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おはなし



「お茶まだ飲む?」
「うん」
「食べる?なんだかよく分からないお菓子」
「うん」
「とーちゃん貧弱なんだから、たくさん食べないとね」
「貧弱じゃないし、とーちゃんじゃない」
「あらやだ」
「とって。それ」
「はい」
「ありがと」
「これは食べる?」
「ううん」
「我儘ねえ」
「八千代」
「はあい、響也さんっ」
「いや、来なくてもいいんだけど」
「お手伝い?お仕事のお手伝い?」
八千代にできることなら喜んで!と息巻いて、きゃっきゃ盛り上がったお母さんが、お父さんの声がした方へ寄って行ってしまった。お茶もお菓子も用意された今、別に構わないけど。ていうかこのお菓子ほんと、なんだかよく分からない。甘いんだけど、なんか、なんだこれ。いいけど。食べるけど。
来なくてもいいって、ともう一度呆れたみたいな声がして、扉が閉まったせいで二人の会話が篭る。久しぶりに帰ってきた息子に構え、とお父さんは言いたいんだろうし、俺も多少そう思う。まあ、今更そんなこと言ったところでどうにもならないし、あの過剰とも言えるコミュニュケーションを直球でぶつけられるのは、今のところちょっと勘弁である。お母さんにもちろん悪気はないんだけど、悪気がないことは時には転じて攻撃にもなり得るのだ。帰ってきて初っ端、駅まで迎えに来て、とお願いしておいたがための悲劇を思い出して、ぞっとした。生き別れの息子ってわけでもなし、会おうと思えば会える上に、酷いと毎週のように電話を掛けてくるくせして、感動の再会とはこういうものですと見せるために使えそうなくらいの勢いで待ち構えられてみろ。血の気も引く。いやまあだから、悪気はないんだけどね。
外国人に日本の素敵なところをインタビュー、みたいな番組がテレビでは延々流れ続けていたけれど、特に魅力を感じなかったのでレコーダーに繋いだ。お父さんが撮りためてる海外ドラマ、面白そうだなってさっき思ったんだ。どれだったかな、と録画リストを漁っていると、机の上で携帯が震えた。久しぶりに実家に帰っている、というか一人暮らしを始めてから第一回目の帰省をしていることを知っているのは、有馬と伏見と、多分小野寺も伏見から聞いて知ってる。それからこっちには、朔太郎にだけ手紙で先に伝えたっけ。航介にはどうせばれるから言ってない。隣ん家だし。その中の誰かかな、と思いながら画面を開けば、案の定当たりだった。数回やり取りをして、階段の下から声を上げる。
「おかーさあん」
「なあにー」
「朔太郎がうち来るってー」
「いつー?」
「いまー」
「はっ、えっ!?今!?」
「仕事終わったから行くって、連絡来た」
「なにそれ!早く言ってよ!」
「俺も今言われた」
「やだー!やっちゃん髪の毛ぼさぼさー!」
「……いつもとそう変わんないよ」

