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☆すてらびーた☆



「ウェルカム、角付きの少年」
「……アバドーンさん、目を閉じてください」
「イエス。なんでしょう」
「じぶん、誰の匂いがします?」
「ソーリー。このアバドーン、嗅覚には優れておりません。皆様のことは視覚と聴覚で判断しております」
「はああ……」
まあいい。もういい。全然気にしてない。大丈夫。くさいとかじゃないってポールさんが言ってた。もとい、訂正、そうは言ってない。嫌いじゃないって言ってた。だから大丈夫。忘れよう。
忘れよう、で思い出したけれど、ピスケスさんはアバドーンさんに、じぶんがここに初めて来た時なにに巻き込まれたのか教えてくれることを、了承したのだろうか。忘れたいとか忘れようとか、じぶんの意思ではなく、強制的に忘れさせられた記憶。今聞いたところで、「そういうことがあったんだろうなあ」と他人事にしか感じられないであろう、確実にじぶんの身に起こった出来事。
「角付きの少年。ピスケスは、了承の意を示しました。記憶を返すことは出来ずとも、記憶を見せることは、このアバドーンに一任すると」
「いいんですか?」
「イエス。当事者意識を持って見る必要はありません。貴方にとって今から起こることは、失われた欠片を覗くこと。気分が悪くなったら申し出てください、再生を中止致します」
「はい」
「インシデンタリ、先程まで大きい少女も貴方と同じ記憶の欠片を覗いて行きました。その後すぐ立ち去ってしまいましたが、ああ、アバドーンをもふもふするのを忘れておられるのではとお声掛けするのを怠ってしまいました」
「コリンカさんが?」
「角付きの少年。貴方を傷つけたのは自分なのではないかと、気に病んでいましたよ」
「……コリンカさん……」
「さあ。それでは上映を開始致します。どうぞ楽しんで」



多分、視点はじぶんのものだ。奪われた記憶の追再生。前に立つ背中は、青くて長い髪の毛と角、じぶんより少し高い身長。コリンカさんのものだろう。声は、というか全ての音は、何処と無く現実味がなく、ぼんやりして聞こえる。やあ、ピスケスくん、新しい仲間を紹介しに来たんだ、とコリンカさんが片手を上げた。
暗い色の長い髪に、ピン留めが二本。ライトブルーの瞳。真っ白なフリルのシャツ、胸元にはグレーのリボン、星の煌めきを透かすような不可思議な色めきのスカート。じぶんみたいに角も尻尾も生えてない、どちらかというとレオさんの星にいたような普通の人間にかなり近い見た目の、女の子。コリンカさんの呼びかけから推測するに、彼女がピスケスさんだ。実感が無いけれど、多分、そう。こっちを真っ直ぐに見据えている彼女が口を開いて、はじめまして、と鈴が鳴るような細い声が響いた。じぶんの視界が下を向いて、恐らくはお辞儀したのだろうな、と思う。自己紹介をする声。黙ってそれを聞いてくれているピスケスさん。なにも変わりなく、至って普通の、はじめましてのシチュエーションだ。ぼんやりと進む記憶の欠片の中のじぶんは、じぶんの星の紹介をしている。ピスケスさんに、この星の中も見てみたい、人間に会ってみたい、とお願いしている。じぶんならやりそうなことだ。ピスケスさんは、それに少し眉を寄せて、首を横に振った。どうやらじぶんのお願いは受け入れられなかったらしい。
記憶の中のじぶんは、それなら、というかなんというか、ピスケスさんと仲良くなろうとしているらしい。いろいろ話しかけては、コリンカさんが呆れたように笑ったり、突っ込んだりしてくれている。ピスケスさんも、じぶんとコリンカさんの遣り取りを聞いて、緩く笑ってくれてる。雰囲気的には割と和やかだ。なにがあったらお腹が裂けるのか、予想ができない。
「それでは、ありがとうございました」
突然。はっきりとした輪郭を持って、声が聞こえるようになった。お礼を言ったのはじぶんかと思って、しかし目の前に立つピスケスさんの口が動いているのは確かで、眼を見張る。記憶の中のじぶんは呑気に、いえいえなにも、また遊びに来ますね、と手を振っている。違う。今この瞬間、なにかが明らかに変わったじゃないか。どうして二人とも気づかない。どうして、目の前の彼女が昏く笑っていることに、気づかない。
「今の瞬間の記憶は消してしまうつもりです。どうせ無かったことになるのなら、全部お話してあげますから、理解してくださいね。その理解を、次の貴方に持ち越すことは無いのですから」
ピスケスくん、どうしたの、とコリンカさんがへらへらと近づく。今だから、記憶の欠片を覗き見している状態だから分かるけれど、異常を察したコリンカさんは、自己暗示を多重にかけて戦闘態勢に入っている。恐らくこの時点でここに存在したじぶんは、なにが起きているのかさっぱり分かっちゃいないはずだ。致し方無いことだけれど、我ながら不甲斐ない。
