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おはなし



「せんせえ」
「どうした」
「俺の名前覚えた?」
「すぐ転ぶ辻」
「うん。それでね、怪我した。ここ」
「うっわ!血ぃだらっだらじゃねえか!なにしたらこうなんだよ!」
「転んじゃった」
「どこで!」
「花壇のやつめ、とんだ裏切りだよ」
「歩いてきたのか!?血を垂らしながら!?」
「逆立ちしてきた」
「馬鹿!」
「きゃああ!」
ばしんと頭を叩かれて悲鳴をあげる。逆立ちしたのは嘘だけど、学校を汚すのは心苦しかったから、ちゃんと血は垂らさないようにここまで来た。偉いでしょ、褒めてもいいよ。そう鼻を高くして言えば、捲り上げていたズボンをぐっと抑えられる。下半身を固定されて、先生の手に持たれていたのは、消毒液だった。
「うるっせ」
「ぁぎゃーっ!」
「消毒一つで騒ぐな」
「染みる!染みる!」
「うわすっげ……皮ねえじゃん、なにこれ……肉丸見えてんじゃん……」
「せんせえの鬼……サド……」
「お前な、俺がなんで養護教諭になったか教えてやろうか」
「なんで?」
「血が好きだからだ」
「ヒッ」
「医者にはなれなかったからな。金が無くて」
「マッドサイエンティスト!」
「本当はモツが見たかったんだけど、諦めざるを得なかったんだ」
「怖い怖い怖い!」
「お前次転んだ時は上半身と下半身切り離してみろよ。俺、見てみたいんだよ」
「誰か!誰か助けて!千切られる!」
「はい終わり」
「きゃあああ!」
「うるせえ」
ばしんと叩くように大判の絆創膏を貼られて、また悲鳴を上げた。注意力散漫でよく怪我をする俺もいけないけど、先生は生徒の扱いが荒すぎると思う。さっきの医者云々の話だってあながち嘘じゃないかもしれない。怖すぎ。航介とか都築にも教えてあげよう、下手に近寄ったら解剖されるぞって。
せんせえありがとー、とひょこひょこ歩き出して、後ろから声がかかった。おい転び屋、なんて不名誉な称号に、辻さくちゃんだってばあ、と振り返って、先生がこっちを見てすらいないことにがっくりする。俺に話しかけたわけじゃないわけ、このおっさんほんと適当。
「お前、俺に名前を覚えたか聞いたな」
「うん」
「お前らは俺の名前知ってんのか?」
「……えっ」
「俺の名前。せんせえ、じゃねえぞ?」
嫌味に笑った先生が、養護教諭からの宿題だ、と指を立てた。余程暇なんだろうか、それとも騒いだ俺が気に食わなかったんだろうか。こんなことなら転んだ時一緒にいためだかちゃんに一緒に来て貰えば良かった、女子だし。
「次来るときまでに、俺の名前を調べておけ。ただし、他の教諭に聞くなよ」

