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おはなし



高校生の時からの、俺の友達の話。
まずどんな人物かというと、適当で、おちゃらけていて、基本的にへらへらしていて、真面目に考えるということをあまりしなくて、実際問題苦労したこともほとんど無いのだろうなと予測できる人生を歩んできたような、そういう奴ある。こう言うとちゃらちゃらした甲斐性無しのように思えるけれど、ちゃんと芯は通っているし常識はある、普通の男。社交性があって、友達は多くて、でも女の子には恋愛対象としてはどうがんばっても見てもらえなくて、本人は彼女欲しい彼女欲しいって喚いているのにそれが叶わない、可哀想な立ち位置。至極普通に至って平々凡々な一般家庭、それなりにがんばればそれなりに評価される仕事、娯楽を楽しむ余裕を持ちながら生活していけるだけの貯蓄、馬鹿でもなければ天才でもない脳味噌、何処にでもいそうな見た目。付き合いはまあまあ長いしコンスタントに遊び続けているけれど、俺はあいつの趣味趣向や好き嫌いについてを、ほぼ全く知らない。そういうこだわりが無いのかもしれない。高校の時に、これ嫌い、食べれない、って言ってたものをついこないだ普通に食ってる姿を俺は見た。嫌いだけど食べれる。好きだけど手に入らなくても構わない。そんな感じ。適当、という言葉がぴったり。
かくて、瀧川時満が主人公のお話である。

突然だけど、瀧川にどうして彼女ができないのかって、下心が丸見えだからだと思う。好みのタイプは、クラスの真ん中にいるような元気で溌剌としたコミュニケーション能力の高い女の子。男友達が多ければ尚良し。その心は、あわよくば、を狙えるから。それに気づかない女の子はいないし、舐めてかかりすぎだ。逆に、身持ちの堅そうな大人しくて壁際にいるような子は、狙わない。あわよくば、が無いから。友達ながら最低である。死んで欲しい。そういうとこ嫌い。そう言ってやったこともあるけれど、遊び呆けてるお前にだけは言われたくねえんだよクソ男、と言い返されて喧嘩になった。あっちの言うことにも一理あったなあ、と今なら思う。
そんな瀧川が、俺と友達になってから史上初、本気で好きになった女が一人だけいるのだ。後にも先にもそんなこともう二度とない。朔太郎も知らない、航介も知らない、瀧川の親だって知らない。知っているのは俺だけ。そこまで隠し通す程に、本気だったってことだ。
あわよくばを狙わなかった、もとい、狙えなかった、星空の女の子。



