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まもりくんのおうち



「油絵の具ですか?」
「うん。学校の、持ち出し禁止だから」
「はい!うちにあります!」
「……売ってる場所を、教えてくれれば」
「あげます!使わないので!」
「いいん、だけど……」
「あっ、今日は唐揚げの日です!うちの唐揚げおいしいんですよ、ぜひ食べていってくださいねっ!」
こっちから振っておいてなんだが、話の流れが早すぎてついていけない。お姉ちゃんのがあります、前に倉庫で見ました、もらっていいと思います!と身振り手振りを付けながら説明してくれている後輩は、どんな時間軸に生きているんだろう。多分朔太郎系の軸だ。早すぎて俺にはついていけない。
お父さんに大きめのキャンバスを買ってもらったから、せっかくだし大きく絵を描こうと思って、どうせならやったことないから油絵の具とか使ってみたいと思ったけど、学校の備品は残り少ししかないし、家には持ち帰れないので、途方にくれているのだ。そんなような話を、したと思う。それがどうして光の速さで「後輩の家に行き、油絵の具を貰い、なんなら夜御飯も頂く」なんて話になるのだろう。不思議だ。ぼーっとしてるつもりはなくとも急かされることが多いのは、今回のように周りの人間の決断力と行動力が優れているからなのだろう。俺が遅いわけじゃない。
「近いの?」
「近いですよ!すぐです!」
「そうなんだ」
「ちょちょいのちょいです!」
「ふうん」
鉄は熱いうちに打てというか、なんというか。早いに越したことはないだろうと、いきなりで申し訳ないが今日このまま学校帰りに訪れることになった。迷惑だったら今度でも構わない、とは一応言ったんだけど、えっ?なんですか?と振り向いた後輩はもう既に家に電話をしている最中だったので、深く追求するのはやめた。俺も家に電話しなくちゃ、お母さん心配するだろうし。
「ああ、電車だっけ」
「はい」
「珍しいよね」
「そうですか?」
「俺の周りに電車の人あんまりいないから」
「俺もいないです!おそろいです!」
「……そうだね」
「一緒に電車に乗るのとか、全然したことないので、なんか、えへへ、嬉しいです」
「……そうですか」
「先輩?」
「なんでもない」
そんなに喜ばれると、こっちだって悪い気はしないわけで。けれど何を勘違いしたのか、うるさかったですか、と後輩はしゅんとしはじめたので、自販機でジュースを買い与えた。俺が黙ってるから勘違いされちゃったんだろうけど、別にこっちだって楽しくないわけじゃない。とっても楽しい!最高!生きてて良かった!ってわけでもないけど、わざわざ楽しいとか嬉しいとか俺は口に出さないから、外から見た感情が分かりにくいんだろうな。特に今まで困ってこなかったけれど、この素直極まりない後輩に対しては、もう少し自分から喋った方がいいのではないか。他人事のようだけど、結構本気でそう思った。
「せんぱい!オレンジジュースおいしいです!ありがとうございます!」
「そう」
「飲みますか?はいっ!」
「ううん、」
「遠慮なさらずに!そうだ、ポッケに飴持ってます、飴もどうぞっ」
「だいじょぶ、だから」
「あっ電車来ましたよ!乗りましょ!」
「……えーと……」
駄目だ。むしろ普段より喋れない。仲有とか朔太郎が如何に俺の話を気長に待ってくれているかがよく分かった。遅えんだよお前はカメか、とゴリラ、じゃない、航介が時たま辛抱堪らんとばかりにブチ切れるのはこういうことだったのだ。後輩の速さが高校生の普通なのだとしたら、確かに俺は遅い。今だって飴とジュース俺が持ってるもん。一つも断れてないもん。
電車でどのくらいなの、と聞けば、すぐですよお、と軽い返事。すぐというからにはすぐなのだろう。駅名とかは教えてくれなかったことに引っかかりを覚えたのは、しばらくしてからだった。
「……あのさ」
「はい?」
「……もうすぐなの?」
「もうすぐですよ?」
「あとどのくらいかな」
「60をゆっくりめに5回数えたくらいですかね」
「うん……」
「大丈夫ですよ!電車さえ動いていれば着くので!」
「そりゃあそうだろうけど」
「もしかして先輩お腹空いちゃいました?」
「……少しは」
「今お家にいるのはお兄ちゃんなので、お兄ちゃんに連絡しておきます!腹を空かせた猛獣のような先輩を連れて行くと!」
「その表現やめて」
ていうかそんなに腹減ってないし。腹を空かせた猛獣のように物を食べた事無いし。むしろサイレントすぎて一人で飯食ってる時あまりの無音っぷりに自分でもビビる時あるし。そこまで赤裸々に言わないけど。
しばらく、ほんとにしばらく電車に揺られて、大量に生えている木とか、広がる畑とか、点在する家とか、トラクターとか、ぶっちゃけ全然心揺さぶられないものを流し見している内に後輩がうとうとしはじめたので、冗談じゃないと叩き起こした。やめてください。ふあふあ欠伸をする無責任な後輩に、おっかねえなこいつ、と思っているところで、目的の駅に着いたらしい。ここまでの時間で分かったことは、後輩と俺では、「すぐ着きます」の「すぐ」の部分に差があったということだ。全然すぐじゃないじゃん。
「つきました!」
「……うん」
「ようこそ!まもりハウスへ!」