「やっぴー」
「入れば」
「背ぇ伸びた?」
「別に。伸びたように見える?」
「ううん、社交辞令」
「朔太郎縮んだ?」
「ははは、ぶつぞ」
手を振りかぶられて逃げれば、笑いながら追いかけてきた。普通に怖いからやめてほしい。サイコパスか。どたどた二階まで上がる途中、お母さんに朔太郎が呼び止められた。ので、首を伸ばして何をしているか見る。
「はい。やわっこいオレオ」
「やちよ牛乳にでもつけたの?」
「違うわよお、最初からやわっこいの」
「賞味期限平気?」
「平気だって!はい牛乳」
「あわわ、こぼれる」
「牛乳溢したら承知しねえぞ朔太郎」
「はい……」
最後だけドスの利いた声で吐き捨てたお母さんの顔は、見えなくて良かった。パック丸々の牛乳と、グラスが二つと、件のやわっこいオレオを器用に全部抱えてのろのろと階段を上がってきた朔太郎から、一番不安定かつ落としたら同時に雷も落ちる可能性大の牛乳パックを受け取る。受け取る途中でバランスが崩れて、あー!とか、わー!とか、二人してでかい声が出てしまったけれど、落とさなかったからセーフ。
ちっちゃいテーブルにグラス並べて置いて、牛乳を入れた。朔太郎がまずオレオをドボンしようとしたので、止めた。普通に食べてくれ。
「一人暮らし楽しい?」
「……ふつう」
「ご飯ちゃんと食べてる?」
「親じゃないんだから」
「痩せたでしょお」
「え?」
「元々骨みたいだったのに、更に骨みたいになっちゃって」
「更に骨ってなに」
「まあ話盛ってるけど」
「……骨ではない?」
「骨と皮と肉はあるかな。お揃い」
「お揃いか……」
「鼻と口と目と眉毛がついてる時点でみんなお揃いだからさ」
あいも変わらず雑である。オレオと牛乳はたまりませんなあ、と目尻を下げている辺り、何も変わっていないらしい。そりゃ数ヶ月足らずでこの奇人、じゃない、朔太郎に何か劇的な変化が起こり得るかと言われたらそうではないんだけど、俺が一人暮らしを始めたのとほぼ同じタイミングで、こいつは働き出したわけだから、身辺環境の変化は朔太郎だって大きかったわけだ。心配してたと言ったら大袈裟だけれど、気になってはいた。
「んー?仕事?」
「そう。楽しいの?」
「うん。みんな優しい。あめちゃんくれる」
「……餌付けされてるの……?」
「朱肉も貸してくれる。あとボールペン」
「お世話になりすぎじゃない」
「みんな助けてくれるんだもん。俺、ドジっ子だから」
お前のそれはドジじゃなくて事故だ。全く同じことを航介が昔に言っていた気がして、ぐっと言葉を飲んだ。ぽろぽろしながらオレオをかじる朔太郎が、ねえマリパしよ、と棚を開けて閉めて、もう一度開けた。何度見たって無いもんは無いよ。
「なんで!」
「東京持ってった」
「一人でやんの!?」
「……持ってったはいいけど、やってない」
「あー!なんもない!ていうかハードがない!一個もない!」
「だから持ってったって」
「信じらんない……俺のFFのセーブデータごと持って行きやがったな……」
「そうだっけ。ごめん」
「いいよ!」
「いいんだ」
「もう5周目だし」
ていうか今こいつ一人でって決めつけたな。友達いないと思ってやがる。ちくしょう。悔しいけどあんまり言い返せない。
がたがたと棚の中を探った朔太郎が、いくつかのソフトを引っ張り出して、ハードがないことを再び確認して、あーあ!と大の字になった。声が大きい。飲みきってしまった牛乳を注ぎ足していると、まだ諦めきれないのか棚をごそごそしていた。案外しつこいな。
「トランプならあった」
「……なにすんの」
「ババ抜き」
「二人なのに?」
「航介呼ぶ?」
「呼ばない」
「じゃあスピードにする?」
「……やだ」
「当也スピード弱、強くないもんね」
「弱いって言おうとした」
「七並べにする?」
「……その上の押し入れみたいなとこに人生ゲームならあるよ」
「ワールドワイドなやつやろう、俺銀行」
「お金ちょろまかさないでね」
「しないしない」
結局普通の方を上にして、お互い車の色を選んで、なぜか朔太郎は女の子を車に乗せたけれどそこには特に突っ込まずに、初期軍資金が配られる。さくみちゃんだから、とか言ってたけど無視した。からから、ことこと、ルーレットを回してマスを進めていくと、少しずつ差が開いてきた。俺の方がお金はないけどどんどん先に進んでいて、朔太郎の方がお金はあるけどまだスタート近くにいる。運の問題だろうか、上手く行かないもんだ。人生ゲームだし、上手くいかないのが面白いんだけど。
「けっこん」
「女の子とご祝儀をあげよう」
「ありがと」
「そういえばこの前さあ、歓迎会があって」
「なにの?」
「俺のだよ。俺を職場のみんなが歓迎したの」
「へえ」
「まあそれに託けてお酒飲みたいだけなんだけどさ。俺らまだ飲めないじゃん」
「そうだね」
「それともまさか……当也……」
「……なにその目」
「大学ってとこはまず先輩から一気飲みをさせられる儀式があるって聞いたから」
「少なくとも俺はなかった」
「友達いないから?」
「……………」
「あっいたい、ごめん、ごめんなさい痛い、足の小指取れちゃう」
「……で?」
「いいなあって思ったよ、みんな美味しそうにお酒飲むから」
「朔太郎飲んだ?」
「飲んでない」
「おいしかった?」
「飲んでないったら、もう」
「……………」
「なによその目は」
「……なにがおいしかった?」
「疑り深い男は嫌われるぞ、あっ」
「朔太郎家燃えた」
「やだー!もお!」
「俺は給料日」
「くそ!失職しろ!」
ぱん、と札を床に叩きつけられて、お返しに燃えた家から朔太郎の旗をきっちり抜いておいてやった。嫁と子どもと路頭に迷え。
「こないだおにぎり食べてたらさ」
「うん」
「落として」
「おにぎり?」
「そう」
「どこに」
「地面。そりゃもう綺麗に落ちたよ」
「かわいそう」
「しかも具がやっと出てきたとこ。更にかわいそうでしょ」
「中身なんだったの」
「たらこ」
「泣いた?」
「泣きかけたね」
「なんでおにぎり落としたの。また奇怪な踊りでもしてたんじゃないの」
「失礼だな!ただ歩いてただけだよ!」
「歩きながら食べるからだよ」
「……それもそうか」
「うん」
「次からはやめるね」
「そうして」
「当也に言われちゃしょうがないな」
「歩いてないからって走ったりチャリ乗ったりしてもダメだよ」
「それは盲点だったわ」
「でしょ。やめときな」
「おっけー」
そんなこんなしてるうちに、俺は最後の決算まで来た。家無し子持ちの朔太郎はまだ後ろの橋の辺りにいる。これは絶対俺の勝ちだ。だってあの橋渡ったら俺にお金払わなきゃいけない決まりだし。勝ち誇った余裕で心なしか踏ん反り返っていると、負け気味なことを重々承知の朔太郎が、眉根を寄せながらルーレットを回してコマを進め、目を丸くした。
「あれ」
「なに」
「……これ5だよね」
「5だね」
「いち、にい、さん、しい、ご」
「ご、……」
「なになに?宝くじが?当たった?100万円?もらう?」
「……………」
「ごめんなさいねえ!労せず大金を得てしまいまして!ぐふふ」
「……次2出して」
「やだよ。博打に失敗とか書いてあんじゃん」
「出して」
「やだね」
「朔太郎のそういうところ嫌い」
「俺も当也の負けず嫌いが過ぎるところは良くないと思うよ」
「勝ったと思ったのに……」
「まだ分かんないじゃん?」
結果、お金を換算してみたら、俺がぎりぎり勝っていたけれど、あんまり勝ち誇れなくて不完全燃焼だ。もっかいやる?今度こそワールドワイドなやつで?とリベンジマッチしようかと思ったけど、やめた。朔太郎明日も仕事あるって言うから。大変なんだな、公務員。
「またね」
「うん」
「明日も来るからね」
「明日はお菓子自分で持ってきて」
「ポテトチップスでいい?」
「のりしお」
「コンソメがいいなあ」
「のりしおじゃなかったらうち入れないから」
「ちぇー」


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