遡ること、幾つの時だったっけ。お酒が飲める歳だってことは確か。記憶が曖昧。まあ大体でふんわり聞いてほしい。俺もそんなに真面目な人間じゃない。
うちで飲み明かすと大概の場合居つかれて次の日の朝になってしまうのだけれど、この日もそんなパターンだった。とっくのとうに閉店を迎えた店の中。座敷席を陣取って航介がぐーすか寝ていて、カウンターに突っ伏して瀧川も寝ていて、朔太郎はワクなのでまだちまちま引っ掛けてた。俺も眠い、けど一人残して寝てしまうのも心苦しい。思い返せるほど中身があるわけでもない話をしながら、安らかに寝ている二人を起こさないように声を殺して笑っていると、カウンターにほっぽり出してあった瀧川の携帯が震えて、液晶画面が明るくなった。ほんとに何の気なしに目が行って、こんな時間にメルマガってわけでもなし、とぼんやり思いながら焦点を合わせれば、映し出されていたのは短いメッセージだった。
『ひかり:今日はありがとうございました。今は市内のホテルに滞在してます。時満さんは』
そこまでしか読めない。表示がぱっと消えるまで、俺は多分現実から隔離されていた。誰、ひかりって、新キャラ?今日はありがとうございました?なんかあったとか、そんなこと言ってなかったけど。瀧川は現金なので、女の子に恩を売れたとなれば直ぐさま言いふらしてワンチャン狙いたがる。そんなことは知っている。じゃあ、俺にだけ秘密?え、それはそれでちょっとショックなんですけど。
朔太郎からは見えなかったらしい。瀧川起きなよ、なんか連絡来てるみたいだよ、と肩を叩いていた朔太郎が大欠伸をして、こんな時間の連絡じゃ即返して欲しいわけないか、と一人頷いた。そりゃあそうだと思うけど、でも、なんかなあ。瀧川は起きるはずもなく、むにゃむにゃ言うわけでもなく、眠ったままだった。朝起きてあのメッセージを見た時、どんな顔をするんだろう。それによって、重要度が分かる。気になったけど、忘れてしまった。俺の世界は瀧川だけで回っているわけではないのだ。
それからしばらく、見知らぬひかりからのメッセージはちょこちょこ目にするようになった。というか瀧川が携帯を机の上にすぐ放り出すのだ、ぶぶーって震えたら自分のかと思って目が行くだろ。中身は読まないようにしても、一番上に表示される送り主だけは見えてしまう。しかも、断片的に読めてしまう内容が、いつもいつも好意的な文章なのだ。ありがとうございましたとか、今度はお昼にとか、御礼をしたいとか、そういう。誰だよ、ひかり。瀧川だったら絶対、女の子とこの頻度でやり取りしてたら、あわよくば!あわよくば!ってなって妄想物語を吹聴していてもおかしくない。それがないのは、なんだか、とても引っかかった。
そしてついにある日。携帯を放り出していた瀧川が、メッセージ受信のバイブ音につられて、手を伸ばす日が来た。ちらっと見えた最近よく目にする送り主に、瀧川どんな顔するんだろ、と思いながら興味ないふりして目を向ける。画面を見た瀧川は、にやけるのを我慢するみたいに口の端を下げて、ふいっと携帯から目を逸らした。
えっ。そういうこと、お前出来るの。

