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おはなし



好きなものを食べている時の顔が好きだ。嫌な顔しながら好物を食べる奴なんかいない。苦手極まりないクソ不味いものが大好きでたまらないって奴もいない。まあもしかしたら、世界は広いので、探し回れば一人くらいはいるかもしれないけど、俺はまだ会ったことがない。だから、いない、ってことにしてもいいと思う。人間は、自分の好きなものを食べている時、きっととてつもなく幸せを感じるのだ。そういう風にできているのだ。ちょっと調子が悪い時は、好きなものをたらふく食べて、全部ほっぽり出して寝てしまうに限る。それが一番、自分のために、自分を大事にできる。
好きなものを嫌な顔しながら食べる奴なんかいない、と言い切ったところに真っ向から逆のことを言うようで申し訳ないけれど、俺の周りには、気分が上昇気流に乗っていたとしても、表情がそれと比例しないタイプの人間が二人ほどいる。嬉しくても楽しくても、あんまり表情筋が仕事しない奴等。具体的に個人名を出すと、弁財天当也と、伏見彰人である。当也はなんていうか、そもそも表情が動いているところをあんまり見たことがないというか、喜怒哀楽が全面的に分かりにくい。表情は勿論、身振り手振りも、声のトーンも、あんまり変わらない。嬉しい、と口では言いつつもあまり嬉しげではない、みたいな。別に笑わないわけじゃないんだけどね、俺的には笑ったら案外いい顔してると思うんだけどね、そうなるのがめっちゃくちゃにレアなだけで。そして伏見くんは、また別のタイプ。当也が感情表現が無に近いとすると、伏見くんには、感情の表現は分かりやすく存在する。怒るし笑うし喜ぶ。ただ、注釈をつけるとしたら、ものすごく天邪鬼で素直じゃない、という一点に尽きる。喜びを素直に表現してにこにこなんてしないし、お礼を言って嬉しそうな笑顔を浮かべたりなんかもしない。嫌われ気味の俺が相手だからだとお思いだろう。残念でした。何故か馬が合う航介相手にでもほぼほぼそうだから、それが彼の性格なのだろう。
ここまで聞いて、今現在手土産を抱えている俺の姿を見て、なにがしたいか分からないのであれば、説明しよう。件の二人は今、弁財天家でごろごろしている。有馬くんと小野寺くんは買い出し当番を任され、おつかいメモを握り締めて出て行ったらしい。航介は多分普通に隣の自分の家にいる。夜ご飯に合わせて来るつもりだろう。その噂を聞いた俺は、先日から考えていた計画を今こそ実行すべきだと思ったのだ。なんの計画かって、二人に美味しいものを食べさせ、自然と笑顔にする計画である。まさに今しかない、今がチャンス。ごそごそとお土産の中から手を引っ張り出して、玄関扉を開けた。
「たのもー」
「……インターホンって知ってる?」
「知ってる!」
そして、そんな二人のために本日ご用意致しましたのは、こちら。お取り寄せランキング上位の中からさくちゃんチョイスで勝手に選んだ、美味しい和菓子傑作選であります。なんで和菓子かって、気分だ。今回が上手く行ったら洋菓子でもやってみようと思う。
面倒くさかったのかこっちまで来ることもなく呆れた顔だけ廊下に出してまたリビングへ引っ込んでしまった当也を追えば、二人はゲームをしているらしかった。航介が昨日家から持ってきたやつ。赤い配管工とその仲間たちがすごろく的なパーティーをする、有名なアレ。伏見くんが緑色の怪獣みたいなやつで、当也が緑色の弟配管工。緑ばっかかよ、目に良いな、おい。ミニゲームの途中だったみたいでがちゃがちゃボタンを押しまくる音が響いた。負けず嫌いだもんなあ、二人して。
「あっくそ」
「……………」
「……むかつく顔しやがって……勝てるわけねんだよ、弁当のがやり込んでんもん……」
「諦めちゃ駄目だよ」
「腹立つから慰めないで」
「……朔太郎の持ってる、なに?それ」
当也の声につられて振り向いた伏見くんが、俺を、というか俺の持ってた包みを視界に入れた途端、ぱっと顔を輝かせた。伏見くんならと思ってたけど、やっぱり知ってたか。包みだけで喜ばれるとは思ってなかったけど。