以前コリンカさんは、ピスケスさんは天敵なのだと、言っていた。いくら暗示をかけたところで、記憶操作の特権を持つピスケスさんに頭の中身を弄られたら、それで全部おしまいなのだと。確かにその通りだった。おかしなこと言ってるとお友達いなくなっちゃうんだぞ、なんて飄々としながらピスケスさんに近づいたコリンカさんが、ぐしゃりと崩折れた。
「駄目ですよ、コリンカさん。あなた、病気じゃないですか。忘れちゃ駄目ですよ。息をするだけでも痛い、原因不明の病気なんですから。無闇矢鱈に立ち歩いたり、お喋りしちゃあ、いけませんよ」
「……て、め、ピスケス……」
「かわいそうに。痛いでしょう。自分を騙せるって、大変なんですね」
ピスケスさんの植え付けた記憶によって、自己暗示能力の強いコリンカさんは、自分で自分の首を絞めあげて動けなくなった。きっと同じことをじぶんがされても、そうだったんだ、としか思えないだろう。だって、そうであった記憶だけでは、痛みを感じることは無いんだから。しかしコリンカさんの場合は違う。「そうであった」と思うことで、その事象が現実になる。ぜえぜえと荒く息をついて、脂汗をかきながら痙攣するコリンカさんは、女の子の自己暗示すら保っていられずに、素の格好に戻っていた。天敵、と呼んで差し支えない。それでもピスケスさんを睨みつける辺り、コリンカさんの負けず嫌いが滲み出ている。
「あるさん。貴方がこの星に立ち入った瞬間から、貴方の思い出を全部読ませてもらっていました。どうでもいいくだらないものばかりでしたけれど、わたしがずっと待ち望んでいたたった一つを、貴方は持っているみたい。だから、それ、わたしにくださいね。悪いようにはしませんから」
こつり、こつり。靴音を響かせながら、ピスケスさんが近づいてくる。記憶の中のじぶんは、動かない。物理的に動けないのか、此の期に及んでまだ訳が分かっていなくて動かないのか、じぶんは覚えていないけれど。音がぼやけていたのは、その時点で記憶を覗かれて、干渉を受けていたからなのだろう。記憶の中のじぶんがそれに全く気がつかなかったのは、今現在覗かれているという事実を忘れさせられている、というか、頭を覗かれているという一瞬前の記憶を捻じ曲げられていたから、なのだろう。全てにおいて、今だから分かることであって、この記憶の中のじぶんは全く知る余地もない。
「わたし、かみさまからこの星を任されていること、誇りに思っているんです。何としてでも守り抜かなければならないと思っています。それで、今までずっとこの星に暮らす人間たちの記憶を全て管理して、悪いことが起こらないように、悲しみを感じないように、制御して来たのですけれど」
ああ。『住んでるっていうか、管理されてるっていうか』。コリンカさんの言葉は真実だったのだ。ピスケスさんの星に住む人間は、世界の都合がいいように思い出を操作されながら、喜びだけを啄ばんで生きていけるように、徹底されているのだ。例えば親が死んでも、その悲しみを忘れてしまえるように。例えば誰かを死ぬほど憎んでも、その憎しみは無かったことに。全てを投げ出したくなるような酷いことが起こったとしても、次の瞬間には幸せな思い出を植え付けられて、辛いことは忘れていく。それは仮初めの幸せでしかないけれど、そう管理されている人々は、当然ながらそうであることには気づかない。レオさんの星の、自分達で道を選んで一生懸命に生きている人間を知っているじぶんからすると、それは許せないことだった。
案の定、記憶の中のじぶんもピスケスさんに噛み付いて、拙いながらにやいのやいのと言い返して、そんなのは間違ってるとか、そういうことを臆面もなく言ってのけた。ピスケスさんはじぶんの言葉を聞き入れて、頷いて、想像上の痛みに苦しむコリンカさんの方へ向き直った。
「ええと、どれを借りようかしら、あんまり高度な技術はわたしには……ああ。これにしましょう」
ぶつん、と視界が一瞬真っ暗になって、体が傾いだ。ピスケスさんが持っているのは、右手だった。あれ多分じぶんのだ。千切れて無くなってたのも右手だったはず。借り物だけどうまくいきましたね、とピスケスさんは嬉しそうだ。記憶を奪うこと、記憶を植え付けること、それと、記憶を自分にコピーすること。ピスケスさんは、コリンカさんの「自己暗示をかけた状態で相手を痛めつけるやり方」をコピーしたらしかった。しかし、身体には合わなかったようで、じぶんの右手を振りながら、溜息をつく。
「筋肉痛になっちゃう。あんまり長持ちしませんね。手早く切り上げましょう」
「ある、く、っにげろ、早く、っピスケスこっち向け!」
「うるさいですよ、コリンカさん。心臓の動かし方でも忘れさせてあげましょうか。えい」
「ぎ、っ……!」
じぶんの右手をコリンカさんに向かって思いっきり投げつけたピスケスさんが、また話し始めた。彼女は今までずっと、自分の星に暮らす人間たちの記憶を管理してきたけれど、それも一人で取り仕切るのは大変だと気づき、もっと莫大な力があればそんな必要はないのでは、と考えた。そこで行き着いたのが、神獣の用いるエネルギーだった。それを手に入れられれば、今のように骨を折る必要がなくなる。わたし案外面倒がりで、とピスケスさんは少し恥ずかしそうに首を傾げた。
