このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

おはなし



「あっ」
「ん?」
「お兄ちゃん」
「どした」
「火つかない」
「……ん?」
「火。つかない」
「まじで」
「まじで。ほら」
「ほんとや」
「どうすんの」
「んー……」

「というわけで、都築家臨時休業です」
「飲みに来たのに」
「時間返せ」
「クソ都築」
「帰る」
「お前らのそういうとこって友達として最低だよね」
まあ一人ぼっちにされるのが嫌で、毎度の事ながら適当に集まって飲もうの会(開催場所:都築家カウンター)の中止を伝えなかったこっちも悪いけれど。でもそこまで言わなくてもいいじゃん。別に俺がコンロ壊したわけじゃない。壊れろ!って念じたわけでもない。勝手に壊れたのはあっちの方だ。俺のせいじゃない。
「だから帰んないで!やだ!ただよしくんを置いて行かないで!」
「おい馬鹿、脱げる」
「離せよ!酒を出さない都築なんて存在価値が顔しかねえんだよ!」
「別に飲みに行かねえとは言ってないじゃん!うちが駄目なだけで他にも店はあんじゃん!」
「馬鹿!他の店だと騒げねえだろうが!」
がっしと航介と瀧川の服の裾を掴んで、必死で踏ん張る。本気で置いて行かれかねない。こいつらはそういうこと結構あっさりする。三日後くらいに、すっかりガスコンロの調子が良くなった頃に、そういえばあんな悲しい事件もありましたなあ、と過去話にされるのが目に見えている。
騒ぎ立ててぎゃーぎゃー文句言ってる瀧川よりも、普通に不満そうな航介の方が怖い。今まで言ったの、時間返せ、帰る、馬鹿、脱げる、だもんな。こーちゃん怒ってるの?ねえ?と擦り寄れば、怒ってない、けどがっかりはした、と素直な不平が返ってきた。ですよね。俺だって酒飲むつもりで集まって、いざ店の前まで来たところで、本日休業です、じゃがっくりくる。だから別の店に飲みに行こうって言ってんじゃん。
「敵情視察ですよ!スパイミッション!」
「……そういや、他の店とかあんま行かないかもな」
「都築の奢りかー、じゃあしょうがねえなー」
「奢るなんて言ってないんすけど」
「奢りならしょうがないなー」
再確認するけれど、奢るなんて言っていない。無視して一旦家に引っ込んで、急いで着替えることにした。いつもの甚平じゃお出かけ出来ないからね。ぶつくさ言ってる二人は多分今の感じだと俺を置いていくことはないと思う。長い付き合いだから分かっちゃうよね、ってことにしておこう。希望的観測。
「おまたせえ」
「なにその布」
「おしゃれ布」
「邪魔じゃね。取れよ」
「飾りのバンダナになんの恨みがあるんだよ!やめて!引っ張らないで!」
「お前って甚平以外の服持ってたんだ」
「持ってるよ。あと2着くらい」
「すくね……」
「航介も瀧川もなんだか今日俺に当たりが強いよ!しっかり!」
「当たり強くもなるわな」
「あんま歩きたくない」
「ひ弱か!ゴリラのくせに!」
甚平でうろうろしてたらすぐ都築のところの弟だとばれてしまうので、この辺りならその程度の知名度はあると思うので、久しぶりにお出かけ用の普段着を出した。家着でもなく売春用でもなく仕事用でもないやつ。昔買ったやつだから流行り廃りには乗れてないだろうなって思うけど、2人的にはとにかくこの、腰についてる白いバンダナが気に入らないらしい。これ元からついてんだからしょうがないじゃん。別にここに注目して欲しいわけじゃないし、ペイズリー柄めっちゃかわいいじゃん。何が気に入らないのよ。変な奴ら。
「突然の変更」に航介がとても拒否を覚えるとかいう設定を忘れていた。まだぐだぐだ言ってる航介を瀧川と一緒に引きずる。瀧川はほら、切り替え早いから。行くぞオラ!っつったら、うるせえ俺こそ行くぞオラ!って言ってくれるから。航介こんな見た目の癖に後ろついてくるタイプだから。