まず一つ目。菓匠花見の白露宝。埼玉に本店があるらしいんだけど、前に何かで貰ってすっごく美味しかったんだよね。丸っこくってちっちゃくて、見た目も可愛い。餡を蜜でコーティングしてあるんだけど、味もいろいろあって、普通のこしあんとか白餡とか抹茶とか胡麻とかコーヒーとか。しかも調べてみて分かったけど、期間限定のものもあるらしい。伏見くんは好き嫌いがとっても激しいから、今回は詰め合わせを用意してみた。この中なら一つくらいは好みの味があるんじゃないかと思って。
続きましては奈良、黒川本家の吉野本葛。葛餅なんだけど、さちえに聞いたら太鼓判だった。すっごく美味しい、とっても美味しい、とあんまり盛り上がるので、それなら今度うちの分もお取り寄せするよ、と約束してしまった。さちえがそれだけ推すってことは、かなり信用に足るだろう。包装も桐箱で、いかにもおいしそうです!って感じ。当也が葛餅とかわらび餅とか好きだから、これは完全にピンポイント狙いで選んだ。ちなみにネットで調べたら、店のこだわりみたいなのが長々と出てきて、老舗感めちゃくちゃ漂ってたから、余計安心した。
三つ目は、和菓子といえば、の連想で京菓子を用意した。京都の末富、京ふうせんっていう薄いお煎餅みたいなやつだ。麩焼き煎餅に淡い色がついていて、さくさくで食べやすい。味見に開けて食べ始めたら止まらなくなって大変だった。それだけ美味しいってことだ。甘めのお煎餅なんだけど、さっぱりしてる。個人的には三つの中で一番好みなんだけど、二人がどう出るかは分からない。色合いが素朴なのは、着物の色味をイメージしてるからなんだとか。とにかくおいしいのである。
「おみやげ」
「どっか行ったの?」
「ううん、お取り寄せしたの」
「なんで」
「したかったから」
「これ開けていい?」
「うん、どうぞ」
うん、の、「う」ぐらいで包みを剥がし始めた伏見くんが一番に飛びついたのは京ふうせんだった。知ってたのはこれだったのか。珍しく、分かりやすくわくわくしながら包みを開けて中を覗き、そおっと丁寧に一枚取り出した伏見くんが、無言のままふんふん当也に詰め寄った。相当に嬉しいらしい、喜んでもらえてなによりだ。どうしたの、なあに、それそんなにおいしいの、と平坦に対応している当也に見えるように桐箱を開ければ、音でこっちを見た彼もきょとんと目を丸くした。
「くずもち」
「食べていいよ、俺一人じゃ食べきれなくて持ってきたんだから」
「いいの?」
「いいよお、これもおいしいよ」
「お饅頭」
「とは、ちょっと違うんだけど」
まあ食べなさいな、と包みをお店広げして出せば、もう既にお煎餅を独り占めしていた伏見くんが、抱えていた袋をそっと机の上に出した。無言で勝手に食べていたらしい。別に全然いいけど。だってそれが目的だったし。
食べ始めると無言になる。みんなそうかもしれないけど、この二人だと輪をかけて。葛餅を一人前ぺろりと食い切った後に、白露宝に手を伸ばし、京ふうせんを齧り、途中思い出したかのように誰からともなくお茶を淹れてきてはまた食べ、その間ずっと無言である。遠目から見たら変化はないだろうけれど、真正面で直に見てる身としては、計画は大成功を収めたと言っていい。ぶっちゃけ、笑顔になったわけでもなければ、側から見て嬉しそうなわけでもないけれど、幸せそうな空気が醸し出されている。勿体無いとばかりに指先まで舐める辺りとか、ごくんと飲み込んでは細まる目とか。二人の目線はもうすっかり机の上のお菓子たちにしか向いてなくって、流れっぱなしのゲームのBGMと画面の中で待ってるキャラクターが何となく物悲しい。しょうがないよね、ごめんね、緑コンビ。
「おいしい?」
「ん」
「んん」
もごもご。こっちを見もせず返事をされて、それは良かった、と返した。有馬くんと小野寺くんが帰ってくるまでに食べ終わりそうなペースだ、バレないように今食い切って秘密にしておくつもりなのかもしれない。もぎゅもぎゅと頰を膨らませて口を動かしている伏見くんと、腹具合を鑑みて行けると判断したのか葛餅を新しく開けた当也に、次回の参考になるよう質問しておく。
「ちなみに洋菓子なら何がいい?」
「シュークリーム」
「マカロンボーロ」
「あのおっきいやつ、二つに割れてて、中に生クリームがすっごい入ってる」
「いろんな色で瓶に詰まってて、金平糖とかも一緒に入ってて、ちっちゃい」
「分かった分かった分かった!二人して急にたくさん喋らないで!」



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