「ひかりって誰よ」
「……なんのことやら」
「ただよしくんよりその子が大事なのね!」
「あー、うるさいうるさい」
「ねえ!」
「俺とお前そんなに仲良しじゃない」
「……………」
「……なにその目」
「……俺は瀧川のこと、仲良しだと思ってたのに……」
傷ついた顔をしてしばらく過ごしていたら、瀧川が渋々ながらに話してくれた。俺の勝ち。ちなみにどれくらいしばらくかというと、二週間くらいである。瀧川と顔を合わせそうになるたびに落ち込んだ素振りをしたし、店に立つ時には悄然として見せた。お前の友達なんか知らんがしょげてたぞ、っておっさん伝いに瀧川へと罪悪感の塊を送り込むためだ。使えるものはなんでも使う。
当たり前ながら、なんで知ってんの、携帯の中見たの、と面倒くさげに聞かれたから、うっかり見えてしまった新着メッセージのことを話したら、合点がいったようだった。そこまでばれてるなら仕方あるまい、って感じ。
「海で写真撮ってたんだ。夜」
「誰が」
「保志さん。この人。保志ひかり」
「なんの知り合い?」
「その時知り合った」
「どんな人?」
「んー。こんな」
「……瀧川タイプじゃないじゃん」
「……んー」
画面を見せられて、うっかり素直な感想が出てしまった。くしゃくしゃで黒い長めの前髪、露出の嫌いそうな服装。野暮ったいと言ってしまえば、それまで。瀧川が連絡先を交換するようなタイプじゃない。すごく差別と偏見が篭った目だけど、クラスの端っこで読書している系の見た目だ。
携帯をポケットにしまった瀧川が、ぽつぽつと話し始めた。夜の海ででかいカメラを構えて写真を撮っている女がいることは、仕事の帰り際たまたま見かけて知った。けど、最初は特に関わる気もなく、素通りしていた。見かけるのが数回にわたった頃、雨の日。いつもはカメラを持って立っている彼女が、傘を斜めにして大きな地図をぐるぐる回しながら、立ち尽くしているのを見つけた。足元はびしゃびしゃ、背負ってるでかいリュックもぐしょぐしょ。スマホの地図アプリでどうにでもなるこのご時世に大判の紙の地図なんか広げて、と可哀想になった瀧川は、車を止めて傘を差し、彼女の元へ行ったらしい。どうかしましたか、道に迷ったんですか、とタイプでもない女に若干の気怠さを孕みながら声をかけた瀧川を振り向いた彼女は。
「……泣いてた?」
「そう。車の中からじゃ顔まで見えなかったから、びっくりして」
「どうして」
「どこから来たか忘れました、って。はあ?って思ったら、そういう心の病なんだって」
「……へえ?」
「地図に、ちゃんと今晩泊まる予定のホテルが記し付けてあった。頭いいんだな、って思ったよ。忘れる前に手立てするんだから」
「それほんと?」
「本当だよ。保志さんが嘘ついてなければな」
途方に暮れていた彼女を、取り敢えず雨の中放り出すこともできず、瀧川はホテルまで送ったらしい。へこへこと頭を下げてお礼を言う彼女が、あなたの事ももしかしたら忘れてしまうから、と連絡先を交換したがったらしい。それからしばらくして、何の音沙汰もなく、瀧川も彼女のことを忘れかけていた頃。瀧川は、仕事帰りにまた彼女を見かけた。この前のこともあるし、と車を降りて声をかけた瀧川に酷く驚いた彼女は、半ば怯えながら言葉を返したという。
「どちらさまですか」と。
記憶喪失。記憶障害。全てを忘れてしまう人もいれば、特定の人物・事柄についてのみ忘れてしまう人もいるし、新しい物事を覚えるのが苦手な人もいるらしい。彼女は、発症してからこっち、新しい物事を覚えることができなくなった。リセットの周期は不定期。前日の記憶がある日もあれば、ない日もあるということだ。覚えていないのだから、思い出せるわけもない。だから彼女は、日記のように全てを書き記して記録し、それを読み返して生活しているのだという。その一環が写真だった。見返した写真からGPS信号を読み取り、その場に訪れる。何も思い出せないけれど、撮る写真は以前と同じものだ。それが、安心するのだと、彼女は瀧川に言ったらしかった。
「誰だか知らない、みたいな顔されて、俺最初そんな病気なんて知らないからさ。はあ?って言っちゃったんだよな」
そしたら、すげー謝ってきて、全部説明してくれて。だから覚えてないんです、その日から私熱を出していたみたいで日記の内容も飛んでるんです、って。瀧川は、らしくもなくぽそぽそと語っていた。それから瀧川は、彼女がよくいる海をわざと通りすがるようにしたらしい。声をかけて、覚えているようなら、帰りの道中くらいは送ってやる。忘れているようなら、決まり切って必ず平謝りする彼女を宥めて、一緒に日記のページを捲る。これからは自分でどうにかしますから、と頼み込まれて、二人で映っている写真も撮ったらしい。それは彼女が持ってる記録媒体の中に保存して、撮った場所のGPSに文章データを紐付けしてある、と口を尖らせて述べた瀧川に、なんだって?と問い返した。そんな難しいこと言われたって分かんないよ。そう告げれば、瀧川は馬鹿にしたような目をした。てめえこの野郎。
「……治んねえのかなあ。そういうの」
「さあ。そもそもどうしてここに来たかも分かんないの?」
「分かんねえよ……」
「その人のこと、好き?」
「……分かんない」
「じゃあ同情してお世話焼きたい?」
「そうじゃないんだけど、なんか、もっと一緒にいろんなことしたいって思うんだよ。忘れられてもいいから、俺が覚えてるから、それでいいんじゃないかなあって、思うんだけどさ」
俺ってあの子のなんなのかなあ。そう、瀧川が漏らした。