「ちんたら歩いんじゃねえぞお」
「俺明日早えんだよ」
「かわいそうに」
「帰りたいんだけど」
「じゃあほら、うちからあんま離れてないとこにしよ」
「こことか?」
「知り合いの店だよ!馬鹿!やだ!」
「わがまま忠義」
「この辺りでお前が知り合いじゃない店なんてないだろうがよ」
「そっか」
「ここでいいよ」
「やだ!せめて隣がいい」
「面倒くせえ男だな」
めんどくさくない。この店はこないだ父がぶつくさ言ってたから入り辛いだけだ。おばちゃんと揉めたっぽい。
しばらく話し合って、別に深い理由もなく、ここにしようか、と決めた。さっきとは違うところ。お店の人とは、なんとなく目で会話した。なにも聞かないでください、了解、ただ遊びに来ただけです、いやいやご冗談を、みたいな。コンロのあれがあれして数日休業ってなったら仕入れにも行けなくなるし、どうせばれるんだけど。適当に頼んで、グラスやらジョッキやらを持つ。家がそれなりに近いということで航介も納得してくれた。ということで。
「かんぱーい」
「うまい」
「都築んちよりうまい」
「瀧川それ以上言葉を重ねたらぶつよ」
「ごめん……」
「メニューは同じような感じなんだな」
「ここはねえ、厚焼き玉子がおいしいよ。ねっお姉さん」
「食べたいの?」
「お願いしまーす」
「都築さんちとどっちが美味しいか、お友達赤裸々に言いそうでやだわー」
とかなんとか言いながらちゃんと持ってきてくれた。美味しいのである。二人も美味しい美味しいと食べてくれた。お姉さんはにやにやしながらこっちを見ている。うちになんかあったっていうのは多分見透かされてる。
「そういえば朔太郎今日どうしたの?」
「知らね。来れないって連絡きた」
「おい、担当。幼馴染どうした」
「……担当……」
「認めなよ」
「……骨にひびが入った、っつってた」
「またか」
「しょっちゅうやるじゃん」
「どこ?」
「腰……からこの上、っていうか。背中までいかないぐらい」
「なにそれ」
「そんなとこどうしたらどうなるの」
「知らねえよ」
このへん、と手で示してくれた航介が、担当扱いされたことに不満そうに眉を顰めた。朔太郎また無茶したのか。今度はなにで怪我をしたんだろう。また原チャで転けたか、階段から落ちたか。予想外な原因も有り得る、ほら、新幹線にぶつかったとか。
ああだこうだと言いながら酒を呷って、つまみもそれなりに頼んで、自分の職場じゃないからちょろまかせないしお会計ちょっと怖えなあ、とか思うようになった頃。どうも瀧川の様子がおかしい。ひょこひょこと首を伸ばしている。なんか気になるものがあったんだろうか?と思って俺も首を伸ばしたら、つられて航介も、なに?と覗き始めた。
「あ?」
「んっ?」
「……あれ……」
二人で並んで座っている後ろ姿に、見覚えがある。一人は、明るい茶色に染められた肩につかないくらいの髪をくるんと内巻きにして、オフショルダーの緩いニット。太もも途中まである長めのニットの裾からは真っ白な足が伸びて、足首に細いベルトが巻き付いた、かかとの高い靴。もう一人は、黒に近いゆるふわ巻きをくしゃっとさせながら編み込んで斜めに垂らしている。サイドテールって言うんだっけ。薄青と白の切り返しが入った、ふわふわとだぶついたバタフライスリーブに、ぴったりしたスキニー。明るい色のニューバランス。あっ、と思い至ったと同時、二人が振り向いた。
「……………」
「……………」
「……都築、忠義」
「……はい」
「江野浦航介」
「はい」
「……………」
「……えっ……」
「……た……」
「そう!その先!」
「……た、た、……」
「……瀧川」
「はい!」
「瀧川」
「……名前は?」
「え?」
「航介と都築は名前も覚えてて、俺は?」
「……瀧川……」
「……よしみつじゃなかった?」
「瀧川よしみつ」
「ざんねーん!ときみつでしたー!うわあ!もう!泣きそう!」
