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うわさばなし



中学高校時代のことだ。当也の髪の毛は、定期的にぶっつり短くなった。それは、やちよが切ろうとするのを当也が死ぬほど嫌がって、結果髪の毛を切ることが無くなってどんどん伸びるのだが、見るに見かねたみわこが切ってやるからなのである。不器用で適当なやちよに髪の毛を切らせるなんて、自殺行為だ。ましてや多感な中学生高校生の時期なら尚更、ショックで家を出られなくなってもおかしくない。少なくとも俺はそう思う。
「髪の毛切った」
「……ん」
「触らして」
「いや」
「いやとかじゃなくて」
「や、やだ」
「やだとかじゃなくて」
もしゃもしゃと髪の毛を掻き回すと、隠れていた耳が見える。赤くなっているそれが何となく面白くて、当也が髪の毛を切ったら触ることにしている。多分当也は、変だからからかわれている、髪の毛なんて切らなければよかった、きっと似合わないから弄られている、と思っているのだけれど、反対だ。恐らく当分切りたがらないだろうと正確に先を見落としたみわこが、全体的に短めにざっくりと切り落とす流行り廃りもクソもない髪型が俺は好きで、だからもしゃもしゃしてるんだけど、なかなか当也には伝わらないのだ。残念な話である。
当也が髪を切ると、航介も刈られる。みわこは航介の母なので、当たり前なのだが。二人で同じタイミングで妙に短くなるから、俺はそれが面白くて仕方がなかった。他人が髪を切ると羨ましくなるもんで、その日中にさちえに髪の毛を切って欲しいと強請ったこともあった。さちえはみわこと違って、丁寧かつ繊細に、有体に言えばかっこよく仕上げてくれるので、二人からその度に俺は噛み付かれた。ちなみにさちえ美容室をレンタルしてやったことはない。そんなんするわけないだろ、航介はさちえが好きなんだから。俺がみわこに刈られたことはある。それはまあ、経験として面白かった。
「髪の毛切った!」
「触らないで」
「触る」
「触らないで」
「触ります」
はじまりは恒例、当也が髪の毛を切ったところからだ。確か中学一年生とか、二年生とか、そのくらい。もさもさと短くなった毛を掻き回していると、不満そうな当也が珍しく振り向いてきた。当也は俺が後ろにいる時に振り向いたことなんてないのに。
「痛かった?」
「航介見た?」
「ううん」
「痛くない」
「航介どうかしたの?」
「じゃあ今日学校休みかも」
「なんで」
「昨日大事件があったから」
「……入院?」
「怪我とかじゃなくて」
朝も出てきてくれなかったんだ、と普通の顔をしている当也がまた前を向いてしまった。航介が休みなんて、珍しいとかいうレベルに収まらない。皆勤賞狙えるくらい健康なのに。一年に一回大風邪引くけど。
それからいくらどうしたのって聞いても、当也は濁すばっかりで答えてくれなかった。それどころかむしろ、下手なこと言わなけりゃよかった、くらいのもんで。だから無理やり家に着いて行ったのだ。当也がプリントとか宿題とか全部持ってるのに、俺は完全におまけで付いて行った。だってお見舞い必要だったら困るし。お友達なのにお見舞いにも来なかったって訴えられちゃう。
「こーんにーちわー」
「……ピンポンしたらいいじゃん」
「ピンポン押したことない」
「うちの玄関も叩くもんね……」
割とすぐに扉は開いて、みわこが顔を出した。いつもはいない時間なのに。だって航介は当也の家で夜ご飯食べること、俺は知ってる。お仕事お休み?って聞いたら、和成に任せた、らしい。やっぱり風邪じゃないか。
「航介なら出てこないよ」
「なんで?」
「……………」
「なんだ、当也、話してないの」
「……かわいそうだから」
「……まあねえ……」
「誰がかわいそうなの?航介?」
「そうだね」
「あんまり突っつかないでやってよ。昨日の夜から部屋から出てこようとしないんだから」
「えっ!」
なんだそれは。引きこもりというやつではないか。そう言えば、ていうかストライキ、と当也が教えてくれた。こないだテレビでやってた、不満があるときにやるやつだ。なんの不満があるんだろう?今晩の夜ご飯をハンバーグにしてほしいとか?
