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おはなし



「きょっ、きょ、うや、響也さんは、なにが、なんの食べ物が、好き、ですかっ」
「……なんでも食べるけど」
「と、特に好きなもの、とか……」
「……特に好き……」
「あぇ、でも、トリュフとかフォアグラとか、そういうものは無理っていうか」
「……そんなの食べたことない」
ふ、と可笑しそうに笑った彼が、目を細めてこっちを見るもんだから、どうしようもなく胸が高鳴って、今なら何処まででも突っ走れるような気になるのだ。お付き合いを始めて3日や4日ってわけでもないのに、未だに口を開くたびにまごまごと吃るあたしにも、優しい目を向けてくれるような、貴方が好きで好きでたまらない。
「強いて言うなら、甘いものとか、割と好きだよ」

17歳にして、初めて出来た彼氏であります。加えて、あたしの全身全霊をかけた、初恋であります。詳しく言うなら多分初恋ではないのだろうけれど、想いが叶ったことは今まで一度たりとも無いっていうか、小学生の時に好きになった男の子には告白すら出来なかったし、ていうかむしろ女の子扱いすらされてなかったし、中学生の時に好きになった男の子には割と真顔で「マジ勘弁なんだけど」って言われたし、その子のことはぶん殴った。だから要するに、叶った恋が初めて。ってことは初恋扱いしてもいいでしょう。初めての恋なんだから。それに、本当に、こんなに好きだと思えるような相手は後にも先にも響也さんしかいない。本当申し訳ないことに、響也さんを見てからこっち、他の男がみんな野菜に見える。画面の向こうのアイドル達は別よ、あれは現実じゃないからね。とにかく響也さんはかっこよくてしょうがないのだ。我ながら、めろめろって言葉がぴったり嵌まるくらい、恋に溺れている。多分いつまでも冷めない。自分のことだから、それくらい分かる。
「みーちゃん!」
「黙れ」
「やちよにクッキングを教えてください!」
「腹痛いってあたしさっきお前に言ったよね」
「どうせ生理痛でしょ!みーちゃんが生理重いのとか知ってっから!ほら!早く!」
「……くそ女……出来るだけ惨たらしく痛い目に遭え……」
布団を被ったみーちゃんが唸った。なんて悪い口だろう。だから彼氏ができないんだ。
やっちゃんはぶきっちょ。それは、家族だけでなく、近しい友達みんなが知ってる事実であって、自覚症状もそれなりにはある。りんごの皮剥きを薄くやってみろなんて言われたって、無理。砕くんなら出来るけど。細やかな刺繍をするより、刺繍の入った布を引き裂く方が得意。んなこた分かってる。けど、愛しの響也さんのために、女の子らしいなにか、こう、手作りのお菓子でも作ってプレゼントできたなら、きっと彼は喜んでくれるし、そのままこう、どうにかなっちゃったりして、ひゅーひゅー!ねえ、みーちゃん!そうだよね!
「……スイートポテトでも作れば」
「どうやるの?」
「芋を蒸す」
「いもをふかす」
「潰す」
「得意!」
「味をつける」
「ふむふむ」
「完成」
「えー!簡単!それならできそう!」
「台所爆破すんなよ」
「大丈夫!ここんちの台所借りっから!」
「えっ」

「できなかった!」
「……ほんとにうちでやったの」
「見て、なんか緩くてどろどろなの。まるでみーちゃんの吐瀉物」
「ねえ、今の失言聞かなかったことにしてやるから、ほんとにうちでやったの」
「見てえ、一緒にやってえ、お願い」
「先輩にそれしかできなかったって食わして振られろ」
「ひどい!みーちゃんの豚!小屋に帰れ!」
「ころすぞ」