「というわけです」
「先生の名前?」
「保健室の先生って呼んでたからなー」
「つーか朔太郎血ぃすげえんだけど」
「でしょ?俺はこの絆創膏を取り替えてもらいたいわけ」
「あー、だから早く知りたいの」
「早くしないと血が染み出してきちゃうよ!」
でもなあ、と都築が頬杖をついた。どいつもこいつも使い物にならない、というと言い方悪いけど、航介も都築も瀧川も、保健室の先生の名前は知らなかった。当也は見つからないし、恐らく一緒にいるであろう仲有もいない。あの二人ならこいつらよりは知ってそうだったのに。もっと知ってそうな女子勢は、体育で根刮ぎ教室から出て行った。このままじゃ傷から血がどんどん染み出てきてしまう。新しい絆創膏を求めるにはどうがんばったって保健室に行かなければならないのだ。ギブミー絆創膏。
「どっかに書いてあるんじゃない」
「生徒手帳とか?」
「それはねえだろ……」
「ていうか、保健室の中には書いてあるんじゃねえの。教室責任者、貼ってあるだろ」
「航介!」
「うわなに」
「褒めてやる!」
「えっなに、ぎゃっ」
がしがしがしと航介の頭をこねくり回したら引っ叩かれた。なんて素敵な頭だ、普段あんまり使ってないのが勿体無いぞ!オスゴリラとか言ってほんっとごめん!ゴリラ寄りの人間に格上げしとく!
痛い足を庇ってぴょこぴょこしながら階段を降り、保健室へ向かう。都築と瀧川は折角のアドバイスを仇で返されて怒り狂う航介を連れて自販機に行ってくれた。喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプだから、しばらくしたら平気だろう。じわじわ痛む足に、真っ赤になってしまった絆創膏。これ、本当に張り替えなきゃ駄目なやつだよね。もし先生の名前が保健室に書いてなくっても、取り替えてもらおう。
なんて思いながら一階まで降りたら、向かい側の廊下からまもりくんがぱたぱた走ってくるのが見えた。急いでいるのかな、こっちには気がつかないみたいだ。目的地は同じらしい、保健室の扉をがらがらと勢いよく開けたまもりくんが、中に向かって叫んだ。
「ヒーローくん!」
「うわ」
「保健だよりくーださいっ!」
「大声出すなよ」
「あとねえ、イチ兄ちゃんがねえ、ライン見ろって昨日怒ってた」
「はあ?知らねえよ、どうせまた振られたとかそんな話だろ」
「なんで分かるの?すごい!」
「累計何人目だよ……」
「まもりくん」
「あっ、さくちゃん先輩」
「先生と仲良しだね」
「こちらヒーローくんです!」
「あっ馬鹿」
「ヒーローくん」
「違う」
「ヒーローくん先生、絆創膏ください」
「待て辻、違う、やめろ」
「保健室の先生は、ヒーローだった、と……」
「誰に連絡してる!?やめろ!」
「ねえ、保健だより」
「真守は黙ってろ!」
閑話休題。
少しは落ち着いたらしいヒーロー先生が、頭を抱えていた。まもりくんは、椅子に腰掛けて俺の足の絆創膏を張り替えてくれている。親切な後輩を持って俺は幸せだよ。
「しじみちゃんがさっき言ってたの盗み聞きしました、先輩が派手に転んで怪我したって」
「めだかちゃん?」
「そうです」
「心配させちゃったかなあ、悪いことしたね」
「きっとごめんねしたら許してくれますよ」
「そうだね、優しいもんね」
「俺にも怒らないんですよ、お名前間違えちゃっても」
「名前」
「はい、名前」
「ヒーローくんってどういうこと?」
「ヒーローくんはヒーローくんです」
「ちげえっつってんだろ!菅野英雄!かんの!ひでお!英雄と書いてひでおだよ!」
「ああ、そういうこと」
「でもイチ兄ちゃんはヒーローって呼んでたんですよお」
「それはきっと渾名ってやつだよ、まもりくんが俺のことさくちゃん先輩って呼ぶみたいな」
「うーん……」
「なあ真守、俺言ったよな?他の奴には死んでも教えんなっつったよな?なんでよりによってこいつにバレる?」
「なんででしょう、さくちゃん先輩」
「いいじゃない、ヒーローくん先生。他の人に言ったりしないから」
「さっき誰かに連絡してたろ!?」
「いやいや、俺マジ口堅いから」
「ヒーローくん先生!」
「ぶっふ、ヒーロー、んっぐ、ひっ、ヒーローくん、っ」
「どの口が堅いってえ!?」
「いひゃいいひゃい」
「結局本名なんて言うんすか?」
「菅野英雄だよ!誰だっけお前!」
「えのうら先輩です!」
「江野浦だよ!」
瞳を輝かせた都築と、笑い転げて吐血しそうな瀧川も、まだ怒ってる航介が保健室に入ってきた。一気にうるさくなった部屋に紛れて、大判の絆創膏を幾つか頂いておく。だってまだ血止まんなそうだし、さちえに心配かけたらいけないし。
なんでまもりくんとヒーローくんが仲良しかって、まもりくんの一番上のお兄ちゃんとヒーローくんが同級生で同じクラスで、家族ぐるみで仲良しだったらしい。それで未だに交流があるんだとか。それで、家でお兄ちゃんお姉ちゃんからヒーローって呼ばれてるのを聞いてたまもりくんは、それしか名前を知らなかったと。まもりくんは、絶対に外で名前を呼ぶなと固く禁じられていたんだけど、そんなのすぐ忘れちゃうから、しょうがないよね。
それからしばらく保健室の先生は、ヒーローくんって呼ばれてた。おしまい。


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