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おはなし



「……………」
「……こっち見んなよ」
「……やらしてやらんと……」
クッションに顔を埋めてぷーすか寝息を立てている海と、ぴったり同い年。テレビの中で、泣くのを我慢しながら一人で歩く女の子を、朔太郎が指差した。時々特番でやるやつ。はじめてのおつかいってやつだ。
「これどうやったらやらせられんのかな」
「自分で行きたいって言い出した時にやってやればいいだろ」
「でもテレビじゃないからここまで出来ないだろ。俺らが見てたら海気づくよ」
「え?テレビに出たいの?」
「でもあれかなあ、複雑な家庭環境をつっつかれたら困るなあ」
「……あっそう……」
「テレビじゃなくても出来るかな」
「……暇そうなやつに頼めば。後尾けてもらえるように」
「うーん……」
「海がやりたくないならやらなくていいんだろうし」
「大根とか買ってきて貰えばいいの?」
「重いだろ」
なんて、散々話し合って。テレビ的なああいう大掛かりなのは、どうにも現実味がない気がして、やめた。友梨音とかさちえにお願いするのも絶対気づくだろうなって思ったし、それなら俺らがやっても同じかなって話にもなった。やめるという選択肢は朔太郎の中に無いようで、海なら頼めばやってくれるでしょ、なんて言葉にも、確かに、と思う。運動神経はないけど好奇心は旺盛だし、お手伝い好きだし。じゃあどうしようかと議論した結果、やっぱり暇人で、なおかつ海と面識のなさそうな奴を呼ぶか、という結論に至り。
「俺暇人じゃないんだけど」
「よろしく」
「これ持って近く歩いてね」
「あれ?聞こえてなかった?もう一回言う?」
「瀧川が暇じゃない時なんてないでしょ」
瀧川時満の召集である。どうぞ、とハンディカムを渡された瀧川が、ていうかマジで俺でいいの?俺子どもに触れたこととかないけど?海ちゃんとも会話したこととかないけど?と滅茶苦茶テンパっていて面白い。まあ、最適ではあるのだ。海とは面識がないけれど俺らからしたら知った仲で、ある程度の機転が利き、フットワークが軽く、どこにでもいる見た目。よろしくな、と任せることができる。俺たちは少し離れたところから見てるから瀧川はガチ近くでお願いね、なんて朔太郎の言葉に、絶対気づかれるって!と瀧川が悲鳴を上げた。しかしながら残念なことに、親がいうのもなんだけれど、海はとっても鈍くてぼんやりしているので、自分のすぐ真後ろからハンディカムを構えた不審な男か尾けてきていたとしても、多分恐らく、気づかない。流石に身内なら気付くだろうけど、他人なら視界にすら入っていない可能性がある。悲しいかな、そこだけは朔太郎と意見が一致してしまったのだ。
そんなこんな、数日後。二人揃って休みの日。海は朝からテンションが高くて、朔太郎は朝からそわそわしていた。朝ごはんを食べて、電車のおもちゃを部屋中に走らせて遊んでいる海のところに、朔太郎が寄って行った。仕掛け人。
「うみー、さくちゃんクッキー食べたいんだけども」
「うみのたべる?」
「お魚のクッキーがいいなあ」
「……うみのはくまさんなんだけど」
「おさかな」
「くまさん」
「おさかな食べたいの」
「ないの」
「海ちゃん買ってきてよ」
「ええー!」
「おねがーい」
「いいよー!」
効果音にしたら、どっひゃー!って感じで後ろに転げたものの、オッケーの印に手で大きな丸を作って起き上がった海が、おさかなさんのクッキーはチョコくれるおばちゃんとこで売ってるかんね、と胸を張った。うみ知ってるから!って自慢が多分に含まれている。ちなみに「チョコくれるおばちゃんとこ」とは、うちを出て坂を少し下った先にある、おじさんとおばさんで経営してる、ほんとにちっちゃい小売店のことだ。パンとか、お菓子とか、ペットボトルとか、そんなんしか売ってない。雑誌はお願いすると用意してくれるけれど、かなり発売日より遅いとか、そんな感じ。うちは割と頻繁に朝飯のパンなどを買いに行くから、海が可愛がってもらっていて、買い物に行くと恐らく売り物だろうなってチョコをくれるのだ。だから海の中では、チョコくれるおばちゃん。
朔太郎が自分の財布から五百円玉を一つ、海のパンダさんの小銭入れに入れた。それはおでかけの時に海が斜めに肩掛けするんだけど、お金が入ったことは実は一度もない。電車のおもちゃを急いで箱にしまった海が、朔太郎にじゃれつくように飛び付いた。
「はいこれ。おさかなクッキーひとつね」
「ん!」
「行ってらっしゃい」
「うん!」
「……ん?」
「なにしてるの!こーちゃん!」
「海が行くんだろ?」
「こーちゃんもいくでしょ!」