俺たちの生きている世界は、残念なことに劇的でもなければ、感動的でもなく、本軸のストーリーの外側、いわゆるモブキャラってやつなので、瀧川時満はどうしたって主人公にはなれない。冒頭で「主人公のお話である!」とか言っちゃって、とんだ嘘つきみたいだけど。
数日後だったか、数ヶ月後だったか、数年後だったか。曖昧なのは勘弁してほしい。俺と瀧川の話で、時系列がはっきりしてるときなんか、無い。場所は俺の部屋。店じゃなくて、部屋。レアですよ。なんでかって、瀧川が指定してきたからだ。大量の缶と瓶とつまみを持ってきた瀧川が、眉根を寄せて口を開いた。
「……なあ」
「ん?」
「……俺が泣いてたって誰にも言うなよ」
「んー。今から泣くの?」
「泣く。泣きながら酒飲む」
「動画撮っていい?」
「ぶっ殺すぞ……」

後日談。
記憶喪失の彼女、もとい、保志ひかり。旧姓、久米ひかり。彼女は、既婚者だった。瀧川はそれを知らなかった。彼女は結婚していること自体は覚えていたはずだが、瀧川にわざわざ言ったりしなかった。計画的なのか偶然なのかまでは、分からないけれど。
短期的な記憶喪失は昔患っていた病で、5年ほど前に快復の兆しを見せたらしい。その後、彼女はめでたく結婚し、苗字が変わった。しかしながら最近になって、脳味噌の中の上書き保存の機能がまたバグって、新しいことを覚えられなくなってしまった。そして、理由は何故だかわからないが海で写真を撮っていて、瀧川に出会った。ようやく見つけ出した、と旦那が迎えに来たのは数日前。しかも、瀧川の目の前で、ハリウッドさながらの感動の再会を見せてくれた、と。貴方に会いたかった、けど帰り方が分からなかった、と泣きながら縋り付く彼女を抱きとめた旦那は、瀧川に深く深く頭を下げたそうだ。あなたが一緒にいてくれたおかげで、なにごともなく無事な彼女を見つけ出すことができました、本当にありがとうございました。そこまで言われて、涙を流されて、地面につきそうなくらい頭下げられて、そんなの聞いてないって怒れるわけがない、と瀧川は吐いた。涙声なのは聞かないふりをした。
海にいた理由なんか分からない。もしかしたら昔来たことがあって、その時のGPSを辿って来たのかもしれないし、ふらふらしてるうちに辿り着いてそこで来た道を忘れてしまったのかもしれないし、そんなんこっちが知ったこっちゃない。それは、本筋の、彼女のメインストーリーの話だ。瀧川はあくまでもサブストーリーであって、彼女と彼の波瀾万丈で感涙物の闘病生活の中に放り込まれた一石でしかない。最初から、話になんて組み込まれていやしなかったのだ。一つの話も見方を変えれば、彼と彼女が苦難を乗り越えて再会できた温かい物語から、一人の男が振り回された失恋未満の後味の悪い物語になる。
「……俺って、あの子にとって、なんだったのかなあ……」
「親切なモブキャラ」
「……そっかあ」
「運命の王子様が良かった?」
「そういう柄じゃない」
馬鹿言うな、と瀧川が口の端を上げた。きっと恐らく、というか絶対、本気で好きになったのに、「彼女のことが好きだった」とは一生口にしないんだろうな、こいつ。別にそれは、彼女や旦那に気を使ってとかいうわけではなく、かといって自分の失恋話がかっこ悪いからとかでもなく、純粋にさっき本人が言った通り、そういう柄じゃない、から。メインストーリーに割り込めるような立ち位置には最初からない。それを分かってる。よく分かってる。
そういうところが最高だぜっつってんの。


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