一人の為の悲しみに暮れるより先に、やるべきことがある。長い髪の毛をくしゃくしゃに掻き回したピスケスさんが、悲鳴を上げた。
「……なんで、なんで、生きてるのよ……!どうして覚えてるの!わたし、忘れさせたはずなのに!」
「スピカさんが全部、治してくれました。身体の傷も、心の傷も、失った思い出も全部」
「ぁ、待って、やめて、お願い、この星に魔力を流さないで、この星は魔力の無い星なの、だから人間たちはみんな、魔法なんてもの知らずに今まで、」
「うるせえ知るか!人間は案外図太いんだ、魔法が突然繁栄したところですぐ慣れて普通に暮らしだすさ!」
「あ、あああ、やめて、やめて……!」
ピスケスさんの身体から、神獣の力が剥がれ落ちていく。ぽよん、と飛び出たアバドーンさんを、ポールさんのところへ走っていったのが見える。それとほぼ同時、ピスケスさんが崩れ落ちて、倒れた。飛び回っていたコリンカさんが彼女を拾って、呆れたような、心配しているような、複雑な顔で、彼女の額をでこぴんした。その全てを見ながら、神獣とピスケスさんを繋ぐルートが切れたことで溢れ出る魔力を、星に流し続ける。暴発しないように。少しずつ、慣らすように。人間たちが驚かないように。水が入った袋に穴が空いたような状態の神獣は、絶叫に似た声を上げて暴れ出した。ポールさんの多重召喚による砲撃とコリンカさんの物理的な攻撃に、神獣とて抑え切られるわけでもなく、ほぼ平行線。魔力を全て星に流しきればじぶんたちの勝ちだ。それまでどうにか持ち堪えて、
「……ある」
「っ、レオさん!?」
「……神託があった。から、ここに来た。……大きいものを狩るのなら、得意。よければ、任せてほしい」
「お願いします!」
「了解。我が身に宿る獅子。此処にその力を放出することを許可する」
背負っていた鎌を構えたレオさんが、駆け出して、翔び立つ。音も無く再び地面に降り立った時には、神獣の胸にあった目が、大穴に変わっていた。粉々にすると大概みんな動けなくなるので、やってみよう。そう独り言ちたレオさんが、また駆け出す。それを止めるように、捕まえようと伸ばされた手に、ポールさんの槍とコリンカさんの踵落としが突き刺さった。レオさんが跳ねる。まるで踊るように、宙空で回ったレオさんの持つ鎌が、吼えるように鳴いた。全てを凍て付かせる吹雪が一瞬吹き荒れて、次の瞬間。
「……綺麗だね」
「そうだねえ。寒いけど」
粉々に砕け散った神獣の欠片が、まるで雪のように降り注ぐ。ぴくちっ、なんて間抜けなコリンカさんのくしゃみに、ポールさんが笑って、レオさんが不思議そうな顔で自分を見た。ピスケスさんは無傷で、アバドーンさんももふもふとポールさんに擦り寄っている。
赤いリボンの絡んだ右手に、唇を落とす。愛しい人。きみは、本当に全てを救ってしまった。神獣が砕け散った先、雪が止んだ後に倒れていたのは、空色の髪の男の子だった。すうすうと寝息を立てる彼は、小さな弓矢を背負って、良い夢でも見ているのか、少しだけ笑っていた。



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