「行かないよ。海が行ってらっしゃい」
「えっ」
「そうだよ。こーちゃんはお洗濯畳んでるでしょ、海しか行ける人いないよ」
「うみしか!?」
「さくちゃんもクッキー食べないと力出ないもん。今にも死にそう」
「た、たいへん」
「だから行ってきて。海だからお願いするんだよ」
「ひとり?」
「そう、ひとり。海はもうお兄さんだから、一人でお買い物できるかなって、さくちゃんとこーちゃんで思ったの」
「おにいさん……」
「転んじゃったり、お金無くしちゃったりしたら、帰っておいで」
「おばさんとこ道分かるだろ?」
「うん、おうちでて、えっと、こっち、こっちのおててのほう、あるく」
「そう」
「おばちゃんいる?」
「いるいる。さっきいた」
「そっかあ」
ぴらぴらと右手を振っている海は、少しずつがんばる気になってきたらしい。ぱんださんもいるし、うみはつよい、らいおんだから!と本人の中で一番かっこいいポーズをとった海が、お気に入りのパーカーを自分で引っ張り出してきた。テンションを上げるためには必要なんだろう。薄水色のそれを着込んだ海が、びしっと右手を上げて言った。ほんとに一人で行くんだ、パーカーの帽子裏がえってるけど。
「まってろよ、さくちゃん!」
「きゃー、海ちゃんかっこいい」
「うみちゃんが、おさなっ、おさかなさん、かってくるから!」
「気をつけろよ」
「おててあげてわたるから!」
信号ねえけどな、と突っ込むのはやめておく。意気込むあまり空回りしそうな勢いの海に、落ち着いて行けよ、と一応声はかけたけれど、多分聞こえていない。武者震い的な意味なのか、何故か小刻みにぴょこぴょこ跳ねながら玄関先まで向かう海を見送りに行けば、相当暇だったのか電信柱に寄っかかって携帯を弄ってる瀧川がいた。どんだけ前からいたんだ。朔太郎に呼び出し係は任せてたから、いつからいたか知らねえけど。
靴を履く海が、かっこいいでしょお!と振り返ったので、やんややんやと褒め称えておく。上げまくらないと、どうせすぐ転んだりお金落としたりして落ちるから。玄関先からは見えないんだけど、窓からならおばちゃんの店は見える範囲にある。要するに、音声抜きの引きで良ければ、ここからでも見守ることはできるのだ。ちなみに海はそれを知らない。そして当然ながら、瀧川もそれは知らない。
「いってきます!」
「行ってらっしゃーい」
「がんばれよー」
「がんばりゅっ」
「あっ」
「あっ……」
「ぶやああああ」
家出て二歩で転んだ。しかも号泣した。仕方ない、可哀想、甘やかしたい、馬鹿にしたい、その他諸々の様々な気持ちが入り混じった複雑極まりない表情を浮かべた朔太郎が、ゆっくりこっちを見た。
「……瀧川にはこいつ荷が重いかな……」

『ぶやああああ』
「ここから撮ってたの」
「電源つけっぱなしだったから」
あんなに愚痴っていた割に、スパイみたいで楽しかったわ、とあっけらかんとしてハンディカムを返しに来た瀧川と朔太郎と一緒に、上映会だ。海はさちえのところにお泊まりに行った。おつかいしたんだ!うみはおにいさんだから!と自信満々に自慢していたので、辻家にも後でこのビデオを見せてやろうと思っている。
ぎゃん泣きの海が俺たちに何とか慰められて、ぐずりながら立ち上がって、パンダさんを握り締めて歩き出した。あれ?あのすごい良い親みたいな感じの人誰?頭の色が汚い方じゃなくてキューティクルつやつやの方は誰?ジャーン!さくちゃんでしたー!と朔太郎がうるさいので無視しておいた。
『……いってきますう……』
『いってらっしゃーい』
『みててねえ』
『見てる見てる』
「マジで見てたの?」
「見てたよ」
「窓から見えんだよ、店」
「うえええ……じゃあ俺いらねえじゃん……」
「いるよ、いるいる。声聞こえないし、店内見えないし」
がっくりと肩を落とした瀧川のことを見もせずに、朔太郎が慰めている。適当すぎる、せめて顔を向けてやれよ。
とぼとぼと歩く海が何度か振り向いて、画面が揺れる。瀧川も移動を始めたらしい。がさがさとレンズの前を何かが通り抜けて、多少揺れが収まった。カメラを鞄か何かに入れていたんだろうか。
『……ぱんださん』
何を思ったか、突然足を止めた海が小銭入れのファスナーを開けた。もそもそと中身を確認して、ほっと溜息をつく。おおかた、お金がちゃんと入っているか急に不安になったんだろう。遠くからじゃ、何してんのかまでは見えなかった。丁寧にファスナーを閉めて、逆さまにしてお金が出てこないかきっちり確認した海が、ぴょこぴょこ跳ね始めた。しかも歌まで歌って、出血大サービス。
『あっるっこお、あっるっこお』
「……急に機嫌良くなったからさあ、俺びびったよね」
「あるある」