「まだ駅だけど」
「そうでした。うっかりうっかり」
「真守」
「あっ、にーちゃん」
「……それ誰だよ?」
「先輩だよ!背が高くて素敵な眼鏡でしょ!」
「へええ……」
きゅう、と喉が鳴った。びっくりした。なんかすごい、あの、ヤンキーでーす、イエー、って感じの人が、急に出てきたから。えっ、兄ちゃんってこういう系なの。ゆるふわポンコツ系の君と全然似てなくない?だって髪の色おかしいよね、しかもなんで一部だけ色が更に違うの?威嚇?食べられないように身を守る知恵的な感じ?ていうか、なんで俺すごい睨まれてんだろう。背丈そんな変わんないんだけど、すごい圧なんだけど。
「お前が迎え来いって言うから、バイクで来たのに」
「ええー、じゃあ三人乗りだー」
「三人乗りなんて出来ねえよ」
「あっ、先輩、お兄ちゃんです。砧律貴といいます」
「ど、どうも」
「どーも」
「こちらは、えーと、とーや先輩です!」
「何しに来たの」
「えぅ、ご、ごめんなさい」
「りつき兄ちゃん、いけません!てや!」
「いって」
お願いだからじっとしてて!と悲鳴をあげるところだった。変な掛け声と同時にべしんと怖いお兄ちゃんの後頭部を叩いた後輩が、やりました!みたいな顔で腕を組んでいる。お母さん、ボコボコにされたらごめんなさい。決して不良になったわけではありません、事故です。内心手を組み合わせて祈っていると、半目のヤンキー、じゃない、後輩兄が顔を上げた。怖い。
「……悪かった。怖がらすつもりはなかった」
「……は……」
「りつきお兄ちゃんは顔が怖いので、時々我に帰らせないといけないのです。先輩、ごめんなさい」
「……あ、いえ……」
「乗れねえなら、歩いて帰るか。荷物だけ積んでやるから」
「はい、先輩。鞄くださいな」
「あっ、はい」
「りつき兄ちゃん、なんで頭の色そんななの?どーして今朝と違くなってるの」
「寝てる間に清楽にやられた」
「きよらお姉ちゃん今はお仕事?」
「お仕事」
「お家誰がいるの?」
「一番二番」
ごろごろとでかいバイク、単車って言うのか、それを引っ張って歩く後輩兄は、喋ってるのを見れば普通にいい人で、なんか見た目で怖がっちゃって申し訳ない気持ちになった。ちゃんと振り向いて俺がついてきてるか気にしてくれてるし。さっきの、何しに来たの、も友好的な意味だったんだろう。うちの弟になんか用かコラってことじゃなかったのだけは確かだ。
「お前、とーや先輩っつったっけ」
「は、はい」
「頭ふわふわ、同じだな」
「おそろいだねー!」
「……はあ……」
くしゃくしゃの癖っ毛を指差して目を細めた律貴さんに、ちょっと親近感。やっぱり後輩の兄だ、言うことが似ている。
他愛もない話をしながら歩いて、お前あの高校の近所から来たの!?なんでわざわざ!?と驚かれたりして。日が暮れるまでのカウントダウンできそうになった頃、ようやく後輩の家に着いた。長旅だった。でかい平屋で、周りは畑だらけ。きょろきょろ辺りを見回していると、この辺みーんなうちの畑なんですよお、と後輩が胸を張った。農家さんだったのか、知らなかった。がらがらがら、と引き戸を勢いよく開けた後輩が、中に向かって大声で呼びかける。
「ただいまー!」
「ただいま」
「おじゃまします……」
「おかえりー。おっ、噂の先輩くんだね」
「とーや先輩だよ!よろしくおなしゃす!」
「ぁえ、弁財天当也です、よろしくお願いします」
「うんうん、俺、砧哲太。真守の一番上のお兄ちゃんだよ、よろしくね」
「てつた兄ちゃんは学校の先生なんですよ」
「へえ……」
「ふわふわくん、飯食うだろ」
「ふ、ふわふわくん?」
「唐揚げ好き?いっぱいあるよー」
「あっ、え、あの」
「たくみ兄ちゃあん!真守が帰ってきたからご飯だよお!ただいまあ!」
「まあまあ、中にお入んなさいな」
「は、はあ」
「あんま遠慮すんなよ」
「……はあ……」
遠慮するなと言われましても。後輩は一足先にどたどたと上がって行ってしまった。置いて行くなよ。今日はいつもの半分もいなくてね、という哲太さんの言葉をよくよく聞いてみれば、後輩は7兄弟の末っ子らしく、両親プラス祖父母も同居しているらしいのだけれど、祖父母は旅行、両親は古馴染みの友人と食事、長女は飲み会、次女は仕事、三女はバイト、だそうで。男所帯の時に来るなんて運が悪いねー、と笑われて、そうですね、と思った。ふかふかの座布団に座らされて、お茶を出される。お腹の空いた男子高校生的には、目の前に山盛りにされてる唐揚げってそれなりに涎が垂れちゃう代物なわけだけど、俺は多分この人たちの期待には添えない。元々そんなに食べるほうじゃないから、申し訳ないことに。飢えた獣なんでしょ?とか言われても困る。
「お待たせしましたあ」
「……………」
「巧くん、寝起き?今日はお客さんが来てるよ」
「……ああ。ようこそ」
「お、おじゃましてます」
「こちら、砧巧くん。真守くんからしたら二番目のお兄ちゃんだよ」
「……………」
「たくみお兄ちゃんはあんまり喋らないですけど、怖くないですよ!」
「あ、うん、はい」
「ではでは、いただきます」
「いただきまーす!」
唐揚げはおいしかった。

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