当也はもちろん、みわこが呼んでも出てこないんじゃ、そりゃあ俺が来たところで部屋から出てくるはずもない。そおっと階段を上がって航介の部屋の前を覗き込めば、がちゃんと扉が閉まった音がした。声がするから聞き耳を立てていたらしい。一応とんとんとノックして、声をかける。当也は微妙そうな顔で黙ったままだ。
「こーおすけーえ」
『……なに』
「どうしたの?なににむかついてるの?」
『むかついてない』
「じゃあ出てきてよ、ゲームしよ」
『やだ』
「なんでだよ!ケチ!ハゲ!」
『ハゲじゃない!朔太郎の馬鹿!帰れ!』
「さちえがクッキー焼いてくれたのに!」
「えっ」
がちゃん!と勢いよくドアノブが回って扉が開いたので、足をねじ込んで閉められないようにする。馬鹿め、釣られたな、さちえのクッキーなんてそんなもんは存在しない。焦って閉めようとする航介に、割とガチの泣き声で、痛い痛い折れちゃう!とアピールすれば、ぴゃっと部屋の中を逃げ出して、布団の中に隠れてしまった。元気じゃん。
「ねえー、こーすけえ」
「うう、うるさい、帰れ」
「なんでお布団被るの」
「重い!降りろ!」
「なーんでっ」
こんもりしてる航介布団丸の上でぼよんぼよんしてたら、もぞもぞ逃げようとし始めたので、荒ぶる馬を乗りこなすつもりで跨り続ける。当也がみわこを呼びに行って、みわこと一緒に上がってきた。航介、と呼ぶ母親の声に、俺の下で航介がびくりと跳ねた。
「やっとドア開けたね」
「……ごめんなさ……」
「切り直してやるから出てきな」
「や、やだ、これ以上短くなりたくない」
「それにしたってそんなざんばらじゃどうにもならないでしょうに」
「やだ!」
「我儘言ってんじゃない!朔太郎どきな!」
「うわあ」
みわこに突き飛ばされて、航介山からどちゃっと落ちる。目を回している俺のことは、当也が助け起こしてくれた。布団から引っ張り出された航介が、俺たちが部屋の中にいることは最早どうでもいいのか、うええ、と泣きそうな声を出した。びっくりして目を向けた俺は、航介が泣きそうなことよりも、もっとびっくりしたのだ。
航介の前髪が、まっすぐになっている。
それも、俺みたいなぱちんってまっすぐじゃなくて、下手くそなまっすぐだ。ぎざぎざして斜めになってる。みわこだったらあんなんならない。「切り直してやる」だし。まさかお前がやったのか、と思って当也の方を向けば、真っ青な顔でぶんぶん首を横に振られた。犯人はただ一人である。そりゃあ引きこもるのも納得の出来栄えだ。あんなん酷い、外出たくなくなる。ここで重ねて馬鹿にすることはどう考えてもできないし、ていうかマジで笑えないし。半泣きの航介が、もっと短いのなんて絶対嫌だ、と悲鳴を上げながらみわこに引きずって連れて行かれるのを呼び止めようと咄嗟に声を上げた。
「おっ、おそっ、おそろいだね!」
「は?」
「俺たち今日学校で、暑くなってきたから髪の毛とか超切りてえ!って話してたんだよ!ねっ当也!」
「えっ俺昨日切ったとこ」
「ねっ!」
がん、と後手に背中をグーで殴れば、頷いてくれた。今だけでいいから話を合わせろ。隠しきれないおでこに手を当てて引きずられていた航介が、きょと、とこっちを見る。みんなで短くなれば変じゃないよ!おかしいことなんて一つもないよ!という意味で、俺なりに安心させようと思ってそう口走ったのだけれど、航介がぽかんとしているのと、当也が黙っているのを見たみわこが、何を勘違いしたかぽんと手を打った。
「そういうことなら、もっと早く言えばいいのに」

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