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うわさばなし



「匿って」
「はい?」
「俺がここにいることは誰にも言わないで匿って!」
夜8時、当也が息急き切ってチャリで駆け込んできた。さちえも友梨音も父さんも、当也のことはもちろん知ってるから、どうした、なにがあった、と聞きはしたものの家の中には入れてくれた。ぜはぜはしている当也が、友梨音が出してくれたお茶をごくごく飲み干して、一息つく。汗だくだ、珍しく。
「どうしたの」
「……振り袖が出てきたんだ」
「はい?」
「振り袖。白い花の模様の、赤い振り袖。着物の仲間、袖が長いやつ」
「いや、振り袖は知ってるよ、見たことあるもん。それがどうしたの?」
「……やちよが……」
「うん」
「やちよの振り袖なんだ」
「写真、見せていただいたことあるわよ。成人式の時に着たんですって、みーちゃんとやっちゃんで写ってる写真」
「それ……」
「だからそれがなんなの?」
「……振り袖は、結婚したら着れないんだ、って。捨てちゃうのは勿体無い、思い出がいっぱいある、って」
「うん」
「……だから……とーちゃん着てって……」
「……うん?」
「……俺に……俺男だよね?」
「えっ、なにその確認……こわ……」
「一回でいいから着てって……死ぬほどしつこくて……テスト勉強なんかできなくて……」
「当也お兄ちゃん、チョコあげる」
「ありがと……」
「……やちよ、娘産んだと思ってんの?」
「多分違う……もう興奮しちゃって話なんか聞いてくんない……」
だから一晩匿ってくれ、とのことだった。息子に振袖を着せようとするやちよもやちよだが、自分の性別を疑うまで追い詰められる当也も当也だ。もっと己を強く持って欲しい。男の子でしょ。押しに弱いのもいい加減にして。
着ないなんて勿体無い、丈直しをしてもらえるところが近くにあればいいんだけどね、なんてさちえが言って、父さんが知り合いに着物の仕立て屋さんがいるって教えてくれたりしたけれど、問題はそこじゃない。やちよが今後白い花柄の赤い振袖を着れるかどうか、ではなく、当也が母親の振袖を有耶無耶の内に着させられて呆然と涙を流す未来を如何にかして避けるためにどうしたらいいか、が焦点なのである。当也はもう既に心無しげっそりしてるし。
次の日の朝。事情を把握済みらしい航介が、様子を見にうちまで迎えに来た。昨日の晩ご飯後に振袖騒動は起きたらしく、航介もその場に居たんだとか。むしろ追って飛び出していこうとするやちよを引き止めて逃げ時間を作ってくれたらしい。やるじゃんゴリラ。
「おはよ」
「……制服家に置いてきちゃった……」
「さくちゃんジャージ貸したげよっか?」
「制服なら持ってきた。やちよ、悪かったって反省してたぞ」
「……自分の息子は男だって理解した?」
「多分。でも直接話があるって」
「やだ」
「やじゃないだろ……」
「でもやちよ怒らしたら怖いから、気絶させられて着物着せられるかもしれん」
「怖い、やっぱり帰らない」
「我儘眼鏡」
「さちえがねえ、今日の夜ご飯は、はなまるハンバーグだって言ってた」
「いいな」
「航介も食べに来る?」
「……いいのか」
「さちえにお願いしてみようよ」