確認するように、指をさしながら、俺たちの名前をご紹介してくれたのは、この人に頼めば安心安全の我らが委員長、羽柴真希さんである。隣で瀧川よしみつを生み出したのは、一匹狼になりきれない寂しがりヤンキー、本橋灯さんである。ちなみにキャッチコピーは、三人娘のあと一人、高井珠子さんが高校時代に考えたものだ。今日はいないらしい。というか、この二人は実家出て一人暮らししてるとかって聞いたことあるから、帰省中なのかも。
びっくりしたのは、まず一番に、見た目の変化だった。明るい髪で内巻きになってる方が、羽柴さんで、暗い髪でゆる巻きサイドテールが、本橋さん。逆かと思った。ていうか高校時代のイメージ的には完全に逆。お友達?と気を利かせてくれたお姉さんが、俺たちの酒や料理をカウンターに移動してくれた。ありがとう。と思ったけど、こいつ新しく入ってきた客にテーブル使わせたいだけだな、くそ。踊らされた。
「……なにしてんの?」
「酒飲みに来たの。都築んちが壊れたから」
「うちは壊れてない!コンロ!」
「ふうん」
「羽柴たちは?」
「珠子に呼ばれて。暇だったし予定合ったから帰ってきたけど、本人不在」
「やりたい放題かよ」
「だから灯と二人で飲みに来たの」
「ん」
「かんぱいしよ」
「なんで?」
「な……なんで……?」
すぱんと断られた瀧川が、乾杯とは?と哲学している間に、こつんとグラスを打ち合わせる。航介と羽柴さんってもにゃっとしてなかったっけ?と思ったけど、羽柴さんの左手の薬指にペアっぽい指輪が嵌っているので、今なんか突っ込まないほうがいいんだろうな。本人たちもしれっと、こないだ夏のお祭りの時いなかったっけ?みたい話してるし。
「帰ってきてたんだろ」
「うん」
「いたか?」
「……逆でしょ?江野浦がいなかった」
「俺、店手伝ってた」
「ふうん」
「……あー、高井だけ来た気もすんな」
「美味しかったよ」
「あ?」
航介があくせく働いていたことは、羽柴さんからは見えていたようだ。しばらく考えて、自分が売っていたイカ焼きを羽柴さんが食べたらしいということに思い至った航介が、遊ばれたことに気づいて不貞腐れた。羽柴さんは笑っている。本橋さんがちらりとこっちを見て、いけないことをしたみたいに目を逸らしたから、首を傾げた。
「なんすか」
「……久しぶりに見るもんじゃない」
「え?」
「これならまだしも、都築、あんたみたいなのは、目に毒っていうか」
「……はい?」
「さっきまで話してたの。都築のこと」
もそもそと居心地悪そうな本橋さんを庇うように、羽柴さんが前に出た。さっきまでの話、とは、本日不在の高井さんもそうだけれど、高校生には高校生なりのステータスがあって、ピラミッドの上の方へ行くには、コミュニケーション能力は勿論のこと、見た目の配分点も大きくて、全部全部を引っくるめて「あの辺は目立つよね」っていうピラミッドのてっぺんに存在したのは、
「……俺?」
「そうでしょうよ、って話」
「そうかなあ」
「うるせえモテ男!無自覚気取りやがって!」
「ほら」
「うーん」
都築への憧れっていうか、女子特有の恋愛話になった時にあんたの名前は必ず上がったし、アイドル的な感じの扱いだったんだよ、多分。そう続けて、まあ本気で好きになる子だっていたけれどね、と羽柴さんが付け足した。思い返してみれば、そりゃ、告白されたことがないわけじゃないし、付き合ってくださいって言われたから付き合ったこともあった。けど、それって俺だけじゃなくない?それこそ、朔太郎だってそうだったし、瀧川が童貞切ったゴリラ・ゴリラ・ゴリラ先輩だって、彼女からアプローチをかけてきたわけで。俺が特別って言われると、ほんとにそうかなあ、とは思う。顔がそれなりに整ってる自覚はあるし、それに付随してある程度きちんとした格好をしなくちゃいけないとも思うけど。そう言い訳じみた弁解をすれば、何故か瀧川が拗ねた。お前今の話関係ないでしょ。