ピスケスさんは、いろいろ手立てした末に、神獣の残り香と結びつくに至ったらしい。しかしながら、ピスケスさんの力では再臨は不可能だった。もっとエネルギーを消費しないといけない。星に住む人間を生贄にしたとて足りない。神獣の残り香に相談したピスケスさんは、神獣がコリンカさんとポールさんに倒される前、召喚された時のことを知ったらしい。その時の召喚媒体は、神話時代の記憶。それだけ莫大な力を、星そのものの思い出を、エネルギーとして利用できれば、神獣の再臨も可能となる。それからずっとピスケスさんは、神話時代の記憶を持つ者を探していた。自分が記憶を得てしまうと、遥か昔に神獣を召喚した誰か、スピカさんのお友達のように、食い潰されてしまう。だから、記憶を持った誰かからその記憶を奪って、自分のものとはしないままにエネルギーとして消費してしまおう、と。理に適っている。とても合理的で、その為の準備が全て整っていて、あとはじぶんのような何も知らない記憶保持者がのこのこ現れるのを待つだけだったんだろうな、とすんなり思えた。
ずりずりと、視界がぶれる。記憶の中のじぶんは、流石に逃げを打とうとしているらしい。ピスケスさんが、たったの一歩で間を詰めて、いやです、どこにも行かないで、とじぶんの角を掴んだ。呆気なくへし折れた角を、尚も唸るコリンカさんへと嫌がらせの如く豪速球で投げつけたピスケスさんが、笑う。青色の瞳が、細まる。
「だから、ね。その思い出、ください。わたしの星の人間が、これからも幸せに生きていけるように」
神獣の力を使ってなにをするつもりなのかと、記憶の中のじぶんは問いかけた。少し考えた彼女は、まあ教えてしまっても良いでしょう、と肩を竦める。
「もっと、世界を閉じるんです。わたしの星の人間が、外からの干渉を受けずに、幸せだけを食んで生きられるように、閉じ込めるんです。そのせいで他の星は消えてしまうかもしれませんけれど、それは仕方のないことですよね?」
だから、その思い出、くださいね。そう柔らかく告げたピスケスさんが、じぶんの頰に手を添えた。脳味噌を掻き回される。大切なものが、押しとどめる指の隙間から、流れ落ちていく。慈愛すら感じさせる笑みで、そうだ、とピスケスさんは付け加えた。
「どうせ全て忘れてしまうんですし、わたし一つやってみたいことがあるんです。人間と同じつくりで死なない身体、貸してください。ちょっと痛いかもしれないけれど、男の子だもの、我慢できますよね?」



「おかえりなさい、角付きの少年」
「……………」
「顔が青い。ご無理なさらず、と申し上げましたのに」
「……アバドーンさん」
「イエス。なんでしょう」
「記憶の最後に、じぶん、見ました。白くて大きな、一つしか目のない、いきもの。あれが、神獣ですか」
「エクセレント。お見事。その通り。角付きの少年と大きい少女が記憶を奪われゲートに叩き込まれるより前、もう既に神獣の再臨は終わっていたのです」
「じゃあ、今、神獣は」
「ずっといますよ?ほら、そこに」
「、」
振り向けば、大きな一つ目と視線が絡んだ気がした。どうして気がつかなかったんだろう。きっと、最初からずっと、ここにいたのだ。アバドーンさんだって言っていたじゃないか。同期が済んでない、って。あとは三つを一つにするだけ、って。
こつり、こつり、と音がした。立ち止まった靴音に、そっちを向く。暗い色の長い髪と、碧い瞳。アバドーンさんを撫でる、細い指先。じぶんのお腹を引き裂いて、顔の半分を滅茶苦茶にして、愉しそうに笑っては逐一コリンカさんに見せつけて、死ねないじぶんを死ぬほど痛めつけた、彼女。ピスケスさんが、そこにいた。
「お久しぶりです、あるさん」
「……はじめ、まして」
「ふふ。治るものですね、お腹。時間稼ぎでいろいろ抜け穴を作ったつもりだったんですけれど、三人揃えば文殊の知恵とはよく言ったもので。すぐにばれてしまいましたね」
「……………」
「ちなみに、あの時伝えそびれてしまったので言いに来ました。他の星は消えてしまうとは言いましたけれど、貴方やわたしのような、星座の現し身がどうなるかまでは、分かりません。住まう自分の星がなくなって、それでも生きていられるのであれば、わたしのところに匿ってあげることも吝かではないのですけれど、どうでしょう?」
「……星が壊れたら、じぶんたちは死にます」
「あら。そうなんですか」
「……かみさまの、本棚で、そう見ました」
「そうですか。じゃあ残念。皆様とは御別れということになりますね」
「ピスケスさん、」
「あるさん。あともう一つ」
わたし、貴方のことが嫌いです。わたしのしてきたことを否定した貴方のことが、嫌いです。とってもとっても、嫌いです。


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