牛乳を入れすぎたのではないだろうか、ばい、みーちゃん。そう言い捨てて寝ようとするみーちゃんを布団から引きずり出して、お台所に立たせた。頼むから一緒に作ってくれやしないでしょうか、と半ば逆立ちのような土下座で頼み込んだ。うざい!うるさい!作ったら目の前から消えろ!って怒られたけど。
「クッキーは?」
「焦がす」
「じゃあもう駄目だ。諦めな」
「がんばるから!お願い!みーちゃん!みーさま!」
「みーさま……」
気を良くしたらしい。教えてくれることになった。いひひ、単純女め。でも朦朧としていることは確かだし顔も青いので、無理はさせないようにしよう。あたしだって、友達思いでありたいとは思ってる。今は響也さんに喜んでもらいたい気持ちの方がいくらか勝ってるけど。
甘いもの、甘いもの、と材料になりそうなものを探して台所を漁ったら、大量のりんごが出てきた。うちでこんなに食べられないからあんたんちにも分けようと思った、とみーちゃんに言われたけど、うちにも同じくらいの量がある。分けられても困る。しかしながら逆に、これだけあったら多少失敗しても取り返しがつくのでは?という話になって、アップルパイを作る方向でまとまった。生地から作ったらあんたは絶対失敗する、でもアップルパイなら運のいいことにパイシートという素敵な品物が各種メーカーから発売されているのでそれを使う、それによって失敗の可能性を減らすことができる、とりんご片手にみーちゃんに説明されて、ふむふむと頷いた。そうよね、自信が持てるようになってから生地作りに挑戦したほうがいいって自分でも思う。
「りんごを切ります」
「はい!みーさま!」
「皮を剥きます」
「なんていやらしい……」
「あ?」
「なんでもないです」
「いいから早くしろ、寝たいんだよ」
「はあい」
機嫌悪いなあ。りんごは砕く方が得意といっても、一応包丁くらいは使える。さくさくとみーちゃんに言われた通りの大きさにリンゴを切りそろえて行くと、手際はいいじゃん、と褒められた。そうなの、こういうことはなんとかできるの。なのにどうして失敗するのかね。
角切りにしたりんごと、バターと、お砂糖。鍋に一緒くたに入れて、混ぜる。火が強すぎると叱られて、耳を塞いだ。もっと優しく教えてよお。
「まだ?」
「まだ」
「まだ?」
「しつこい」
「待てない」
「100まで5回数えろ、ゆっくり」
「いちにいさんしいごおろく」
「ゆっ、く、り!」
「いたっ、いたい!みーちゃんのゴリラ!」
そんなことをしてる間にりんごが透き通ってきた。みーちゃんは今後一切手伝う気がないらしく、自分で覚えろ、二度と聞きに来るな、と冷たかった。傷つく。
お鍋を火から上げて冷ましている間に、冷凍のパイシートを柔らかくする。切り込みを入れる場所を教えられて、そおっと包丁を入れる。これなら失敗しなさそう。あとはりんごを中に並べてオーブンで焼くだけだし。
「そのオーブンで焼くのがあんた苦手なんでしょうよ」
「がんばる」
「クッキー焦がすくせして」
「あれは焼いてる間に大好きな俳優さんが出てる二時間ドラマが始まっちゃったからいけないの!」
「オーブンから目を離すな」
「でもお」
「インテリメガネにあげたいんでしょ?余所見ぐらい我慢しなさいよ」
「うう……」
そうだ。好きだと言っていた甘いものを、プレゼントしたい。プレゼントするからには、美味しく作って喜んでもらいたい。八千代はすごいねって褒めてもらいたい。響也さんの、嬉しそうな顔を見たい。そのためなら、やっちゃんはなんだってする覚悟なのだ。余所見ぐらい我慢する、オーブンからは目を離さない、死んでも焦がさない。そのぐらいできなくて、なにが初恋である。ぎゅっと拳を握れば、ちょっと無理ほんと限界、とみーちゃんがふらふらリビングの方へ歩いて行って、へたへた座った。あったかい飲み物とか、欲しいかなあ。
「みーちゃんミルクティー飲む?」
「……オーブンに集中しろって」
「飲む?」
「……飲む」



「おやつなに」
「今日のおやつはアップルパイ。とーちゃん好きでしょう?」
「んー」
おざなりな返事だけれど、うにゅって口の端っこが上がっているから、嬉しいんだと思う。響也さんと同じ、甘いもの好きなのよね、とーちゃん。
切り分けたパイをお皿に乗せて、響也さんの書斎に持っていく。お仕事忙しいけど、おやつくらいは食べる時間あるかしら、と思って。小さくノックをして開けた扉の向こうで、響也さんはパソコンと辞書を並べて睨めっこしていた。難しい顔。眉間に寄った皺。振り向いた響也さんが、あたしの手にあるアップルパイを見て、少しだけ顔を綻ばせた。とーちゃんに似た、ちょっとだけ嬉しさを滲ませた声。
「……おやつ?」
「うん。夜ご飯はなにがいい?」
「なんでもいい。……ああ、やっぱり、温かいものがいい」
「寒くなってきたもんねえ」
「……八千代は、アップルパイが好きなのか」
「え?」
「よく作るから。高校生の時に、初めて作ってくれたのも、アップルパイだった」
「……覚えててくれたの」
「……忘れてると思ったのか?」
「ううん。嬉しい、ふふ」
秘密にしてたわけじゃないけど、八千代は甘いものより塩っ辛いものの方が好きなの。響也さんが、甘いものが好きだ、って言うから、みーちゃんに教えてもらってぶきっちょなりにがんばったのよ。なんて、言わないけれど。笑うあたしに、不思議そうな顔をした響也さんが、首を傾げた。さくりとフォークが刺さって、小さく切り分けられるアップルパイ。あたし、貴方が丁寧にものを食べるところを見るの、好きなの。まるで育ちのいい王子様みたい。そしたらあたしもお姫様になれるかしら。なんて。
「ねえ、美味しい?」
「ああ、美味しい」



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