「瀧川、都築、嫌い」
「なんで?」
「女、都築好き、瀧川、都築嫌い」
「その喋り方どうにかしてくんねえかな」
「航介もモテ男の都築は嫌いだって!」
「え?なに?」
「俺の話もうちょっとちゃんと本腰入れて聞いても良くない!?」
「なんだっけ?」
「よしみつ」
「ああ。よしみつ、元気出して」
「ときみつ!俺に優しくない世界!」
それからしばらく。他愛もない話しながらくっちゃべっては飲んで、夜が更ける前に女子二人は家に戻りたそうだったので、そうすることにした。嫁入り前の女の子があんまり遅くまでふらふらするもんじゃないってうちの母がよく姉に言ってるし。
「次はみんなで集まれたらいいね」
「……どうせ珠子が考えるでしょ」
「そうかなあ」
お会計の支度をしてもらいながら、頬杖をついた羽柴さんと話す。本橋さんは眠たそうだ。瀧川も眠そうだけど、奴は多分アルコールが足りなくて眠くなってるだけだから心配しなくていい。当たり前ながら無情にも全く割り引いてくれなかったお姉さんと愛想笑いを酌み交わして店を出る。通り沿いをしばらく歩いて、こっち行くと近道だから、と手を振って行ってしまった羽柴さんを見送って、瀧川が口を開いた。
「……女の子の一人歩きは危ない」
「あ?」
「送っていく」
「は?瀧川が?」
「そう。俺が」
「なんで」
「うるさい!止めるな!いーんちょー!」
「お前が行け!」
「うえ」
よしみつじゃ駄目だ!と苛々したように足を上げた本橋さんが、ぼけっとしていた航介の背中にスニーカーの靴跡をがっつり残した。蹴っ飛ばされてたたらを踏んだ航介は、ちょっとこっちを見て、羽柴さんの方を見て、道が真っ暗なことを確認して、彼女が角を曲がって行ってしまうことも見た上で、てこてこと走り出した。優しいから。あまりにも。
「……本橋さん」
「灯でいい」
「あかりちゃん」
「なに」
「……後尾けてもいいかな」
「ばれたら真希に殺されるからね」
「がってん」
高校生の時もこんなようなことしたねえ、と笑えば、本橋さんがきゅっと口を結んで目尻を下げた。あ、その微妙そうな顔、どっかで見た。修学旅行の夜だっけ。たかが高校生、されど高校生、きちんとばっちりメイクを固めるタイプだった彼女が無防備な素っぴんで自動販売機の前にいるのを俺は見つけてしまって、しかもうっかり声をかけてしまって、真っ赤になった彼女はぴゃっと部屋へ逃げてしまったのだ。後で姉に聞いたら、女子が素っぴんでいたら突つかず逃げろ鈍感馬鹿、と呆れられた。けれど今の本橋さんは高校生の時よりもさっぱりした顔をしていて、流行り廃りに疎い俺だけれど、なんだかそれはそれで似合ってる気がして、やっぱりあの夜と同じ言葉を吐いた。
「……そのくらいのが可愛いよ」
「……それ、誰にでも言ってるでしょ」
電信柱の陰に隠れた本橋さんが、悪戯っぽく笑った。



「あれ?俺のこと無視してない?」
「よしみつ黙ってて」
「うっす」
「羽柴さんペアリングしてたよ?」
「……まあ、これでこっちに転ぶなら、それはそれで元鞘っていうか」
「え!?どういうこと!?航介と委員長って付き合ってたの!?」
「よしみつ」
「はい」
「まあねえ。もにゃっとしてたよね」
「してたでしょ」
「決着つけるには丁度いい頃合いなんですかねえ」
「後は真希次第だから」
「……航介は、あの指輪見てちょっかい出せるほど男らしくもなければ、多分未だに自覚もないよ」
「それも含めて、真希次第だから」
「航介がもうちょっとばっかし鈍ちんじゃなければなあ」
「真希がもう少しだけ自分にも他人にも素直だったらね」
「ままなりませんな」
「ままなりませんよ」
「なあ、どういうこと?」
「よしみつ、ハウス」
「黙ってるから存在することは許して……」



「なあ!」
呼びかけられる声に、片耳だけ突っ込んだイヤホンをそのままに振り向いたら、江野浦が走ってきた。どうしたんだろう。忘れ物?