「うまい」
「うまーい!」
お花の形の目玉焼きが乗ったハンバーグを、その日の夜ご飯はみんなで食べた。流石に黙っとくってわけにはいかないので、やちよにさちえが電話してた。当也はまだ怒ってるみたいで、さちえが電話を代わってくれようとしたのにそっぽを向いた。うちにいる分にはなんにも気にしなくていいんです、朔太郎も友梨音も楽しそうですし、お勉強教えてくれるし、とさちえが電話先に話しているのが聞こえる。違うぞ、当也に教えてもらったのは理科の分かんなかったとこだけで、それ以外は教えてもらったことなんかない。そこだけクローズアップしないでほしい。一応プライドってもんがある。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
「お腹いっぱい」
「デザートにゼリーがあるんだけど」
「食べる!」
「……………」
「ほら!当也もスプーンスタンバイしてる!」
「口でなんか言えよ」
「食べる」
さちえ特製の牛乳ゼリーまできっちり食べた航介が、父さんに車で送られて帰っていった。当也は、先にお風呂に入ってもうパジャマ姿の友梨音にねだられて、一緒に本を読んでいる。シリーズで映画化もしてる有名な外国の推理小説だけれど、友梨音にはまだ難しいらしくって、説明を交えながら誰かに読んでもらうのが楽しいんだとか。いつもはさちえがしてるそれを当也がしてるので、さちえはそっちを見ながらにこにこお洗濯を畳んでいる。あれ、俺の居場所がなくなったぞ。
「当也」
「『正直、私は心躍る思いだった。しかしわかっている、ホームズはいつも自分の頃合と流儀で種明かしをしたい人間なのだ。』」
「ねえ」
「りゅうぎ?」
「やりかたってこと。『だから、解き明かすのにちょうどいい時がくるまで待つことに』」
「当也!」
「なに。今いいところ」
「つまんない!」
「後でね、後で」
「友梨音ばっかり!そうやって!シャーロックホームズより俺のが面白い!」
「朔太郎、お風呂入ってらっしゃい」
お風呂に入ったらなんで怒ってたか忘れた。当也が俺と交代でお風呂に行ってしまって、本の途中で放置された友梨音がはらはらしているので、代わりに読んであげたら、微妙な顔をされた。気持ちを込めすぎたのかもしれない。
「下手くそ」
「うるさい!ぽかぽか頭!」
「……ぽかぽか頭……」
「あったまったから、当也お兄ちゃん、頭からぽかぽかしてるよ」
「そう、それで」
「当也なんかお布団入れてあげないから!」
「……それは困る」
「ゆりのお布団貸してあげる」
「駄目だー!」

また次の日の朝。土曜日だ。そろそろうちに帰る、と突然決めた当也が、荷物の支度をし始めた。プチ家出は満足したらしい。友梨音は少し寂しそう。さちえが電話に出たら、ちょうどやちよからだったみたいで、今から帰るって言ってます、と伝えていた。
「自転車乗せて」
「ええー、やだあ」
「じゃあ貸して」
「当也が漕いで、俺が後ろに乗るならいいよ」
「ついてくるんじゃん」
「途中で交代してあげるから」
「……しょうがないな」
行ってきます、と手ぶらで自転車の後ろに飛び乗った。歩いても帰れる距離だけど、当也は案外面倒くさがりなので、足を動かして歩く行為がだるくなったのかもしれない。毎日やってるしな。自転車漕ぐのも大差ないと思うけど。
途中じゃんけんして前後交代しながら、当也の家に着いた。寄り道もまあ多少はした。お散歩中の犬がいたからうっかりついてっちゃった。鍵も家の中らしい当也が、自宅なのにインターホンを押して待っている。しばらくしてどたどた音が聞こえて、やちよがすっ飛んできた。
「とおちゃあん!」
「あぶね」
「なんで避けるの!お母さん寂しかった!」
「着物捨てた?」
「もう振袖着てなんて言わないから!そんなに嫌がると思わなかったの!」
「早くうちからあいつ追い出してよ」
「でもねとーちゃん、やっちゃん調べたの、振袖って実際問題どんなものなのかな?って響也さんにも聞いてたくさん調べたの!」
「興味余計に沸いちゃってんじゃん……」
次は航介の家に逃げるからね、と当也が不貞腐れて言えば、いやあ!みーちゃんのところにだけは行かないで!とやちよは泣き真似をしていた。俺がいることには多分気づいていない。昼ドラみたいだ。
「聞いてとーちゃん、振袖っていつ出来たか知ってる?」
「昔でしょ」
「なんと江戸時代なの!由緒正しいの!昔は男の人も振袖を着ていて、憧れの男の人の振袖を真似っこして着る女の子がいたくらいなの!」
「へえ」
「だから恥ずかしくなんてないの!」
「……振袖に呪われてると思わない」
「うーん、いつもやちよはこんな感じだよ」
「さくちゃんいつからいたのよお!」
「最初からいたよ」
「やだー!恥ずかしいー!」
振袖を着て欲しいと迫った挙句実の息子に家出されてる時点で相当恥ずかしいよ。とは言わないでおいた。


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