「なんかの回路が繋がったんだろうな」
『さかみちー、とんねるー』
「しかも割と声でかいし」
それは俺もそう思う。というか、いつものことである。広い心で、元気でよろしい、と思っていただきたい。
前に進むより上に跳ねる方でエネルギー使ってないか?と思うくらいのスキップで亀の歩みのようにのろのろと進んでいく海が、間奏込みで2番の途中くらいまでを大声で歌って、これまたでかい声で、見つけたものの名称を叫んだ。朔太郎はどうだか知らないが、俺といたら確実に、もう少し小さい声でも聞こえるからな、と注意されている音量だ。
『あー!いぬー!』
「……まさか触らないだろうな……」
「いや?めっちゃびびってたよ、犬!とか言ったのに」
「海なんも考えてないからなあ」
「ちなみに俺は飼い主さんに異様な目で見られた」
「臭かったんじゃね」
「幼い子どものストーキングしてっからだよ!てめえらがやらせてんだよ!」
瀧川の言うとおり、びくびくしながら犬の横を通り過ぎようとした海が、恐怖に耐えきれなかったのか、小走りでその場から遠ざかった。ぴええ、と泣きそうな声が聞こえる。犬が追いかけてくる想像でもしたんだろうか。
ぺたぺたと走った海が、振り向いて、犬が遠ざかったことに安心した頃には、もう店の前に到着していた。そんなにうちからは離れていないから。しかしながら改めて見ても走り方が変なやつだ。どんくさい。もう少し体が大きくなったら変わるだろうか。
『んんん』
「扉閉まってたんだ」
「うん。重くて開けらんなかったっぽい」
「開けてやれよ、不親切だな」
「だから彼女がいねえんだよ」
「うるっせえな!関わって怪しまれんのが怖かったんだよ!」
『はいはい』
『おばちゃあん』
『どうしたの』
『おさかなクッキーかいにきたの。おかねも、おかね、ここにある』
『一人で?お父さんは?』
『おうちでおなかぺこぺこ!』
『あらー、それは大変』
瀧川も海の後ろについて普通に店に入ったらしい。小銭入れから五百円玉を出しておばちゃんに見せた海が、おさかなクッキーはこっちでしょ、しってるよ、と店内を物色しだした。訝しげな顔でカメラを、というか瀧川の方を見たおばちゃんが、それでも何も言わずに無視してくれた。あとで、海が一人で買い物に来たと思うんですがその時後ろからついてきていた不審者は怪しいものではなく善意で見守ってくれていた友人です、と弁解しておこう。
『はい。おつり』
『ありがとお』
『袋に入れてあげるから、待ってね。これはおまけ。あげるよ』
『あー!ぱぴりこ!』
「……カプリコかな」
「そうだな」
「また間違えて覚えている……」
時々しか買ってやらないので海的には超ごちそうのカプリコ、しかも大きいやつ、をおばちゃんから貰った海が、勢いよくがふがふ齧り始めた。幸せそうだ。おばちゃんはとっくにクッキーを袋に入れ終えているけれど、海が食べ終わるのを待ってくれている。食べるの遅いから、時間かかるんだろうな、と思ったけれど、好物だからか勢い任せなのか、みるみる手の中からお菓子はなくなって。
『おいひい!』
『それはよかった』
『おばひゃんあいらろ』
『口の中なくなってから行きな』
『んぶ』
「この間瀧川なにしてたの?」
「見てた」
「完全に不審者じゃねえか」
「通報待った無し」
「もうお前らとは金輪際縁を切りたい」
『おくちなくなった!』
『はいはい、またね』
『ばいばい!』
『あっ、袋』
店から出ようとした海の手には袋は無くて、おばちゃんが立ち上がる。呼び止める声に気づかない海が駆け出して家に帰ろうとした瞬間、がたりとカメラが揺れて店の扉を塞ぐように移動した。海がぽかんと見上げるのと、画面に映ってない瀧川の声がするのは、同時だった。
『わ、忘れ物』
『んえ』
『ほら!袋!これ持ってかなきゃ!』
『あれえ、わすれちゃった』
「瀧川良い人じゃん」
「かっこいー」
「もっと感情込めてくんねえかな」
「ヒュー」
『ありがとお、おじさん』
「おっ」
「……おじさん……」
「……………」
へらあ、と笑った海が、さっき座っていたところに置き去りにされていた袋を持って、恐らくは今の俺たちと同じように凍りついているであろう瀧川の横をすり抜けて、歩いて行った。おじさんって。同い年だからえぐい。海、お前、おじさんって。微妙に笑えなくてつらい。
「……だから瀧川帰ってきた時無言だったの」
「……そう……」
ちなみにおさかなクッキーは数枚砕けていたけれど美味しかった。海がこの日から、早く次のおつかいを寄越せ、とうるさくなったのだけが問題だけれど。


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