「や、送ってく、から」
「……もうすぐそこなんだけど」
「……知ってる」
「……でしょうよ……」
呆れ声を出せば、だって、蹴られて、お前が行けって、とぼそぼそ言い訳し始めた。うちがすぐそこなのを彼が知ってるのは、前にも家まで送ってもらったことがあるからだ。その時は雨が降っていて、二人で一つずつばらばらに傘をさして、「もうすぐだから」「うん」なんてくらいの会話しか無かった。だから要するにあの時の私は、あんたとまたこうやってこんなに話せるなんて、思ってもみなかったわけで。
「……ありがとう」
「あ?」
「なんでもない」
踵を返して歩き出せば、数秒遅れて、ついてくる足音。律儀にちゃんと送ってやろうとしているらしい。せいせいするほど清々しいまでに底抜けの、良い人。何も含みがないところが、逆に残念。そうやって思うようになってしまった自分は、いやに大人になったんだな、と思い知らされているみたいで、いつまでもあの時みたいな彼との対比を思い知らされるみたいで、なんだかちくりと刺さった。大人になるって、大して素敵なわけじゃないらしい。
あっちからしたら、なにか用があったわけでもないのだ。だって、自分から付いてきたんじゃないから。どうしても申し訳なくなって、半歩遅れて聞こえる足音に、ほんとにいいから、と振り向こうとして、びくりと止まった。
「お、」
「うわ、っ」
「……悪い」
近い。思ってたより、近い。どす、と肩にかけていた鞄が江野浦のお腹に刺さったけれど、特に痛くも痒くも無いらしい。ふら、と離れて向き合えば、ごめん、ともう一度謝られた。鞄当てたのこっちだし。謝らなきゃいけないの、こっちだし。口を開いて出てきたのは、殊勝な可愛らしいごめんなさいとは程遠い言葉だった。どちらかというと、糾弾。
「……あの」
「あ?」
「江野浦は、楽しいの」
「……は?」
「ここにいて、楽しい?」
「え、楽しいけど」
「あ、いや、実家暮らしが、とかじゃなくて。今現在っていうか、なんていうか」
「……ここにいて?」
「そう」
「本橋に蹴られてここまで歩いてきて?」
「蹴られたの」
「蹴られた……」
「灯……」
「……楽しいよ」
散歩好きだし。酔い覚ましにちょうどいいし。久しぶりだし。なんか雰囲気変わったし。髪の毛の色とか。
前半は自分の理由、後半は私のことだ。ぽつりぽつりと重ねられる理由に、なんとなく満足した。我ながら我儘な女だ。似合う?とか聞いたところで、江野浦はまともに答えてくれないんだろう。左手の薬指に嵌まる指輪の送り主とは違う。あの人は、私が喜ぶように、私が嬉しいような言葉ばかりを、投げて寄越す。江野浦は違う。どっちがいいのかって言ったら、自分の幸せを選ぶならば、やっぱり今の彼氏なのだろう。だって人間、褒めてもらえることは嬉しいし、こっちの心の動きを機微に察してくれる方がありがたい。高校生の私だったらきっと必死になって「どうこうなりたい」を否定したんだろうけれど、別に私は江野浦と今更どうこうなりたいわけじゃない。どうこうなりたいと思えた方がまだきっと可愛らしかった。なんでこんなになっちゃったかなあ。今の脳味噌のまま高校生に戻ってやり直せたら、きっと色々違っただろうに。後悔があるわけじゃないけど、綺麗だったあの頃が愛おしくて妬ましい思いはどうしたって消えるもんじゃないのだ。
蹴られたことは根に持っているらしく、江野浦はぶつくさ言いながらごしごし背中を擦っている。お腹は痛くないみたい。結構この鞄重いのに。
「江野浦」
「なに」
「あめ食べる?」
「……なんであめ?」
「持ってるから」
「何味」
「レモン」
「食べる」



「何話してっかぜんっぜん聞こえねえ」
「進展なさそうだね」
「ちぇっ」
「今から珠子来るって」
「朔太郎からも連絡きたけど。ほら、『今から行く』って」
「あいつら呼び戻して第二部だな」
「仲有呼ぶか」
「多分ついてくるよ。ストーカーだから」
「友人が妻のストーカーだって事実を知りたくなかったな……」



30/68ページ